第二十九話 カオルが治癒魔法を使った理由
「息をしているわよね?」
ベッドで目をつぶって横になっているカオルの口の前に、エレノアは手をかざした。
カオルが呼吸をしているのを確認すると、今度は方耳をカオルの胸につけた。
「良かった。心臓の鼓動が聞こえるわ。生きているわ」
エレノアの言葉に、ユリアとアンの二人は安心した。
「お友達が心配なのは分かるけど、あなたたち少し大袈裟ね。その女の子は疲れてただ眠っているだけよ。病気なわけでも怪我をしているわけでもないのよ」
女性看護師は明るい声で言った。
「それよりも、こちらの患者さんの心配をしたらどうなの?本当に大怪我をしていたのだから」
エレノアたち三人は、カオルのベッドとは反対側にあるベッドに目を向けた。
そのベッドには男子生徒が横になっていた。
「そうだぞ。俺は本当に大怪我をしていたんだぞ。ちゃんと心配してくれよ」
その男子生徒は、サリオン・カエサルであった。
「サリオン。服を脱いで、裸を見せてくれ」
ユリアが真剣な顔で言った。
「おお、ユリア。大胆だな。さすがに俺でも人目のあるところで、そういう事をする趣味はないが、お前が人に見られた方が興奮すると言うのなら……」
「違う!傷痕がどうなっているのか確かめたいだけだ!脱ぐのは上半身だけで良い!」
サリオンはベッドの上で起き上がると、上半身の服を脱いだ。
ユリアは顔を近付けた。
「本当に傷痕一つ残っていないな。あれほどの大怪我をしていたのが嘘みたいだ」
「嘘じゃないぞ。俺が大怪我をしたところは、お前も見ていただろ?」
「ああ、この目で見た。さすが大賢者さま直伝のカオルくんの治癒魔法だな。怪我を治すだけでなく、傷痕も残さないとは」
「傷痕ぐらいならば男の勲章だから、俺は残っても良かったんだが……」
その言葉にユリアは怒った。
「何だと!?カオルくんは自分で自分の古い傷痕を消すことはできないんだぞ!カオルくんが治癒魔法で治してくれたのに、何を言っているんだ!」
「もちろん。怪我を治してくれたことには感謝しているよ」
「だったら!そんな言い方は……」
「ユリア。声を小さくして、カオルさんは寝ているのよ」
「ごめん。エレノア」
パンパンと軽い音がした。
女性看護師が軽く自分の両手を合わせて叩いていた。
「はい、はい、みなさん。お見舞いの時間はこれでお仕舞いよ。サリオンさんは怪我は治ったし、カオルさんは疲れて眠っているだけど、念のために今夜一晩は病院に泊まってもらうわ」
エレノア、ユリア、アンの三人は部屋から出て行った。
女性看護師は部屋の内側からドアを閉じると、ドアに方耳を付けた。
エレノアたちの足音が遠ざかるまで、そのままでいた。
足音が聞こえなくなると、女性看護師はサリオンの方を向き、方膝をついた。
「ご報告申し上げます。サリオンさま」
「調べはついたのか?」
サリオンは自分に向かってひざまずいている女性看護師の態度を、当然のことのように応じた。
「はい、本来ならこの学園中央病院には、今日は高度な治癒魔法が使える魔導医師が三人いるはずでした」
「俺がこの病院に運び込まれた時、三人ともいなかったんだよな?その理由は?」
「一人は学園の端の方で動かせない状態の急病人が出たという通報があったので現場に急行し、もう一人は隣国に旅行中の家族が交通事故に遭ったとの至急電報が届いたので隣国に向かい。最後の一人は伝染病に感染したと診断され隔離されました」
「それで、その三人は今はどうしてる?」
「学園の端に動かせない状態の急病人が出たのは本当でしたが、隣国に旅行中の家族が交通事故に遭ったのは誤報でありました。伝染病に感染したのも誤診でありました。三人とも今は病院に戻っています」
「三人ともこの病院からいなくなったのはのは時間的に見ると、俺が大怪我をした魔法の授業が始まる少し前だったんだな?」
「はい、その通りでございます」
「誰が黒幕かは分かったのか?」
「はい、それは……」
女性看護師は言葉を濁すと、ベッドで横になっているカオルをチラリと見た。
「ああ、安心して良いよ。カオルさんは俺の『彼女』なんだから、秘密を他に漏らすようなことはしないよ。なあ、そうだよな?カオルさん」
ベッドで横になっていたカオルは、目を開けて上半身を起き上がらせた。
「サリオンさん。せっかく、わたしが寝たふりをして、あなたの陰謀渦巻く皇位継承争いからは無関係でいようとしているのに、わたしの気遣いを無駄にしないで下さい」
少し怒った顔で言うカオルに、サリオンは少しからかうような口調で答えた。
「もう無関係ではいられないぞ。無関係でいたかったら大怪我をした俺を放っておけば良かったんだ」
「そうは行かないでしょう。ユリアさんは自分の所為でサリオンさんが大怪我したと思い込んでいたんですから、この病院に高度な治癒魔法が使える魔導医師が不在だったから、仕方なく、わたしが治癒魔法を使って治療したんですよ」
