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第6話 治せるの!?なんですぐに治さないの。

校舎の陰。


避難が済んだ校庭は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに空っぽだった。

遠くでサイレンが鳴って、風が砂ぼこりを運んでくる。

どこかでガラスが転がって、カラン、と小さな音を立てた。


朝倉ひかりが、宵宮ひよりを抱えるように座らせる。

ひよりは俯いたまま、肩で息をしていた。


涙の跡が頬に残っている。

指先は小刻みに震えて、狐耳も、しっぽも力なく垂れていた。

首元のチョーカーだけが、冷たい存在感でそこにある。


(……やだ)

(まだ……こわい……)


言葉にすると壊れそうで、ひよりは黙るしかなかった。


少し離れた場所で、如月かなでは校庭を見張っている。

さっきまでの白銀の装い――プリズム・セイバーの光は、もう落ちている。

けれど、姿勢だけは崩れない。目だけが周囲をなぞる。


残滓。気配。追加の敵性反応。逃走経路。

全部を拾うように確認してから、短く言った。


「……敵性反応、なし。追撃もありません」


その言葉に、ひかりの肩がわずかに落ちる。


「……よかった……」


「よくありません」


かなではきっぱり言った。冷たいのではなく、線を引く声だ。


「“今は”いないだけです。宵宮さんの状態を優先します」


ひよりは息を吸う。

吸ったのに、胸の奥が空っぽのままみたいで、うまく入ってこない。


ひかりが、優しい声を作って言う。


「ひより、聞こえる? もういない。もういないからね」


ひよりの肩がびくっと揺れる。

“もういない”って言葉が、今は信じられない。信じたいのに、身体が先に怯えてしまう。


そのとき、ふわりと気配が降りた。


げんえんさん。


ラッコみたいな丸い体が、当たり前みたいにそこにいる。

さっきまでの地獄と、この生き物の温度差が腹立つ。


「うん。じゃ、直すね」


ひよりが顔を上げる。目が赤い。

怒りと涙が、同じところでぶつかっている。


「……治せるの? なんで、すぐ治さないの……!」


声が裏返った。怒りなのに、泣き声みたいに震える。


げんえんさんは困ったように首を傾げる。


「すぐって、どうやって?」


答えを待つでもなく、げんえんさんは手のひらに塩を作り、さらさらと――ひよりの全身へ振りかけた。


肩も、脇腹も、膝も、腕も、頬も。

白い粒が細い雨みたいに落ちて、肌に触れた瞬間、薄い虹の屈折が走る。


熱が引く。痛みが遠のく。

さっきまで“ある”だけで怖かった体の重さが、少しずつ軽くなる。


ひよりの喉が、ひくりと動いた。


(……直ってる)

(ほんとに……)


