第四話 ユリア・ガイウスが日記を書き始めた理由
カオルとエレノアが女子寮の自室で日記をつけているのと同じ頃、ユリア・ガイウスは自室で梱包された自分の荷物を解いていた。
「教科書には書き込むわけにはいかないし、ノートは明日からの授業に使うし……」
ユリアは何やら悩みながら周囲を見回した。
「今から買いに行こうにも、この時間じゃ、店は閉まっているだろうし……」
周囲を見回しているユリアに、荷物の梱包に使われている包装紙が目に入った。
「とりあえず。これを使うことにしよう」
ユリアは包装紙を丁寧に破くと、机の上に広げた。
そして包装紙に文章を書き始めた。
ボク、ユリア・ガイウスに日記を書く習慣は無い。
大切な思い出ならば、いつまでも忘れないだろうし、嫌な思い出ならば、早く忘れたいと、ボクは考えていたからだ。
でも、今日から特別な事があったら日記をつけることにした。
とりあえず。この包装紙に書いておいて、後から日記帳を買ったら、書き写すことにしよう。
今日、この第四女子寮の前で起こった出来事から書こう。
「そこの生徒!止まれ!」
女子寮の前にいた五十人ぐらいの同じデザインの服を着た女性の集団の中から、一人がボクに向かって歩み出た。
「何を考えているのだ!?その制服は!?ふざけているのか!?」
厳しい声を出して、少し興奮気味のその女性に対して、ボクは冷静に応じた。
「ボクに、ご用ですか?」
「そうだ!女なのに何故ズボンをはいているのだ?」
女性が予想通りの質問をしてきた。
ボクは男子生徒用にデザインされた制服を着ている。
もちろん。高級な生地を使って、一流の仕立て屋に仕立てさせた物だ。
「質問に対して質問で返すのは非礼とされてますが、あえて質問させていただきます。今ボクの目の前にいる女性は、どういったお方なのでしょうか?」
「私は学園警察に所属している。女性警察官だ」
「なるほど、初めまして、ボクは本日より、学園高等部に入学しましたユリア・ガイウスです。よろしくお願いします」
ボクは丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
女性警察官もボクにつられて頭を下げた。
「話を戻すけど、何故ズボンをはいているの?定められたデザイン以外の制服を着るのは校則違反になるのよ?」
ボクが丁寧に挨拶したからだろう。女性警察官の口調は最初よりは優しい感じになった。
「ボクがズボンをはくことは、校則違反にはなりませんよ」
「えっ!?でも、校則では女子生徒の制服はスカート。男子生徒はズボンと定められているはずよ?」
ボクはポケットから生徒手帳を取り出した。
「どうやら誤解があるようですね。ここを読んでください」
生徒手帳の制服に関する校則のページを開いて、相手に見せた。
「学園生徒は定められたデザインの制服を着用すること。制服のデザインについては別に定める」
女性警察官は声に出して呼んだ。
「そして制服のデザインについては、こちらで定められています」
ボクは学園の入学案内書を取り出した。
制服のデザインについてのページを開いた。
ブレザーとズボン・スカートのデザインがイラストで描かれている。
「ここには『ズボン』が男性用、『スカート』が女性用などとは一切書かれておりません。女子生徒のボクがズボンをはいても構わないということです」
「でも、一般常識として……」
「ボクは今日の午前中に行われた入学式に、この格好で出ました。入学式は制服の着用が必須です。教師より女性警察官さんと同じ指摘を受けましたが、同じ説明をして納得してもらいました」
正確に言うと「判断を保留する。学園側で協議した後、決定を伝える」だったが。
女性警察官もいまいち納得していない顔をしていたが、引き下がった。
再び寮に向かって歩き出すと、知っている顔を見つけた。
「やあ、エレノア。久し振りだね」
「本当に久し振りね。ユリア。去年の秋に私の実家で開かれた園遊会以来ね。相変わらず男装が似合っているわね」
「ところで、エレノアの飼っている子犬は元気かい?」
「ええ、実家を出た時は元気だったわ。寮ではペット禁止だから。連れて来れなかったのが残念だわ」
「可愛い物が大好きなエレノアとしては当然だね。寂しいだろう?」
「今日までは寂しかったけど、新しく可愛い物に出会うことができたわ」
「お店で可愛いヌイグルミでも見つけたのかい?」
「違うわ。可愛いお友達ができたの。紹介するわ。カオル・タイラさんよ」
「カオル・タイラ」、大陸では普通聞かない名前だ。
しかし、ボクにとっては、ここ数日馴染み深い名前だった。
「カオルさん。カオルさん。あら?」
エレノアは周囲を見回した。
「さっきまで私の側にいたのに、どうしたのかしら?あっ!いたわ!」
寮の入り口の方に向かっている小柄な女子生徒をエレノアは小走りで追い掛けた。
「カオルさん。何故?先に行ってしまうの?私の幼なじみを紹介するわ」
「え、遠慮しておきますよ。エレノアさん。早く自分の部屋に行って、届いている荷物を整理しないと……」
