同級生の手紙から
真希が父克哉の見舞いから帰ると、克哉の高校時代の同級生から、同窓会の案内が来ていた。
差出人は、和泉という男性。
父と仲が良かったらしいこの人からはたびたび葉書が届く。
しばらく沙汰がないことを心配している内容が葉書の文面に綴られていた。
まだ克哉が認知症になってホーム入所したことに順応しきれない気持ちを引きずっていた頃は
この葉書はあえて目に触れないところにしまい込んでいた。
志摩子、ケイ叔母たちからは毎年賀状がくるが、克哉の末の弟和郎などは
ホームに入所したことを知って以来
克哉が結婚式に出席した和郎の娘夫婦とともに、沙汰がなくなっていた。
真希は克哉の小樽大学病院入院の件―看病放棄の件以来、克哉の兄弟たちの嫌われ者になっていた。
そして
父が家の中からいなくなってしまったことに慣れなくて
母淑子との二人の生活に、シマリスのモモを加えた。
当時真希と妹たちとの関係はあることをきっかけに壊れかけていたのだが、
それをモモが取り戻してくれた。
孤独感からふらりと入ったペットショップで目に飛び込んできた愛らしいシマリス。
真希は迷わずモモを買い求めた。
母と自分の様子を時々見にくる妹たちも、最初はギクシャクとした会話をかわすだけだったのが、新しい家族となったモモのあまりの愛らしさが一気にその場を和ませた。
モモを見ているだけで、ささくれだった心も温まってくる。
真希はこの、和泉という父の旧友に葉書を書くことにした。
和泉玲からの返信―
真希さま
お父様の近況をお知らせ頂き有難うございます。
唯々驚いております。
毎年賀状を頂いておりましたのに、と心に引っ掛かっておりましたが…。
お父様はもともと大人しく、どちらかと言いますと、気の弱い方でしたので、加齢と共に孤独になっていかれたのでしょう。
東京同期会に毎年、お誘いしていたのですが、多くの人の集まりの中に出ることを嫌っておりました。
今思えば、無理にでも、お誘いすれば良かったと残念に思っております。
今となっては、あまり無理に記憶を呼び戻させる事をせず
施設の介護を信じ、心静かな余生を過ごさせてあげるのがベストだと思います。
私も、特養老人ホームに勤務し多くの利用者と又、その家族の方々と接して来ました。
認知症の方も多く見て来ました。
これらの方々は、すっかり子供のような純粋な心にかえって行くのですね。甘えたり、我儘を言ったり…。
優しい、温かい愛の言葉が、たとえ一瞬であっても、理解する事が出来、何よりの救いと受けとめるのです。
真希さんも、大変と思いますが
お母様の精神的な面を支えて差し上げて下さい。
もう少し暖かくなりましたら、施設の方へ面会に行きたいと思っております。
どうぞ、焦らず、お体にお気をつけられ、頑張って下さい。
二月三日
佐伯 真希様
和泉 玲
―父は和泉さんには、家の事を話していたのだな…。
父と母が逝っても
わたしは自分の人生を生きてゆかねばならない。
父はもうじき精神の死を迎える―
母はゆっくりとだが、認知症が進んでいっている。
家が良くなりかけたことがきっかけでのめり込んだ信仰も、もうつかみきれなくなってしまっている。
妹たちは家族がいる。
わたしは誰のために生きる…?。
あの教団にいれば自分や家族や、世界までも救済できると思った。しかし
身近な家族でさえ救えていないではないか。
地元に教団の支部が出来たときは、迷わず世話人になった。
が、資金が続かず人間関係にも疲れて、退任した。
皮肉にもその翌年、父克哉の長兄の逸夫叔父が亡くなった。
自分が懸命に世話をした信者が、隣接する支部の支部長に会社の共同設立を持ちかけられ、一千万円を騙し取られた。
自分に近しい信者も、家族親類縁者の誰も救えていないではないか。
世話役を続けていれば、幸せにすることができたのか?
とりあえずは今、父と母のために生きるしかない…?
そのあとは…?
―「真希ちゃん、アンタたちのお父ちゃんはね…苫小牧にいるときは長靴大将なんて言われてね、部下にも人望あった。
現場の仕事が合ってたんだよ。でもね、栄転になったといっても内勤の経理部は合わなかったんだよねえ…」
克哉の妻の弟慎三は、克哉のことをそう語った。
高校卒業後は定職に就かずブラブラしていた慎三だったが、
姉の淑子が克哉に頼み込んで、ニッケン株式会社に職を得ることが出来たのだ。
勤務二年目に会社の金の使い込みをして克哉の顔を泥を塗ったが、
どうしたことか世渡りの上手い慎三はこの窮状を切り抜け、定年までこの会社を勤めあげている。
克哉にとってはお調子者のホントに困った義理の弟であるが
慎三は克哉を慕っていて、人嫌いであるはずの克哉も慎三宅にはよく通っていた。
淑子は実の弟であるはずの慎三を嫌っていたが…、
克哉にしてみれば、心を病んだ妻淑子の事を含めて家の事情も知り尽くしてる義理の弟は
唯一の気を許せる話し相手だったのかもしれない。
「―佐伯さんもなあ…ニッケン辞めてから色んな仕事して苦労したよなあ…ようやく五香で安定したと思ったら、事故起こして…あれ、会社は引き留めたけど佐伯さん、自分で辞めたんだよなあ…」
―お父ちゃん、あたしたちのためにお昼は餡まんいっこで、ミシンの集金の仕事してたんだよね…。
(…末っ子の依子はそう言っていたな…)
昨夜は母は幻聴による騒音に悩まされ不眠を訴えていた。
淑子も徐々に認知症が進み、昼夜逆転が始まっている。
昼間、真希が非番のときに母の様子を見ていると、ちょっとしたスキに鼾をかいて寝ている。が、…声をかけるとすぐに起きる。眠りが浅いが、すぐに船をこぎ出す。
そして
甘い物への過度な執着。世代的なものもあるだろうが、あんパン、甘納豆、餡ころ餅等―
足が弱くなってあまり外出できなくなっているせいもあるのだろう。
散歩に連れていくなどして真希にとっても母にとってもうまく発散させることが一番なのだが。
母は老齢だけに気をつけてあげないと糖尿病にでもなれば大変だ。
ホームに入る直前の克哉がそうだった。
砂糖壺から直接、砂糖を舐めていた。
認知症は味覚も鈍くさせる。
濃い味つけや甘い物を好むようになる。
克哉の、スーパーでの度重なるチョコレートの万引きも認知症によるもので、単にお金を払うのを忘れただけだったのだが…
「すっごい騒音…ガーって…あんた聴こえない?」
真希には、聴こえない。
母淑子が可哀想になってその夜は教団に教わった祈り方で母のために祈った。
自分の部屋には戻らず、母の寝室の隣のリビングで、明け方母の寝息が聞こえて来るまで炬燵で寝た。
おかげで体が少しだるい。
今日は会社が休みなのでまだましなのだが
真希は、教団に克哉と淑子の病気平癒祈願の形代を出しに行く支度を始めた。
―やはり、やめられないのだ―