#16
──────逆に自分が行きたい場所は。
幼少期に少しだけ過ごした、懐かしい田舎町だ。お店も少なく、遊ぶと言ったら大きな公園か森の中。でもそれが本当に楽しかった。釣りもしたし木登りもした。夏は地元のほとんどの人が参加して、お祭りを開いた。あれも淡い思い出だ。
引っ越した先はご近所付き合いが希薄で、遊ぶと言ったらゲーセンばかりだった。それが嫌なわけじゃないけど、時々あの山の稜線が見たくなった。
友人は野生のリスも蛇も見たことがなかった。自分がもぐらを見たことがあると言うと大層驚いていた。
今行ってもそんなに変わらないのだろうけど、またあの景色を見たいな。そうだ。施設から出ることができたら、一番に見に行こう。密かな決意と高揚を抱いて、部屋を後にした。薄暗い廊下を忍び足で渡る。
「……、……っ」
そのとき、人の声が聞こえた気がして立ち止まった。
近くに入所者の部屋はない。テレビもないはず。声のする方を探すと、そこはトイレだった。
また、以前と同じ嫌な予感がする。よせばいいのに、足は自然と先へ進んだ。壁に隠れるように、そっと中を覗う。
そして目の前にいる人物に息を飲んだ。ひとりは予想通り、雲井だった。だが彼は誰かを押し倒している。
「あっ……や、だ……っ」
それは苦しげに呻く所長だった。
思考の停止ボタンが押されたような。
「いっ、あ、あぁっ!」
震えと動悸が同時にやってきて、正常な思考に墨汁をぶちまいていった。
─────何が起きてるんだ。口元を手で覆い、中を窺う。
雲井は嫌がる所長の服を脱がせ、さらに奥まった部分に手を差し込もうとしている。
何とかしなきゃ。近くにある掃除用具入れのロッカーに手をかける。中からモップを取り出し、足音を殺して近付いた。
彼らは気付かない。
助けなきゃ。お世話になった彼を。大切な彼を……。
本当は、ずっと彼に触れてみたかった。なのに何で、よりによってこんな奴に。
「……行木さん?」
所長がはっとして顔を上げた瞬間、渾身の力で雲井の胸に叩きつけた。
モップの端で突かれた雲井は苦しそうに床に倒れる。暗いトイレの中で、激しくむせ込む音だけが響く。
その頭に何度も、何度もモップを叩き落とした。白い替え糸が赤く染まるまで続けた。次第に腕が痛くなって、指先が痺れてから、手を離した。モップが倒れる。雲井はぴくりとも動かなくなった。




