第18話 初勝利!?対ネブラ戦
風が、冷たかった。
河川敷の草が伏せて、空の色が薄い。
ここは練習の場所――のはずなのに。
今日は、空気の手触りが違う。
ハート――宵宮ひよりの耳が伏せた。
胸の奥が、きゅっと硬くなる。
セイバーが静かに前へ出る。
スパークはいつもの笑いを引っ込めて、足先で砂利を鳴らした。
げんえんさんが空を見上げる。
言葉は短い。
「……来た」
次の瞬間。
空の端が、ふっと霞む。
霧じゃない。煙でもない。
黒に近い紺の中で、細い星屑が舞っていた。
小さいのに、目が勝手に追ってしまう光。
星屑の間に、“窓”みたいなものがいくつも浮かぶ。
透けているのに、そこだけ空気が歪む。
縁が、きらりと虹を吐いた。
その中心に、影が立つ。
白い仮面。
長い外套。
背の高さは幹部にしては低い――のに、圧がある。
影が、手をひらひら振った。
「やっほー。プリズム・ハーツ?」
声は軽い。遊園地みたいに明るい。
「今日はさ、遊びに来た〜」
「……あ、違うか。‘テスト’って言った方がカッコいい?」
わざとらしく首を傾げる。
それから、笑った。
「ま、どっちでもいっか」
「君ら、どれくらい我慢できる? それだけ見たいんだよね」
スパークが眉を吊り上げる。
「なにそれ、ムカつく〜!」
「……でも、幹部ってことは強いんでしょ」
「えらいえらい」
ネブラは子どもを褒めるみたいに言った。
声の奥が、冷たい。見下してるのが分かる。
セイバーが低く言う。
「……幹部。ネブラ」
「撤退してください。ここは――」
「訓練場?」
ネブラが遮る。
「うんうん。だから来たんだってば」
言い終える前に、窓が一つ増えた。
ぽつり、と落ちるみたいに。
ハートの背中側。
スパークの斜め後ろ。
セイバーの足元の先。
増えただけで、逃げ道が削れた気がした。
(見られてる)
視線じゃない。
立ち位置。重心。癖。息の乱れ。
ハートの右手の奥が、熱を持ちかける。
ノヴァの気配。
(溜めるな)
胸の中に、手順がある。
(溜まったら、抜く)
(抜く場所を、選ぶ)
(怖いなら、止まる)
(止まれないなら、頼る)
ハートは短く息を入れた。
「……いくよ、二人」
声は小さい。
でも、揺れていない。
スパークがうなずく。
「おっけ」
「当たりに行かないのは、守る!」
セイバーも頷いた。
「承知しました」
「……遠慮はしません」
ネブラが、にやっとする。
「はい、開始〜」
次の瞬間。
スパークが走った。
軽い。速い。風を裂く。
――なのに。
「……っ?」
足が、勝手に横へ滑る。
地面に触れてるのに、膝がねじられる。
まるで透明な糸で操り人形みたいに、身体が強制的に曲げられる。
「え、なにこれ! 体が……!」
(これ、速さが意味ない)
スパークの顔から、いつもの軽さが一瞬だけ抜けた。
腕が、意思と関係なく上がる。
ブレードを投げようとした瞬間、肘が勝手に曲がって軌道が狂う。
刃が、ありえない方向に飛んで、砂を浅く抉る。
ネブラが楽しそうに手を振る。
「かわい〜」
「もっと走っていいよ〜。ほら、右! 左!」
指先が揺れるたび、スパークの身体が右へ左へ振られる。
本人の足じゃない。
身体の“向き”そのものが奪われる。
「やめて! やめてそれ!」
セイバーが一歩だけ位置を変え、線を引こうとする――
その瞬間。
セイバーの足元に、星屑の“窓”が落ちた。
縁が虹を吐き、空気が歪む。
足を置いた瞬間、膝が勝手に曲がる。
重心が抜ける。胃が浮く。
背筋がぞわっと冷える。
「……っ」
セイバーの呼吸が、わずかに乱れた。
窓が増える。
ハートの背中側。
スパークの斜め後ろ。
セイバーの線の先。
増えた窓が全部、“身体の自由”を奪う入口みたいに光る。
触れれば、捻られる。ずらされる。崩される。
ネブラが舌足らずみたいに言う。
「そこ、好きだね」
「分かりやす〜い」
ハートの背中が冷える。
(動けば、奪われる)
(動かなきゃ、詰む)
ネブラは前に出ない。
でも、遊んでるみたいに喋る。
「ねえハート」
「撃ってみなよ。ほら、あの子……そこにいるじゃん?」
窓の歪みが一つ、スパークを“押す”。
スパークが、ハートの射線に滑り込む。
意図じゃない。
誘導された結果だ。
(……味方がいる)
胸が硬くなる。
右手が熱を持ちかける。
前回の河川敷。
砂が舞う。
スパークが吹き飛んで、動かなくなった瞬間。
喉の奥が詰まる。
指先が冷える。
ハートは右手を下げた。
