第4話 新たなる仲間!?プリズム・セイバー見参
夕焼けの校庭は、さっきまでの“いつも”を知らないふりをしていた。
空は綺麗で、風はやさしくて――そのくせ地面には亀裂が走り、砂埃がまだ舞っている。
宵宮ひよりは、息を吸って、吐いた。
胸元のプリズムハートコアが、虹色に脈打つ。
身体が軽い。強い。強すぎる。
背中に視線が刺さっているのが分かる。
如月かなでと、朝倉ひかり。
(見ないで)
(お願い、今は……見ないで……)
――なのに。
口は勝手に笑う。
「――さぁ、ざぁこ。おしおきの時間だよ♡」
(言うなってば……!)
虚獣――下級規格の灰兵が呻き、影の腕を振り上げた。
ひよりは一歩踏み込む。
……踏み込んだだけのはずだった。
足元がミシ、と鳴って沈む。
校庭の土に放射状の亀裂が走り、跳ねた砂が夕日に光る。
「っ……!」
(やりすぎ……!)
「宵宮さん、校舎側に向けないで!」
飛んできた声は端的で、冷たく聞こえるほど落ち着いていた。
如月かなで――会長。
ひよりの口が勝手に返す。
「命令すんな♡」
(助かる……ありがと……)
ひよりはリボンを掴んだ。
腰のリボンが、手の中でほどけて伸びる。布のままなのに刃の気配がある。
「ほらほらぁ、逃げんなって♡」
灰兵の腕に巻きつく。締まる。影が歪む。
(いける……)
ひよりは一気に引いた。
灰兵の身体がぐらつく。影が薄くなる。
かなでは同時に校舎入口を見ている。
逃げ遅れがいないか、通路が塞がっていないか。
何かあれば、すぐに線を引いて退避の導線を作る――その動きが“まとめ役”そのものだった。
ひかりの声が少し後ろから飛ぶ。
「ひよりも早く逃げて!!」
逃げる?
――今ここで?
(逃げたい)
(でも、逃げたら……)
灰兵が影の脚を滑らせるように迫る。
ひよりは拘束をさらにきつくした。
「はいはい、捕まえた♡」
(お願い、早く終わって……)
そして、今度こそ決める。
拘束して、確定切断――。
ひよりは巻きついたリボンを指で弾こうとした。
その瞬間。
空気が、いきなり静かになった。
音が消えるわけじゃない。
ただ、遠くなる。
世界に薄い膜が張ったみたいに、校庭のざわめきが“向こう側”へ押しやられる。
ひよりの耳がぴん、と立った。
「……なに」
校庭の端。影が裂けた。
そこから降りてきたのは、細い輪郭の“誰か”だった。
着地の音はない。
なのに、その場の空気だけが重くなる。
「うわ、マジでやってんじゃん。こわ〜」
砕けた声。生意気な、笑い混じり。
そいつは、ひよりの胸元――虹色に脈打つコアを見て、目を細めた。
「それ、どっから湧いたの? その虹のやつ」
(知らない)
(こっちが聞きたい)
でも口は、また勝手に。
「へぇ? ざぁこが話しかけてきてる〜♡」
ネブラは肩をすくめた。
虚無王国の幹部――四静卿のひとり、ネブラ。
「その喋り、がんばってんの? かわい〜」
次の瞬間。
ひよりは“殴られた”と理解するより先に、視界が横に滑った。
頬に熱が走って、足元が消える。
身体が宙で回転し、地面に叩きつけられる。
「――っ!!」
肺の空気が抜けた。
息が入らない。
(痛い)
(無理)
ひよりは起き上がろうとする。
立つ。踏み込む。跳ぶ。
――跳びすぎた。
軽すぎる身体が、自分の意思より先に空へ上がり、落ちる。
着地の瞬間に、校庭の土が沈み、膝が折れた。
「っ……!」
ネブラの声が、すぐ近くから聞こえた。
「おっそ」
いつの間に。
ひよりが顔を上げたとき、ネブラはもう“そこ”にいた。
「ほら、当ててみ?」
ひよりはリボンを振るう。
伸びる。硬化する。刃の気配が走る――はずだった。
途中で“布”に戻った。
ふにゃ、と情けなく垂れ、風に流される。
(……え?)
