#9
はぁはぁと乱れた息。
理解できない。何であんな事を、公共の場で平然とできるのか。
おぞましい。全身に鳥肌が立って、とにかく震えた。気持ちの悪い物体を何とかしたい衝動に駆られる。だがどうしたらいいのか分からず、目的もなく進んだ……自分の肩を、誰かが叩いた。
「行木さん」
「し、所長……!」
曲がり角の先で、彼は昼間と同じ格好で道を塞いでいた。そして人差し指を口元に近付け、静かに示唆する。
「ごめんね。一緒に来てくれる?」
連れて行かれたのは所長室だった。入ったのは初めてだ。大きなデスクと、来客用のソファテーブル。壁に飾られた何枚もの賞状。
所長はカップを二つ用意し、テーブルに置いた。
「ミルクティー飲める?」
「あ……ありがとうございます」
湯気が立つカップを手に取り、ひと口飲み込む。甘くて温かくて、心の底からほっとした。食事は? と訊かれ、首を横に振る。健啖家で普段から食欲旺盛だから、自分の変化は他職員達にも伝わってるかもしれない。
「ごめんね。驚いたでしょ」
彼は席には座らず、窓際に手をついて外を眺めている。
今さらだけど今夜は彼が当直なんだ、と思った。でも変だ。所長が今まで夜に勤務していたことなんてない。いや、基本勤務してはいけない規約があったはずだ。
「雲井さんが入ってから、夜に入りたくないって言う職員がたくさんいてね。まぁしょうがないよね。男性はともかく、女性職員じゃ力でも適わないし、何かあったら大変だもの」
「あの……本当に何とかできないんですか、あの人」
「色々考えて、もう動いてる。だから行木さん、申し訳ないんだけど、あと少し辛抱してもらえないかな。多分行木さんが一番彼に影響されてるというか……辛い立場だって分かってる。彼の一挙一動が目につくし、怖い思いをさせてることも。でも、俺が絶対に守るから」
色々、もっと言ってやりたいことはあった。
けど彼の真っ直ぐな瞳を見ていたら、それ以上声が出てこなかった。
信用したいと思う。そして、疑ったことを謝りたい。
「昼間はすみませんでした。診断書も見せず……黙っていて」
俯いて言うと、彼は目の前に来て静かに座った。
「行木さんのことだから、なにか考えがあってしたことだと分かってる。なのにこっちこそ頭ごなしに責め立ててごめんね」
「とんでもないです。俺、雲井さんが来てからずっとイライラしてたみたいで……大人気ないことしました」




