第四十三話 エレノアたちがカオルからメモを渡された理由
エレノア・フランクリンは日記を書き続けていた。
ドアが開いたら、当然カオルさんがいるのだろうと私は思っていた。
さっき教室で別れたばかりなのだけど、再会が待ち遠しいわ。
私は犬や猫でもネイグルミでもアクセサリーでも「可愛い物」が好きだけど、人間に対しても同じなのよね。
カオルさんの可愛らしい容姿は、私にとっての理想で毎日ずっと一緒にいても飽きることは無い。
ますます好きになっている。
もちろん、彼女をペットやヌイグルミあつかいしている訳ではない。
私にとっての一番の親友はユリアだけど、彼女も同格の一位になっている。
ドアが内側から開いた。
「ありがとう。カオルさ……」
ドアを開けたのは、カオルさんではなくて、サリオンさんだった。
一瞬、私は硬直してしまった。
子猫や子犬のように可愛らしいカオルさんにくらべると、野生の虎か熊のようなサリオンさんが間近にいると、自分が小さなウサギになってしまったように感じる。
大きく鋭い牙でパクリと食べられてしまうように感じるのだ。
サリオンさんと再会して結構時間が経つのだけれど、彼にはいまだに恐怖や嫌悪を感じる。
「エレノアさん。そこがエレノアさんの机になります」
部屋の奥の方からカオルさんの声がした。
カオルさんは部屋の奥にある委員長用の机にいて難しい顔で書類を読んでいる。
私は自分の席に座った。
「エレノアさん。この書類を読み終わるまで待っててもらえますか?」
「分かったわ」
私の机はカオルさんから見て左隣で、サリオンさんの机は右隣だ。
カオルさんがサリオンさんとの間にいるので安心感がある。
カオルさんは分厚い書類を熱心に読み込んでいた。
私は、お仕事をしながらの雑談は好きなのだけど、こんな様子のカオルさんには話し掛けられないわね。
でも、サリオンさんとはお話をする気にはならないし……。
ユリアとアンさんは生徒会や他の委員会へ必要な書類を集めて回っているはずだから、この部屋に来るのは、だいぶ後になるはずだわ。
手持ち無沙汰になってしまったわね。
「あの……、エレノアさん」
サリオンさんから話し掛けて来た。
「何かしら?あらっ!?確か、サリオンさんは私を呼び捨てにしていなかったかしら?」
「その……、小学生の時に最初に会った頃は、『エレノアさん』と呼んでいたけど、親しくなってからは『エレノア』に変わったんだ。もう、俺と親しくなりなくないのなら、呼び捨ては悪いと思って……」
親しくなった頃……、私と彼が「恋人同士」なった頃ね。
あの頃は本当に楽しかったわ。
彼が私とユリアに二股を掛けていると分かるまでだったけれど……。
「呼び捨てで構わないわ。サリオンさんと幼馴染みなのは変えようがないのだもの」
「そうか、ありがとう。それで、これ、どう思う?」
サリオンさんは机の引き出しから何かを取り出して私に見せた。
あっ!?それは!
「帝国で百個限定生産された猫のヌイグルミじゃない!?」
「そうだよ。帝国の有名な職人が一つ一つ手作りした物だ」
「うわーっ!それ欲しかったのだけれど、手に入らなかったのよね。予約限定で、しかも、抽選だったから」
「エレノア。良かったらプレゼントするよ?」
のどから手が出るほど欲しかったが、私はぐっと我慢した。
「いらないわ。あなたとはプレゼントを貰うような親しい関係に戻りたいわけじゃないわ。それに、そんな入手困難な物を手に入れられたということは、あなたの実家の権力を使ったんでしょ?」
「酷いな、これは俺が正々堂々とした手段で手に入れた物だよ。注文ハガキを何百枚も出して、ようやく手に入ったんだ。俺の名前で無用な気を使わせないように、わざわざ使用人の名前を借りてハガキを出したんだ」
「あなたを侮辱してしまったわね。謝罪するわ」
「謝らなくていいけど、本当にいらないの?」
「ええ、いらないわ」
物凄く欲しいのだけど、諦めた。
彼からのプレゼントを受け取ってしまったら過去のことを許してしまったような感じになってしまう。
過去のことは許すつもりは無いし、彼と昔のような関係に戻るつもりも無い。
「それじゃあ、カオルさんにプレゼントするけど、いいか?」
「勝手にしてちょうだい」
サリオンさんはヌイグルミをカオルさんの机の上に置いた。
カオルさんはヌイグルミを持つと、私に向けて差し出した。
「エレノアさん。わたしの机の中も上も書類で一杯で置いておく場所が無いんだ。悪いけど、これ預かってくれない?」
「えっ!?でも……」
「エレノアさんは、わたしの物を預かるのは嫌なのかな?」
カオルさんが雨の中で道端に捨てられたら子犬のような顔になった。
「いいえ、カオルさんに頼まれたのならば、私はどんなことでもするわ。でも、そのヌイグルミを受け取っちゃったら、サリオンさんから間接的にプレゼントを貰ったのと同じになっちゃうでしょ?プレゼントを受け取ったら過去のことを許したみたいになっちゃうでしょ?それは嫌なの」
「わたしは、このヌイグルミをエレノアさんに『預ける』けど、『譲る』わけじゃないです。あくまで、このヌイグルミは、わたしの所有物のままです。これなら、エレノアさんはプレゼントを受け取ったことにはならないでしょ?」
変な理屈だけど、カオルさんが私のためにそう言ってくれてるのは分かる。
私はヌイグルミを受け取った。
「ありがとう。カオルさん。大事に預かるわ。サリオンさん。勘違いしないでよね。私はカオルさんのヌイグルミを預かったのであって、あなたからのプレゼントを受け取ったんじゃないのよ」
「分かってるよ」
サリオンさんは少し傷付いたような表情になった。
言い過ぎたかしら?
