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閑話4 女王の興味

零彩の帝国ゼロクロマ――玉座の間。


床に敷かれた黒い絨毯。

高い天井。光のない空間。

壁面を走る淡い刻印光が、静かに脈打つ。


音がない。

正確には、音が“許されていない”。


その中心で、虚無王ゼロ・レグナは玉座に腰掛けていた。

白い肌。澄んだ瞳。

表情は動かないのに、視線だけが鋭い。


その前に、四静卿が跪く。


深夜侯ノクスが、帽子のつばを指で持ち上げて軽く笑った。


「報告だ、女王陛下。……街は燃えたが、命令通り壊しすぎちゃいねぇ」

「“様子見”は完了。邪魔もさせてない」


隣で、黄昏公セピアが淡々と続ける。


「観測は進行しています」

「対象群は、二から三へ増加。新規起動を確認」

「……全員、未熟。しかし、反応は興味深い」


レグナは指先を組んだまま、静かに言った。


零彩結晶ゼロクロムの純度は?」


セピアが即答する。


「上昇傾向。特に“恐怖と羞恥”の混ざりが強い」


ノクスが肩をすくめる。


「そいつぁ、悪趣味だな」


セピアは感情のないまま返す。


「効率の話です」


レグナはそこで一度だけ目を細めた。


「……狐耳の個体」


その一言で、玉座の間の空気が変わった。


静黙卿ミュートの目が、わずかに揺れる。

揺れたのは一瞬。だが、それだけで十分だった。


「――宵宮ひより」


レグナは名前を口にした瞬間、ほんの僅かに唇を引き結ぶ。

声は冷たいままなのに、内側だけがちくりと痛む。


(言った)

(言ってしまった)


「興味深いのじゃ」


たったそれだけ。

ただの分析のはずの言葉。


だが――


ミュートの胸の奥で、その言葉が勝手に“命令”に変換された。


(女王陛下が、興味を示した)


(“狐耳”に)


(なら、差し出すべきだ)


レグナは淡々と続ける。


「まだ未熟。ゆえに折れやすい」

「だが、折れぬなら――厄介になる」


セピアが静かに頷く。


「観測は継続します」


ノクスが笑う。


「俺はまた派手に遊びてぇな。燃える街は好きだ」


レグナは視線を滑らせ、ミュートを一瞬だけ見た。

ほんの一瞬。


「……ミュート」


呼ばれただけで、ミュートの背筋が伸びる。


「はい」


レグナの声はいつも通り冷たい。

だが――落ちてきたのは命令ではなく、問いだった。


「何を考えておる?」


一拍。


ミュートは答えるまでの沈黙を“整えた”。

仮面の奥の目が、わずかに伏せられる。


「…………いえ、特には」


(嘘だ)

(だが嘘は、忠誠の形にもなる)


レグナはそれ以上踏み込まない。

見逃すように、見逃しているように。


「……そうか」


たったそれだけで、視線を戻す。


だがミュートの胸の奥では、その問いが勝手に別の意味に変換されていた。


(陛下は、気づいておられる)

(それでも、言わせない)

(なら――形を整えて差し出せばいい)


報告が終わり、幹部が去る。


扉が閉じた瞬間、玉座の間に“許された静寂”が戻った。

それでも、レグナの肩はほんの少しだけ落ちる。


「……はぁ」


誰もいないはずの空間に、小さく漏れた吐息。


その吐息を、女王自身が一番嫌う。


(……今のは、ため息ではない)

(儀礼の息じゃ)

(そういうことにする)


