第二十六話 ユリアが歴史の教科書を読んでいる理由
ユリア・ガイウスは病院の廊下の椅子に座ると、今日の魔法の授業の事を思い出していた。
「無詠唱魔法が使えるとは、さすが、准皇族のガイウス家のご令嬢だな」
背後にいるクラスの生徒が、そんな事を言ったので、ボクは少しムカついた。
ボクは「准皇族」だから無詠唱魔法が使えるわけではない。
むしろ、准皇族だからこそ無詠唱魔法が使えるようになるまでは苦労した。
昔は魔法を使うのには、呪文は必ず唱えなければならないとされていた。
呪文を唱えることで神々から魔法の力を借りて、人間は魔法を使うことができるとされていたからだ。
呪文は「神々から魔法の力を借りるための祈りの言葉」とされていた。
そのため呪文の言葉は、格調高い言葉が使われ、長々と複雑な言い回しになった。
教会で歌われる賛美歌や詩人がつづる詩のように、美しい文で呪文を唱えるのが「魔力を増幅する」とされていたからだ。
だから三百年ぐらい前までの魔法帝国での内乱などで攻撃魔法が使用される戦場では、今の視点から見ると奇妙な光景が繰り広げられていた。
機械連邦が建国される以前は、この大陸での唯一の大国は魔法帝国であり、大陸には数十の中小国があったが全ての国が魔法帝国の従属国であった。
その頃は大陸西方には広大な未開拓の土地もあったが、大陸内には「外国」は存在せず。大陸で行われる戦争は事実上全てが「内乱」であった。
例えば、帝国の従属国であるA公国とB伯国の間に領土問題や貿易摩擦による政治問題が発生したとする。
普通はA公国とB伯国の当事者同士での話し合いによる交渉で問題の解決を図るが、それで解決しない場合は帝国政府が仲介に乗り出す場合もある。
それでも解決しなければ、「戦争」によって問題を解決することになる。
戦争と言っても勝手に始めることはできなかった。
紛争の当事者同士が帝国政府に戦争をすることの申請をして、帝国政府が戦争以外の手段ではどうしても問題を解決できないと判断すれば戦争の許可が下りる。
戦争による被害を最小限に抑えるために、戦争の開始時期・戦場となる場所・参加人数などは帝国政府によって厳密に定められる。
指定された戦場に双方の軍勢が向き合うことになる。
軍を率いる将軍は、その国にとって最も強力な攻撃魔法を使える上級貴族である魔導士が任じられる。
中級指揮官として下級貴族の魔導士が数十人、そして兵隊として千人ぐらいの領民が動員される。
領民による歩兵隊は魔法が使えない一般人であり、剣や槍・弓などで武装している。
歩兵のほとんどは普段は貴族の所有する農場で働いている奴隷だ。
まず戦争の開始は双方の軍を代表する将軍が二人で向き合う。
そして、二人同時に攻撃魔法の呪文の詠唱を始める。
呪文を先に唱え終わった方が魔法を放つ。
その魔法の標的になるのは大抵は手近にある木や岩などの自然物である。
戦場として設定される場所は被害をもたらさないために、町や村から離れた平原になることが多いので、遠慮なく大木を燃やしたり大岩をゴナゴナに打ち砕いたりする。
そうすることで、自分の攻撃魔法の威力を相手に見せつけるのだ。
両軍の将軍二人が自分の攻撃魔法の威力を見せつけあった後、どちらかが「相手の魔法の方が自分より上だ」と認めれば敗北を宣言して、そこで戦闘は終わる。
どちらも敗北を認めなければ、数十人の魔導士や千人の歩兵も参加して本格的な戦闘になるが、そこまでいかないことの方が多かった。
この頃の攻撃魔法は威力の大きい見た目も派手な物に研究開発が重点されていた。
戦闘の始まりで相手の度胆を抜くような攻撃魔法が使えれば、それだけで戦争に勝利することができるからだ。
並みの魔導士や魔法を使えない領民の歩兵では、戦うのは無駄だと分からせるような最初の攻撃魔法の一撃で勝負が決まるのだ。
そのため、この「魔法帝国政府の管理下にある戦争」では、死者はほとんど出なかった。
戦争の結果負けた国は勝った国に領土の割譲や賠償金の支払いは行うが、国その物が滅亡したりすることはなかった。
八百年前の魔法帝国による大陸統一戦争のような血で血を洗う戦争と比べると、スポーツのような戦争と呼ばれるようなある意味平和な戦争であった。
それに変化が訪れたのは、三百年前の機械連邦独立戦争である。
最初、帝国政府からは「西方逃亡奴隷の乱」と公式に呼ばれていたこの戦争は様々な変化を大陸にもたらすことになったが、魔法についてもその一つであった。
大陸の西方の未開拓地に逃亡して全員死亡したと思われていた奴隷たちが、死んではおらず。「国」をつくっていたことが戦争の原因となった。
大陸西方に広大な肥沃な土地があることは大昔から分かっていた。
しかし、そこを人間の生活圏にすることはできなかった。
治癒魔法で治療不可能な風土病があり、その病気の致死率はかなり高かったからだ。
帝国政府は何とか開拓しようと、免罪した元死刑囚などを主体にした開拓団を数回送り込んだが、いずれも開拓団が風土病で全滅という結果に全てなっている。
結局、帝国政府は大陸西方の開拓を無期延期とした。
