だって嫌な予感がしたんだもの。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どこで何がどう転んでこんな目に遭ってしまうのだろうか。
ごうごうと音を立てて燃え上がる私の家。大きくもなくかと言って小さいわけでもない普通の大きさの家が燃えている。炎は家以上の大きさで、いますぐ火が消えたとしても、もう住むことはできないかもしれない。
綺麗ね。自分の家じゃなければとって綺麗な光景で、思わず見惚れてしまいそうになる。
ああ、きっとあの子が全てを引き寄せたのね。あの子が意識的にせよ無意識的にせよ仕向けたことなら納得できてしまう。
アッシェンプッテル。お母様に本当の名前を奪われて、灰被りという意味の名前をつけられたあの子はそういうことができてしまう子供だった。
お母様の再婚した相手のつれ子。お父様の後ろに隠れて私と妹を見つめていた。その姿はまだ幼いのに綺麗だった。綺麗でありながら可愛らしかった。将来は美人になると約束されているなと思ってしまうほどの器量良し。
妹とお母様はあの子の可愛らしさが鼻についたようでいつもいつも虐めていた。あの子を人間とは思わずに地べたで食事を取らせたり、使用人ですら着ないようなボロを着せたりと。とにかく虐めていた。
私はそんな二人を見ているだけ。加勢することはしなかったけど、だからと言ってあの子を助けることもしなかった。
死んでくれればいいのにと思っていた。お母様と妹の虐めが苦になって自ら命を絶ってくれればとても嬉しいのにと思っていたのだ。
あの子の死を願ったのはお母様と妹のような容姿優劣で劣等感を抱いたからじゃない。お父様のつれ子だからという理由でもない。
鳥肌が立った。初めて顔を合わせた時にブワッと肌が恐怖で泡立つのを感じた。背筋が冷たくなってそこから体温が失われていった。目を合わせたら身体が動かなくなる気がした。
ああ、この子は本能的に合わない。一緒に居続けたらとんでもない目にあう気がしてならない。
そうと分かれば助ける気なんておきない。これっぽっちも好意を抱くこともできないし、憐みの感情すら浮かんでこない。内から出てくるのは恐怖と嫌悪だ。
だからお母様と妹の行動によって酷い目に遭わされるあの子を見て見ぬふりをした。目を合わせることは絶対にしなかった。気持ちの悪いものをどうして見る必要はないでしょう。
あの子を無視する生活がしばらく続いて、ある日お母様が興奮して戻ってきた。
お城で大きなパーティーが催され、国中の未婚の若い女性が招かれるとのことだった。どうやらこの国の王子の花嫁探しを目的に催されたようだ。
私は多少の興味があった。煌びやかな場所で食卓では見ることのできないような豪勢な料理が食べられるからだ。食い意地がはっているからではなく、王族がどんな食べ物を食べ、どんな飲み物を飲んで生きているか気になるのだ。
お母様は妹と私を連れてパーティーに向かった。
あの子はパーティーに連れて行ってもらうことはできないだろうなと考えていたら、お母様があの子を暖炉の中へと押し入れて煤だらけにして、汚い小娘がパーティーに出れば私たちが笑われるとと言って留守番を命じた。
だけど、嫌な予感がした。本当に漠然としていて上手く口に出すことができないが、とにかく肌をチリチリと焼くような不安を感じていた。このパーティーで何かが起こる。私にとって悪いことが起きる気がしてならなかった。
その予感は間違いじゃなかった。
パーティーの最中に現れた、この世のものとは思えない美しい少女。彼女が歩くと人波が真っ二つに割れて、王子様の元への道を作り出す。ああ、あの少女からだ。嫌な予感をさせるのは王子と優雅に踊るあの絶世の美少女だった。
嫉妬深いお母様や妹でさえ見惚れて、あの少女が相手なら仕方がないと諦めてしまう中で、私はワインを飲みながら壁を見つめ続けた。恐くて目を合わせることができなかった。恐怖によって体中から水分が抜けていくような錯覚がして必死にワインを飲んでいた。
パーティーが終わった後も嫌な予感は消えなかった。
それもそのはず。嫌な予感を感じさせる元凶はずっと家に居て、何かを待っているかのような振る舞いをしていたからだ。
アッシェンプッテル。あの子が終始笑ってる。何がそんなに楽しいのか。
お母様と妹は気持ち悪いと更に虐めを加速させていったが、何かをする度にあの子が言うのだ。
あと少しだけ付き合ってあげる、って。
燃え上がる家を背にして走り出す。
この場に居続けることはできないだろう。きっと家を放火した犯人がまだ近くにいるはずだ。私が家の外に居て難を逃れたことを知られる前に逃げ出さなければ。
