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《 佐伯家の兄弟 》

―克哉、ホーム入所後6ヶ月―


「なんで電話に出ないのよ」


克哉の姉、志麻子の最初の言葉。


「なんでって…」


「何回かけても出ないから、なんかあるんだろうなっておもってさ」

別に借金取りから逃げているわけではなく、就活やバイトで忙しかっただけなのであるが、

志麻子は切羽詰まった理由をかんがえていたらしい。


「お父さんは?」

志麻子は弟のことを尋ねた。

「老人ホームだよ」

こう答えることにいい加減慣れてしまった真希はそっけなく言った。


「えっ老人ホームってどうしたの!?」


「父は認知症が進んで徘徊が始まってたから…、私も早く仕事さがさなぎゃなんないし…

それで留花が施設に頼み込んで、順番を早めてもらった」


「克哉はそんなだったの?」

「はい…」

33年前、

克哉たち一家が北海道から内地に転勤になって以来、嫁いで立川市にいる姉志麻子と、川越市に嫁いだ妹のケイが克哉になにかれと面倒をみていて身近にいる支えだったのだ。


「真希ちゃん…」

志麻子は、この姪に何をいってあげれば良いか考えているようだった。


志麻子叔母は、母の淑子が唯一慕っている義理の姉だった。


真希と留花が幼少の頃、函館勤務の克哉たち一家を訪れた際、

志麻子は初冬に入り、寒そうな服装の真希たちを見て

「あんた、子供たちこんな格好じゃ風邪ひいちゃうよ」


その場でミシンを借りて真希たち姉妹に服を縫ってくれたのだ。


母淑子はこのときの様子を真希たち姉妹に何度もしたものだ。


「真希ちゃん…あんたのお父さんもこうなっちゃったし、叔母さんたちもう定年退職したから

年金で食べていくのに精一杯。

とてもあんたたちを助けてあげる力ない。

だから、これからは少しずつでも、お金をためるのよ」


聞けば当たり前のこんな言葉が、ひどく温かく胸にこたえる。

妹たちとの確執…急いで今の住居に越してきた理由…。


「あんたのお父さんはね、ズボンを脱いだ形のまま放っておくような、ちょっとだらしがない人だけど、頭は決して悪くない人だったの…」真希は黙って志麻子叔母の言葉を聞いていた。


