第10話 退院の日!?ノクス襲来。
敵が、数日おとなしかった。
それは平和じゃない。
ただの――“溜め”だ。
宵宮ひよりは、その数日を「何も起きない日」としては過ごせなかった。
首元のチョーカーに指が触れるたび、冷たい感触が現実を連れてくる。
(次が来たら)
(また、勝手に口が――じゃない)
(わたしが、決めてやる)
その数日で、三人は「次に来たときの動き」を決めた。
逃げる順番。守る順番。連絡の順番。
そして――ひよりが一番怖いところも、ちゃんと“作戦”に入れた。
「見られたくない」
その弱さを、無かったことにしないで。
⸻
放課後の体育館裏
人気のない壁際に、かなでが白いテープで線を引いた。
一本。二本。三本。
まっすぐな線が、地面に増えていく。
「この線の内側だけで動きます」
「跳びすぎない。壊しすぎない」
「足の置き方を覚えるためです」
ひよりは、口を尖らせた。
「……それ、練習っぽくない。地味すぎ」
「地味が勝ちます」
かなでは淡々と答えた。
ひかりはテープの端を押さえながら、妙にやる気がある。
「よし! じゃ、ストップウォッチ係やる!」
「うち、避難誘導もあるし、こういうの得意!」
ひよりは目を逸らした。
(この二人の前で“地雷系の格好”なのが、まだ無理なんだけど)
げんえんさんは塩の袋を抱えたまま、怖いほど普通の声で言った。
「ひより。今日は“勝つ練習”じゃないよ」
「“死なない練習”だよ」
「言い方!!」
「分かりやすいでしょ」
分かりやすすぎて嫌だった。
でも――やった。
かなでの「線」に合わせて動くと、ひよりの跳びが少しだけ収まった。
着地のたびに地面が割れそうになる恐怖が、少しだけ薄まる。
(……できるじゃん)
(わたし、調整できるじゃん)
たったそれだけで、胸の奥に小さな芯が残った。
⸻
そして今日。
ママが退院できる日。
駅前。
三人は病院へ迎えに行く途中だった。
空は明るいのに、ひよりの胸の奥はずっと重い。
(ママ、白髪のまま……)
(でも、笑ってた)
(大丈夫って言ってた)
ひよりは歩きながら拳を握る。
(また、ママに――)
そこで思考を切る。
(違う)
(わたしがやる)
ひかりが振り返って、嬉しそうに言った。
「ね、ひより! ほんとに今日だよ! 退院!」
「……うん」
ひよりは頷いた。声が少し震えた。
かなでは前を見たまま、周囲を観察している。
いつも通り冷静で、だからこそ怖い。
「……静かすぎます」
「嫌な静けさです」
「やめて……」
ひよりが小声で言うと、げんえんさんがふわりと横に浮いた。
「静かは静かだよ。うん」
「でも今日の静かは、“嵐の前”の静かだね」
ひよりの背中が冷たくなる。
「……なにそれ」
げんえんさんは言い切らない。
言い切らないのが、一番怖い。
⸻
――その瞬間。
ぱちん、と空気が弾けた。
焦げた匂い。
火花の音。
そして、やたら陽気な声。
「Party timeだ、野郎ども!」
駅前の自販機の前に、男が立っていた。
つば広ハット。ロングコート。
黒基調の服に、暗いワイン色の差し色。銀のアクセ。
腰の左右ホルスターに、二丁の拳銃。
片手にはウイスキーの小瓶。
笑っているのに、目が鋭い。
「Yo。噂の街、ここか?」
「色も音も――いいねぇ。燃える」
げんえんさんの声が、少しだけ低くなる。
「……四静卿。幹部だよ」
かなでの肩がわずかに前へ出た。
ひかりが息をのむ。
男は自分の胸を指で叩く。
「深夜侯」
「気軽に“ノクス”でいいぜ」
笑いながら、二丁の銃をくるりと回す。
「安心しろ。露骨な弱い者いじめは好みじゃねぇ」
「……ただ、今日は“様子見”だ。場を確かめたい」
ひよりの背筋が冷える。
“様子見”が、軽すぎて怖い。
ノクスはウイスキーをひと口飲み、肩をすくめた。
口角が上がる。
「正直、子守りは得意じゃねぇけどな……」
(遊びじゃない)
(命懸けだよ)
かなでが短く言った。
「ひかり、退避誘導を。今すぐ」
「う、うん! 分かった!」
ひかりは頷いた。けれど――ひよりを見て、足が止まる。
「ひよりも、早く逃げて!!」
ひよりは首を振った。
自分でも驚くほど、はっきり。
「ひかり、お願い。先に」
「……え」
「大丈夫。……行けるから」
ひかりの目が揺れる。
でも頷いた。泣きそうな顔のまま、走り出す。
「……ひよりお願い!!」
ノクスは、その背中をちゃんと見送った。
ちゃんと。
「いいね。仲間思い」
「俺、そういうの嫌いじゃねぇ」
そして、視線がひよりに戻る。
「さぁ、どうする? 子狐ちゃん」
呼び方が軽い。
舐めている。
げんえんさんが、ひよりにだけ聞こえる声で言った。
「……足止め役だね」
「誰かが別で動いてる」
ひよりの喉が詰まる。
(別で……?)
