第三十六話 カオルがアンに罪悪感を持った理由
(うわっ!アンさんの手は、柔らかくて温かいな!これがアンさんの感触なんだ!)
カオルがそう思っているのに対して、アンはこう思っていた。
(カオルさんの手って意外に大きいのね)
そして、彼女はカオルの顔を見た。
(カオルさんは黄色い肌に黒い目と黒髪の大陸では珍しい容姿をしていて、平凡な顔立ちのあたしと違って『美少女顔』だけど、男装していると『美少年顔』に見えるのね。そう言えば、大陸横断鉄道で最初に会った時には、カオルさんは私服で男装していたけど、母が騒いでいるのが気になって、ちゃんとカオルさんを見れなかったけど……)
アンはあらためて男子用制服を着ているカオルの頭の先から足下までを見た。
(ユリアさんは男装をしていても『男装している女性』だとはっきり分かるけど、カオルさんはユリアさんと比べると、『男の子』だと勘違いしそうになるぐらいだわね)
アンと手を握り合っているカオルは、こう考えていた。
(エレノアさんは『スキンシップ』だと言って、よく僕を抱き締めるから、彼女の感触はよく分かっているけど、こうやって、アンさんの感触を感じるのは初めてだな)
カオルはアンと視線を合わせた。
アンはカオルより少し背が低いので、カオルは少し視線を下げる感じになる。
(この視線はちょうどいいな。エレノアさんとユリアさんは僕より背が高いから見上げなきゃならないからな。東方諸島国人の体格は一般的に大陸人より小さいけど、僕はその中でも男としては小さい方だからな。彼女たちお二人と並ぶと僕の男としてのコンプレックスを刺激するからな)
「良いじゃない!良いじゃない!そうやってカオルさんとアンさんが手をつないでいると、初々しい恋人同士って感じよ!ユリア。私たちは少し離れましょう。二人きりにしてあげましょう」
エレノアはユリアを連れて離れて行った。
「カオルさん。カオルさん」
アンは他に聞こえないように小声で言った。
「そう言えば、いつも四人で行動していて、こういう風に二人きりになるのは初めてですね」
「そうだね」
「こうやって二人きりになったから話せますけど、エレノアさんとユリアさんといると、コンプレックスが刺激されませんか?あっ!これは陰口じゃないですよ?」
「確かになるね。二人とも僕より背が高い美女だからね」
「やっぱり、カオルさんも、そう思ってたんですね。お二人とも舞台女優みたいにスタイル良いですからね。エレノアさんはお姫さま役が似合うでしょうし、ユリアさんは男装の騎士の役が似合いますね。あたしが舞台の上に立つとしたら、せいぜいその他大勢の脇役ぐらいですね」
「そんな事は無いよ。アンさんも二人に負けないくらい可愛いよ」
アンは可愛らしく頬を膨らませた。
「カオルさんはお二人の事は『美女』と言うのに、あたしは『可愛い』なんですね?あたしは『美女』じゃないという事ですか?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
戸惑っているカオルに、アンは笑顔になった。
「安心して下さい。冗談ですよ。お二人の美しさは、あたしなんかと比べるのが間違っています。でも、お顔の美しさもですが、ここも女として羨ましく思いますよね?」
アンは自分の胸を指差した。
「アンさん。胸がどうかしたの?」
「カオルさんは、お二人の胸が大きいのを羨ましく思わないのですか?」
「背が高いのは羨ましく思うけど、胸については何も思わないけど?」
「えっ!?カオルさん!まさか!?」
アンは両手の手のひらで、カオルの胸を撫で回した。
ホッとした顔になって、アンは両手を離した。
「安心しました。カオルさんの胸はまだ平坦ですね」
(僕は男なんだから、膨らむのはありえないんだけどね……)
「うわっ!」
カオルは思わず声を上げた。
何故なら、アンがカオルの右手の手首をつかんで、彼女の胸にカオルの手のひらを押しつけようとしていたからだ。
「な、何をするんだい?アンさん!?」
カオルは力をこめて、アンの胸に手のひらが触れる寸前で止めた。
「何って……、見ての通り、カオルさんにあたしの胸を触ってもらおうとしたんですけど?」
アンはカオルが拒否したのが不思議そうな様子だった。
「な、何で!そんな事をしようとするんだい?」
「カオルさんは、あたしの裸の胸を見た事ありますよね?」
「入学初日に、寮の地下の大浴場でだったね」
(ほとんど忘れていたけど、罪悪感がよみがえるな。アンさんは僕を女の子だと信じて疑わないから、無防備に上半身裸を僕に見せたからな。うう……、記憶がよみがえる……)
カオルは目の前にいるアンに、記憶の上半身裸姿を重ねた。
(うーむ。何て僕は記憶力が良いんだ。師匠からも『お前は見た物を写真のように覚える能力が高い』と言われたが、いけない、いけない。こんなエッチな事を考えるのは)
アンはカオルの内心をもちろん知らずに話を続けていた。
「最近、あたしの胸は少し膨らんできたんですよ。それを確かめて欲しかったんです。この勝負は、あたしが少しリードしていますね」
(その勝負に僕が勝つのは永遠に無いから!でも、アンさんの胸は膨らんだのか、以前見たときには真っ平だったけど、肌は透き通るように綺麗だったし、体のラインは美しい線を描いていたな)
カオルは記憶のアンの上半身裸に、想像した膨らんだ乳房を付け加えた。
(いけない!いけない!こんな妄想をするなんて!僕は『アンさんの女友達』なんだ!こんな事を考えちゃいけない!)
