帰郷
―父克哉五十四才、ホーム入所二十二年前、長女真希、夜学の三年生―
そろそろ行かなきゃ…。
真希はジャージに着替え自転車で店に向かった。
東京は平和島での新聞奨学生としての生活にも大分慣れた。
欲をを言えば他の女子学生のように、もう少し華やかにお洒落もしたいものだが。
昼間の高校を卒業してれば、新聞配達までして意地になって大学進学などしなかっただろう。
それに留花のように早く家を出るにはこの方法しかなかった。
学費などあの親たちが出せるわけがない。
大手新聞社の奨学金制度を真希は使うことにした。
新聞社が学費と住まいを保証する代わりに、専売所に所属し新聞を配達すること。
食事は朝夕はお店が用意してくれる。
勧誘をちょっとがんばれば小遣いもできる。朝の3時起きにも慣れた、3年目の冬の出来事だった。
夕刊を配ってから大学にいくのであるが、店で配達準備をしていると、店内設置してある公衆電話が鳴り、専業さんが受話器をとり真希が呼び出された。
母の淑子からだった。
「真希、お母ちゃん病気で眠れないし、お父ちゃんが死ね死ねっていうから、お母ちゃん死ぬから。あんたも幸せになりなさい」
こう言って電話は切れた。
所長!家に帰ってもいいですか?おかあさんが、今死ぬって…言い終わらないうちに涙が溢れてきた。
母からの自殺予告の電話を受けたあと、
急遽配達を代わってもらい平和島から実家の千葉へ向かった。
帰りの電車の中では涙が止まらなかった。
そして集まった妹たちと母の置き手紙を読んだ。
―留花、依子へ―
眠れないから、やりくりが出来ないから、お父ちゃんが死ね死ねっていうから、死を選びます。
いい子になるんだよ。―
そして真希には直接別れの電話をかけてきたのだ。
二人の妹たちは手紙を読んで泣きだしていた。
真希はなぜかこの時
今の新聞奨学生になるため、旅立ちの時、母と妹たち、定時制高校担任のヨシオ先生、受験指導をしてくれたチンタラ先生が駅のホームに見送りに来てくれたこと―
―母の淑子が、新聞配達は大変だからといって、真希の布団を打ち直ししてくれたこと―
「ヨシオ先生ね、
真希を見送りながら、目が真っ赤だったよ…俺の大学の同級生も新聞配達やってんのいたけど、みんなキツくて続かなくて学校やめてったんだ、真希はつづくかなあって言ってたよ…」
こんな母の声を思い出していた。