発病、そしてーひとり通夜
―克哉六十二才、ホーム入所十二年前―
「オレ、金がないからタカシの通夜行けないからよう、今夜はタカシのためにここで一人通夜の酒酌んでんだよ」
真希は、父の克哉が留花に酔いながら電話で語りかけているのを聞いていた。
克哉が六十二歳の時だった。
克哉は六人兄弟の三番目。
久しぶりに兄弟姉妹全員、故郷の北海道は琴似に集まって飲もうということになった。
生活が苦しかった克哉は、千葉から琴似までの旅路を古ぼけた自分の小豆色の中古車で向かったのだ。
途中車中一泊のための毛布をたずさえて
琴似の実家で何十年ぶりに兄弟たちに会えることが決まった夜。
俺は、その日をどんなに楽しみにしたことだろう。
旅費がなく自分オンボロ車で行くしかなく、すでに家庭では孤立していたから、
誰も俺には旅費を援助してくれなかったけどよ。それでも、本当にうれしかったんだ。
上司が会社の金を使い込みしていた。
俺は気が小さいからそれになんの手も打つことが出来なかった。
もともと現場から会社の経理に変わったときも俺の遣り繰りが下手で、会社の金を足りなくしてたし。
折り合いが悪かった上司はそこにめをつけたんだ。
北海道にいたときは良かったなあ。
部下に慕われてボスなんて呼ばれてさ。
30年勤めたニッケンをやめてからは、一生懸命働いたけど、家族はだんだん離れていったよ。
まずは次女の留花。あいつ俺にバイタ!なんて言われて泣いてたな。
家を出て心配して真希と一緒にアパート見に行ったとき、男といたから俺も頭に血がのぼってよ。
真希は高校いる間は家にいたけど、東京で新聞配達しながら大学行くんだって、出てったよ。
真希が東京行って3年目に妻の淑子は自殺未遂しちゃうし。
その医療費で困ってたら逸夫兄さんが黙って50万貸してくれたっけ。
逸兄さん、まだ返してなくでごめんな。
俺、完ぺきにウチで嫌われもんだよ。
だから、嬉しかった。
心置きなく、兄弟たちと酒を酌み交わせるのは。
しかしその場に一人加わらない人間がいた。
四男のタカシだった。
皆で「こないなあいつ、どうしたんだ」って心配してた。会社やめて離婚して独りだし、連絡もないし。
あとでどうしてだかわかんだけどな…悲しいよ。
俺、
兄弟たちに会えたあまりの嬉しさに酒を飲み過ぎ、倒れた。
倒れたとき皆心配して介抱してくれて、俺完ぺきにうれしくなって
「ああ…みんなすまないなあ、世話になって」
って心から言ったよ。
すぐに小樽の大学病院に運び込まれ、
意識が戻ったとき、
病院の公衆電話から、千葉の自宅への電話のかけ方を
俺は忘れてしまっていた。
「真希ちゃん、あんた一体…」
ケイ叔母さんから電話が来た。
「世話になってますって葉書一枚くらい送れよ…」
雅彦おじさんからも。
克哉が実家の小樽で兄弟たちとの酒宴の最中でたおれた。
そして小樽の大学病院に運び込まれてから一ヶ月。
克哉の三人の娘たちのうち、次女の留花と末っ子の依子は嫁いでいた。
克哉は長女の真希と妻淑子の三人で暮らしていたのであるが、淑子は病弱で到底夫の看病のために小樽まで行けるはずもなく、かといって嫁いでいる娘たちはそれぞれの家庭で手一杯ということになる。
そうすると当然、長女の真希が克哉の看病に小樽に来るべきなのであるが…、
真希にはまったく考えられないことだった。
八年前の、
母の淑子が自殺予告の置き手紙を残し行方不明になった夜、
最初に母の捜索に出掛けていた留花とその恋人が、発見をあきらめ帰宅した。
つぎに東京から慌てて駆けつけた真希と克哉が
克哉の車で母の捜索に出かけることになった。
「…鶴山に行ったんじゃない?」
春に家族皆で花見に出かけた山の名を留花は言った。
その山へ向かう車中で、
克哉が真希に言った言葉を、真希は忘れてはいなかった。
克哉の弟妹たちに散々ボロカスに言われながらも、ついに真希は一度も小樽へ父の看病にいくことなく、
意識が戻った当初電話のかけ方を忘れていた克哉も、医師の適切な処置のお陰で、脳の機能は正常に戻ったように思えた。
しかし数年おきに発作を繰り返し、容態が悪化してゆくこととなる。