第12話:三つ目の輝き!?退院の日
病院のロビーは、消毒液の匂いが薄く残っていた。
白い床。白い壁。白い天井。
——白いのに、あの日の灰色がまだ目の奥に残っている気がする。
二日しか経っていない。
「……天真さん、歩けますか。無理はしないでください」
如月かなでが、いつもの落ち着いた声で言った。
でも、視線だけはずっと鋭い。周りを見て、出口を見て、人の流れを見ている。
「大丈夫大丈夫。いけるいける!」
天真そらは笑って返した。
笑ってる。明るい。いつも通りに見える。
けど、歩幅が小さい。
膝から下が、ほんの僅かに遅れてついてくる。
本人は“気にしてない”顔をしてるけど、痛みをごまかす癖が滲む。
その横で、朝倉ひかりが手を貸していた。
「急がなくていい。ほんとに。焦ったら転ぶ」
「えー、ひかりって心配性〜」
「心配してるの。君がまた倒れたら、私が泣くから」
ひかりの声は冗談っぽいのに、目が冗談じゃない。
二日前、ベッドの上で焦点の合わない瞳を見た。
もう二度と見たくない、という顔だ。
そして——
宵宮ひよりは、少し後ろを歩いていた。
胸が重い。
理由はいっぱいある。
そらが傷ついたこと。
自分が守り切れなかったこと。
敵が“採取”と言ったこと。
そして、自分が変身して戦った“現実”が、もう当たり前みたいに続いていくこと。
首元のチョーカーが、服の内側で冷たく存在を主張する。
(今日も、普通にしたい)
そう思うほど、普通じゃない。
「……宵宮さん」
かなでが一瞬だけ振り返る。
“気づいてる”視線。
「……大丈夫、です」
ひよりは言った。
大丈夫じゃないのに、言い方だけは大丈夫にした。
その時。
ふわ、と白い影が横に浮いた。
げんえんさんが、当たり前みたいな顔でついてきている。
「外に出たら、周囲を見てね」
「それ今言う!? 怖いから!」
「分かりやすいでしょ」
「分かりやすいのが嫌なの!!」
そらがげんえんさんを見て、眉をひそめた。
「……ほんとに何者なんだよ君。浮いてるし……」
「補助担当」
「補助担当って言われても意味わかんない!」
「意味はあとで分かるよ。たぶん」
「たぶん!?」
ひかりが小さく息を吐いて、間に入る。
「……天真さん。今は歩くのに集中して。ほんとに」
「う、うん……」
そらは一瞬だけ口をつぐんだ。
素直に引く。こういうところが、そらの“根の繊細さ”だった。
かなでは出口のガラス扉を見ながら言った。
「……外は遮蔽物が少ない。戻る導線を先に作っておきます」
言い切る前に、げんえんさんが軽く首を傾げた。
「来るよ」
「言い方!!」
ひよりが反射で叫ぶ。
叫んでから気づく。声が少し震えている。
げんえんさんは悪気なく言い直した。
「来ても、戻れるように気をつけよう」
「そういうことじゃなくて!」
そらが笑いかけて、でも笑いが途中で止まった。
「……ねえ。なんか、空気……」
出口の向こう。
駐車場のアスファルトが、光を反射しているだけのはずなのに。
——景色が、薄い。
色が一枚、抜けたみたいに淡くなる。
音が遠い。人の話し声が、ガラス越しみたいに薄くなる。
ひよりの耳が伏せた。
喉の奥が冷たくなる。
げんえんさんの声が落ちる。
「来たよ」
かなでが、すぐにひかりを見る。
「朝倉さん、避難誘導。院内へ戻す導線、確保してください」
「うん!」
ひかりはすぐ動いた。
扉の横に立って、通行人に声をかける。
「すみません、ちょっと中へ! 今、外——」
言い切る前に。
ぱき、と。
アスファルトの“継ぎ目”が、割れた。
割れたというより、開いた。
灰色の液体が滲むみたいに、そこから影が立ち上がる。
灰兵。
無機質な兵の列。
“地面から湧いた”としか言いようがない出現。
そらが息を呑んだ。
「……なに、あれ」
そして、列の奥。
一体だけ、質が違う。
灰じゃない。
輪郭が“整って”いる。
無駄のない姿勢。無駄のない呼吸。無駄のない視線。
白い仮面。黒い外套。
腕の所作がやたら綺麗で、怖いほど丁寧。
かなでが低く言った。
「……上級個体。観測タイプです」
ひよりの背筋が冷える。
“観測”が、いちばん嫌なやつだ。
仮面の個体は、ゆっくり顔を上げた。
こちらを見る。
見ているのに、感情がない。
「——観測を開始します」
声は低い。
上品で、無機質で、静か。
かなでが一歩前へ出る。
「全員、院内へ。今すぐです」
ひよりは、首元に手を伸ばした。
(逃げないって決めた)
冷たい石に指が触れる。
カチッ。
世界が一瞬、虹色に歪んだ。
光のライン。薄い紋様。屈折。
ローズピンクと黒のフリルが形になる。
「——プリズム・ハート!」
声が勝手に名乗りを作る。
恥ずかしさが胸を刺す。
でも、足は前に出た。
同時に、かなでも動く。
淡青の光が走り、境界の“線”が引かれる。
盾が現れる。剣が握られる。
「プリズム・セイバー。戻る場所を作ります」
二人の変身が、あまりにも自然で。
だからこそ、そらの目が大きく見開かれた。
「……え」
「え、うそ……ひより、会長……!?」
ひよりが一瞬だけ、そらを見る。
見てしまう。
見られている現実が苦しい。
「見るな!」
口が勝手に強がる。
(言うな、今それどころじゃない……!)