熱を、強制的に抑える。
「……撃たない」
左手を開く。
アイギス。
防御の光が滲み出し、プリズム・ヴェールの形を取る。
黒にピンクが混じり、虹に屈折して揺らめく。
薄いのに、硬い。
衝撃を弾き、滑らせ、逃がす。
「プリズム・ヴェール」
ハートは薄く広く張った。
スパークが“そこにいる”こと自体を守るみたいに。
身体を奪われる場所に、触れさせないために。
守れてはいる。
でも、守るほど――前に出る手が消えていく。
スパークがぱっと身を引く。
「……ありがと!」
肺の空気を押し出して、顔をしかめる。
「ネブラのこれ、ほんとムカつく……」
それでも視線は前に戻る。
「でも、ハートのそれ、助かる!」
ネブラが、目を細めた。
「……へぇ」
「暴走しないんだ」
声は軽い。
でも、笑いが少しだけ薄い。
「優等生ムーブ? つまんな〜」
窓が、増えた。
増える速度が早くなる。
遊びが終わる。
そういう空気がした。
ネブラが一歩、前へ出る。
その一歩で、圧が変わる。
「じゃ、ちゃんとしよっか」
星屑の窓が一斉に光った。
足元が、位置が、全部が揺れる。
身体の向きすら、奪われる。
スパークが跳ぶ。
跳んだ先で、また捻られる。
「うわっ……! マジで、ムカつく!」
セイバーが線を引く。
引いた線が、窓の歪みに吸われ、角度が狂う。
線が“通らない”。
引けないんじゃない。引いても、意味が変えられる。
セイバーの足が半歩、ずれた。
踏み直す。
呼吸が短くなる。
ネブラが楽しそうに笑う。
「ほら、撃て」
「撃たなきゃ終わるよ?」
「でも撃ったら、味方に当たるかもね〜」
言葉が、胃を掴む。
(守れば守るほど、狭くなる)
ハートは左手を厚くする。
プリズム・ヴェールを一点に寄せる。
守る。守って、時間を稼ぐ。
それでも、窓は増える。
足場が削れていく。
ネブラが手を叩いた。
「いいねえ」
「守れ守れ」
「守ってる限り、君は動けないもんね」
(動けないと、終わる)
怖さは、ある。
でも、押しつぶされる前に――視線を上げる。
窓の配置。
星屑の流れ。
“落ち方”の癖。
一つだけ、置かれ方が違う窓があった。
少し高い。揺れが強い。
中心みたいに見える。
勝ち筋が見えた、じゃない。
“生き残れる穴”が見えただけだ。
(……あれ)
スパークも気づく。
視線が同じ方向へ行った。
セイバーも、同時に目線を上げた。
線で見れば、偏りがある。
ネブラは見下して笑っている。
「なに? 当ててみる?」
「当てられるなら、ね〜」
その“ね〜”のとき、ネブラの指先が止まる。
ほんの一拍。
遊びの間。
ハートは息を吸う。
右手を上げる。
喉から声が出た。
叫びじゃない。合図。
「防いで!!」
セイバーが迷わず前へ出た。
受けるための一歩。
スパークが横に滑り込み、風車ブレードを一枚だけ投げる。
狙いは敵じゃない。窓の端。
刃が掠める。
窓が揺れる。
歪みが一瞬だけ解け、配置が乱れる。
(今だ)
ハートはノヴァを撃つ。
白い線が走る。
一直線に、基点へ。
ネブラの目がわずかに見開かれた。
「……え?」
次の瞬間。
セイバーが左手を上げる。
プリズム・ヴェールを厚く、角度をつけて一点に。
ノヴァの衝撃が直撃する。
ドン、と空気が鳴った。
爆ぜる光。砂が舞う。
でも、誰も吹き飛ばない。
セイバーの足が沈む。
受け止めて、逃がす。
そして。
ノヴァの残りが、基点へ届く。
――ひび。
窓が割れた。
割れた瞬間、周囲の窓が一斉に揺らぐ。
誘導の線が、ぐにゃりと崩れる。
盤面が、崩れる。
ネブラの仮面に、ぱきん、と小さなひびが入った。
白い端が、虹色に光って割れる。
ネブラの笑いが、一瞬だけ止まる。
――その間に。
逆流した星屑が、足元を撫でる。
“ずらし”が、うまく働かない。
立ち位置が、ほんの短い時間だけ、定まる。
(……今なら)
ハートは右手を上げる。
迷っている暇がない。
二発目のノヴァが走る。
白い線は、まっすぐ――ネブラの胸元へ。
「……っ!?」
外套の内側で、光が“沈んだ”。
次の瞬間、黒い布地が内側から膨らみ――
ドン、と鈍い衝撃音が遅れて鳴った。
ネブラの肩が跳ねる。
身体が半歩、後ろへ持っていかれた。
踏み直そうとして――膝が、わずかに折れる。
「……っ、は……」
息が漏れた。
笑いの形じゃない音。
仮面のひびが、一気に走る。
蜘蛛の巣みたいに広がって、縁の白が虹色に濡れた。
――ぱきん。
白い欠片が、はっきり落ちた。
