第三十五話 カオルが男子用制服を着ている理由
「アンさんのお祖父さまが婚約を薦めてきた?アンさんもボクと同じ十五歳だよね?婚約者を決めるには早過ぎないかい?」
ユリアさんの疑問に、アンさんは答えた。
「はい、そうなんですけど、お祖父さまの若い頃には帝国の貴族の女性は、あたしぐらいの年齢で婚約者を決めるのが普通だったので、お祖父さまの感覚は今も変わっていないんです」
「それで、婚約を薦められて、アンさんはどうしたの?」
今度は、エレノアさんが質問した。
「あたしは『学園生活がとても楽しいので、今は誰かと婚約するつもりは無い』とお手紙で返事したんですけど、お祖父さまは強引で……」
「誰か特定の婚約者候補がいるのかい?」
アンさんは首を軽く横に振った。
「いいえ、それはいないみたいです。でも、お祖父さまは、あたしが婚約を了承したら、家柄が釣り合いそうなどこかの貴族の家と婚約の交渉を始めるつもりみたいです」
「それは珍しいね。帝国貴族の婚約話は、双方の家が話し合って、ある程度話がまとまってから当事者に伝えるものだから、順番が逆だね」
「そうなんです。ユリアさん。とにかく、お祖父さまは熱心に婚約を薦めてくるので、断る理由として『あたしには学園でお付き合いしている男子生徒がいる』と手紙に書いちゃたんです」
「それは嘘よね?アンさんは放課後も休みの日も、ほとんど私たちと一緒にいるわよね。男子生徒と一緒にいるのなんて見たことないわ」
「はい、そうです。エレノアさん。嘘を書いちゃたんです。そうしたらお祖父さまは『付き合っているのが、どんな男か教えろ』って手紙を送ってきまして……」
おずおずと、アンさんが僕に顔を向けた。
「それで、あたしの『架空の彼氏』について詳しく手紙に書かなきゃならなくなったんですけど、そのモデルにカオルさんを使ったんです」
「わ、わたしをモデルに!?」
アンさんは、すまなそうな表情で僕に向かって頭を下げた。
「すみません。勝手にモデルに使ってしまって!」
「済んでしまった事だから、それは仕方がないけれど、何故わたしを彼氏のモデルに使ったの?」
「それは……、『架空の彼氏』を頭の中だけで作り出すなんて事は、あたしは小説家ではありませんから出来ませんでした」
「それは、そうだよね」
「それで実在する人物を参考にして架空の彼氏について手紙に書く事にしたのですが、あたしには親しい男友達はいないので、カオルさんたち三人の中からモデルを選ぶ事にしたんです」
「何故、三人の中で、わたしを選んだの?」
「ユリアさんは帝国の准皇族として、エレノアさんは連邦の名家フランクリン家出身として、お二人とも大陸の社交界では有名なんです。もちろん。お祖父さまも知っています。だから、お二人をモデルにした『架空の彼氏』を手紙に書いたら、すぐに嘘だとばれちゃいます」
「だから、わたしをモデルにしたのね。手紙には『架空の彼氏』については、どう書いたの?」
「名前はカオル・タイラさん。東方諸島国からの留学生で、東方諸島国の宰相の義理の息子さんで、大賢者さまのお弟子さん、と書いたんです」
「それは性別を除けば、カオルさんの事をほとんどそのまま書いたのね?」
「そうです」
アンさんがエレノアさんに返事をするのを聞きながら、僕は少し動揺していた。
アンさんは僕の本当の性別を彼女の祖父に宛てた手紙に書いていたのだ。
彼女が僕が本当に男性だと気づいたわけではないが、隠さなければならない真実を暴かれたように感じた。
「それで、ここからが本題なんですけど、今度の日曜日にお祖父さまが、あたしに会いに学園に来るという手紙が、さっき速達で届いたんです。あたしの彼氏にも会いたいそうです。それで、カオルさんへのお願いが……」
次の日曜日の朝日が昇った。
カオルたちの住んでいる第四女子寮の正面玄関では、大勢の女子生徒会たちが私服で外出しようとしていた。
校則により学園では授業のある平日でも放課後には私服での外出は許されているし、授業の無い休日には一日中私服での外出が許されている。
しかし、校則で「学園生徒としてふさわしくない服装」は禁じられているので、玄関で学園女性職員によるチェックがある。
チェックと言っても、それほど厳しいものでは無く、玄関で待機している数名の職員が、学生にふさわしくない服装をしていると判断すれば口で注意するだけである。
「あら?珍しいわね」
職員の一人が四人組の生徒を見て、思わず口にした。
なぜなら、その四人組は全員が制服を着ていたからだ。
休日には校則違反にならない程度に精一杯オシャレを女子生徒はするのが普通である。
「確か、あなたたちの名前は、ユリアさん。エレノアさん。アンさん。カオルさん。だったわよね?」
「はい、そうです。何かボクたちの服装に問題があるのでしょうか?」
職員の質問に、ユリアが応じた。
「いいえ、問題があるわけではないわ。日曜日に制服で出掛ける生徒は珍しいから声をかけただけよ。それと……」
職員はユリアに向けていた視線をカオルの方に向けた。
