哲学者と神
ローマの帝国のユリウス・クラウディス朝時代の政治家、ストア派の哲学者でもあり、詩人でもあった。かの有名なルキウス・アンナエウス・セネカがこう言った。
─「人生は短く、速く過ぎ去ってしまう。」─
そう言った。
確かにそうだ、納得する。人生は運と勘と縁で繋がっている。
ここで人間の平均寿命は80歳とする。睡眠に27年、食事に10年、トイレに5年を費やす。これらを差し引くと残りはたったの38年になる。
僕らの寿命は38年と言ってもいい。
だが、人生は突然である。例えば、お腹の中にいる胎児が死んだり、産まれてすぐ死んだり、交通事故で死んだり、病に侵され死んだり、人生は突然である。38歳まで生きれるかは定かではない。
よく「神が全てを決めている」と言うキリスト教徒がいる。神などいないのに。
だとしたら胎児が死んだり、産まれてすぐ死んだり、交通事故で死んだり、病に侵され死んだりするのは必然的なのだ。
神とは人が創り出した幻想にすぎないと僕は思っている。もしくはドイツの哲学者のニーチェが言った言葉に当てはまるかもしれない。
「神は死んだ」とか。
だが、神を無くして今の日本はない。もし、キリスト教が日本に浸透していなければ、今の日本の曜日は「月火水木木金金」となっていたのかもしれない。キリスト教は日曜日の労働は禁止しているから。
もし土曜日も日曜日も働いていれば、日本のサラリーマンは過労死でバッタバッタと死んでいっただろう。学生の僕らは勉強のしすぎで倒れていた。
そこらへんは感謝してる。
だが、僕は一年に一度行われる年中行事に腹をたてている。
それは12月25日のクリスマスイブだ。
12月25日は正式にはイエス・キリストの誕生を祝う日なのに、なぜカップル達は互いにプレゼントし、愛の言葉を囁くのだ、キリスト教なら神の誕生を祝え、仏教は論外、クリスマスに参加しないでほしい。
カップルがネオンやイルミネーションを見に街に繰り出すのを見ると「何だお前らは、虫か」と思った事は数知れず。
悲しみの果てに友人がカップルに襲いかかったのをよく止めていた。
彼女いない歴イコール年齢の僕は友人と妬んだり、激しく嫉妬したものだ。
話を元に戻そう。つまり、僕が言いたいのは、人生は短く突然であること。
そう、例え電車のホームにケンカしてるオジサン2人の喧嘩の仲裁に入り、突き飛ばされ、線路に落ち、車輪に轢かれ、肉が潰れ、裂け、骨が砕かれ、内臓が散乱しようとも、だ。
神が全てを決めてるのであれば、これは必然にしかならない。僕の人生はここでバッドエンド。
だったら僕を残酷な死に方をさせた神を恨み、軽蔑してやる。