第十八話 カオルが大賢者の弟子になった理由
平良薫ことカオル・タイラは話を続けていた。
この時、わたしは関白さまの猶子になり、関白さまの義理の子供になりました。
猶子とは養子のようなものですが、少し違います。
養子とは違い猶子の場合は、家や財産の相続権を持ちません。
猶子による縁組みは家同士の繋がりを強化するために、武士同士の間で行われることが多いのです。
関白さまの猶子に身分の低い旅芸人の子供がなるのは、もちろん、わたしが初めてでした。
わたしの名字である「タイラ」は、この時関白さまからもらいました。
関白さまの名字も発音は同じ「タイラ」なのですが、わたしの国の文字で書くと違います。
わたしの名字は、「平良」こう書きますが、関白さまの名字は、「平」こう書きます。
えっ!?関白さまが、わたしを義理の子供にした理由ですか?
それをこれから説明します。
関白さまは、わたしを義理の子供にしたことを宣言すると、大賢者さまに向き直りました。
「大賢者。この前、茶飲み話にしたアレを、ワシの娘となった薫に試してみてくれ」
大賢者さまは少し難しい顔になりました。
「ああ、アレか……、カオルさんができるとは限らんぞ?」
「構わん。失敗したところで現状より悪くなるわけではないし、成功すれば万々歳だ」
「それじゃあ、やってみるか」
大賢者さまは、わたしと目線が合うようにしゃがみました。
「カオルさん。これから、私が話すことをよく聞いてくれ。MJWTADWPJXPJD……」
「えっ!えっ!?」
その時のわたしには大賢者さまの言葉は、意味の無い音の羅列にしか聞こえませんでした。
「カオルさん。今、私が言った言葉をそのまま繰り返して言ってくれ」
言葉の意味はまったく分かりませんでしたが、わたしは歌の芸を仕込まれる時も一度聞いただけで覚えなければならなかったのです。
同じ発音を繰り返すだけなら、わたしにとって簡単でした。
わたしが同じ発音を繰り返して言うと、大賢者さまはうなづきました。
「発音は正確だな。では次に、私の動きを真似してくれ」
大賢者さまは両手を複雑に動かしました。
わたしは踊りの振り付けも一度見ただけで覚えなければならなかったので、簡単に真似することができました。
「ふむ、動きも問題ないな」
大賢者さまは納得したようにうなづくと、庭にある庭石に近づきました。
庭石とは、庭園に趣きをそえるために天然の岩石を加工せずに庭の要所に配置した物です。
大賢者さまが横に立った庭石は、大人の男の人五人ぐらいの大きさでした。
「カオルさん。この庭石をじっと見つめてくれ」
わたしは大賢者さまの言われた通りにしました。
「次に、この庭石が豆腐のように柔らかいと想像してみてくれ」
豆腐とは大豆から作られたわたしの国の食べ物です。
スイーツではないので甘くありませんが、こちらのプリンのように柔らかいです。
「それじゃあ、さっき真似した発音と身振りをこの庭石を見つめたまま、やってくれ」
わたしは、言われる通りにしました。
「最後に、この庭石を手で触ってみてくれ」
右の手のひらで庭石を触って、わたしは違和感に驚きました。
庭石は天然の岩石なので、見た目はもちろんゴツゴツしていて堅そうなのに、触ると豆腐のような感触がしたのです。
少し右手を前に動かしたら、庭石が崩れてしまいそうな感じでした。
思わず右手を前に動かすと、本当に庭石が豆腐のように簡単に崩れてしまいました。
「よし、成功だな」
大賢者さまのつぶやき聞きながら、自分の力では壊せるはずもない庭石を素手で崩したことに、わたしは少し呆然としていました。
はい、ユリアさん。質問ですか?
「簡単な魔法でも使えるようになるには、それなりの訓練期間が必要なはずだ。岩石をプリンのようにできる魔法なんて聞いたことないから高度な魔法のはずだ。魔法がまったく使えなかったカオルくんが、すぐに使えるようになるのかい?」ですか?
この魔法は大賢者さまが新しく開発した魔法で、魔法を発動するために必要な呪文の詠唱と身振りが正確にできれば、誰にでも使えるのです。
ですけど、大賢者さまがわたしに教えた呪文と身振りを、わたしが他の人に教えれば、その人もこの魔法を使えるようになるわけではありません。
普通の魔法は同じ呪文を唱えれば、魔法の効果は誰が使っても同じです。
しかし、この魔法は違います。
個人個人で魔法を発動するために必要な呪文と身振りが異なるのです。
大賢者さまは、わたし個人に合った呪文と身振りを検査によって即席で開発して、それをわたしに教えたのです。
この魔法は、大賢者さまご自身で検査して、その人に合った呪文と身振りを開発しなければならないので、大賢者さまご自身しか他人に伝えることができません。
もう夜も遅くなってきましたし、明日は朝から授業初日なので端折りますが、わたしがこの魔法を使って反乱軍の包囲を突破して、関白さまが信頼できる武将の軍勢と合流、反乱のリーダーである井関を討伐しました。
それが関白さまが、わたしを義理の子供にした理由だったのです。
関白さまが大賢者さまの力を直接借りることは名誉の問題からできませんが、大賢者さまから魔法を教えてもらった義理の娘の「カオル・タイラ」が、関白さまを助けるのならば名誉は傷つきません。
子が親を助けるのは当然のことですからね。
わたしの背中の傷痕は、この時の戦いでつきました。
はい?みなさん。「大賢者さまの治癒魔法なら、傷痕が残らないように治療できるはずだ」ですか?