落ちた瞬間、仮面の隙間から覗いたのは――
涼しげな色の瞳と、長い睫毛の影。
笑っていたはずの口元が、初めて“引きつって”いた。
ネブラの手が反射みたいに仮面を押さえた。
隠す、というより――触れられたくないものを庇うみたいに。
窓が一つ、前に落ちる。
星屑がその位置に集まって、影を作る。
素顔は、すぐに見えなくなった。
――その背後で。
空気が、重く沈んだ。
河川敷の砂の上に、淡い刻印の光がいくつも灯る。
同じ形が、同時に。
「……なに、それ……」
声が、かすれる。
軽口じゃない。
ネブラは一歩、下がる。
もう一歩。
前に出られないから、下がる。
当たった。
けど――追い切る形じゃない。
スパークが息を飲む。
「……いまの……」
セイバーの足が、前に出かけて止まる。
届きそうで、届かない。
距離じゃない。
ハートの胸が冷える。
“次”がある。
壁の向こうに、まだ残ってる。
ネブラの声が落ちた。
短い。低い。
「……静衛」
灰色の影が前に出た。
仮面。刻印。
静かな圧。
静衛。
二体、三体。
隊列を組むように、ネブラの前に立つ。
盾だ。
スパークが歯を噛む。
「うわ、ずる!」
「護衛呼ぶの、ださ!」
ネブラが返す。
返そうとして、途中で息が引っかかる。
「……だって……」
言いかけて、止める。
窓が一つ閉じる。
星屑が薄くなる。
次の窓も、閉じる。
閉じる速度が、さっきより早い。
「……今日は、ここまで」
“遊び”の声じゃない。
切り上げの声だった。
ネブラは仮面越しに、ハートを見た。
ヒビは、まだ残っている。
虹色の光が、仮面の端で細く揺れて――消えない。
「……次」
それだけ言って、息を吐く。
「……次は、ちゃんとする」
脅しみたいなのに、余裕がない。
予告というより、歯ぎしりに近い。
次の瞬間。
窓が全部閉じた。
空気が戻る。
ネブラの影が、薄くなって消える。
――いなくなった。
風だけが残った。
星屑の匂いが、遅れて薄まっていく。
砂が、ゆっくり落ちる音がする。
静かすぎて、逆に怖い。
スパークが、遅れて声を出した。
「……え、え……」
「いまの……勝った?」
その言葉で、ハートの身体から一気に力が抜けた。
膝が笑う。
足の裏の感覚が、急に“地面”に戻ってくる。
心臓がうるさくて、耳が痛い。
耐えきれず、ハートはその場に座り込んだ。
砂利がスカートの裾に当たって、ちくりとする。
セイバーが剣を下ろす。
呼吸が、わずかに乱れている。
「……勝利です」
短く言って、ハートを見る。
「……良い判断でした」
げんえんさんが淡々と頷く。
「うん。勝ったよ」
「引かせた。……それで十分」
スパークが笑いかけて――途中で口を閉じた。
指先を握ったり開いたりして、落ち着かない。
「……でもさ」
視線を逸らしたまま、ぽつりと言う。
「僕とセイバー、結局“決め”がないままだよね」
セイバーは一度だけ、視線を落とした。
剣先が砂に触れる寸前で止まる。
「……否定できません」
「わたくしの線は、通せませんでした。読まれていた」
風が吹く。
勝ったはずの場所が、まだ冷たい。
げんえんさんが、いつも通りの声で言う。
「うん。だから今日はここでいい」
「勝てた。でも――次も同じとは限らない」
ハートは座ったまま、右手を見る。
もう熱は落ち着いている。
怖さは残っている。
でも――勝てた。
胸の奥が、遅れて熱くなる。
「……ほんとに……?」
声が小さく震えた。
スパークが、ようやく笑った。
いつもの顔に戻そうとして、少しだけ失敗する。
「ほんとほんと!」
「やったじゃん、ハート!」
セイバーは一度だけ頷いた。
「……ええ」
「あなたが、勝たせました」
ハートは座ったまま、空を見上げた。
薄い夕焼けが、さっきより少しだけ――優しく見えた。
ハートは小さく息を吐いた。
「……ありがとう」
「二人とも……防いでくれて」
セイバーが静かに頷く。
「……こちらこそ」
「信頼してくれて、ありがとうございます」
スパークが、にっと笑う。
「当然じゃん! 次も頼むね、ハート!」
「……あ、でも次はもっと邪魔するから覚悟して!」
ひよりはもう一度、小さく息を吐いて。
仲間を見て、わずかに頷いた。
風が吹く。
草が揺れる。
ハートの胸の奥が、ほんの少しだけ熱い。
怖いままでも、一人じゃない。
その事実が、今日の戦いを、少しだけ軽くした。
ハートは、風の中で呟く。
「……次も、ちゃんとやる」




