#5
あの夜、床に倒れた雲井を挟んで行木と話した。
雲井は流血以上に顔面がぼこぼこに腫れ上がり、とても正視できない姿だった。原形が分からなくて、ぶっちゃけ以前の顔が思い出せず焦った。それも行木が馬乗りになって殴り続けたせいだ。
そうは言っても止めなかった自分が一番悪い。こんな時ばかり普通ぶって動揺して。
……悪質、且つ卑怯極まりない。
俺はきっと、その拳が自分に向くのが怖かったんだ。
暗いトイレで、行木は冷たい床に座り込んだ。俺はわりと冷静に、乱れた服を直した。雲井は可哀想だが、格好はそのままにしておいた。
『ごめんなさい、所長』
『何で謝るんだ? 君は俺を助けようとしただけで、何も悪くない。ちょっと、やり過ぎちゃっただけで』
雲井の、数人からリンチに合ったような顔貌では、正当防衛と訴えて行木を守るのは難しい。
どうする。
行木さんを守る為には……。
『俺がやったことにするしかない。あ、でもモップの指紋とかまずいかな。……まぁ何とかしておくから、行木さんは早く自分の部屋に戻って。何を訊かれても知りませんで済ましてね』
『それは駄目です!』
外まで聞こえそうな声で彼は叫んだ。
『所長だって何も悪くないじゃないですか。元はと言えば彼が……雲井が悪いんでしょう。俺は彼を傷つけた罰を受けます。だから彼も、所長を傷つけた罰を受けてほしい。それが叶ったのなら、後はどんな目に合っても構いません』
本当に不思議な人だ。
どうしてそこまで強い意志を……いや、正義を信じられるのだろう。
正義ほど不確かなものはない。自分を守ってくれる保証なんて何一つないのに。
『行木さんは俺のこと好きなの?』
『は、はいっ!?』
『だって、自分を犠牲にしてまで他人を庇う必要ないだろ』
静かに見下ろすと、彼は困ったように頬をかいた。
『……そうですね。好きです。でも恋愛とか、そういう意味ではなくて……人として好きです』
人として……。
『そんなこと言われたの生まれて初めてかも』
『えぇ、まさか』
『ううん、本当。……俺も行木さんのこと、人として好きだな。だから君には嘘をつきたくない。本当のことを言うね』
そうだ。本当のことを……。
黒。
小学生の時についた嘘。中学生の時に犯した罪。高校生の時に越えた一線。大学生の時に自覚した悪意。見たくない、醜いもの。全て黒い油性ペンで塗り潰した。




