#13
影山の頭の中では常に対立する言葉が響いていた。
善意と悪意が両側から脳みそを削っていく。これは競走だ。どちらが勝つかはその人次第。そして結果が見えた時には、脳みそは腐り、死を迎える。
気持ちいいことがしたい。
駄目だ。
苦しんでる人を見たい。
……駄目だ。
毎日何百回も自問自答し、理性を繋ぎ止める。しかし時には負けることもある。
影山はその日をはっきり覚えている。
働き始めたばかりの頃、精神的にも肉体的にもボロボロだった。いくつもの試験を乗り越えてようやく精神病の専門員になれたのに、病んでいるのは自分の方かもしれないと感じた。
ある時、ひとりの相談者が身体の関係を求めてきた。いつもの自分なら拒絶できたはずだ。
“……えぇ、わかりました”。
だけど、もうひとりの自分が答えてしまった。
はっきりと自覚した。俺の中には俺が知らない、黒い部分が存在する。
相談者の男と身体を繋げた後、吐きながら家に逃げ帰った。これは何だ。俺は何でこんなことを……。
食べる度にえずいて胃の中を空っぽにした。涙と唾液でぐちゃぐちゃになり、便器に顔を突っ込む日々が続いた。もう二度とこんなことはしない。あの時は疲れてたんだ。しっかりしなくちゃ。……明るくならなきゃ。
新しい部署に配属されて、最初はまだ良い。相談者の為に全力で走り回ることができた。だけど二ヶ月、一ヶ月毎に視界が黒くなる。理由は分からないが、病院には行かなかった。ここで体調を崩したなんて言ったら、やる気がないと思われる。
頭痛と吐き気を堪えながら出勤した。三週間、一日も休みなく働いたこともある。寝不足がたたって事故を起こしかけたこともあった。
それでも足を引きずって、今日も職場へ向かう。絶望的な毎日を送っている人々を笑顔にする為に、自分はつくり笑いを続けた。
常に笑顔を浮かべるのが当たり前だから、ひとりで歩いている時もずっと笑顔だった。トイレで偶然鏡を見た時、不自然に笑ってる自分に気付いて血の気が引いたこともある。
俺は何をやってるんだろう。誰の為にこんなことを。
『影山さん、若いのに頑張ってるね。俺も頑張らなきゃなぁ』