この数ヶ月間に起こったあまりにも劇的な生活の変化に心が対応しきれずにいた。


母が慕っているこの叔母の声が、なぜか親しくからだに、心に響いてくるのだった。



「佐伯家の兄弟はね、陰性と陽性がいて、わたしと、あんたのお父さんと、亡くなった逸夫叔父さんとタカシが陰性。

あとは雅彦とケイ叔母さんと和郎が陽性なの。何となくわかるでしょう?」


真希が高校二年生の春に、長く勤めた会社を辞めた父克哉は、それからは仕事を転々とした。


ミシン屋の集金から新聞配達、警備員―

設立間もない成田空港の三交替勤務では体調を崩し、不眠にもなった。


妻と三人の娘を抱えて生活は逼迫していった。


娘たちは皆夜学の高校に進学した。


そして娘たちが昼間は働き始めると、すでに職を転々としていた克哉は次第に無気力になり、会社を休むようになった。


娘たちの稼ぎをあてにしボーナスが出る時期には必ず長期に仕事を休む。


そんな父親に最初に愛想をつかしたのが、次女の留花だった。


長女の真希もとうに父親を嫌いになってはいたが、家を出て自活することは考えてはいなかった。


三女の依子はまだ九才で、彼女だけは克哉になついていた。


母親の淑子は相変わらず心の病が良くならず入退院を繰り返し、

克哉の兄弟たちから借金をしていても三人が働いていても生活は苦しかった。


それなのに娘の収入をあてにして、時に働かなくなる父親。



そんな父親に最初に愛想をつかしたのが、次女の留花だった。長女の真希もとうに父親を嫌いになってはいたが、家をでることは考えてはいなかった。

三女の依子はまだ九才で、彼女だけは克哉になついていた。


克哉の不甲斐なさに上二人の娘は腹を立てていたが


留花だけが真っ正面から父にぶつかっていった。


「なによ!お父ちゃんが会社やめるから、家がこうなるんでしょう!」

その留花の言葉に

克哉はただ娘を殴りつけただけだった。


「あたし、出ていく!こんな家、でていく」

留花は殴られた頬、頭を押さえながら叫び、荷造りをはじめた。


「おう、出ていけ」


「あたしも出ていきたいな」


真希も留花に言うと「出ていきなよっこんな家、いる意味ないよ!」


「何処にいけばいいの?」


「わかんない、あたしは友達んち行く。お姉ちゃんもどっかさがしなよ」


―「陰性が、叔母さんと逸夫叔父さんとタカシ叔父さんと父ですか…」


叔母の志麻子と、電話でこんなに話し込むのは初めてのことだった。


克哉が元気なままであれば、こんな機会はなかっただろう。


「みんな、どっちかというと芸術家肌というか、そんな感じですよね。逸夫叔父さんは放送作家だったし」


真希は、皮肉にも逸夫が亡くなってから詩の才能を見いだされ創作するようになっていた。

そしてこの芸術家の叔父の残した詩をじっくり読みたいと思っていた。


叔父は詩人としても才能があり、ある文学賞を受賞していたが、ついに詩集は出すことはなかった。

金がなかったのだ。

それなのに克哉の困窮には黙って50万貸してくれた。


そして

父の克哉も物書きになりたかった。


人より文章が書けたので会社でもその手の仕事は引き受けていた。


「兄貴よりオレの方が上手いってお父ちゃん言ってたよ」


「お父ちゃんもそういう道に進めば良かったの。勤め人なんて合わなかったの。世渡り下手だったじゃない」


母の淑子はよくそう語っていて夫の才能を信じていた。



たまに兄の逸夫がテレビに出演し評論などをしていると


「…ああ、オレも兄貴と同じように思ってたよ。オレもこういう批評力というか、審美眼あると思うんだよなあ…」


晩酌をしながら自分の今の職を転々としている現状に、同じ兄弟で似通った才能を持ちながらの兄との格差が、堪えているようだった。



真希が詩が、新聞の評論に載ったときは、

克哉は父として自分の血を引いていると思ったのだろう。


本当に嬉しそうだった。



「真希、詩が新聞に載ったのか」


日頃仲の悪い娘との会話のきっかけをつかめたこともあり、

克哉は真希に照れ臭さと、


自分の血を明らかに引いている誇らしさに嬉しさを隠しきれずに声をかけたのだが…。

「うるさい!話しかけないで」

「…」

克哉は黙って自室に戻った。


どうしてもっと父と語り合わなかったのだろうと真希は思う。


今はホームに見舞いに行き、


克哉に文学の話などをしても何もわからない。


あのとき、克哉とうたの話をするだけで孤独であった克哉を少しでも幸せにすることが出来たのに。


「そうね、兄弟の中じゃ一番の出世頭だったよ、逸夫叔父さんは。葬儀のときは、参列者がすごくて芸能人の葬式かと思った」


志麻子は懐かしそうに亡くなった兄を語った。



「翔ちゃん、死んじゃったね」

翔は、逸夫叔父さんの一人っ子だった。

「逸夫叔父さんも真梨子叔母さんも亡くなったし、あそこの家、死に絶えちゃったね」

真希は志麻子にそう言った。

克哉がホームに入った年の秋だった。

その前年には、‘陽性’のはずの雅彦叔父が脳腫瘍で亡くなっている。


タカシ叔父から始まった‘陰性’の兄弟ばかりを狙った不幸が


父の克哉は死なないながらも精神の死を意味する認知症に侵され

それでも足りなくて雅彦叔父と

まるでとどめを刺すように

長男逸夫の息子を狙い鬼籍へと連れ去った。


この数年、佐伯家には不運が続いていた。


「翔ちゃんね、健康診断で何度もひっかかってたの。なのに病院いかないで、ある日突然頭がイタイって救急車で運ばれて直ぐに入院…意識不明になって二日後に亡くなったんだよ。奥さん、子供になあんにも言葉を残せないで」