彼に対する私の態度はキツいのは自分でも分かる。
知らない人が見たら私の方が彼をいじめているように見えるかもしれない。
少しは態度をやわらかくするべきかしら?
だけど、それだと彼を許してしまったようになってしまうし、どうするべきなのかしら?
私が迷っていると、ドアがノックされる音がした。
「ボクだよ。ユリアだよ。アンさんも一緒だよ。ドアを開けて下さい」
サリオンさんが鍵を開けるためにドアに向かった。
これで、ユリアとアンさんも、この部屋で一緒になる。
味方が増えるので、私はホッとした。
分厚い書類を読み終わったカオルさんは、私たち四人に向けて書類を掲げた。
「これは学園側から来た皇帝陛下と大統領閣下が来園された時の行動予定表だよ。テロ対策のために公表されない部分が多いから機密の保持には注意してね。この部屋から持ち出すのは禁止するし、写しを作るのも禁止。普段はこの書類はこの部屋の金庫に入れて、金庫の鍵はわたしが持っている。鍵は一本だけで合い鍵は作らない」
「あの、すいません。カオルさん。質問なんですが」
「アンさん。何だい?」
「その書類、そんなに分厚いのでは、あたしにはとても読み切れそうにないです。原本だけで写しが無いのなら、みんなで回し読みするんですよね?時間が掛かり過ぎると思うのですが?」
「ボクも同じ意見だよ。歓迎委員会の主要メンバーであるボクたちは情報を共有すべきだと思うけど、その分厚い書類を全部読むのは時間が掛かるよ。どうするつもりなんだい?」
アンさんとユリアが私の言いたいことを先に言ったので、私は何も言わなかった。
「みんなには悪いかもしれないけど、この書類は、わたしだけが全体を把握していることにするよ。必要な情報は、その都度みんなに教えるから」
えっ!?それって……。
「カオルさんは、俺たちを信用していないということか?機密事項を軽々と漏らすような人間だと思っているのか?」
私が言いたかったことを先にサリオンさんが言ってくれた。
彼が先に言ってくれて良かったわ。
カオルさんを責めるような言い方は私にはできそうに無い。
カオルさんは首を横に振った。
「もちろん。みんなのことは信用しているし、機密を漏らすような人たちじゃないと思っているよ。これは単に危機管理に対する基本の対応だよ」
「危機管理の基本ですか?」
「そうだよ。アンさん。『秘密は知る者が少ないほど漏洩する危険が少なくなる』ということだよ。機密を守るためには、わたしだけが全体を知っていた方がいいよ」
「それは、ちょっと違うんじゃないかな?」
ユリアが言った。
「機密事項は、知るべき人間は知っているべきだろう。ボクたちは歓迎委員会の重要なメンバーだ。知るべき人間だと、ボクは思うのだけど?」
ユリアの質問に対してカオルさんは返事をせずに、机の上に紙を四枚置いた。
四枚とも書いてある内容は同じの鉛筆で書かれたメモ書きのようだ。
「これは皇帝陛下と大統領閣下が来園された初日の行動予定表だよ。簡単なメモだけど、取り扱いに注意してね。落としたり無くしたり、ましてや、盗まれるなんてことのないように注意してね」
カオルさんはメモ書きを私たちに配った。
「カオルくん。ボクの質問に答えていないよ?何故、書類の原本を見せてくれないんだ?」
エレノアの質問にカオルさんは少し困ったような顔になった。
「理由は、これだよ」
カオルさんは分厚い書類から一枚を抜いて私たちに見せた。
「何これっ!?連邦語でも帝国語でも、大陸中央語でも無いわ!?」
書類には見たことも無い文字が並んでいた。
「学園機密語とでも言うべき物だよ。学園職員の一部だけが習得している言語だよ。わたしの師匠である大賢者さまが作った暗号で、今のところ解読は不可能とされている。わたしは師匠から解読法を教えてもらったから読めるけどね」
「なるほど、これでは、ボクらは見せてもらっても仕方ないな」
エレノアは納得しているようだ。
「あの、あたしたちがカオルさんから解読法を教えてもらうわけにはいかないのですか?」
「アンさん。師匠から解読法を人に教えるのは明確に禁止されているんだ。ごめんね」
その後、細かい打ち合わせをして解散となった。
歓迎委員会の活動初日は、こうして終わった。
エレノアは日記を書いていたペンを置くと、上着の内ポケットからメモを取り出した。
「このメモ、落とすのも無くすのも駄目なのよね。どこにしまえばいいのかしら?」
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