仮面の観測官が視線をゆっくり二人の胸元をなぞった。
“石”の位置。
“線”の揺らぎ。
二つの波形を、数えるみたいに。
そして、動いた。
速い。派手じゃないのに、怖い。
一歩。
それだけで距離が消える。
プリズム・セイバーの線が光る。
境界が空気を“仕切る”。
——なのに。
観測官は、その“線”の端を、指先で軽く撫でた。
角度が、数センチずれる。
それだけで、境界の意味が薄れる。
線の「支え」が、ふっと抜ける。
「——っ」
かなでの眉が僅かに動く。
壊していない。削ってもいない。
ただ“成立条件”をずらしただけ。
観測官は、上品に手を引いた。
「……美しい仕組みです。ですが——」
言葉が終わる前に、ひよりへ視線が移る。
プリズム・ハートがリボンを広げる。
布として、壁として。
観測官はリボンの“結び目”を見た。
そして、軽く指を弾いた。
結び目が、別の結びに“勝手に変わる”。
「……え」
ひよりのリボンが、一瞬、言うことを聞かない。
焦った瞬間、観測官の手が胸元へ伸びた。
プリズムコア——ハート石のあたり。
「っ!!」
ひよりは反射で下がる。
跳ぶ。
跳びすぎる。
着地でアスファルトがひび割れた。
(加減——!)
観測官は、避けもしない。
ただ、受け流すように体を半歩ずらす。
“押されてる”感じがない。
逃げているのではなく、舞っているみたいだ。
そして、地味に痛い攻撃が飛ぶ。
手首。肘。足首。
殴るんじゃなく、角度を奪う。
「う、っ……!」
ひよりの足が一瞬、もつれる。
転びそうになる。
かなでが線を引き直す。
「プリズム・ハート、内側へ! 戻って!」
「分かってる!」
分かってる。
分かってるのに、相手が“分かり方の上”にいる。
そらは、その場に立ち尽くしていた。
院内へ戻るべきだと分かっている。
でも、目が離せない。
ひかりが、そらの腕を掴む。
「天真さん、中へ! 今は——」
そらは、ひかりの手を握り返した。
「……ひかり」
声が震えているのに、笑おうとしている。
「僕さ。今、逃げたら……また、置いてかれる気がする」
「そんなこと——」
「分かってる!」
そらが、珍しく強い声を出した。
「分かってるんだよ。怖いんだよ。でも——」
目が、ひよりを見る。
かなでを見る。
“前に出てる”背中を見る。
「僕だけ、ずっと外だった」
その言葉が、胸に刺さる。
ひよりの動きが一瞬遅れた。
観測官がその隙を見逃さない。
指先が、リボンの根元へ。
リボンが、引き裂かれるように弾ける。
衝撃が腕に返り、ひよりの体がよろける。
「っ……!」
かなでが間に入ろうとする。
でも、線がまたズレる。
観測官が“角”を撫でたせいで、境界の支えが甘い。
「……っ!」
かなでが踏ん張る。
ひかりが叫ぶ。
「会長!! ひより!!」
その叫びが届くより先に、観測官の影が二人の間に落ちた。
美しい。
無駄がない。
なのに、容赦がない。
ひよりが歯を食いしばる。
(やだ)
(やだやだやだ——でも、やるって決めた!)