「カオルさん。何故?首を横に振っているんですか?」
カオルは自分で気づかなかったが、内心を仕草に出していた。
「アンさんの胸が膨らんだ裸を想像してしまったから、それを打ち消そうとしているんだ」
カオルは思わず正直に答えてしまっていた。
「えっ!?何故、そんな事を……、ああ、そうでしたね。今のカオルさんは『男の子』で、あたしの『彼氏』でしたね。あたしがこんな話をすれば『男の子』なら、そういう反応するのは当たり前でしたね。すいません。『女友達同士』の会話をしてしまって、『恋人同士』の演技は始まっているのに」
アンの純真な態度に、カオルの罪悪感は大きくなった。
(うう……、心が苦しい……。こんな心が純粋な女の子に、僕は性別で嘘をついているんだよな。真実を話すわけにはいかないから、なおさら心が痛むな……、とにかく!今日はアンさんのために頑張ろう!)
「アンさん。アンさんのお爺さんに『彼氏』として気に入られるように頑張るよ」
「お二人のお喋りが盛り上がっているのに、邪魔して悪いけど……」
離れていたエレノアが二人に近づいて来た。
「鉄道馬車が来たわよ」
線路の上を走る二頭の馬に引かれた鉄道馬車が、カオルたちのいる停留所に停車した。
しばらく後、カオルたち四人は、大陸横断鉄道の駅の構内にある喫茶店で、テーブルを囲んでお茶を飲んでいた。
壁にある時計をユリアが見た。
「アンさんのお爺さまの乗っている列車が到着するまで、後一時間だね。カオルくん。何度も繰り返したけど、アンさんのお爺さま。ヘルム・トニアさんの経歴について復習しよう」
カオルは紅茶に軽く口をつけると、話始めた。
「ヘルム・トニア。現在七十歳。前男爵で、男爵の爵位は息子に譲って隠居しています。十年ほど前に退官するまでは、魔法帝国内務省の高級官僚でした。最終的な役職は内務省警察局局長です」
カオルはメモなど何も見ずにスラスラと答えた。
「さすがに記憶力が良いね。カオルくん。それと、ヘルム元男爵が警察局で現役だった頃の業績についてなのだけど……」
「あのー、お話の邪魔をしてしまうのですけど、質問よろしいでしょうか?」
ユリアが話を続けようとすると、アンが遠慮がちに右手を上げた。
「何だい?アンさん」
「内務省警察局局長って、どれくらい偉いのですか?」
ユリア、カオル、エレノアの三人は座っている椅子から、思わず滑り落ちそうになった。
「アンさん。きみのお爺さまの事だろう?何で、知らないんだい?」
ユリアの言葉に、アンは恐縮した。
「お爺さまや両親にも同じ質問した事あるんですけど、『そんな事は女が知る必要は無い』と教えてもらえなかったんです。図書館で調べたりしたのですけど、いまいち分からなくて……」
「ボクたちの国の帝国では、いまだに『女は家の中の事だけやってればいい』という風潮があるからね。『女に教育は必要ない』なんて主張する帝国の有名な学者もまだいるからね。分かった。教えてあげるよ。それとも、カオルくんから教えてもらった方が良いかな?」
ユリアはカオルに視線を向けた。
カオルは首を軽く横に振った。
「僕も帝国内務省については知識は持っていますが、本で読んだ知識ですからね。帝国人のユリアさんの方が、実体験としての知識を持っているでしょう」
ユリアはうなづくと、教え始めた。
「アンさんは、帝国内務省が何をする役所だかは知っているかい?」
「帝国外務省が連邦とか外国との外交をしている役所とは逆に、内務省が帝国国内の事をしている役所だと言うのは分かるのですけど、その国内の事というのが、よく分からなくて」
「アンさん。帝国内務省は大きく分けると、三つの組織から構成されている。行政局、建設局、警察局だ。行政局は帝国直轄地に中央政府から行政官を派遣して統治を行う局だ。建設局は帝国内の国有の建物や橋などの建設を管轄している局だ。そして、警察局は帝国のすべての警察組織を統轄している局なんだよ。つまり、アンさんのお爺さんは帝国の警察で一番偉い人だったんだよ」
「つまり、町をパトロールしているお巡りさんも、警察署で椅子に踏ん反り返って座っている警察署長も、あたしのお爺さまの部下だったんですか?」
「そうだよ」
「あたしのお爺さまは、そんなに偉かったんですね」
アンは、ようやく実感できたようだ。
「そして、ヘルム前男爵が警察局局長だった頃に成し遂げた事なんだけど、これは一般には知られていないけど、偉大な業績を残しているんだ」
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