第十一話 カオルとアンが同室になれない理由
「あのー、カオルさん。どうかしたのですか?」
アンさんは心配そうに茶色い瞳を固まってしまった僕に向けた。
「何でもないわ。わたしと同室になりたい理由を聞いても良いかしら?」
アンさんが説明した理由は、次のような物だった。
アンさんは二階にあった空き部屋が割り当てられたが、同室になる人はいなかった。
一人では淋しいので誰かと同室になりたいが、この寮は基本的に二人部屋で、今一人部屋なのはアンさん以外では、僕とエレノアさんとユリアさんの三人だけだそうだ。
「それなら、エレノアさんかユリアさんと一緒の部屋に……」
「ボクとエレノアは駄目なんだ」
ユリアさんが話に入ってきた。
ユリアさんの説明によると、ユリアさんもエレノアさんも中学生の時に全寮制の同じ女子校にいたことがある。
「自分で言うのも何だけど、ボクもエレノアも女の子の間で人気があるんだ。女の子ばかりの女子校だと、疑似的な恋愛感情みたいなものになることもある。何度も言ってるけど、ボクにもエレノアにもそっちの趣味は無いからね」
女子校で起こったのは、ユリアさんとエレノアさんを慕う女子生徒たちによる醜い争いだった。
「特にボクとエレノアと同室になった女の子が大変だった。嫉妬した他の生徒から酷いイジメを受けた。結局、ボクたちは転校しなきゃならないハメになった。ここは男女共学だけど、同じ問題が起きるかもしれないことは、できるだけ避けたい」
「あのー……」
僕は思いついた事をそのまま口にした。
「それなら、ユリアさんとエレノアさんが同室になれば、良かったのではないでしょうか?」
ユリアさんとエレノアさんは気まずい顔で、目を見合わせた。
「ボクとエレノアの二人で同じ部屋に住んだら、『性別の壁を越えたカップル』という噂が飛び交って、さらに大変なことに……」
「すいません。すいません。配慮の足りない。質問でした」
僕はユリアさんとエレノアさんに何度も頭を下げた。
「話を戻すけど……」
エレノアさんが取り繕うように言った。
「カオルさんは、アンさんと一緒の部屋にはなりたくないのかしら?」
続けてアンさんが言った。
「やはり、あたしの母のことがあるので、あたしと一緒は嫌なんですか?」
アンさんが暗い顔になったので、僕は慌てて否定した。
「そうではないです。わたしは割り当てられた部屋が気に入っているので、二階のアンさんの部屋に住むのが、ちょっと……」
「それなら、あたしがカオルさんの部屋に住みます。カオルさんのお部屋はどこですか?」
「その……、一階です」
「えっ!?」
三人とも少し驚いた顔になった。
「一階って……、一階にはこの食堂とこの第四女子寮で働いている学園の女性職員が住んでいる職員寮しかないじゃないか?」
「その職員寮の内の一部屋が、わたしに割り当てられた部屋なんです」
ユリアさんの質問に僕が答えると、みんなはますます変な表情になった。
もちろん。みんなに言えない理由はある。
この寮では生徒用の各部屋には風呂は無くて、地下一階の大浴場で生徒は共同で入浴することになっている。
当たり前だが、この寮は男子禁制だから大浴場は女性専用だ。
本当は男性である僕は大浴場に入ることはできない。
職員寮には各部屋に風呂があるので、学園長が僕の部屋を職員寮の一室にするように手配したのだ。
……しかし、今更だが、あらためて考えると、生徒の僕が職員寮に部屋を割り当てられるのは、どう考えても不自然だ。
「生徒用の部屋にはまだ空き部屋はあるはずよ。何故、カオルさんは職員寮に住むことになったの?」
エレノアさんの質問に、僕は上手い言い分けが思いつかなかった。
本当の理由を話すわけにはいかないし、上手い嘘も思いつかないし……。
とにかく、ここは早く席を立とうと、僕は夕食の残りをマナー違反ギリギリの速さでたいらげた。
食べ物を残して席を立つという選択肢は、僕には無い。
師匠の弟子になる前、旅芸人の一座にいた頃には一度食べそこなうと、次に食事ができるのがいつか分からないという時もあった。
旅芸人というのはその名の通り、あちこちを旅をして回るので、旅先で客の入りが悪いと収入が少なくなり、それは一座の食事に影響するのだ。
朝昼晩三度の食事が、きちんと食べられる日の方が珍しい時期があったぐらいだ。
師匠の弟子になって食べる事に不自由しなくなってからも、僕は「食べ物を残す」という事はできない。
「すいません!部屋に戻って荷物の整理をしなければならないので、これで失礼します!」
食べ終わると、僕は逃げるように急いで食堂を跳び出した。
(……、それから、部屋で荷物の整理をして、それが一段落してから、ストレス解消のために日記を書いて、エレノアさんが僕の部屋に来て、今に到るわけだが……)
平良薫ことカオル・タイラは、回想から戻って来た。
「カオルさん。推理小説をご存知かしら?」
「はい、知っています。師匠の蔵書ありましたので読んだことありますから、警察の刑事や私立探偵がわずかな手掛かりから事件の真相に辿り着く物語の事ですね」