かなでが、同じことを感じ取ったみたいに一瞬だけ目を細めた。
「何をしに来たんです」
ノクスは楽しそうに肩をすくめる。
「今日は“様子見”」
「……それと、邪魔が入らないようにしろって言われてる」
一拍。
ひよりの背中が、さらに冷える。
(やっぱり)
(裏で何かしてる)
ノクスは笑って、銃を軽く掲げた。
「ま、俺は派手にやるのが仕事だからよ」
「こっちに目ぇ向けてろ。燃えろ燃えろ!」
⸻
ひよりは首元のチョーカーに触れた。
冷たい感触。
恥ずかしい。
怖い。
でも――。
(わたしが決める)
「……変身」
虹の屈折が弾け、光のラインが全身を走る。
薄い紋様が浮き、ローズピンクと黒のフリルが形になる。
プリズム・ハート。
息を吸って、吐いて――前を見る。
「……通さない」
ノクスが口笛を吹いた。
「Cute」
二丁の夜宴銃が跳ね上がる。
――ドン。
火球が地面に当たり、爆ぜた。
爆音と火花。
でも被害が最低限で止まっている。
(狙ってる……“場”を作ってる)
ノクスは火花散弾を撒く。
ぱぱぱぱっ、と視界が火花で埋まる。
熱じゃない。圧だ。テンションの暴力。
「燃えろ燃えろ!」
「止まったら置いてくぞ!」
プリズム・セイバーが淡青の線を引く。
境界が走り、足元が少しだけ“安定”する。
「プリズム・ハート、線の内側へ!」
「深追いはしない、初動だけ!」
「……分かってる!」
ひよりは、昨日までの自分と違う。
ちゃんと線の内側に足を置く。
跳びすぎない。踏み込みすぎない。
(練習、意味あった……!)
リボンブレードを“布”にして広げ、火花を受け流す。
端が焦げる。
(焼かれる――!)
そこへ火線。
牙みたいな一直線が走り、布の端が裂けた。
「っ……!」
ノクスが踏み込む。
突破の速度。止まらない一歩目。
(早い!)
ひよりは反射で跳びそうになって――踏みとどまった。
(跳ぶな!)
線の内側。
足を滑らせて距離を稼ぐ。
ノクスが笑う。
「お。ちょっと“整って”きたじゃねぇか!」
――投げナイフ。
派手じゃない。正確すぎる。
足首。腱。武器落とし。
ひよりの耳がぴくりと動く。
聞こえた。見えた。
リボンを細く伸ばして、ナイフの軌道を叩き落とす。
カン、と乾いた音――の直後。
もう一本が、死角から来る。
(――っ)
回避が間に合わない。
ひよりは“跳ばずに”体をひねる。
刃が、腕の外側を浅く裂いた。
じわ、と赤い線。
痛みは遅れて、熱く刺す。
「……っ!」
ノクスの眉が上がる。
「反応いいじゃん」
「でも――止まんなよ?」
プリズム・セイバーのバックラーが光る。
薄い星紋が足元に浮き、ひよりの動きがさらに“揺れにくく”なる。
「プリズム・ハート、戻って!」
「線の内側!」
「うん!」
ひよりは戻る。
戻りながら、リボンを“硬く”変える。
狙いはノクスの手首。
銃を落とさせる。
ノクスは受け流す――つもりだった。
リボンが銃口に“巻きついた”。
左右同時。ぴたりと。
「……は?」
ノクスの声が、初めて低くなる。
ひよりは息が苦しい。
怖い。震える。
でも、言葉は逃げなかった。
「……舐めてたでしょ」
指先で、弾く。
――バチン。
リボンが硬くなり、銃の向きだけをねじ曲げる。
火球が空へ逸れて爆ぜる。
ノクスが舌打ちする前に、もう一発。
リボンが足首を取る。
膝の向きを崩す。
同時に、もう片方がコートの裾を縫い止めた。
「っ……!」
地面に縫い付けられたみたいに、動きが止まる。
ひよりは、もう一度息を吸う。
「……こっちは、もう前のままじゃない」
ノクスの笑いが消えた。
目が鋭くなる。
「……いいね」
「遊びじゃなくなってきた」
火宴刻印が跳ねる。
火花が連鎖し、拘束が燃える。