ひかりが目を丸くする。


「え、なにそれ……塩!? 料理の!?」


「似てるけど、違うよ」

げんえんさんはいつもの調子で言う。

「直す用」


「直す用の塩ってなに!?」


かなでは短く言った。


「……朝倉さん、目に入らないように。宵宮さん、目を閉じてください」


「いまそれ言う……?」

ひよりが半泣きで呟いた。ゆるくて、弱い声。

自分で出した声が“戻ってきた”感じがして、余計に泣ける。


げんえんさんは淡々と続ける。


「相手をなんとかしないと無理だよ」

「それに、ぼくは戦闘員じゃないし――無理に前に出てやられたら、もう直せない」

「そしたら、ひよりは確実に死ぬ」


言い方は柔らかい。

でも内容が、いつも通り怖い。


ひよりの胸の奥が冷える。

正しい。たぶん。

でも、正しいだけで許せるほど、さっきの痛みは軽くない。


「……でも、痛かった……」

「こわかった……!」


ひかりが、ひよりの背中を撫でながら言った。


「うん……怖かったよね。痛かったよね。ひより、怒っていいよ」


かなではひよりの顔色と呼吸を見て、短く頷く。


「……げんえんさんの判断が正しいかどうかは、後で検討します」

「ただ、優先させることは一つ。宵宮さんを落ち着ける場所に」


その言葉は冷たいんじゃなくて、逃げ道を作るみたいだった。

“いまは戦場じゃない”って線を、言葉で引いてくれる。


げんえんさんも、ひよりを見て小さく頷いた。


「うん。怒るのはいいよ。怒れるってことは、生きてるってことだからね」


「それ今言う!?」

ひかりが反射で突っ込む。


かなでも低く言う。


「……言い方を選んでください」


げんえんさんは真顔で返した。


「選んだよ?」


「最悪……」


ひよりが絞り出すように言った。

怒りたいのに、身体が言うことを聞かない。


直ったはずなのに、立てない。

怖さと痛みの記憶と、泣いた消耗と、戦闘の反動が、一気に押し寄せる。


「……やだよぉ……」


声が幼く崩れた。

ひより自身が、その声に一番びっくりする。


ひかりがぎゅっと抱きしめる。


「うん、うん……大丈夫。ひより、生きてる」


「こわいよぉ……」

「いたいよぉ……っ、やだぁ……!」


泣き声が止まらない。

呼吸が乱れて、涙が勝手に落ちて――


そして泣きながら、ひよりの目が、ゆっくり閉じた。


「ひより!?」


ひかりが抱きとめる。身体がふにゃっと軽い。


かなでがすぐ寄り、脈と呼吸を確認した。


「……気を失っただけです。呼吸は安定しています」


げんえんさんが、いつもの調子で言う。


「ケガは直したけど、疲れは直せないよ」


ひかりが睨む。


「いま言わないで!!」


かなでは迷いなくひよりを抱え上げた。揺らさない角度で。

抱えられたひよりの耳が、かすかに動く。けれど目は開かない。


「宵宮さんを自宅へ運びます。朝倉さん、案内を」


「うん!」


そのとき、げんえんさんがふわりと浮き直して言った。


「……その前に、ちょっとだけ直してくるね」


かなでが足を止める。


「直す……? 何を」


げんえんさんは校舎の方を見た。

夕焼けの中、壁のひびと、割れた窓と、散った瓦礫。

そして、遠巻きに集まりはじめている人影。


「壊れたままだと、あとが面倒でしょ」

「ひよりが起きたとき、余計なことで怖くならないように」


言い方は軽いのに、妙に実務的だった。


かなでは短く頷く。


「……五分で戻ってください。こちらは先に安全圏へ」


「うん。すぐ」


げんえんさんは音もなく校庭の上へ滑り、校舎へ向かった。


かなでとひかりは、校門近くまで移動して待つ。

ひよりの寝息だけが、小さく続いていた。


――


暗い。


でも、怖い暗さじゃない。

夜の水の底みたいに、音が丸くなって沈んでいる。


ひよりは、気づいたら立っていた。


足元は黒い鏡みたいで、空は白っぽくぼやけている。

世界の輪郭だけがふわふわして、現実の重さがない。


(……わたし、どうなった)


