江戸川乱歩と園児
「ねぇねぇおままごとしようよ」
「せいせー、まことくんがオレのおもちゃとったー」
「うわーん」
うるさい、一言で言えば幼稚園とはそういうところだ。
子ども達が先生に寄ってきて大変そうだが、先生は笑顔で対応していた。よく出来るな、と上から目線で思っていた。
まだ感情も制限出来ない未熟な子には相手は難しいと思う。故あって僕は子どもが苦手なのだ。どう接していればいいか分からない。
僕は教室の隅に座って本を読む。することが無い、なぜなら僕は女の子なのだ。
なぜ女の子という理由でする事がないのか、体は女の子、男の子達のサッカーや遊びに入れてくれない。心は男の子、おままごとやお人形ごっこなんて恥ずかしい。
あの死神は僕の性別を変えた。理由は分からないが、腹いせ以外無いだろう。
「真矢ちゃん、他のお友達と遊ばないの?」
幼稚園の先生が中腰になって僕に話しかけた。
「絵本読むのが好きだから」
他の子と違って舌足らずでは無い僕に先生は少し驚いたような顔になったが、直ぐに笑顔になった。
「そうなんだ!真矢ちゃんは本読むのが好きなんだ、凄いね」
何が凄いのか全く分からない。ただ本を読んでるだけなのに
「どんな本が好きなの?先生にも教えて」
「・・・・・・」
僕は先生から目線を逸らす。先生は笑顔で「笑わないから」と言った。
「江戸川乱歩」
「え?」
先生は僕にもう一度聞き返した。聞き間違いだと思ったのだろう、僕はもう一度先生に言った。「江戸川乱歩」
先生は完全に固まってしまった。そりゃそうだ5歳児が江戸川乱歩なんて読むわけ無い。もし読んでたら僕も引く。現に僕は読んでるけど。
江戸川乱歩は本当に素晴らしいと思う。特に「人間椅子」は素晴らしい。エログロナンセンスの時代からよくこんな傑作が生まれたものだ。
先生は僕の手元の本を見た。そして引きつった笑みで「た、楽しんでね」とそそくさに去っていった。
僕の読んでいた本の名は「芋虫」、スト
ーリーは、戦争で手足が無くなり、口も利けない、耳は聞こえない、頭と胴だけ汚い包帯で巻かれた男を献身的に介護してたものの、一方では「虫」のように扱う狂った妻の話である。
生理的な嫌悪だけでなく、自分の心の
「闇」を見透かされてるようで背筋が凍る。うん、ホント面白い。
因みにこの本は園長室から園長先生が持ってきたもの、園長先生はのんびりしていて、江戸川乱歩を読む園児に抵抗無く本を貸してくれる。
僕の幼稚園生活は、ほぼ本を読んでいる。これでいいのか、僕。
*
夕方、すっかり夢中になってしまった。僕は教室を見渡すと園児が減っていた、外を見ると母親、又は父親、あるいは両方が園児を迎えていた。
時計を見ると6時35分を差していた。僕はこの一時が嫌いなのだ。
7時9分、もう日は沈み、空は藍色に染まっていた。
「・・・・・・」
僕は縁側に座って母さんが迎えに来るのを待っていた。僕以外の園児はもういない、いるのは僕と園長先生だけ。
慣れていないスカートを風が捲るのを押さえてバッグを肩に斜めにかける。いつでも帰る準備ができるように。
「真矢ちゃん」
横を見ると園長先生が立っていた。いつもの笑顔を見ると、少し安心した。
「ここ、座ってもいいかな?」
「ど、どうぞ」
小さな体を横にズラして園長先生が座れるようにする。園長先生は「ありがとう」と言って僕の隣に座った。
何か僕に用かな、と思ったけど園長先生は何も話さなかった。ただ、僕の横に座ってるだけだった。
不思議に思いながら母さんを待ってると、母さんが息を切らしながら小走りで駆け寄ってきた。
「母さん!」
僕は幼稚園生っぽく、お母さんのお腹に抱きついた。
「え、園長先生、遅くなって申し訳ございません!営業が長びいて・・・。」
お母さんは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。園長先生は変わらず笑顔のままだった。
「いいえ、仕方がないことです」
お母さんは園長先生と少し話した。何話してるのか分からなかった。もう一度園長先生に頭を下げて、僕の手を引いて幼稚園を出て行った。
「ごめんね、真矢」
「ううん、仕方がないことだよ」
僕は笑った。園長先生と同じ事を言ったから、少し可笑しかった。
「園長先生が言ってたの」
うん? と僕は首を傾げた。園長先生と話してた事かな?
母さんは僕の手を引いて、帰り道を歩きながら話している。
「真矢ちゃんは、お母さん待ってる時、悲しい顔してるって」
僕はキョトンとした。悲しい顔なんてしたっけ?もしかしたら無意識なのかもしれない。
もしかしたら、園長先生は、僕を安心させるために隣に座ったのかもしれない。確かに、園長先生が座ってるだけで、僕は安心した。包容力っていうのかな?園長先生にはそれがある。
「お母さん、営業時間早くしようかな」
「え!いいよ!気を使わなくて!」
お母さんは弁当屋を経営している。小さいながらも、店は繁盛していた。きっと母さんが美人だから。ガテン系の仕事をしてる人に人気だ。
だから、夜遅くまでお母さんのためにわざわざ足を運んで来てくれるお客さんがいるのだ。
それなのに僕のために営業時間を短くするなんて、可哀想だ。
「私ね、高校生になったら、お母さんのお弁当屋を手伝うの」
「あら、嬉しいわ、なら従業員用のエプロン増やさなきゃね、フフ」
夏の夜の冷たい風が僕と母さんの頬を撫でた。夏とは思えない寒さに、少し身震いするけど、母さんの手は暖かかった。
僕の幼稚園生活、これはこれでいいかもしれない。