第四十八話 カオルに妹弟子ができた理由
窓からカオルの部屋に入って来た人物は、足音もたてず、気配を消して、カオルの寝ているベッドに近づいた。
その人物はベッドの横に立つと、寝ているカオルの顔を覗き込んだ。
そのまま、その人物はカオルの寝顔を見つめていた。
五分ほど時間が経つと、カオルはベッドに横になったまま目を開けた。
「あの……、いつまで、僕の寝顔を見つめているんですか?」
「カオル、起きていたのか?」
「僕は眠りが浅い方なんですよ。旅芸人の一座にいた頃は、一座ごと金持ちの屋敷の宴会に雇われて余興に芸を披露するなんてことがよくありました。そのまま夜は屋敷に泊めてもらえるのですが、真夜中に屋敷の主人なんかが目が覚めて『眠れなくて暇だ。何か芸を見せろ』と言われるのがよくあったんです。そんなことがしょっちゅうでしたから自然と眠りが浅くなったんです」
「真夜中に人を叩き起こすのか、非常識なヤツがいるもんだな」
「夜中に女子寮に忍び込んで、女子生徒の寝顔を見つめているヤツの方が非常識でしょう?」
「お前の寝顔は可愛いからな。いつまでも見つめていたい」
「夜中に女子寮に忍び込むだけでも犯罪なのに、さらに女子生徒の寝顔を眺めて楽しむなんて変態ですよ?」
「お前は本当は女子生徒じゃないんだから問題あるまい?」
「男子の僕の寝顔を眺めて楽しむ方が問題じゃないですか?」
「ワシに同性愛の趣味があると言うのか?お前は知っているではないか?ワシの趣味は男女関係無く可愛い者・美しい者を愛でることだ」
「そういうところは相変わらずですね。あなたのことを聖者みたいに思っている大陸の人たちに知られたらガッカリされますよ?師匠」
「ワシは確かに大賢者ではあるが、聖人君子では無いぞ」
「その話はともかく、師匠、その姿はどうしたんです?」
「ワシの姿が何か変か?」
「すごく変ですよ。何で学園の高等部の女子生徒の制服着ているんですか?師匠の正確な年齢は僕も知りませんが、『お爺ちゃん』と呼ばれる歳でしょう?その歳で女装趣味に目覚めたんですか?」
「ワシが女子の制服を着るのは似合ってはおらんか?」
「いいえ、似合ってます。すごく似合ってますけど、何で『若返りの魔法』使っているんですか?」
カオルの師匠である大賢者の今の姿は、カオルと同い年ぐらいに見える。
身長はカオルより少し低く、赤毛をツインテールにまとめた可愛い女の子に見える。
「ワシが若返りの魔法で、この姿になるのは一度見せたことがあっただろう?お前と同じくワシも若い頃は女の子に勘違いされる容姿で苦労したぞ」
「若返りの魔法は極秘じゃなかったですか?争いのもとになるということで?」
「ああ、富を権力を得た人間が最後に望むのはたいてい『不老不死』だからな。こんな魔法が存在することを知られたら権力者はどんなことをしても手に入れようとするだろう。だから、歴代の大賢者たちは、この魔法を秘伝にしているんだ」
「世の中を混乱させないために秘匿していた魔法を、何で、今、使っているんですか?」
「もちろん、この学園に転校するためにだ」
「転校!?師匠が、この学園にですか!?」
「そうだ」
「いったい、何のために……」
「お前がワシに、ここに来るように日記に書いたろう?それにしても、よくワシがお前の日記を読んでいるのに気がついたな?」
カオルは机の引き出しから日記帳を取り出した。
「この日記帳は、僕が学園に入学する前に師匠から渡されたんですが、今から考えると、しつこいぐらいに師匠は僕に、この日記帳に日記を書くように言いましたけど、師匠は手紙を書くようには一度も言いませんでしたよね?」
「ああ、そうだ」
「でも、変じゃないですか?僕は師匠の弟子なんですよ?弟子の近況が気になって当然じゃないですか?僕が学園で何か失敗すれば、師匠の評判に傷がつくんですよ?定期的に手紙を書くように指示をするのが、本当じゃないですか?」
「ワシが自分の評判なんか気にしない。おおらかな人間だからとは考えなかったのか?」
カオルは首を軽く横に振った。
「考えませんでした。確かに、師匠は個人としては自分の評判なんか気にしない、おおらかな人ですけど、『大賢者』という称号に対して責任を持っている人です」
「ワシが『大賢者』の称号に対して持っている責任とは何だ?」
「確かに、大賢者は帝国の皇帝陛下も連邦の大統領閣下も頭を下げて敬意を払う存在で、大陸に住むほとんど人たちから尊敬されています。ですが、大賢者は公的な地位じゃないんです。およそ千年前に初代大賢者があらわれてから、その千年という長い年月に、歴代の大賢者たちが積み重ねた『実績』による『評判』だけが、『大賢者』という称号を裏付けているんです。ある意味、曖昧で不安定な立場なんです。評判に傷がついたら、簡単に崩壊するかもしれない立場なんです」
大賢者は音を立てずに拍手をした。
「カオル、よくそれが分かったな。大陸の人間で、それに気づいている人間はほとんどいないぞ」