(表向きは『無期延期』として『中止』としなかったのは、大陸全土を支配する帝国にとって大陸に支配できない土地があることを認めるのは、帝国の面子にかかわるのでできなかったからだ)
だが、農場や鉱山などでの過酷な労働から逃げ出して、逃げ場の無くなった逃亡奴隷が最後の逃亡先として死を覚悟して西方を目指した。
ほとんどは風土病にかかり死を迎えることになったが、一人の例外がいた。
それが初代フランクリンだった。
初代フランクリンは、ボクの親友であるエレノア・フランクリンの先祖だ。
初代フランクリンは元々は奴隷ではなく、帝都インペラトールポリスで薬屋を営む下級市民であった。
下級市民には元々名字が無く、初代フランクリンは「フランクリン」が名前で、エレノアの家はフランクリンを名字とした。
当時薬屋は帝国の上流階級からは蔑まれ、下層階級からは頼りにされる商売であった。
帝国の上流階級にとっては病気や怪我は「治癒魔法で治すもの」であって、薬で治すのは「魔導士を雇うことのできない貧乏人のすること」であった。
初代フランクリンは薬草などを仕入れて調合して薬を作り帝都の下層階級に向けて販売していた。
彼の作る藥は他の薬屋より良く効いたので、商売は繁盛していた。
長年恋仲だった幼なじみと結婚して幸せの絶頂にあった。
そんな彼が奴隷となったのは、友人の借金の連帯保証人になったのが切っ掛けであった。
友人が借金を返さないまま夜逃げしてしまって、初代フランクリンが借金を肩代わりすることになってしまったのだ。
店を売って全財産を処分しても借金を返すには足りずに、彼と妻が奴隷として奴隷商人に売られることになってしまったのだ。
バラバラに売られることになり、永遠の別れになることを怖れたフランクリン夫婦は西方の未開拓地に逃げたのだった。
風土病を怖れてそこまでは奴隷商人は追い掛けてこないからだ。
フランクリン夫妻は西方の森の中に小さな小屋を建てて暮らすことにした。
西方の未開拓地では一年間生活すると、確実に風土病で死亡するとされていたが、彼らは奴隷として長生きするより、一年間を人間として「自由」に生きることを選んだのだった。
しかし、奇妙なことに二年経っても三年目になっても二人とも健康そのもので病気になる様子はまったく無かった。
死を覚悟していた二人は少し拍子抜けしながらも穏やかな生活を続けていた。
そんな時二人の前にあらわれたのが、当時の大賢者さまであった。
当時の大賢者さまは二十年以上人前に姿を見せず帝国中央からは行方不明になっていたが、実は大陸西方を一人で探検していたのだった。
大賢者さまが二十年以上大陸西方で生活しながら風土病にかからなかったのには、もちろん秘密があった。
大賢者さまは常に微弱な治癒魔法を自分自身に向けて使っており、そうすると風土病にかからないことが分かったのだ。
風土病を治癒魔法で治すことはできないが、予防することはできたのだ。
しかし、この予防法は強大な魔力を持つ大賢者さましか使えない。
大賢者さま以外の魔導士では、治癒魔法を一日二十四時間二十年以上も継続して発生させることは不可能だからだ。
だから、大賢者さまはフランクリン夫妻が魔導士でもないのに西方に住んで三年目になるのに健康でいることに驚いたのだ。
その謎を解くために大賢者さまは初代フランクリンと共同で研究した。
その結果は以下のような物であった。
フランクリン夫妻はお茶の葉が手に入らないので、お茶の代わりに森に生えている草を煎じて飲んでいた。
その草が予防薬になっていることが分かったのだ。
それが分かるとフランクリン夫妻は諦めていた子供を作り、予防薬を飲んで育った子供は健康に成長した。
大陸西方に次の転機が起きたのは、その子供が五歳の時のことだった。
フランクリン家族が住む小屋に一人の逃亡奴隷が逃げ込んできたのだ。
それが後の独立軍最高司令官であり機械連邦初代大統領となるジョージであった。
「歴史の教科書を読んでいるの?ユリア」
学生鞄から取り出した教科書を読んでいるのユリアに、エレノアが声をかけた。
「ボクが無詠唱魔法が使えるようになったことを考えていたら、歴史に興味がわいてね」
「私のご先祖さまの初代フランクリンのことね」
「初代フランクリンが機械連邦独立戦争の原因となる薬を作らなければ、カオルくんはあんな事にならなかったんじゃないか、と思ってね」
ユリアは不安そうにカオルが中にいる部屋のドアを見た。
「でも、私のご先祖さまの初代フランクリンが友人の借金の連帯保証人にならなかったとしたら、今の私はただの薬屋の娘だったでしょうから、准皇族のユリアとこんな風に話すこともできなかったわよ?」
ユリアは笑った。
「分かっているよ。過去の歴史が別な物だとしたら、カオルくんはただの旅芸人で、会うこともなかったかもしれないから、こうして心配することもなかったかもしれない。歴史の皮肉のようなものを感じているだけさ」
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