燃え盛る家の中には確か眠っているお母様と妹がいた。あの炎だ、奇跡が起きなきゃ助かることはない。きっと今までの行いが悪かったから死んだのだ。
そういう意味では助けずに見捨てた私は家も家族も失い命も狙われる最悪の状態だ。
嫌な予感が消えなくなったあのパーティーの後、王子が家を訪ねて来て、あの子は待ってましたとばかりに王子について行った。
それから一週間後の夜。みんなが寝静まった後に、私は不快感で飛び起きて、吐き気のするような気持ち悪さに家の外に出た。
それが運命の分かれ目だった。
夜風に当たって身体を休めてから家に戻ると焼けてた。もうごうごうと焼けてた。
家も家族も焼けている中で、どこに向かって逃げればいいんだろう。
森の中に飛び込んでから行く当てがないことに気がつく。
同時に、今まで感じていた肌を焼く嫌な予感もなくなっていた。分からないけど、もう命の危険にさらされる心配はない気がする。本当にそんな気がするだけで確信はまったくない。
これから何をどうすればいいのかまったく分からない。でも、このまま森を真っ直ぐ進んでいけばいいかもしれない。進んでも進んでも嫌な感じがしないという感覚だけの理由だ。この感覚のおかげで燃えずに済んだと考えるなら、嫌な予感のしない方に進むしか道はない。
直感に頼って何日も森を歩き続けるといつしか木々を抜けて広い場所に出た。
森を抜けてからは全てが流れるように進んだ。
知らない若い男に声をかけられ、連れていかれた場所で女神に会った。
アッシェンプッテルなんかが陳腐に思えてしまうほどの女性。女神が地上に降り立つとしたらこのような姿になるのだろう。ああ、あの子と違って嫌な予感がしない。きっと本当に女神様なのだろう。
女神様はニッコリと光り輝いてもおかしくないような笑顔を浮かべて私の手を取って言った。
貴女も面白い力を持っていますね、と。
女神様は南の国のお姫さまだった。器量が良いという言葉では表せない美貌と、とても素晴らしい知識を持っていた。
小さいころに聞いたことがあった。南の国の城には三百年間眠り続けた美しいお姫様がいる。そのお姫様は起きてから一睡もしていないことから不眠姫と呼ばれていると。
不眠姫は私を救ってくれた。
家を与え、家族を与え、仕事を与え、安全を与えてくれた。
なんでも、私には危険を感じ取る力があるとかで、その力で不眠姫を助けてほしいとのこと。
私は助けてもらった恩を返すために懸命に働いた。と言っても特に何かしたということはない。ただ、不眠姫の隣に控えているだけだった。それで嫌な予感がしたら伝える。それが私の仕事だった。
不眠姫は私の力を頼りになる力と言って領地を潤していった。
不眠姫に拾われてから二年。私は夜中に不眠姫の部屋を訪れた。部屋の前で佇む兵士に頭を下げて入れてもらう。
夜中に他人の部屋を訪れるのは非常識かもしれないが、この南の城は私を覗いた全員が不眠姫と同じように一睡もしないのでまったく迷惑にはならない。不眠姫からは何か私的な用事があるときは夜中にしてほしいとも言われているので、私は世間の非常識を捨て去って部屋を訪ねるのだ。
不眠姫は夜が明けるまでベッド脇の椅子に腰かけて本を読んでいる。眠る気が全く起きないから本を読んで時間を潰しているそうだ。眠らなくても疲れないと羨むべきか、ずっと眠ることができないことを哀れむべきか私には判断できない。
私は部屋に入ると不眠姫のベッドに腰かけた。不敬罪と言われるような行いだが、お城の人たちは私をもてなすときベッドの上に腰かけるよう促す。
私は不眠姫にある一つことを話した。
二年前に味わった肌の焼けるような嫌な予感について。アッシェンプッテルのことについて。
不眠姫に救われて安全を与えられても、どこか頭の隅であの子のことを考えてしまうのだ。もしかしたら、あの子は私を見つけ出してこの城をも焼いてしまうではないかと。
保身がないわけではない。でもそれ以上に不眠姫たちが焼かれてしまうことを恐れての告白だった。
自分のには力はない。あるのは自分の危機を察知する力だけ。それだけしかないのに、不眠姫は私を受け入れてくれた。家族にしてくれた。だから失いたくない。
全てを告げた。
不眠姫は柔らかい笑顔を浮かべると私を寝かしつけてくれた。
それから、不眠姫は絶えず私のことを気にしてくれて、眠るときは部屋に招き入れて寝かしつけてくれた。
それが毎日続いて、一年後に私の生まれた国のお城はごうごうと大きな炎に包まれてアッシェンプッテル含め王族の全員が亡くなった。ああ、もう嫌な予感がまったくしない。