捨てられた娘の父、捨てた王の視線の先に
侯爵家に突然の来客があった。
執事に応接室に通すように言いはしたが、侯爵はすぐには向かわなかった。
しびれを切らして帰ればいいとさえ思っていた。
「養父さま、僕は自習しておりますから……」
養子に迎えた少年が、侯爵の顔色をうかがう。
「先触れもなく来るような客に丁寧に対応したら、どうなると思うかね?」
教師が生徒に質問するような口調で返した。
「……そういうことをしてもいい相手だと思われますか?」
一生懸命に考えて、そう答える。
「そうだね。よく気がついた。
――だから、すぐに行かないことも大切なんだ。
さあ、我が家の領地について、続きを話そう」
執事はその様子を見て、何も言わずに、客に茶菓子を追加するために退室した。
一時間以上経ち、養子に休憩を取らせることにした。
メイドにお茶の用意をするよう言いつけ、侯爵は大きなため息を吐いてから応接室に向かった。
侯爵は応接室の前で、もう一度ため息を吐いた。
自分の家だが、ノックをする。
中から返事があったので入室した。
「……お久しぶりです陛下」
侯爵は片足を引き、ボウ・アンド・スクレープで恭しく挨拶をした。
「おじさま。そのように、よそよそしくしないでください」
陛下と呼ばれた男は、寒々しい空気を吹き飛ばそうとぎこちない笑顔を作った。
「私は……この屋敷で笑い合えたあの頃だけが、私の人生で幸せな日々だったと、ようやく気付いたのだ」
「とんでもないことでございます、陛下。
身に余るお言葉に、気安く接してしまった過去を恥じ入るばかりです。
さて、本日はどのようなご用件でございましょうか」
侯爵は態度を緩めず、待たせたことに対する謝罪もしなかった。
「先触れもないとは、さぞ、緊急かつ重大な用件なのでしょうな」
侯爵の嫌味に、国王は青ざめた。
「そのように他人行儀な……。寂しいではないか、私たちの仲で――」
「はて? 国王陛下とその臣下、それ以上の関係はございますまい」
「侯爵!」
国王が堪らないといった様子で、声を上げた。
「一度は『息子』と呼んでくださったではないですか」
国王は泣きそうな顔を見せた。
それを侯爵は冷たい目で見下ろした。座るように促されていないので、立ったままだ。
「それは随分と過去の話ですな。私の娘と陛下が婚約者だった、遠い昔の話です」
「私はあの女に騙されたのだ。ああ、アンとの輝かしい日々を犠牲にして、私はあんな毒婦を娶ってしまった」
国王は両手で顔を覆い、下を向いた。
「いいえ。陛下は騙されたのではなく、選んだのです。
従順な我が娘を捨てて、妖艶な王妃殿下を。ただそれだけの話です。
アンジェリカはもう人妻でございます。愛称で呼ぶのはお控えください」
侯爵は養子の授業を途中で切り上げなくてよかったと思った。本当にくだらない。
ただの愚痴ではないか。
「あの息子は私の子ではなかった。兄上との子だということが判明した」
「そうですか。
第一王子、第二王子がみまかられ、第三王子の仕業だとわかって、陛下が立太子された。
その半年後に婚約破棄と新たな婚約。そして半年後に結婚。
更に一年後に第三王子の処刑。
幽閉された第三王子の元に王妃殿下――当時の婚約者か王太子妃が通って、子作りをするのは十分可能ですね」
侯爵は指を折りながら、計算をした。
計算中は宙を見ていた目線を国王に戻して、侯爵はこう言い放った。
「王族の血は流れているのですから、なんら問題はないでしょう」
国王は同情してもらえないことに、ショックを隠せなかった。
「私の子ではないのだぞ!」
テーブルを拳で叩いた。空になったティーカップがカシャンと音を立てる。
侯爵は国王の顔を、不愉快だという表情に乗せて見返した。
「私も弟の末子を養子にもらい、後継者教育をしている最中です。
あなたに手ひどく捨てられ、娘は社交界に出る必要のない辺境へ嫁ぎました。
普通に婚約を解消してくだされば、娘を後継者にして良き婿を捜すこともできたでしょうが」
亡き妻が残した可愛い娘を、手放すはめになったのはお前のせいだ、そう言ったも同然だった。
「あなたの嘆きは、実に聞き苦しい。聞くに堪えない。
あなたは王太子となられた途端、不遇時代を支えた我が家を、我が娘を捨てたのです。
手のひらを返す者たちに踊らされ、いい気になって忠言を遠ざけた。
あなたが選んだ結果が、今の状況を作ったのです。
なぜ、私が恨んでいないと……私に憎まれていないと思えるのですか?」
侯爵は立ったまま、腕を後ろに組んだ。
「私が不敬罪を犯す前に、どうぞお帰りください。
ああ、私が後悔するとしたら、娘が痩せ細った王の愛人の子に同情するのを止めなかったことです。
修羅の血が互いに食い殺し合う――そんな場所に、心優しい娘を関わらせたのが間違いだった」
侯爵は国王を責めていた。
これ以上私的に関わる気はないと、絶縁状を叩きつけたようなものだ。
国王は蒼白になりながら立ち上がる。
母の実家はしがない男爵家で、前王妃に睨まれて没落している。
妻の実家は――自分を傀儡として扱おうとしている。結婚した後に、それに気付いた。
安らげる場所を探してここに来てしまったが、それが間違いだったようだ。
――そう考える国王の足取りは重い。
この廊下をアンと走り抜けたなどと思い出すことも許されないのだろうか。
許されないのだろう……それを思い知らされた。
玄関を出て行く彼に、侯爵は言葉を送った。
「受けた恩を忘れ、人を利用価値でしか測らない冷たい血が、あなた様にも流れています。
どうぞ逞しく生き抜かれませ」