息を吸う。

胸が痛い――痛い“気がする”だけで、実際は何もない。


それが逆に怖い。


「起きた?」


背後から声。


振り返った瞬間、ひよりは息を呑んだ。


そこにいたのは、ひよりだった。


同じ髪。

同じ目。

同じ狐耳。

ただ、表情だけが違う。


笑ってるのに、震えてる。

強気なのに、どこか泣きそうで。

“無理してる”のが、見える。


「……なに、これ」


ひよりの声が小さく落ちる。


もう一人のひよりは、肩をすくめた。


「なにって、あんたの中。……って言うとカッコつけすぎか」

「要するに、ここは“心の中”」


ひよりは喉が詰まる。


「……あなた、誰」


「“誰”って言われても困る」

「私も、あんたも、同じ」


ひよりは、首を振る。必死に。


「同じじゃない」

「だって、わたし――わたし、あんな喋り方しない」

「♡とか……ざぁことか……言わない……」


言った瞬間、恥ずかしさが腹の底から湧いて、ひよりは顔を伏せた。


もう一人のひよりは、ため息をついて――でも声は少しだけ優しくなる。


「……うん」

「それ、私のせい」


ひよりが顔を上げる。


「……え」


「口が勝手に動くやつ」

「煽りとか、♡とか、変な余裕とか」

「私の“クセ”。戦う時に、怖さをごまかすための」


ひよりの胸がぎゅっと縮む。


「ごまかす……?」


「怖いって言ったら、折れるから」

もう一人のひよりは、笑ってるのに目が揺れている。

「だから、強がって喋る。軽口にして、相手を下に見た感じにして」

「そうしないと、手が震えて、足が止まる」


ひよりは、息を飲んだ。


「じゃあ……あなたが、勝手に……」


「勝手にって言うな〜」

もう一人のひよりは、拗ねたみたいに頬を膨らませて――すぐ、真面目な顔に戻る。

「でも、うん。正確には“上乗せ”してる」

「私が前に出ると、あの口調が強くなる」


ひよりは唇を噛む。


「……やだ」

「やだよ……もう……」

「痛いし、怖いし、恥ずかしいし……」


声が震える。


「全部、やだ……」


もう一人のひよりは、その言葉を否定しない。


「うん。やだよね」

「私も、やだ」


ひよりは、はっとする。


「……あなたも?」


「当たり前」

もう一人のひよりは、視線を逸らす。

「怖いの、嫌い。痛いの、嫌い」

「なのに、守らなきゃいけない感じだけは、どんどん増える」


沈黙。


鏡みたいな床に、ふたりの影が並ぶ。


ひよりは、絞り出すように言う。


「……じゃあ、どうしたらいいの」

「わたし、もう、無理だよ……」


もう一人のひよりは、少しだけ口角を上げた。

強がりの笑い。


「……じゃあ、代わる?」

「私が前に出ようか」


ひよりの喉が詰まる。


「……だめ」


「なんで」


「だって……それじゃ……」

ひよりは必死に言う。

「わたしが、逃げたみたいじゃん……」


もう一人のひよりは、しばらく黙って――ふっと笑った。


「……逃げたいのに、逃げないの」

「そういうとこ、ほんと、同じ」


ひよりは、泣きそうな声で言う。


「……でも……できない……」

「怖いの、止まらない……」


もう一人のひよりは、ひよりの真正面に立った。


距離が近い。

同じ顔が、同じ目で見てくる。


「なら、一緒にやる」

「二人でやろうって、決めたじゃん」


ひよりの胸が、きゅっと鳴った。

なぜかその言葉だけは、胸の奥で“知ってる”感じがした。


「ルール」

もう一人のひよりは指を一本立てる。

「怖いって思ったら、私が“前に出そう”になる」

「でも、全部は奪わない」


ひよりは震えながら聞く。


「……全部、奪わない……?」


「うん」

「“手”は貸す。口も、出そうになる」

「でも、最後に踏み出すのは――あんた」


ひよりの目が潤む。


「……できる、かな……」


「できるよ」

もう一人のひよりは、きっぱり言った。

「だって、あんたはもう、守った」

「あんなに怖かったのに、誰かを庇った」


ひよりは息を呑む。


もう一人のひよりは、少しだけ近づいて――額を、こつんと合わせた。


「私は、もう一人のあんた」

「だから、逃げてもいいって言わない」

「逃げたいって言っていい。でも、戻ってくるって決める」


世界が揺れる。

白い空が遠のいて、足元の鏡が波みたいに滲む。


(起きる)

(戻る)


ひよりは最後に絞り出す。


「……口調は……」


「練習する」

もう一人のひよりは短く言った。

「煽りが出そうになったら、短い言葉にする」

「♡が出そうなら、飲み込む」

「出ちゃったら……次で取り返す」


そして、耳元で囁く。


「……あったかいの、忘れないで」

「それが残れば、折れない」


次の瞬間、光が弾ける。


ひよりは胸の奥に“あたたかさ”だけを抱えたまま――目を覚ました。


――


校門近く。


かなでの腕の中で、ひよりの指先がぴく、と動いた。

耳が小さく震え、呼吸が少し深くなる。


「……ひより?」


ひかりが顔を覗き込む。


ひよりは薄く目を開けた。

世界がぼやけて、光がにじむ。

でも胸の奥に、さっきまでなかった“あったかさ”が残っている。


(……夢……?)