「カオルさんの師匠が大賢者さまだったことには驚いたけれど、今はその話は置いておいて……」
「大陸の大賢者」は大陸においては五歳の子供でも知る有名人であり、尊敬を集めているどころか、聖人のように崇拝もされている。
大賢者は千年ほど前に大陸に現れた。
もちろん。千年も生きられる人間はいるはずないから、カオルの師匠は「大賢者」の称号を受け継いだ数十人目だ。
初代の大賢者は大陸のあちこちを旅して回り、様々な問題が発生している町や村で、その問題を解決していた。
「大賢者」という称号は、初代大賢者がみずから名乗ったわけではなく、助けられた民衆の間から自然に発生した呼び名だ。
大陸の国々が初代大賢者を臣下にしようとしたが、初代大賢者は国の権力者に助言をするようなことはあっても、どの国にも仕えることはなかった。
ある大国の暴君であった国王は、初代大賢者を無理矢理臣下にしようとして軍勢を送ったが、初代大賢者の策略により、その軍勢が逆に国王に対する反乱軍となり、暴君であった国王は地位から追われ、後の世に名君と呼ばれる新国王が即位している。
初代大賢者はみずからの死期を悟ると、弟子の一人を後継者に指名した。
それ以後、千年の間に大賢者の称号は、前の大賢者から弟子に代々受け継がれている。
初代大賢者からの伝統で、歴代の大賢者はどこの国にも仕えることはなく、国を越えた存在として活動している。
カオルが大賢者についての知識を思い出している間も、エレノアは話を続けていた。
「私は推理小説は好きで、よく読んでいるのだけど、『カオルさんが一人で、職員寮に住んでいる理由』について推理してみたのよ」
エレノアさんはポケットからタバコを吸うためのパイプを取り出すと、口にくわえた。
「あの、エレノアさん。未成年がタバコは……」
「このパイプにはタバコの葉は入ってないわ。お父さまの壊れたパイプを貰ったのよ。私の好きな推理小説の主人公が推理を語る時にパイプをくわえているから、雰囲気を出すためよ」
パイプをくわえたままでは話しづらいらしく、右手にパイプを持ち変えて、エレノアさんは推理を語り始めた。
「まず学生寮と職員寮の部屋の違いについて考えてみたわ。職員寮は一階で学生寮は二階から上になっているわ。そのことから『カオルさんは二階から上に住むことはできない』。つまり、『カオルさんは高所恐怖症』ではないかと推理したわ。知り合いの高所恐怖症の人は、二階ぐらいの高さで恐がっていたもの」
一応辻褄の合う推理なので、カオルは同意しようとした。
「でも、それはありえないわ」
エレノアは自分の推理をあっさりと否定した。
「カオルさんは十階の私の部屋で、何時間も平気でお喋りしていたのだもの。この推理は間違っているとして、今度は聞き込みをしてみたのだけど……」
エレノアは右手のパイプをカオルに突き付けた。
「職員に聞いてみたのだけど、カオルさんは他の生徒と一緒に五階の部屋が元々は割り当てられていたそうよ。でも、今日のお昼過ぎ頃に、おじさま……、学園長から直接カオルさんの部屋を一階の職員寮にするように連絡があったそうよ」
エレノアはカオルに顔を近づけた。
「ちょうどお昼頃に私が学園長室に行った時に、カオルさんは学園長と何か大事な話をしていたわよね?その話の結果として、カオルさんはこの部屋になったのね?」
「そうです。エレノアさん」
カオルは思わず答えていた。
「では、カオルさんがこの部屋に住みたかった理由は、何なのかしら?」
エレノアは部屋の中を見回した。
「この部屋は広さは生徒用の部屋と変わりないし、備品もたいして変わりないわ。でも、一つだけ大きな違いがあるわ」
エレノアは廊下に出るドアではなく、もう一つのドアを開けた。
中は小さな脱衣室になっており、奥には小さな浴室があった。
「生徒の部屋には浴室は無くて、地下一階の大浴場は使用時間は夜十時までになっているわ。でも、職員は仕事の都合で夜中にしかお風呂に入れない場合もあるから、職員の部屋にはお風呂があるのよ」
エレノアは浴室を指差しながら言った。
「カオルさんには、この浴室を使わなければならない理由、言い替えると、地下一階の大浴場を使えない理由があるのね?」
エレノアが段々と核心に迫ってくるので、カオルは何も言えずに無言のままでいた。
「当たり前だけど大浴場では、みんな服を脱いで裸になるわ。カオルさんは大浴場で裸になりたくない。つまり、他の人に裸を見られたくないのね?」
エレノアはカオルの襟元から服の中に右手を突っ込んだ。
そして、カオルの裸の胸を触った。
当然、カオルは男であるから胸に膨らみは無くて平坦である。
(どうしよう。エレノアさんは僕が『男』だって気づいたんだ。どうしよう?どうやって、この場を切り抜けよう?)
必死になって考えたが、カオルは何も思い付かなかった。
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