レグナは立ち上がり、歩幅を整える。

顎を上げ、視線を落とさず、玉座の間を出た。


廊下には侍女たちが控えている。

若い侍女が反射で動きかけて、ぴたりと止まる。

学習している。いいことだ。余計なことをしないで済む。


年長の侍女――侍女長が前へ出る。


「陛下、お戻りの支度を」


侍女長の手が、外套の裾と刻印飾りを正確に整える。

他の侍女たちは距離を取る。

“素”の温度が漏れない距離を、本能で知っている。


レグナはその隙に、声を少しだけ落とした。


「……助かったのじゃ。ありがとう」


玉座の間では絶対に言わない語尾。

幼い頃から、この侍女だけが許された言葉。


侍女長は驚かない。

ただ、微かに頷く。


「お役に立てましたなら」


言葉は丁寧。

なのにどこか、含みがある。


レグナはそれ以上考えない。

考えると、胸がまたうるさくなる。


「……下がれ。必要なら呼ぶ」


声を女王の温度に戻す。


「御意」


侍女長は音もなく退いた。


私室。


扉が閉まった瞬間――鎧がずるりと剥がれた。


「…………っはぁぁ……!」


肩が落ちる。

背筋がほどける。


レグナは部屋の奥へ滑り込み、裂け目を開く。


零のれいのま


色も音も境界も薄い。

“零”だけが、静かにそこにある。


並べたはずのぬいぐるみたちが、また少し寄っている。

狐のぬいぐるみの周りに、無言で集まるみたいに。


「おぬしたちは……勝手に寄るでない」


レグナはむすっとしながら、狐のぬいぐるみを抱き上げた。

いちばん近く。いちばん大事に。


「……おぬしは、かわいいのぉ」


頬を寄せる。

返事はない。


だからこそ、怖い言葉が漏れる。


「妾が近づいたら……奪ってしまう」

「妾の零が滲めば……彩は薄れる」

「……かわいいの、消えてしまうのじゃろ……?」


黒いフリル。砂。

それでも揺れていたリボン。

その色が消える想像が、胸を刺す。


「……いやじゃ」


言った瞬間、また強がる。


「いや、妾は女王じゃ」

「いやとか言うでない」


言うでない、って言いながら――狐ぬいの耳を離せない。


「……でも」

「……お友達になりたいのじゃ」


ぽつり。


零の間は何も返さない。

だからレグナは、勝手にうなずく。


「……おぬしは、止めぬな」

「おぬしは、妾にやさしい」

「……ずるいな」


そのとき、零の間の外――私室側で、薄い気配が動いた。


侍女長だ。

呼んでいないのに、来る。

――来られる。


「……陛下」


侍女長の声は境界の外で止まる。

零の間に踏み込まない。

踏み込めば、レグナが震えると知っている。


「四静卿より、追加の提出が届いております」


「……置いておけ」


女王の声で答えたあと、少しだけ温度を落とす。


「……あとで読むのじゃ」

「いまは……むりじゃ」


侍女長は一拍置く。


「承知いたしました」


――その一拍の間、侍女長の視線が、閉じた裂け目の縁に触れた。

“そこに何があるか”ではない。

“境界がどこにあるか”を正確に測るように。


確かめて、すぐ戻る。何事もなかったように。


レグナは気づかぬふりをした。

気づいたら、零の間がもっと寒くなる。


「……下がれ」


「御意」


気配が消える。


レグナは狐ぬいを抱きしめたまま、ちいさくつぶやいた。


「……妾、かわいくなりたい」

「……だめかのぉ……?」


零の間は何も返さない。


その頃――別の場所。


静衛たちが整列する暗い廊下。

灯りは少ない。足音もない。


ミュートは、そこに立っていた。

手元には、淡い刻印が浮かぶ指令書。


「対象:宵宮ひより」

「優先:捕獲」

「条件:殺すな。壊すな。逃げ足を消せ」


静衛の一人が、無機質に問う。


「……女王陛下の許可は?」


ミュートは、ほんの一瞬だけ止まった。


あの問いが、胸の奥で反響する。


――何を考えておる?


ミュートは声を出さないまま、内心でだけ答える。


(陛下のために、整える)

(陛下が“興味深い”と言ったものを、陛下の前へ)


仮面の奥で目を細め、短く言った。


「必要ない」


短い。硬い。

それが単独行動の宣言だった。


静衛たちは迷わない。

命令があれば動く。

そこに“誰の命令か”の疑問はない。


ミュートは歩き出す。


(陛下は気づいておられた)

(なら、なおさらだ)


(余計な言葉は要らない)

(形を整え、差し出すだけでいい)


ミュートの胸の奥で、ひどく個人的な欲が静かに燃えた。


「狐耳……」


小さく呟いて、すぐ消す。


そして、廊下の闇に命令が落ちる。


「出る」


静衛が一斉に動いた。

音もなく。影のように。


その背中を見送りながら、ミュートは心の中でだけ、冷たく確信した。


(これは、忠誠だ)


忠誠という名の――暴走だった。

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