(いや……)


喉が乾いて、声が出ない。

ひよりは、かすかに唇を動かす。


「……ひ……か……」


ひかりがぱっと笑う。泣きそうな顔で。


「うん、うん! ここにいる! 大丈夫!」


かなではひよりの状態を確認するように見下ろし、短く言う。


「会話は後で。いまは安全圏へ移動します」


ひよりは弱く頷いた。

怖い。まだ怖い。

でも――逃げ場がゼロじゃない、みたいな感覚が、胸の奥にある。


そのとき、上空から小さな影が戻ってきた。


げんえんさん。


「お待たせ」


かなでは校舎を一瞥した。

ひびも瓦礫も、もう見当たらない。

人々も落ち着いて、まるで最初から大事じゃなかったみたいに戻っている。


「……今のは」


げんえんさんは少し首を傾げる。


「後始末だよ。こういうの、放っておくと危ないから」


かなではそれ以上聞かない。

ひよりの呼吸をもう一度確認して、言葉を飲み込む。


「……行きましょう」




玄関前。


インターホンを押すと、すぐにドアが開いた。


「はーい……」


ママが顔を出して、かなでの腕の中のひよりを見た瞬間――顔色が変わる。


「……ひより!? どうしたの!? 早く中に!」


言い終わる前に視線がひかりへ移って、驚きが上書きされた。


「……ひかりちゃん!?」

「どうしたの、その顔……!」


ひかりは息を乱したまま、必死に頭を下げる。


「ご、ごめんなさい……! ひよりが、学校で……!」


「謝らなくていい! まずひより!」


ママは一息で切り替える。

それから、視線が横へ滑る。そこに浮いている小さな影。


「……げんえんさん」


声に、怒りと心配が混ざった。


げんえんさんは、にこっとする。


「こんばんは。ひより、がんばったよ」


「がんばったよ、じゃないのよ!」


ママはこめかみを押さえつつ、ドアを大きく開ける。


「いいから入って。寝かせる。すぐ!」


かなでが落ち着いた声で言った。


「呼吸は安定しています。外傷もありません」

「強い疲労とショックで意識を失ったものと思われます」


ひかりが震える手で、ひよりの足元を支えようとする。


「ひより……ごめん……」


その様子を見て、かなでが小さく声を落とした。


「……朝倉さん。宵宮さんとは、どういうご関係ですか」

「差し支えなければ」


ひかりは一瞬きょとんとして、すぐに思い出したみたいに言う。


「あ、そっか……如月さんは知らないんだ」

「わたし、ひよりの幼馴染。家も、昔から……」


ママが短く付け足す。


「うん。小さい頃からね。……だから余計に、顔見たら分かる」


そして、迷いなく奥を示す。


「部屋。ひよりを寝かせて。話はそのあと!」


廊下の明かりが、やけに優しい。


かなでがひよりを部屋へ運ぶ。

ひかりは靴を揃えながら、震える息を整える。

げんえんさんは当然のように一緒に入ってくる。


ママは、ひよりの頬に触れて確認してから――低い声で言った。


「……で。今日は学校で、何があったの」

「“危ないこと”だったのは、顔見たら分かる」


かなでは短く頷く。


「……次に備える必要があります」


げんえんさんも、さらっと追撃する。


「うん。次も来るよ」


ママが即座に切り返す。


「来なくていいのよ!! あとその言い方やめなさい!!」


夕焼けはもう、窓の外で色を薄めていた。

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