第二十五話 カオルがサリオンの彼女になった理由
カオルは口を開いた。
「サリオンさんの推測が当たっているかどうか、わたしの口から話すことはできません」
サリオンは笑った。
「それで答えになっている。俺の推測は『正解』というわけだ」
カオルは笑い返した。
「サリオンさん。わたしから重要な情報を手に入れて嬉しいのでしょうが、少しべらべらお喋りし過ぎましたね。わたしにもサリオンさんについていつくか情報を手に入れてしまいましたよ」
「と、言うと?」
「それだけのことを調べ上げるには大勢の人手と多額の費用が必要なはずです。つまりサリオンさんには大勢の部下がいて、多額の資金を持っているわけです」
「俺は皇族だ。実家には先祖代々の家臣や使用人がいるし、俺が個人的に自由に使える小遣いもたっぷりとある。それは当たり前のことだろう?」
カオルは納得したような顔になって、首を縦に振った。
「それはそうですけど、サリオンさんの部下は今もこの部屋の周りにいるでしょう?最初にこの部屋の料理を運んできた人たちは、この店の従業員ではなくてサリオンさんの部下の人たちでしょう?」
「何故、そう思う?」
「料理を運び慣れていない動作でしたし、帝国の伝統的な料理だったらテーブルへの料理の配置の仕方が間違っています。学園にある一流のレストランから小さな食堂まで、食事に関する習慣やマナーについては徹底的に指導されています。多様な文化を持つ人たちが入学するので、特に食に関するトラブルは避けるようになっているのです」
「なるほど、俺の実家で給仕を担当している使用人も連れてくるべきだったな。このレストランは店ごと俺が全部貸し切りにしてある。厨房で料理をしたのも俺の部下だ。そいつはコース料理なんて洒落た物作れないんでな。こういう料理を用意することになったわけだ」
「大変美味しかったですよ。料理を作ってくれた人に直接お礼を言いたいのですけど?」
サリオンは軽く首を横に振った。
「生憎と人見知りするヤツでな」
カオルは懐から懐中時計を取り出した。
「もう、こんな時間か、そろそろ寮に帰らなきゃなりません」
カオルがドアに向かって歩き出すと、ドアを塞ぐ位置にサリオンが動いた。
「ちょっと待ってくれ。カオルさんに一つ頼み事があるんだ」
「頼み事とは何ですか?手短にお願いします」
「俺の『彼女』になってくれないか?」
「……と言うわけで、わたしカオル・タイラは、サリオン・カエサルさんの『彼女』になりました」
「どういうことなんだい?カオルくん!サリオンの『彼女』とは?」
興奮しているユリアに対してカオルは軽い冗談を言うように答えた。
「この場合の『彼女』という言葉の意味は、一般的に男性と付き合っている恋人の女性という意味で……」
「あっ、あの、カオルさん。ユリアさんは『彼女』という言葉の意味を尋ねているわけじゃなくて、『何故、カオルさんがサリオンさんとお付き合いすることになったのか?』と尋ねていると思うのですが……」
アンが遠慮がちに口を挟んだ。
「そうよ。こんな時に冗談は止めてちょうだい。カオルさん」
カオルをたしなめるようにエレノアが言った。
「すいませんでした。みなさん」
カオルは、サリオン、アン、エレノアに向けて軽く頭を下げた。
ここは第四女子寮のカオルの部屋。
カオルが寮に帰ってくると、四人はこの部屋に集まった。
「サリオンさんの言うところでは、大賢者さまの弟子であるわたしを『彼女』にすることで『箔』を付けたいそうです。他の皇太子候補に対して有利になりますからね」
「サリオンのヤツが皇太子候補の一人になっているという噂は本当だったのか……、あんなヤツが次の皇帝になったら悪夢だ」
忌々しそうにユリアが口に出した。
「ところで、カオルさんは何故、サリオンさんの彼女になることを受け入れたの?彼は打算だけで恋愛感情はまったく無いみたいじゃない?」
エレノアの質問にカオルは軽く笑って答えた。
「わたしの方も打算です。わたしがサリオンさんの彼女になる代わりに『交換条件』を向こうに受け入れさせました」
「交換条件って、何なの?」
「それは、『サリオンさんが絶対に二度とエレノアさんとユリアさんに手を出さない』と約束させました。この約束を破ったら、わたしは『サリオンさんを振って、彼女を辞める』ことになっています。皇太子を目指している彼は、わたしを彼女にすることで得た優位を失うようなことはしないでしょう」
「そんな、私とユリアのためにカオルさんが犠牲になるなんて……」
ショックを受けているエレノアに、カオルは軽く首を横に振った。
「犠牲だなんて思ってはいません。サリオンさんの好みは背が高くて胸の大きい女性だそうですから、背が低くて胸の小さなわたしに女性的な魅力は感じてないそうです。つまり、『偽装カップル』でいることを彼とわたしは約束したわけです」
「でも、それじゃ、カオルくんには本当の彼氏ができないよ?」
ユリアの問い掛けに、カオルは少し皮肉っぽく笑った。