人の亡くなり方はそれぞれだが、家族に何も伝えられないままというのは辛い。


しかも病の原因は脳、精神といったところに集中しているような気がした。


長男逸夫の妻真梨子は若年性アルツハイマーだった。


そして…逸夫の孫である翔の息子と、佐伯の兄弟で一番先に逝ったタカシの娘はある共通点があった。


知的障害者なのだ。


「あんたのお父さんはね、この前母の、あんたのお婆ちゃんにあたる人の葬式でね。緊張したのかまた卒倒してねえ…だから翔ちゃん亡くなった時にはすぐに知らせなかったの。また倒れると行けないから」


従姉の翔の死を知ったのは、年が明けてからだった。

志麻子とケイ叔母からの年賀状に記してあったのだ。




―「タカシ叔父さんの奥さんと子供は今どうしてるの?」

真希は気になっていた。

タカシ叔父の生きざまは

父の克哉に似ている。

真希は小学生の頃

克哉に連れられてタカシの結婚式披露宴に出席していた。


♪‘可愛い律子は誰のもの…’

宴では、当時流行っていた流行歌を新妻の名前にかえて式の参列者全員が合唱していた。


うたの最後に

「オレのもんだ」タカシが司会者のマイクを取り上げそう言って唄を締めくくった。


幸せな時は長くは続かなかった。


結婚して15年を過ぎた頃

タカシ叔父は、上司と仕事上の意見が会わず、退職に追い込まれた。

妻は、生まれながらに知的障害がある娘を抱えて、将来の不安もあったのだろう。

次第に夫婦仲は冷えてゆき、

そして離婚。妻は娘を連れてタカシのもとを去っていった。


孤独に苛まれ、タカシは酒浸りの失意の日々をおくっていたらしい。


琴似の、兄弟たちの宴に来なかった夜には

すでに蒲団の中で事切れていたのだ。


―父も、母に離婚されていたら、あるいはタカシ叔父のようになっていたのではないか―

皮肉にも母淑子は病弱で離婚したくてもできない、自立できる生活力がないと娘たちには言っていたが。


―克哉が小樽の大学病院を退院し、千葉に戻ってきてからタカシは発見された。


食わずに飲んでばかりの生活での衰弱死とのことだった。

父の克哉は、泣きながら留花に電話をかけていた。


「タカシが可哀想だ…」

一番に家を出ていった娘なのに、

真希と淑子では

こんな取り乱した自分を受け止めてくれないと思っていたのか。

留花も受話器をもって父の悲しみをじっと受け止めていた。


後に留花は真希に


「お父ちゃんに、タカシ叔父さんの葬儀に行く飛行機代だしてあげようかって、うちのと話してたんだ」

留花は本当に優しい、姉妹の中でも一番美しい娘だ。

自分にはこんな優しさと、強さはないな。


留花のことを思うたび

いつも真希は有り難さと申し訳なさにかられる。


自分も克哉に違わず不甲斐ない姉だから。


―しらない、律子さんたち離婚して何処に行ったか…もう縁は切れてるし―

志麻子叔母はそう続ける。

「タカシ叔父さんって孤独死なんでしょ?」

「そうだね…真希ちゃん、

叔母さんね、お父さんとは仲良くてね、アレは昔から大人しくて、和郎や雅彦なんかとちがって内弁慶なとこもあったけど、頭はよかったの。優しいとこもあったの。だから、弟のことをずっと気にしてるの。

淑子さんが心の病気になってからは弟も苦労してるし

お父さんの見舞い、一週間に一度は行ってあげて。


あんたがこうやって家賃払えるのも、お父さんのお陰でしょう?

育ててもらった恩もあるでしょ?」


「母が病気になったのは、父のせいなんです!

お酒のんで家族に当たり散らして…」


真希が気色ばんでくると

「飲まずにいられない時だってあるでしょうっ」

志麻子叔母も、弟を庇って弁護してくる。

「叔母さんは、その場にいないから、わからないんですよ、父のおかげで母がどんなに…わたしや留花、依子だって」

「そうは言っても、お父さんでしょうよ」

志麻子との言い合いの中で

真希の中の何かがザワザワと羽音をたてていた。

自分たちは、父が、克哉が、キライだ。キライなんだけれど…。


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