リボンが焦げる前に、ひよりはほどく。
深追いしない。決めた。
(ここで欲張ったら、やられる)
かなでの声が飛ぶ。
「プリズム・ハート、戻って!」
「……分かってる!」
⸻
ノクスは一歩下がった。
“様子見”の顔に戻す。
「なるほどな」
「……セピアを押してたあいつはいねぇのか?」
「あいつがいれば、もう少し楽しめたのにな……」
ウイスキーを軽く振って、肩に乗せる。
「今日はここまでだ」
ひよりが叫ぶ。
「逃げるの!?」
ノクスは笑った。
「撤退は負けじゃねぇ」
「……ただの指示だ」
ひよりの背中が冷たくなる。
ノクスは肩をすくめる。
「女王命令。今日は壊すな、殺すな、深追いするな」
「俺の役目は、お前らを“ここに縛る”だけ」
一拍置いて、楽しそうに続けた。
「別の連中が“仕事中”でよ」
「邪魔されたら困るんだとさ」
火花がぱちん、と散る。
ノクスの姿が薄れる。
消える直前、ノクスはひよりに指を向けた。
「またな」
「次はもっと派手にやろうぜ。燃え尽きるくらいにな」
火花が消え、街の音が戻った。
⸻
プリズム・ハートの力が抜ける。
変身が解け、ひよりは膝に手をついた。
(……止めた)
(逃げなかった)
腕の浅い傷が、じんと痛む。
でも、胸の奥に小さな芯が残っている。
かなでは周囲を確認する。
「……敵性反応、なし。追撃もありません」
「……ですが、嫌な感じが残っています」
げんえんさんが小さく頷いた。
「うん。裏が動いてる」
ひかりが遠くから戻ってくる。
息を切らして、泣きそうな顔で。
「ひより! 大丈夫!? 会長も!」
「……大丈夫じゃない」
ひよりは正直に言った。
でも、顔を上げる。
「でも、行ける」
「……迎えに行く」
かなでが頷く。
「行きましょう。退院の日です」
げんえんさんが、いつもの声で言う。
「うん。間に合ったね」
「……“あっち”が終わる前に」
「その言い方やめて!!」
ひよりは叫んだ。
⸻
病院
病室の扉を開けた瞬間、ひよりの呼吸が止まった。
ママが立っていた。
髪は全部、白い。
でも、目はママだ。声もママだ。
「……ひかりちゃん」
少し間を置いて、頷く。
「……うん、大丈夫」
ひかりが泣きそうに笑う。
「よかったぁ……!」
ひよりは言葉が出なくて、ただ近づいた。
ママがひよりの頭を撫でる。
その手は温かい。
「……帰ろう」
「……うん」
かなでが一歩下がり、丁寧に頭を下げる。
「如月かなでです。お母さま。突然のことで、ご迷惑を――」
ママは、かなでを見て頷いた。
驚かない。ただ、ちゃんと目を見る。
「……ありがとうね」
「ひよりのそばにいてくれて」
かなでの表情が少しだけ緩む。
「……当然のことをしました」
げんえんさんは胸を張った。
「同行」
ひよりが睨む。
「黙ってて」
「はーい」
⸻
家
玄関の鍵を開け、扉を開いた瞬間。
空気が、終わっていた。
洗い物の山。
洗濯物の山。
テーブルの上に塩の袋がなぜか増えている。
床にクッションが転がり、リモコンが迷子。
ソファの隙間から、また別の塩。
ママが無言で立ち尽くす。
ひよりが固まる。
かなでが一瞬だけ視線を逸らす。
ひかりが、遠慮ゼロで言った。
「うわぁ……荒れてる……!」
げんえんさんが真顔で頷いた。
「これは“壊れ”じゃないから、直せないね」
「黙って!!!!!」
ひよりが叫ぶ。
ママが白髪のまま、ゆっくりため息をついた。
「……退院初日にこれは……」
ひよりが顔を青くする。
「ご、ごめ――」
ママは、笑った。
「戦う前に、片付けなさい」
ひよりの心が折れる。
(怪人より無理……)
げんえんさんが小さく頷く。
「うん。優先順位高いね」
「黙ってってばぁぁぁ!!」
退院の日は、こうして始まった。