ネブラの指先が軽く動く。
薄い刻印の光が空中に“ひとつ”浮いた。
たったそれだけで、ひよりの武器が壊れたみたいに、形にならない。
「それ、気分で形変わるやつ? 事故りそうで草」
ひよりの口が、反射で噛みつく。
「は? そんなわけ――」
声がかすれた。
ネブラは、ひよりの顎を指先で押した。
“押しただけ”なのに、ひよりの身体が後ろへ吹き飛ぶ。
背中がフェンスに打ち付けられ、金属音が鳴った。
「っ……!!」
視界が白い。
耳がじんじんする。
ひよりは立ち上がろうとした。
立たなきゃ。守らなきゃ。
(ひかり……如月さん……)
校舎入口の方を見ようとして――見えなかった。
目の前の空気が歪む。距離感が狂う。
ネブラが笑う。
「見たい方向、見えないでしょ。焦るよね」
ひよりは前へ出ようとした。
足が動かない。
足元に、薄い刻印がある。
踏みつけた瞬間、鉛みたいに重くなる。
「なに、それ……っ」
ネブラは退屈そうに言う。
「逃げられないようにしといた。だってさ、面白いじゃん」
(やだ)
(こわい)
口が勝手に煽りを続けようとして――途中で折れた。
「……そ、それで勝ったつもり? だっさ……」
語尾が震えた。♡が付かない。
ネブラはわざとらしく首を傾げた。
「あれ? いつもの甘いのは? “♡”つけないの?」
(やめて)
(見ないで)
(ほんとに……やめて……)
ひよりは奥歯を噛んだ。
唇が、かすかに震える。
――そのとき。
胸の奥の“もっと奥”から、声が落ちた。
(……息。吸って)
ひよりは一瞬、理解できないまま吸った。
痛みの中に、空気が戻る。
(吐いて。……ほら、今)
吐く。
吐けた。
喉の奥に詰まっていた“恥ずかしさ”が、ほんの少しだけ退く。
(……誰)
(……でも、今の……)
返事を探す前に、声は続けた。
(怖いの、分かる。痛いのも。恥ずかしさも)
(でもさ。いま倒れたら――ほんとに終わる)
ひよりの指先が、ぎゅっと握り直される。
(……やだ)
(終わりたくない)
(うん。じゃあ――一緒にやろ)
ひよりはリボンを投げた。
布のままでもいい。絡めて引き倒す。
――絡まった。
(いける!)
ひよりが引いた瞬間、ネブラは“引かれた側”なのに、逆にひよりの身体が前へ倒れた。
引っ張ったのは、ひよりのはずなのに。
リボンの“力の向き”が、ひっくり返っている。
(なに、それ……!)