「わたしは元々この学園で本当の『恋人』をつくるつもりはありませんでした。大陸で知識を身につけて祖国に持ち帰って、国の発展に役立てるのが目的ですから。大陸の若者向けの学園を舞台にした恋愛小説みたいな展開は期待していませんでした」
カオルは声に出しながら内心で思っていた。
(でも、男の僕が女子寮に住んでいるなんて、師匠の蔵書の中に数冊あった若者向けの小説みたいな状況だな。師匠は『創作された架空の世界を描く小説も素晴らしいが、大陸のことを知らないお前が読むと、現実の情報と物語の中の情報を混同するかもしれない』と言ったので少ししか読ませてくれなかったな)
「それに、サリオンさんとお付き合いをすることは、わたしにはメリットがあります」
「メリットって、何なのかしら?」
「サリオンさんから魔法帝国上層部の情報を手に入れられるかもしれないからです」
カオルの力強い返事に、エレノアは微笑んだ。
「カオルさんがそう決断しているのなら、私は口は挟まないわ。でも、本当に困った時には、私たちを頼ってね」
ユリアが話題を変えようと明るい声で言った。
「明日は初めての魔法の実技授業だね。大賢者さま直伝のカオルくんの魔法がこの目で見られるのを楽しみにしているよ」
「……と、昨日ボクが言った時には、まさかこんなことになるとは思わなかった」
学園中央病院の廊下の窓から、夕日に染まる外の景色を眺めながらユリアはつぶやいた。
「カオルくんの魔法を楽しみにしている……、なんて無責任なこと言っちゃったかな……」
「あなたの責任じゃないわよ。ユリア。あれは不幸な事故だったのよ」
落ち込んでいるユリアを慰めるようにエレノアが言った。
「エレノアさんの言う通りですよ。今はカオルさんが無事に部屋から出てくるのを、あたしたち三人は信じて待ちましょう」
アンの言葉にユリアはうなずくと、カオルが中にいる部屋のドアに目を向けた。
ドアは閉じられている。
(あのドアが開いた時に結果が分かるけど、結果を知るのが怖くもあるな。今日の魔法の授業があんなことになるとは……)
ユリアは魔法の授業の時間に起きた事を思い出していた。
今日、ボクたち一年生の魔法の授業は午後の最後の授業の時間に校庭で行われた。
クラスごとに校庭のあちこちに分かれている。
この学園の校庭はいくつもあり、ここは一番広い校庭だ。
火を出す魔法を使うこともあるので、防火のために室内ではなく屋外で魔法の実技の授業は行われる。
「……のように、かつては魔法は帝国の特権階級である皇族・王族・貴族のみが使えるものであった。そのため魔法を使えるのは『高貴な血統』でなければならないという学説が支配的であった。しかし、三百年ほど前に、当時の大賢者さまが、それまで経験則のみであった魔法の発生方法を理論的に解明された結果、魔法は訓練すれば誰にでも使えるようになった。その結果として魔法帝国における貴族階級の比較的弱体化、帝国西部の奴隷の反乱、機械連邦独立戦争につながるのだが、詳しい事は歴史の授業の時間に学習するように」
魔法教科を担当する教師が長々と話している。
ボクは常識として聞き流しながら、早く魔法が使いたくてうずうずしていた。
この学園では普段魔法を使うことは基本的に禁止で、自由に魔法が使えた帝国領土内とは違うので、少し不便にボクは感じていた。
特に攻撃魔法については、帝国でも街中で理由も無いのに使ったりしたら犯罪になるが、許可を受けた場所ならば合法的に使用可能だ。
ボクの実家の広大な敷地の中には、庭の一部に攻撃魔法の使用が許可されている訓練場があるので、そこで思う存分に攻撃魔法を使っていた。
昨日、サリオンと再会してからはイライラしていたから、品のない言い方をすれば、「思いっきり、ぶっ放して、ストレスを解消したい!」という気持ちで一杯だった。
「……、さて、これまでの私の話は魔法帝国出身の者には一般常識なので退屈だっただろうが、学園ではそれまで魔法について学んだことのない機械連邦出身の者も多いのだ。その点を諸君は考えて欲しい」
先生は一旦言葉を切ると、悪戯っぽく笑った。
「さて、そんな皆様にはお待ちかねだ!攻撃魔法を実際に使ってもらおう!あの人形に向けて攻撃するのだ!」
先生が指差した先には、大人一人ぐらいの大きさの人形が数体あった。
人形と言っても地面に木の棒が突き刺されて、それにボロキレが巻いてあるだけの物だ。
攻撃魔法の練習用の標的としてすぐに破壊されてしまうので、それで充分なのだ。
「ユリア・ガイウス。君は火の攻撃魔法が得意なそうだな。見本を見せてくれ」
先生の言葉に従って、ボクは標的の人形から百メートルほど手前に立つと、右手の手のひらを人形の方に向けた。
ボクは一切呪文を唱えずに、火の球を手のひらに出現させた。
他の生徒たちの騒めきが聞こえる。
「おい!今、呪文を唱えなかったよな?」
「あれが理論上可能とされている無詠唱魔法か!」
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