その時。
そらが、前に出た。
足を引きずりながら。
痛みをごまかす笑いを、今は捨てて。
「やめろ!」
ひかりが止めようとする。
「天真さん!!」
そらは振り返らない。
「僕だって——!」
言葉が喉で詰まる。
怖い。
怖くて、心臓が痛い。
でも。
(心が痛いのは、もっと嫌だ)
そらは、息を吸った。
「僕にも……戦う力があれば……!」
その瞬間。
げんえんさんが、ふわりとそらの横へ浮いた。
「じゃあ、試してみる?」
そらが目を丸くする。
「……え」
ひよりとかなでの動きが、一瞬止まる。
「——なにを」
げんえんさんは淡々。
「起動」
「ちょ、待っ——!」
かなでが止めようとする。
手順。安全。確認。
その全部が必要だと分かっているからこそ。
でも、観測官がその“止め”すら崩す。
かなでの足元の線が、また数センチずれる。
境界が不安定になる。
「……っ!」
かなでが踏ん張る。
ひよりは叫ぶ。
「げんえんさん、何して——!」
げんえんさんはそらを見るだけ。
「守りたいって思って。強く」
そらの喉が鳴った。
守りたい。
——この場の誰か。
ここにいる人たち。
置いていかれたくない気持ちごと。
そらは、震える声で言った。
「……僕、ひとりぼっちは嫌だ」
言った瞬間。
胸の奥で何かが“鳴った”。
カチッ、じゃない。
もっと柔らかい。
心の奥で、小さく鳴る合図。
光のラインが走る。
薄い紋様が肌の内側から浮かぶ。
黄色と赤が、稲妻みたいに弾けた。
そして、そらの口が勝手に名乗る。
「——プリズム・スパーク……!?」
げんえんさんが、うんと頷いた。
「うん。君の名前はプリズム・スパークだね」
同時に、胸元が熱くなった。
視界が一瞬、眩む。
次の瞬間——手の中に、重みが現れる。
——風車みたいな刃。
稲妻の形をした、チャクラムにも似たブレード。
「うわっ、なにこれ!!」
握ってる。握らされてる。
でも、離せない。
黄色の外装はチーム統一の黒をベースに、黄と赤が走る。
甘さは残るのに、スポーティで、軽い。
風が纏わりつくみたいに身体が軽い。
ひよりが目を見開いた。
「え、変身——!?」
かなでも、珍しく言葉が遅れる。
「……起動、した……?」
観測官の視線が、ほんの僅かだけ揺れた。
二つだった波形に、もう一つが重なる。
“数え終えた”ように。
そして、すぐに温度が戻る。
「……ほう。三つ目が鳴った」
声が静かに落ちる。
「面白い。これで新たな“記録”が取れる」
その言葉が、妙に背筋を冷やした。
スパークが動いた。
速い。
速すぎる。
「いけるいける!!」
口癖が出る。
出た瞬間に、スパークの体が前へ飛んだ。
「ちょ、待って、僕、足——!」
言い終わる前に。
ブレードが手を離れた。
ブーメランみたいに回る。
回りすぎる。
「うわぁぁぁぁ!!」
そして——
ゴン。
プリズム・ハートの後頭部に、いい角度で当たった。
「っっっっ!?!?」
ひよりの声が変な声になる。
「いったぁぁぁ!? 何してんの!?」
スパークが目を丸くして、泣きそうな顔で叫ぶ。
「聞いてない!! 勝手に飛んだ!!」
かなでが即答で返す。
「聞かなくても分かってください!」
「無理だよ!? 初めてなんだよ!?」
ひかりが、院内への誘導をしながらも叫ぶ。
「今それどころじゃない!!」
その通りだった。
観測官が、スパークの“乱れ”を見逃さない。
手首の角度を奪う。足の向きをずらす。呼吸の拍を崩す。
スパークは、軽い。
軽いから、崩れると一気に転ぶ。
「うわっ——!」
スパークが地面に手をついた。
膝が痛いはずなのに、体は勝手に動く。
そのギャップが怖い。
ひよりが歯を食いしばる。
「スパーク! こっち来て!!」
「スパークって呼ぶな!!」
「今名乗ったのそっちでしょ!!」
スパークが涙目で走る。
走り方が変だ。痛みを庇ってる。
でも、変身が痛みをごまかしてしまってる。
かなでが線を引き直す。
「スパーク、内側へ! 前に出ない!」
「“戻ってくる”のが仕事です!」
「む、無理……! 体が勝手に——!」
観測官が、ほんの少しだけ手を上げる。
灰兵が一斉に動く。
数で圧をかける。
逃げ道を削る。
ひかりが、院内へ押し込んだ人たちを振り返り、歯を食いしばる。
悔しさが喉まで上がる。
でも、手は止めない。
ひよりはリボンを硬くする。
結び目を“自分で”締め直す。
さっき崩された感覚を思い出し、逆に“崩されにくい形”へ変える。
かなでが一歩前へ。
「……目的は何ですか」
観測官は、優雅に受け流しながら答える。
「観測です」