ネブラが軽く手を握る。
リボンが締まる。
ひよりの腕が引かれ、身体が空中で引きずられた。
「ちょ、ま――っ!」
地面を擦る。
フリルが砂に汚れる。
最悪の形で“見られてる”と自覚した瞬間、ひよりの頭が真っ白になった。
ネブラが笑った。
「ほら、かわい〜」
ひよりの口が、勝手に弱い言葉を吐く。
「……ざ、ざぁこ……」
(言うな)
(やめて)
ネブラはひよりの前に立ったまま、軽く首を傾げた。
「……まだ鳴く? そろそろ飽きてきたんだけど」
次の瞬間。
靴底が落ちた。
ネブラの足が、ひよりの腹を――踏みつける。
「っ……!!」
息が、声にならないまま押し潰された。
肺が折れるみたいに空気が抜けて、視界が白く跳ねる。
(やだ)
(痛い)
(息、できな――)
砂が舞う。フリルが擦れて、ひよりの身体が地面に沈む。
ネブラは体重を乗せたまま、退屈そうに言った。
「はいはい。かわい〜」
そのとき。
カツン、と乾いた音がした。
小さな石ころが、ネブラの頬の横をかすめて跳ねる。
痛くもない。けれど、意図だけは刺さる。
ネブラの視線が、すっと横に動いた。
そこにいたのは、如月かなでだった。
表情は崩していない。けれど、目だけが鋭い。
「……やめてください」
ネブラが笑う。
「え、それで攻撃したつもり? かわい〜。キミ、勇気あるじゃん」
かなでは一歩も引かない。
ひかりを背に庇う位置取りだけ、静かに変える。
ネブラは、ほんの一拍だけ、かなでを眺めた。
「目立つねぇ」
それから――わざとらしく、ゆっくりと顔を戻す。
踏みつけたまま、ひよりを見る。
「いいね。壊れかけの声、好き」
ひよりの喉が震えた。息が、ひゅ、と漏れる。
「こわい……」
「やだ……やだ……」
――ここから先は、もう内側に押し込められなかった。
声が、素のひよりの声のまま外へこぼれてしまう。
ネブラは足を浮かせた。
逃がすためじゃない。仕上げるための動きだった。
「目障りだし、そろそろ消えてもらおうか」
足が上がる。
もう一度落とせば、今度こそ――終わる。
かなでが一歩前に出かけた。
「宵宮さん――!」
ひかりの声が弾ける。
「会長!! だめ!!」
ネブラが、そっちを見た。
ひよりの胸が裂けそうになる。
「来ないで……!」
「お願い、来ないで……!」
言葉はネブラに向けたはずなのに、声は二人を止めたかった。
それでもネブラの視線が動いた瞬間、ひよりは必死に拾った。
「……こっち、見て……!」
震えていた。
強がりじゃない。頼むみたいな音。
ネブラは満足げに頷いた。
「うん。ちゃんと視線、こっちに向けさせた。えらいえらい。……かわい〜」
――また、ひよりを見る。
そして、もう一度、とどめを刺すために足を落とそうとした。
(……そこで)
胸の奥の“もっと奥”から、また声がした。
(代わる?)
ひよりの心臓が跳ねた。
(……代わるって、なに)
(やだ……そんなの……)
(ううん。取るんじゃない)
(ハンドル、半分こ。……あんたは逃げないって決めた。だから)
足が落ちる気配。
死が近づく。
(ねえ、ひより)
(怖い?)
ひよりの喉が震える。
「……こわい……」
(痛い?)
「……痛い……」
(恥ずかしい?)
「……恥ずかしい……」
(でも?)
ひよりは、泣きそうなまま――それでも絞り出す。
「……でも……守りたい……!」
(うん。じゃあ、決まり)
内側の声が、笑った気がした。
ひよりと同じ声で。ひよりより少しだけ先輩の温度で。
(私はもう一人のあんた)
(だから――一緒に立てる)
ひよりの胸のコアが、カチッと鳴る。
虹色が、ほんの少しだけ深くなる。
ネブラの足が落ちる――
その瞬間、ひよりの身体が“跳ばない”形で動いた。
地面を踏む。重心を落とす。衝撃を逃がす。
「――っ、来るなら……来い……!」
声は震えている。
でも、それは“ひより”の声だった。
足が落ちる。
衝撃が腹に沈む。視界が白くなる。
それでも――“潰れない”。
ひよりは歯を食いしばり、リボンを“切らない”形に変えた。
布のまま。厚く。幅広く。巻いて、押し返す。