「カオルさん。あなたは何故男子用制服を着ているの?ユリアさんが男子用制服を着ているのは、協議の結果『校則違反ではない』から許される事になったけれども、カオルさん。あなたまでユリアさんと同じ男装趣味になったの?」
職員の言う通り、カオルは男子用制服を着ていた。
カオルは首を軽く横に振った。
「いいえ、僕は男装趣味になったわけではありません」
(そうなんだよな。本来『男子生徒』の僕が男子用制服を着ているのが普通なんだよな。でも、僕は『女子生徒』という事になっているから、今の服装は『男装』になる。だけど、この学園に入学してからずっと女物ばっかり着て『女装』している。でも、周りから見れば『女装』は『普通の姿』と言う事に……、あらためて考えると、とんでもない状況にあるな。僕は)
「カオルさん。あなた今自分を『僕』と言ったわよね?それに喋り方が男の子みたいになっているわよ?あなたもユリアさんみたいになるつもりなの?」
カオルは首を横に振った。
「いいえ、僕には『男の子の振り』をするつもりは全くありません」
(今の僕は『男の子の振り』をしているのではなく、『本来の性別である男の子』として振る舞っているのだから当然だ)
「それなら、何故、男子用制服を着て、外出しようとしているの?」
「すいません。職員さん」
僕と職員さんの間に、ユリアさんが割り込んだ。
「職員さんの不安は分かります。女子生徒のボクが男子用制服を着ているのは校則違反では無い学園側では判断されましたが、他の生徒までボクの真似をするのを怖れているのでしょう?」
「ええ、そうよ」
「それなら、安心して下さい」
ユリアは爽やかな笑顔を職員に向けた。
「今日は日曜日で授業は休みです。カオルくんは休みの日に外出する『私服』として『男子用制服』を着ているだけです。彼女はボクと違って男子用制服で授業を受けるような事はしません」
女子寮前にある鉄道馬車の停留所で、カオルたち四人は鉄道馬車が来るのを待っていた。
「やっぱり、わたしは駅の近くに行ってから、男子用制服に着替えた方が良かったでしょうか?」
カオルの質問にエレノアが答えた。
「カオルさん。『わたし』ではなくて『僕』でしょう?」
「あっ!すいません。そうでしたね」
「カオルさん。やっぱり、寮から男装して正解よ。ここ数日男の子っぽい喋り方や仕草を特訓したけど、まだ少し女の子っぽいところがあるわよ?今日はいよいよ本番なのだから頑張らなきゃならないわよ!」
「はい、分かっています」
エレノアが笑顔で話すので、カオルも笑顔を返した。
しかし、内心では苦笑していた。
(学園に入学してから一ヶ月間、人前では女の子と振る舞ってきたからな。意識しないと女の子の喋り方や仕草になってしまう。男の子っぽくするように気をつけなきゃな。しかし、本当は僕は男の子なのに何でこんな事に気をつけなきゃならないんだ……)
少し気落ちしたカオルの様子に気づいて、アンが話し掛けた。
「あっ!あのっ!カオルさん。あたしの『彼氏役』なんて、やっぱり、ご迷惑でしたか?今からでも、止めにしましょうか?」
心配そうな表情になっているアンに、カオルは笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ。いったん引き受けたからには、男として最後まで遣り遂げますよ」
「男としてですか?」
アンが疑問の顔と声になった。
(しまった!僕は『女子生徒』だった。今の言い回しは変だった。久し振りに男として振る舞ったから油断していた!)
エレノアが話に入った。
「アンさん。今、カオルさんが、男の子みたいな言い方をしたから変に思ったのでしょう?」
「はい、そうです」
「当り前でしょ。今のカオルさんは『男子生徒』で『アンさんの彼氏』なのよ。もう、カオルさんの演技は始まっているのよ?」
「あっ!?そうでしたね!すいません。カオルさん。もともと、あたしが頼んだ事なのに」
アンがカオルに頭を下げた。
「いいえ、気にしないで下さい」
「うーん。カオルさんの『男子生徒』としての演技はまあまあだと思うけど、二人の演技は全然ダメだな」
「あたしたち二人の何がダメなんですか?ユリアさん」
アンの質問にユリアが答えた。
「二人は『恋人同士の振り』をしなきゃならないんだよ。今のままでは、普段と同じ『友達同士』だよ?ちゃんと『恋人同士』の演技をしなきゃ」
「そうでしたね。では、さっそく……」
カオルはアンと向き合った。
カオルはアンと向き合ったまま固まってしまった。
(考えてみれば、僕は男の子として女の子とお付き合いした事は無かった。どうすれば良いんだろう?)
アンも固まったままだった。
「あの……、ユリアさん。エレノアさん。あたしは男の人とお付き合いした事は無いんです。どうすれば良いのでしょうか?」
「取り敢えず。お互いに手を握ったら?」
ユリアの言葉に従って、カオルは左手でアンの右手を握った。
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