「大陸の人たちにとっては、『大賢者様が、ある意味では皇帝や大統領より偉い』というのが子供の頃から常識として刷り込まれていますからね。朝になればお日様が東から昇るように、当たり前のことだと思っているんですよ」
カオルはいったん言葉を切ると、皮肉っぽい表情と声になって続きを言った。
「でも、大陸から離れた東の島国の蛮族の僕にはそんな大陸の偉大な文明の常識なんてありませんから、だからこそ、師匠は僕を弟子にしたんでしょう?」
大賢者はまた音を立てずに拍手をした。
「分かっていたか、大陸の人間では持てない視点で物事を見れるように、お前にはなって欲しかったが、目論見通りになっているようだな」
「話を日記帳について戻しますけど、僕が書いた文章はどんな風に師匠に伝わっているんですか?」
「それは、これだ」
大賢者は懐から日記帳を出した。
日記帳はカオルの物とまったく同じデザインだった。
日記帳を渡されたカオルは、パラパラとめくった。
日記帳に書いてある文章は、カオルの物とまったく同じだった。
カオルは自分の日記帳の空白のページに落書きをしてみた。
すると、大賢者の日記帳の同じ空白のページに、同じ落書きが現れた。
「なるほど、やっぱり、魔法で、こういう仕掛けがしてあったんですね」
「カオル、怒らないのか?ワシは、お前の日記を盗み読みしていたんだぞ?」
「僕が旅芸人の一座にいた頃にはプライバシーなんて上等なものはありませんでしたよ。それより、明日のことについて打ち合わせましょう」
朝日が登ると、その日一日の活動を始めるために女子寮の中は騒がしくなる。
朝食を済ませると、女子生徒たちは学校に向かった。
朝の喧騒が嘘だったかのように女子寮は静かになった。
日が傾き夕方になると、今日の授業を終えた女子生徒たちが戻って来て、また賑やかになった。
消灯時間が近くなると、女子生徒はベッドに入るため、静かになって行く。
エレノア・フランクリンは自室で就寝前に日記を書いていた。
今日の出来事を何と書けばいいのだろうか?
あまりにも嬉し過ぎて楽し過ぎる!
あの可愛いカオルさんと出会った日を人生最良の日だと思っていたけど、それは間違いだったわ。
今日こそが人生最良の日だったんだわ!
カオルさんと、その妹弟子さんが二人並んでいる姿を見ると、可愛さが倍になる!
いいえ!倍では足りないわ!四倍、八倍、十六倍……、可愛さがねずみ算式に増えて行くわ!
ああ、二人のあまりの可愛さに、私はどうしたらいいの!?
……冷静になりなさい。私、エレノア・フランクリン。
今日のことを日記にちゃんと書いておかなくちゃならないのよ。
今日のことを記録に残しておいて、後から読み返して、何度も楽しめるようにするのよ。
カオルさんの妹弟子さんのことを聞いたのは、今日の放課後、委員会の部屋にメンバー全員が集まった時のことだった。
「カオルさんの妹弟子さんが転校して来るの?」
「うん、そうだよ。師匠からの伝言を持って、今日これからここに来るんだ」
「それで、転校生はどんな女の子なの?」
「それは……」
カオルさんが私の質問に答える前に、ドアが外からノックされた。
「モウカリマッカ?」
ドアの外から女の子の声で奇妙な言葉が聞こえた。
何なの?この言葉は?
連邦語でも帝国語でも大陸中央語でも無い。
カオルさんに少し教えてもらった東方諸島国語にも、こんな言葉は無かった。
「ボチボチデンナ」
カオルさんもドアの外に向かって奇妙な言葉を言った。
「ウチが言った言葉の意味は?」
外から「モウカリマッカ」と言った女の子の声で大陸中央語が聞こえた。
その声に、カオルさんが答えた。
「東方諸島国の一部の地域の商人の間で使われている言葉で、『モウカリマッカ』とは『あなたは最近商売で利益を上げていますか?』ですよ」
「正解だよ」
「では、わたしの言った言葉の意味は?」
今度は、カオルさんが外に向かって質問した。
「同じく東方諸島国の一部の地域の商人の間で使われている言葉で、『ボチボチデンナ』とは『モウカリマッカ』に対する一般的な返答で、意味は『そこそこの利益をあげております』という意味です」
どうやら、カオルさんはドアの外にいる女の子と合い言葉を交わしていたらしい。
カオルさんはドアを開けた。
部屋に女の子が入って来た。
「皆さん、紹介します。この子は、わたしの妹弟子で、名前は……」
カオルさんの紹介が終わる前に、私は妹弟子さんに抱きついていた。
「可愛い!すごく!可愛いわよ!妹弟子さん!」
妹弟子さんは、カオルさんより少し背が低く、赤毛をツインテールにしている。
私たちと同い年のはずだけど、身体は幼さを感じさせて、中学生のように……、ううん……、小学生にすら見える。
カオルさんは「理想の妹」だけど、この子も別な感じで「理想の妹」だわ。
「妹弟子さん。私の名前はエレノア・フランクリン。これから仲良くしてね!」
私は可愛い女の子に会った時のいつもの癖で、自分の胸を妹弟子さんの顔に押し付けようとした。
ご感想・評価をお待ちしております。