(受け止めて……落とす)
ひよりの足元から、虹の屈折が地面へ逃げる。
ドン、と土が鳴り、砂が跳ねた。
ひよりは吹き飛ばされない。
ネブラが、わずかに目を細める。
「……へぇ。いまの、ちょっとマシ」
その瞬間。
かなでとひかりの前――ふたりの視界を遮るように、
小さな輪郭がふわりと滑り込んだ。
ラッコみたいな、ぬいぐるみみたいな体。
落ち着きすぎた目。
「……このままじゃ、まずいね」
げんえんさんだった。
げんえんさんは、かなでとひかりを見上げたまま、淡々と告げる。
「今、前に出たら危ない。――でもひより、このままだと死ぬよ」
ひよりの背骨が冷たくなる。
“死”という単語が、急に現実になった。
げんえんさんは続ける。
「死んだら直せない。だから――」
視線が、かなでとひかりへ向く。
「ふたり、変身を」
「……変身?」
かなでが短く返した。
その一語に、ネブラの目がわずかに光った。
「変身? なにそれ。……まだおもしろいこと残ってんの?」
かなではネブラを一瞬だけ見た。
そして、ひよりへ。校舎入口へ。ひかりへ。
状況の線を引くみたいに視線を走らせる。
ひかりは一歩前に出る。
「私も一緒に!」
「やめて……!」
ひよりの声が、また漏れた。
煽りでも強がりでもない、ひよりの本当の声。
げんえんさんが手を伸ばす。
透明な屈折の欠片が、ひかりの前に浮かぶ。
虹色の光が揺れて――
……揺れたまま、定着しない。
ぷつ、と消えた。
ひかりは固まった。
「え? え? なんで!?」
げんえんさんは申し訳なさそうに首をかしげる。
「うん……ごめん。反応しない」
ひかりは必死に叫ぶ。
「私、かわいいの好きだよ!? ほら、フリルもリボンも好きだし!」
げんえんさんは優しい声で、刺す。
「適性は“好き”では決まらないんだ」
「そんなぁ……!!」
ネブラが笑う。
「うわ、片方スカじゃん。……で、片方は反応した。おもしろ」
かなでは一度、息を吸った。
目だけが鋭くなる。感情は表に出さない。
「状況整理します」
誰に言うでもなく、言葉にして自分を落ち着かせるみたいに。
「このままだと――死者が出ます」
げんえんさんが頷く。
「うん、そうだね。ひよりは今ここで確実に死ぬ」
かなでは視線を校舎入口、ひより、ネブラへ走らせた。
撤退ラインが引けない。
守りが足りない。
この場の“最善手”は――。
かなでは結論を出した。
「……私が前に出ます」
ひかりが息を呑む。
「会長……?」
かなでは振り返らず、端的に言った。
「朝倉さん、下がって。避難の継続を」
「で、でも――」
「指示です」
その一言が、揺れを止めた。
げんえんさんが、かなでの前に手を伸ばす。
今度のプリズムコアは、星の形をしていた。銀と淡青の結晶。
光は冷たく澄んで、でも揺れない。
「君の“意思”に反応する。……守るための形だよ」
かなでは、迷わなかった。
胸元に星結晶のブローチが定着する。
白いショートジャケットが組み上がり、淡青のプリーツが翻る。
黒いレースは刺すように細く走るだけ。
腰の外套パネルが、隊長の外套みたいに揺れた。
左腕に、星章バックラー。
右手に、細身のレイピア。
背筋が、さらに真っ直ぐになる。
げんえんさんが宣言した。
「——プリズム・セイバー」
かなではレイピアを水平に構え、星章バックラーを地面へ軽く当てた。
カン、と澄んだ音。
足元から銀の幾何学ラインが走り、校庭に“線”が引かれる。
内側と外側。
戦域と退避。
撤退ライン。
かなでは落ち着いたまま言った。
「朝倉さん、退避の継続。宵宮さんは線の内側で動いて。敵は私がけん制いたします!」
ひよりは、息を呑んだ。
「如月さん……」
内側の“もう一人”が、静かに頷く気配がした。
(ほら。ひとりじゃない)
(線、見て。……線の内側で、生きる)
ネブラが目を細めた。
楽しそうに、口角を上げる。
「へぇ……」
「いいじゃん。隊長さん?」
夕焼けの校庭に、銀の線が淡く光っていた。
かなでは一歩、前へ出る。
「——線の内側で、終わらせます」