「まだお昼を過ぎたばかりよ。時間は充分にあるわよ。さあ、こっちに来て」
小柄な女子生徒は、エレノアに引き摺られるようにボクの前に来た。
顔を見ると、やはりボクの知っている「カオル・タイラ」だった。
「あ、あの初めまして、わたしの名前はカオル・タイラと……」
ボクは軽く笑った。
「初めまして、じゃないだろ?カオルくん」
「あら、二人はお知り合いだったの?」
エレノアの疑問に、ボクは応えた。
「大陸横断鉄道の車内で会っているんだ。それにしても……」
ボクはカオルくんの頭から爪先までを見た。
女子用制服を着ていて、誰が見ても「可愛い女の子」になっている。
「カオルくんは列車の中では男物の服を着て、自分のことを『僕』と言って男言葉で話していたじゃないか?いったい、どうしたんだい?」
同じ頃、自室で日記をつけていた平良薫ことカオル・タイラは、いったんペンを止めた。
「学園に着いた時からゴタゴタしていたから、ユリアさんのことをすっかり忘れていた……、再会した時は、どうしようかと……」
カオルは再びペンを動かし始めた。
やばい!どうしよう!ユリアさんとは、僕は列車の中で会って何度も言葉を交わしている。
まさか学園で女子生徒として生活することになるとは思っていなかったから、その時の僕は一般的な大陸の男物の服を着て、男言葉で喋っていた。
当然ユリアさんは、僕のことを「男の子」だと認識しているはずだ。
まさか、同じ寮になるとは……。
とりあえず。ユリアさんと顔を合わせるのは避けることにして、エレノアさんとユリアさんが会話をしている間に、僕は寮の中に入ってしまおうとした。
だけど、エレノアさんに引き摺られるようにして、ユリアさんと面と向かうことになってしまった。
僕は「初対面の女の子」の演技をしたが無駄だった。
とうとう、ユリアさんが、僕が列車内では男物の服を着て、男言葉で喋っていたことを口に出した。
万事休す!入学初日で全部終わってしまうのか!?
混乱している僕の耳に、エレノアさんとユリアさんの声が入って来た。
「あら?カオルさんはユリアと会った時は、男の子の格好をしていたの?」
「そうだよ。エレノア。『可愛い男の子』だったよ」
ユリアさんは僕の顔を覗き込んで来た。
「でも、やっぱり、『女の子』だったんだね。男装している理由については、個人の事情があるだろうから、列車の中では聞かなかったけれどね」
え?えっ!?
どうやら、エレノアさんは列車で会った時に僕のことを「男装した女の子」だと思っていたらしい。
「ボクと同じ男装趣味の仲間がいると思って、嬉しかったんだけど、女子用制服を着ているということは、男装趣味じゃなかったんだね。少し残念だなあ」
「私はカオルさんの男装姿見てみたかったわね。きっと、とても可愛かったのでしょうね」
お二人は無邪気な笑顔を僕に向けたが、僕の気持ちは複雑だった。
僕の本当の性別がばれなかったのは良かったが、「男」だと少しも疑われないとは……。
僕は故郷の東方諸島国では、師匠の弟子になるまでは、女装して「女の子」として旅芸人をやっていた。
結構人気があり、それなりに顔が知られていたので、普段の生活でも「女の子」を演じなければならなかった。
師匠の弟子になって旅芸人を辞めてからも、東方諸島国に住んでいる限りは同じだった。
だから、大陸中央学園高等部に入学することになり、僕のことを誰も知らない所に行くのは、「男」として生活できることであり、望むところだった。
大陸に着いてからは、意識的に「男らしく」振る舞っていたのだが、ユリアさんには「男装した女の子」にしか見えていなかったとは、精神的にショックだった。
長年、「女の子」として生活していたので、女の子としての立ち居振る舞いが身についてしまっているようだ。
「ところで、何故カオルさんは男装していたのかしら?」
「あっ、あの、女の一人旅は色々と危険だと思ったので、男に変装していたんです」
エレノアさんの質問に、僕は適当に思いついた事を答えた。
どうやら、納得してくれたらしい。
「カオルくん。ところで、まだきちんとお礼を言っていなかったね。君のお陰で入学式に間に合うことができたありがとう」
ユリアさんが僕に頭を下げた。
「あら?カオルさんが何かしたの?」
エレノアさんがユリアさんに質問した。
「鉄道で事故が起きたのは知ってるかい?」
「ええ、列車が遅れて、入学式開始直前に駆け込んだ新入生が多かったみたいね」
「ボクもギリギリに駆け込んだ一人さ。本当なら、入学式に間に合わないところだったんだ。だけど、カオルくんの豊富な知識と素晴らしい決断力のお陰で問題を解決できたんだ」
「そう、なの?カオルさんが……」
エレノアさんが、少し戸惑った表情で僕を見た。
少し不味いか?
僕はエレノアさんの前では「世間知らずの女の子」を演じた。
列車でしたことは、それとは反対の行動だから変に思われるかもしれない。
だけど、ユリアさんが話を続けるのを止めることは出来なかった。
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