第十四話 カオルの両親が亡くなった理由
平良薫ことカオル・タイラの話は続いていた。
「近くに熊がいる。危険だ。すぐに村に戻るぞ」
父の言葉に、わたしは驚きました。
「何で危ないの?熊なら、父ちゃん一人で数えきれないほど仕留めたじゃないか?」
父はわたしを指差しました。
「薫。お前がいるからだ。俺一人ならいつものようにすれば良いが、狩りが今日初めてのお前が一緒では、はっきり言って足手まといだ」
父の言葉には納得できましたが、わたしにも幼いながらもプライドがありましたので反論しました。
「でも、熊を仕留めれば村のみんなは喜ぶよ。肉も内臓も麓の町に持っていけば高く売れるし」
はい?エレノアさん。師匠の書いた本では「東方諸島国の人は獣の肉を食べない」とあったですか?
基本的には、その通りです。
我が国に古代に大陸から伝わった宗教の影響で、一般的に東方諸島国人は魚は食べますが、獣肉は食べません。
食肉のために家畜を飼う習慣もありません。
しかし、獣肉を「薬」として食べる週間はあります。
野性の鹿の肉や猪の肉は、冬に食べれば身体が温まる「薬」として都に、鍋物を出す店があるぐらいです。
アンさん。「ナベモノとは何ですか?」ですか?
大陸ではシチューのような煮込み料理は鍋で調理してから、調理した物を皿に移します。
しかし、「ナベモノ」では調理している鍋から直接食べるのです。
あっ!?三人とも「下品な食べ方」だと思いましたね?顔に出ていますよ。
謝る必要はありません。
東方諸島国でも鍋から直接食べるのは「下品」とされていて、わたしの国の上流階級の方々は鍋物は食べません。
熊の肉と内臓は滋養強壮の「薬」として、他の獣の肉や内臓より高く売れるのです。
わたしの言葉に父はしばらく考え込んでいました。
「もう少し森の中を歩くことにしよう。だが、薫。村を出る前に俺が注意したことをちゃんと守るんだぞ」
「わかっているよ。父ちゃん」
近くに熊がいるので、わたしも父も小声で話していましたが、わたしは大声で躍り上がりたくなるほど喜びました。
ユリアさん。理由ですか?
わたしは村の子供の中では、赤ん坊を除けば一番年下で、年上の男の子たちからいつも馬鹿にされていました。
わたしは体は小さく、自分で言うのも何ですが、幼い頃から「女の子のように可愛い顔」をしていたので、男の子たちからいつもイジメられていました。
だからこそ、父と一緒に熊を仕留めて村に帰って、村の男の子たちを見返してやりたかったんです。
手ぶらで帰ったら、また馬鹿にされます。
エレノアさん。どんなイジメを受けのか、ですか?
酷かったですよ。
例えば、川で裸になって水浴びをしていると、わたしにが脱いだ服を盗んで、女物の服にすり替えたんです。
裸でいるわけにもいかないので、その服を着て村に戻ると、子供たちが囃し立てるんですよ。
「やーい、やーい、薫はやっぱり、女の子!」
という感じで、毎日のようにイジメられていました。
あれっ!?みなさん。何故、きょとんとした顔をしているのですか?
ユリアさん。「女物の服にすり替えられていたということは、カオルくんが普段着ていた服は男物なのかい?」ですか?
当然です。男なんですから男物の服を着るのが当たり前……。
あっ!?そうじゃないですね!わたしは「女の子」でしたね!
確かに「女の子」のわたしが、「男物の服」を着るのは変ですね……。
えっ!?エレノアさん。わたしが自分が男だから男物の服を着るのが当然のようなことを言いましたか?
確かに……、言いましたね……。
それじゃあ、「カオルさんが『男』だと言ってるみたいよ?」ですか?
そう聞こえますね……。
えーっ、何と言えば良いのか……。
アンさん!「分かったわ!」と言われましたが、何が分かったのですか?
「カオルさんは男の子のように育てられたから、小さい頃は男物の服を着てたのね。だから自分を男の子だと勘違いしてたのね?」ですか?
そうです!そういうことにしましょう!
アンさん。たびたびフォローありがとうございます。
父とわたしは熊を追跡していました。
最初は、わたしは熊との遭遇に備えて緊張していましたが、森の中では自分たちが草を踏む音や鳥の鳴き声が聞こえるだけで平穏でした。
わたしはだんだんとまたピクニックかハイキングでもしているような気分になっていました。
「昼飯にしよう」
父が空のお日さまの位置を見て、お昼時だと判断しました。
父は腰に差していた山刀を抜きました。
エレノアさん。「ヤマガタナとは何なの」ですか?
大陸で言うと「マチェット」です。
エレノアさんのお父さんは狩猟が趣味なのですね。
だから、マチェットは知っていますか、そうです。その通りです。
狩人や木こりが使う刃物で、草を払ったり、木の小枝を切ったり、獲物の解体などに使います。
えっ!?アンさん。「マチェットで猟師さんは熊と戦うの?」ですか?