「お陰で助かったよ。並みの魔導医師や外科手術でも治せない怪我じゃなかったが、そうなれば長期の入院を必要とするところだった。さすがに入学早々にそれは避けたいからな。素直に礼を言っておく。ありがとう」
カオルは女性看護師に目を向けた。
「それはともかく、この看護師さんの正体をわたしに知られて良かったのですか?帝国が学園に潜入させているスパイなのでしょう?」
「いや、違う」
サリオンは首を軽く横に振ると、ニヤニヤと笑った。
「彼女は帝国政府が学園に潜入させているスパイなんかじゃない。二百年ほど前この学園が設立された時に、我が家の領民だった先祖が学園に移民して、先祖代々ずっとこの学園に住んでいる。れっきとした『学園人』だよ」
『学園人』というのは、大陸中央学園に住んでいる正規住民に対する総称である。
学園に入学する生徒は、卒業すればほとんどは各自の出身国に戻るし、教職員であっても一時的に学園における役職に付いている者が多く、勤めを終えれば出身国に帰る。
例えば現在の学園長のセオドア・フランクリンも学園長としての任期を終えれば、機械連邦に帰国して政治家としての活動を再開すると明言していて、周囲もそれを当然の事として受け取っている。
「学園人」は学園の社会を維持するための様々な仕事をしており、「学園教職員と生徒はあくまで一時滞在者で、住民こそが真の学園人である」という言葉があるのだ。
「なるほど、看護師さんは『忍者』の『草』なのですね」
「ニンジャ?クサ?それは何だい?」
「忍者はわたしの国で家業としてスパイをしている一族のことで、忍者の草とは、諜報活動をする地域に一般住民として潜り込んで、普通に生活して一般的な情報を収集します。潜入した地域で普通に結婚して子供をつくり、子孫が代々任務を引き継ぎます」
「そうだ。彼女はニンジャのクサと同じだよ。大陸の言葉では『スリーパー』と言うけどね」
「忍者の草は普段は地域社会に溶け込んで生活して、目立たないようにしなければなりません。でも、現状は問題じゃないんですか?」
「何が問題なんだい?我が愛しのカオルさん」
サリオンは文章を棒読みするように言った。
「しらばくれないで下さい。こちらの女性看護師さんは今回目立ち過ぎました。エレノアさんたちは心配のあまり不自然さに気がつかなかったみたいですが、サリオンさんが病院に搬送された時、高度な治癒魔法が使える魔導医師が不在だと分かったら、付き添いで来たわたしに治療をさせました。わたしが大賢者さまの弟子だからと言っても正式な医師免許は持っていないんですよ?しかも、こちらの女性看護師の他はこの病院の医師も看護師も一切この部屋に出入りしなかったなんて不自然でしょう?そうなるようにこちらの女性看護師が手配したのでしょう?」
カオルの疑問に、サリオンはあっさりとうなづいた。
「その通りだよ。あの時点では俺が大怪我したのが単なる事故だったのか、何者かが企んだことだったのか分からなかった。下手なヤツに俺の治療を任せるわけにはいかなかった」
カオルは皮肉っぽい表情と口調になった。
「サリオンさんは、わたしのことを信頼しているんですか?」
「もちろんだとも、俺の彼女じゃないか」
サリオンはニヤニヤ笑いながら答えた。
カオルは女性看護師に目を向けた。
「話を戻しますけど、こちらの看護師さんはこれからどうなるのですか?こんなに目立ってしまったのでは、スリーパーとしての活動を続けることはできないでしょう?」
「彼女は俺の治療に貢献したことが認められて、好条件で俺の実家の専属看護師としてスカウトされることになる」
「なるほど、使い捨てにするわけじゃないんですね?」
サリオンは歯をむき出しにして笑った。
「当たり前だ。俺の実家はあちこちにスリーパーを潜入させているんだ。使い捨てにするようなことをしたら、彼らの士気に関わるよ」
「なるほど、この話はここまでにしましょう。わたしは寮に帰ります。エレノアさんたちは思ったよりも、わたしの事を心配してくれたようですから、なるべく早く元気な姿を見せた方が良いでしょう」
カオルはベッドから下りて、立ち上がった。
「おい。俺を大怪我させた黒幕の名前を聞かないのか?」
「必要無いです。これだけ目立つような下手な工作を学園の中でしたからには、その黒幕さんの運命は決まったようなものでしょう?」
「ああ、一週間以内に帝国の大臣の一人が『一身上の都合』で辞任することになる。何故かは知らないが、その大臣の帝国政府で役職に付いている一族全員も辞任する。田舎に引きこもって二度と帝都には出てこれらなくなる」
「すべては秘密裏に処分ということですね?分かりました」
「カオルくん!カオルくん!カオルくん!」
ユリアは嬉しさのあまりに、カオルの名前を叫ぶように繰り返して、カオルを抱き締めた。
ここは第四女子寮の一階にあるカオルの部屋。
帰って来たカオルをユリア、エレノア、アンは笑顔で歓迎していた。
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