この時、大賢者さまはわたしや関白さまとは別行動でした。
大賢者さまでも一定以上時間が経過した傷は、ケガその物は治せても傷痕は残るのです。
いえ、いえ、みなさん。失礼な質問ではありません。当然の疑問ですから謝る必要はありませんよ。
最後に、わたしが大賢者さまの弟子になり、「師匠」と呼ぶようになった理由をお話します。
乱が治まった後、関白さまはわたしに「感謝する。褒美として何でも要求するがよい」と、おっしゃいました。
わたしが褒美としてお願いしたのは、「自分の物にできるが、他人から奪われることはなく、自分が分けてあげたいと思っている人には分けてあげられる物」でした。
みなさん。奇妙なお願いだと思いましたか?
もちろん。理由はあります。
わたしは芸人としてけっこう人気があり、わたしを目当てに一座の公演には、たくさんのお客さんが来ました。
当然、一座にはお客さんからたくさんのお金が見物料として支払われます。
しかし、そのお金は、わたしの方には回ってこないのです。
わたしは「年季奉公」として一座に身売りしましたから、給料はもらえません。
衣食住は一応保証されていましたが、現金が手に入るのは、座長がたまにくれるお小遣いぐらいでした。
もし、褒美としてたくさんのお金をもらったとしても、それは座長に取り上げられてしまうでしょう。
ですから、「自分の物にできるが、他人に奪われない物」を願ったのです。
「分けてあげたい人には分けてあげられる物」を願った理由ですか?
わたしが所属している旅芸人一座では日頃お世話になっている人もいますからね。
その人には、日頃のお礼として何か贈り物をしたいと思ったのです。
関白さまは、わたしのお願いに少し考え込んでいましたが、結論を出されました。
「大賢者。おまえをワシの娘である薫の家庭教師にする」
と、おっしゃったのです。
「カンパク。それは名案だ。それなら、カオルさんの望みは叶う」
大賢者さまは関白さまの言葉に納得されていたようでした。
この時、大賢者さまをわたしの家庭教師にすることが、何故褒美になるのか分かりませんでした。
その事を正直にお二人に質問すると、お二人ともニヤニヤと愉快そうに笑いました。
「カオルさん。つまり、こういうことだ……」
大賢者さまが説明してくれました。
関白さまは、わたしに対する褒美として「大賢者さまから教育を受けること」を与えることにしたのです。
教育で身につけた物は、わたし自身の物ですし、お金のように他人に取り上げられることもありません。
学んだ事は他の人に教えることができますし、他の人に自分の持つ知識を分けたとしても自分の知識が減るわけではありません。
「カオルさん。あなたは本が読めるようにはなりたくないかね?」
「もちろん。自分で本が読めるようになりたいです」
大賢者さまの質問に、わたしは即答しました。
芸のために人が読み上げる本の文章を記憶していましたが、自力で本が読めたら、どんなに楽しいだろうといつも思っていました。
「計算も素早くできるようになりたくないかね?」
「はい、もちろんです。たくさんのお金が計算できるようになりたいです」
わたしの所属する一座の座長がたくさんの銅貨を積み上げて、勘定して、帳簿につけているのを見ると、わたしもそんな風にしたいと思っていました。
「よし、それなら、カオルさん。たったいまから、おまえは私の弟子だ。これからは『カオル』と呼び捨てにするぞ」
「はい、大賢者さま」
「私のことは、これからは『大賢者さま』ではなく『師匠』と呼んでくれ」
「はい、分かりました。大賢……、いえ、師匠」
こうして、わたしは師匠の弟子になりました。
わたしは旅芸人の一座から抜けることになり、師匠の学術調査のために東方諸島国の各地をめぐる旅に同行しました。
わたしの年季奉公は十五歳までで、当時十歳だったわたしは期限がまだだったので、旅芸人一座から抜ける時は借金の三倍の金額を支払わなければならなかったのですが、それは師匠が払ってくれました。
それから、五年間師匠のもとで色々と学びましたが、この度、大陸中央学園高等部に師匠の推薦で入学しました。
長いお話を聞いていただいて、ありがとうございました。
カオルの話が終わると、エレノア、ユリア、アンの三人は就寝前の挨拶をして、それぞれの部屋に戻って行った。
カオルはため息を吐いた。
「危なかったな……、何度か話の中で、僕が『男』だとバレるようなことを言っちゃったな」
カオルにとって久し振りに口に出す東方諸島国語であった。
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