「殺す気は?」
「ありません」
その言い方が、逆に怖い。
「崩せば足ります」
ひよりの背筋が冷える。
スパークが、ふっと笑った。
「……崩すってさ。最低だね」
軽口にしようとして、声が震える。
怖い。
でも、怖いまま言う。
「僕、最低って言われるの嫌いなんだよね」
スパークが、ブレードを投げた。
今度は狙う。
狙ってるつもり。
でも回転が暴れる。
ひよりが叫ぶ。
「ちょ、回転数!!」
かなでが即答。
「制御してください!」
「無理だって言ってる!!」
でも、その“無理”が、ほんの一瞬だけ噛み合った。
ブレードが、観測官の仮面の横を掠めた。
ほんの僅か。
傷にならない程度。
それでも。
観測官の指が止まった。
空気が、少しだけ重くなる。
スパークが、息を吸った。
ひよりが、すぐに前へ出る。
「今!!」
リボンが伸びる。
結び目を“相手に触らせない”形で。
線の内側で、引っ張る。
かなでが境界を固定する。
「支えます。今です!」
スパークが叫ぶ。
「いけるいける! ——たぶん!!」
「たぶん言うな!!」ひよりが叫ぶ。
三人の動きが、一瞬だけ揃った。
揃った瞬間。
観測官は、静かに息を吐いた。
「……よろしい」
そして——
リボンの結び目が、また別の結びに変えられる。
線の角度が、数センチずれる。
スパークのブレードの回転が、僅かに“外”へ逸らされる。
崩れる。
崩される。
三人が体勢を立て直す前に、観測官が一歩下がった。
「記録は十分です」
淡々と告げて、視線がスパークへ落ちる。
「新しい音は、騒がしい。良い」
スパークが歯を食いしばる。
「褒めてるの? それ」
観測官は答えない。
ただ、灰兵に手を振る。
灰が舞う。
継ぎ目から滲む影が、地面に吸い込まれていく。
撤退。
あまりにも綺麗な撤退。
消える直前、観測官はひよりたちに静かに言った。
「次は、もう少し“整った記録”を」
その言葉だけ残して、灰が消えた。
——色が戻る。
音が戻る。
病院の空気が、現実に戻ってくる。
ひよりの膝が少し崩れた。
変身が解ける。
フリルが消え、重さが戻る。
かなでも変身を解いた。
息が浅い。
でも姿勢は崩さない。
スパーク——そらも、数秒遅れて変身がほどけた。
黄色が消え、ブレードの重みが消える。
同時に、痛みが戻る。
「……いった……」
そらが膝を押さえて、笑った。
笑ったけど、目が濡れてる。
ひかりが駆け寄る。
「天真さん! また無茶——!」
言いかけて止まる。
止まる理由は、そらの顔だった。
怖かった。
痛かった。
でも、逃げなかった顔。
ひよりが、そらの前にしゃがむ。
言葉が出ない。
責めたい気持ちと、ありがとうがぶつかる。
そらが先に言った。
「……ごめん」
そして、続けて。
「でもさ」
「ひより、会長……本当に、戦ってたんだね」
二日前の現実が、ここで完全に“確定”したみたいに。
そらは息を吐く。
「僕、怖かったよ」
笑おうとして、笑えない。
「でも……心が痛いのは、もっと嫌だった」
少し離れたところで、ひかりが立ち止まっていた。
拳を握ったまま。
声にできないものを、飲み込んだまま。
かなでが、そらを見る。
いつもの冷静さで、でも少しだけ柔らかい声で言った。
「……天真さん。まず座ってください」
「怒ってる?」
「……怒ってはいません」
一拍置いて。
「ですが、次に同じことをしたら怒ります」
そらが、少しだけ笑った。
「……うん。分かった」
げんえんさんが、いつもの顔で頷く。
「生きてるなら、次を選べる」
ひよりが睨む。
「その言い方、怖いからやめて」
「分かりやすいでしょ」
「分かりやすいのが嫌なの!!」
ひよりの声は震えてる。
でも、ちゃんと怒れてる。
それが、少しだけ“前より強い”。
そらが、ひよりを見て言った。
「……ねえ、ひより」
「……なに」
「僕さ」
言葉が詰まる。
重い沈黙が怖い。
でも、今日は逃げない。
「……ひとりぼっちは、やだ」
その一言が、病院の前の空気に残った。
ひよりは、すぐに返せなかった。
返せない自分が悔しい。
でも。
目を逸らさずに言った。
「……分かった」
たったそれだけ。
それだけで、そらの肩が少し落ちた。
かなでが小さく頷く。
「話は、落ち着いてから。まずは——安全確保です」
ひかりが、悔しさを飲み込んだまま言う。
「……うん。帰ろ」
誰も口にしない。
でも全員、同じことを思っていた。
——三つ目が鳴った。
そして敵は、それを“記録”した。
次はきっと、もっとやばい。
それでも。
逃げ足は、もう残っていなかった。