いいえ、あくまでマチェットは草を払ったりするための物で、獣に突然近づかれない限りは獣との格闘に使うことはありません。
父は弓の名人で、遠くからいつも獲物を仕留めていました。
父が山刀で周囲の草をなぎ払って、二人が座れるスペースを作りました。
そこに、わたしは座ると、腰に括り付けていた袋からお弁当を取り出しました。
袋の中から出てきたのは、大きなお握りが二つにタクアンが三切れでした。
「お握り」とは、お米を炊いて「ご飯」にして、手で丸く握った物です。
しかし、わたしの村では「お米」は贅沢品なので、お握りと言ってもお米ではなく、芋や山菜を握った物がほとんどでした。
しかし、この時のお握りは百パーセントお米でした。
もちろん。その時のわたしにとっては大変なご馳走でした。
「母さんは、お前の初めての狩りを祝って、白米のお握りを奮発してくれたんだ。感謝して食べるんだぞ」
父の言葉に従うまでもなく、わたしは一口一口お握りを大切に食べました。
お昼ご飯の後、しばらくして、父は見事に一頭の熊を仕留めました。
えっ!?みなさん。わたしの父が熊に殺されたんだと思ってたんですか!?
違いますよ。父は本当に狩りの名人でした。
足手まといになるわたしが一緒にいたとしても、獲物に返り討ちにあったりはしません。
それから数日連続で、わたしは父の狩りに同行しました。
わたしは父が見事に獲物を仕留めるところを見ているだけでしたが、自分が仕留めたように興奮しました。
それが、悪かったんでしょうね。
ある日、父がいつものように遠距離から弓で、猪を仕留めました。
その時、興奮したわたしは周囲を注意せずに、倒れた猪に向かって走りだしました。
それで、草むらに隠れて見えなかった地面から飛び出していた木の根っこに足を取られて転んでしまいました。
命に別条は無かったのですが、落ちていた尖った石が体に突き刺さる大ケガをしてしまいました。
エレノアさん。「その時、背中に傷痕が残るようなケガをしたの?」ですか?
いいえ、その時ケガをしたのは右足です。
背中の傷痕は、わたしが十歳の時のことです。
その話は後からしますね。
わたしの足のケガは思ったよりも重傷で、治ったとしても後遺症で足を引きずるようにしか歩けなくなるような状況でした。
それで、父は麓の町の神殿にいる神官に「神術」を頼むことにしたのです。
「神術」とは大陸での「魔法」のことで、治癒の神術でわたしのケガを後遺症が残らないように治療してもらうのです。
それは高度な治癒の神術なので、それが使える神官に頼むのは高い料金が掛かります。
そのための「お金」を手に入れるために、父はさらにたくさんの獲物を取るために山奥に入っていました。
それで治療代に充分な現金を得ることができて、わたしのケガは無事に後遺症が残らずに治りました。
父はわたしのために張り切って狩りをしていたので、治療代を支払っても、まだたくさんのお金が余っているほどでした。
そのお金で、父はわたしには甘いお菓子、母には化粧品などを麓の町で買ってきました。
村の他の人たちにもお土産を配りました。
わたしも母も村の人たちも大変喜びました。
父は人が良かったので、人が喜ぶと自分も喜びました。
それで、わたしたちを喜ばせようと、現金を得るためにますますたくさんの獲物を狩るようになったのです。
みんなの期待に応えるために、毎日遅くまで狩りをして、家に帰ると疲れですぐ眠り、朝になると起きて狩りに出掛けました。
そして、ある日の朝……、父は二度と目を覚ましませんでした。
はい、最近大陸のビジネスマンの死因の一つになっている「過労死」だったのでしょう。
そうなってから考えてみると、父は疲労が溜まった顔をしていました。
父の死は、わたしと母にとって精神的に大変なショックでした
母も心痛で数日後に亡くなりました。
そして村にとっては経済的に大変なことでした。
村人全員で「逃散」することになったのです。
東方諸島国語の発音で「チョウサン」とは「逃げ散る」ことです。
村人全員が村を捨てることになったのです。
何故、そんな事になったのか理由を言いますね。
村が税である「ネング」として納めなければならないお米の量は、中央政府の役人が村の生産量から計算して決めていました。
しかし、村で一番の狩りの名手……、言い換えれば村で一番稼ぎ手だった父が亡くなりました。
そうなると、「ネング」を納めるために必要なお米を買うためのお金を村は手に入れることができなくなったのです。
「ネング」を納めることができなければ重い罰を受けることになります。
それで「逃散」することになったのです。
「そんなに簡単に村を捨てられるのか?」ですか?ユリアさん。
わたしの国では戦国時代、重税や戦乱で困窮した村が、村を捨てて他の領主の土地に行くという事がよく行われました。
領主にとっては自分の土地で働き手が増えることは、生産力が増えて税収も増えることだったので歓迎することだったのです。
戦国時代は終わりましたが、その習慣は残っていました。
父と母の葬儀が済んだ後、わたしは呆然としていました。
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