破棄よ破棄! 破棄はきハキ~~!!
※ 本作品は、一部に生成AI(Gemini)を活用して構成・執筆を行っています。設定および物語の方向性、展開はすべて筆者のアイデアに基づき、AIは補助ツールとして使用しております。誤字脱字または展開の違和感など、お気づきの点があればコメントをいただけると助かります
「スライ様! 本日をもって、私は、貴方との婚約を破棄いたします!」
私の声が、部屋中に響いた。
書類の山が偏在し、ペンを走らせる音が主張していた執務室。隅では、これから行われるはずの茶器が用意されていた。
それまで静けさを保っていた空間で作業をしていた婚約者に宣言すると、彼は手を止めて、私を見上げた。
「…………本気で、言っているのかい?」
フォックス侯爵家の嫡男スライ様は、端正で冷たい印象すらある整った顔立ちに、驚愕の色を浮かべた。
前髪の一部だけが白く、全体的に淡い茶色の髪を揺らすようにして、顔を伏せた。
糸の切れた人形が倒れ込むように、微動だにしない。胸中では、衝撃や困惑が代わる代わる襲ってきているのかもしれない。
ふふ、予想通り、驚いているわ。
伯爵令嬢である私、フーリー・エンディアリングは、昨夜から侯爵家の邸宅に泊まっている。
もちろんスライ様と過ごすためにやってきたのだけれど、今、この瞬間のためでもあった。
この日に向けて、準備していた。この一言を告げるために。
まあ、準備と言っても、それほど時間はかけていない。二日間ほど、そう、ほんのちょっとだけ。テキトーに思いついた文言を、ささっと練習していたぐらい。
もうそろそろ、日課である二人きりでお茶を楽しむ時間だとわかっていて、言い放った。
お互いに口を閉ざしていた。透明度の高い瞳を伏せる彼とは対照的に、私は静かに口角を上げた。
数々の宰相を輩出する家柄に生まれた彼は、感情を表に出すときは少ない。
その優秀さは、誰もが認めるところである。
現宰相であられる父君は、彼を次期宰相として推薦しており、パーティーや社交会においても、大勢に自慢の息子であることを触れ回っている。
研鑽を欠かさないスライ様は、期待に応えようと姿勢を正している。最近では実務に携わることも増え、国を支える忠臣の役目を果たしている。
貴顕と品格を備え、そして私に深い配慮を示してくれる、自慢の婚約者である。
そんな彼を、私が嫌うはずもない。強い想いをを、彼には抱いている。
伯爵の令嬢とはいえ、よく私が婚約できたものだと、常々感じている。
まあ、これは小規模な、個人間の催し。ただの戯れのようなもの。
ちょっとした思いつきで、彼の困惑する顔を見てみたくなったのだ。それで、『冗談でしたー』と言って、『なあんだー、良かったー』とたわいもない会話をする試み。
これは、恋人であり婚約者である男女の、あるいは夫婦によくある睦み合い、じゃれあいだ。
けれども、そろそろ。沈黙が居心地悪くなってきたわ。
少々早いとは思うけれど、冗談めかした口調で、真相を伝えましょう。
「な、なーんて、」
そこまで言った私に、伏せた顔の影が濃かった婚約者は途端に額を上げた。
「…………そうか。私も、考えてはいたんだ。準備はできている」
「――――え?」
え、ええ、えええ??
落ち着いた、それでいて真面目な顔つきで口を開いた彼に、私は目を瞠った。
想定外の返しに、喉がひゅっと締まるような感覚だった。
「あ、あの。スライ様? これは、ですね」
「少し前から、君との距離が測りかねていたんだ」
そうなんですか? え、そうなんですか?
昨日も、夜を共にしましたよね?
その逞しい腕で、肩を抱いてくださいましたよね? 厚い胸板に、私、顔をうずめましたよ。
親密な仲だと、肌で実感していたのですけれど。
「もっと、早く言っていれば。あと一歩を踏み込めなかった私を、大いにそしってくれて構わない。申し訳ない」
待って。待ってください。
本気でそう思っているのですか?
「す、スライ様、」
「これ以上、時間をかけてもいられない。今日中に、全てを終わらせよう」
「はい?」
ん? 全てを?
「誰か、誰かいるか!」
「はい、スライ様」
「何用でしょうか」
立ち上がった彼の呼びかけに応じて、颯爽と駆けつけたのは、老年の執事と、私と同年代である秘書だった。
いつも主人のために忙しそうにしており、当然面識のある私も、それなりに話はする。けれど、最近は特に忙しかったらしく、あまり会話ができていなかった。
ここでも、彼を支えてきた自負と実績を胸に、命令を待った。
「手筈は整っているな? 取り掛かってくれ」
「はっ! 承知いたしました」
「関係各所に通達をしてまいります」
「私もすぐに出る。首尾よくいこう」
うわ、あ、えええ!?
何が、どうなって。
眼球を右に左に上に下に目まぐるしく動かしている間にも、婚約者や周りは忙しなく動き始めていた。
深い夜空の色をしたモーニング・コートを身に纏ったスライ様は、その背筋に寸分の隙もない。襟元には固く糊付けされた白のウィングカラーが完璧な角度で立ち上がり、淡いシルバーグレーのタイが厳粛に結ばれていた。
手には白の薄手の革手袋を、まるで飾りのように持っていた。その手には、儀礼的な黒檀のステッキではなく、ずっしりとした革製の書類鞄が握られている。
非の打ち所のない正装に身を包んだスライ様は、見かねてか、侍女たちも呼び出していた。
「頼む」
「お任せくださいませ」
仰々しく頭を下げる侍女の方々にひとつ頷いた彼は、そして私の両肩に手を置いた。
わ、正装姿もやっぱり恰好良い……ときめいている場合じゃないわ。
「準備を済ませたら、外の用意してある馬車を使ってくれ。私は、一足先にこのことを伝えに回る」
「こ、あい、え、ぬ、ええと。話を、お話を、聞いて」
「はい、フーリー様。お二階へ行きましょう」
「どええ~~」
数名のお世話係に腕を取られて、部屋の外へ運ばれる。
背を向けて大扉を開いた婚約者の背が、遠ざかっていく。
ど、どうなっているの。
まずい、非常にまずいわ。
早く、彼を早く止めないと!!!
*
化粧と着替えをバッチリ済ませた私が馬車に乗りこんだときには、スライ様が出発してから時間が経っていた。
「お待ちしておりました。それでは、スライ様を追いかけましょう」
秘書である同年代の彼は、付き添ってくれるらしい。 この人も、私にとっては、もはや身内のような存在だ。
「ご、誤解なんです! 本当は、」
「ええ、重々承知しております。今日は、そうですね、お二人とって、転機になるでしょう」
全然承知していないわ!
悲しそうな面持ちをする彼に、私は口ごもりながら、言葉を紡いだ。
「いえ、その。スライ様に伝えたのは、軽い冗談といいますか、本音ではないというか」
「そのようなご冗談はいけません。フーリー様の想いは、わかっております」
全然わかっていないわ。冗談と受け取って欲しいの!
「だからですね、私とスライ様は、」
「これ以上の言及は、ご容赦を。私は、お二人がどのような選択をされても、尊重いたします」
尊重しないで。したら駄目なの。
何を言っても、わかってはくれない。
これでよく、秘書なんて務まるものだわ。
まだよ。まだ慌てる必要はないわ。
そうよ、このあと会う人たちに、きちんと伝えていければいい。
「フーリー! これはどういうことだ!」
「ひい、お父様落ち着いて!」
「落ち着いていられるか!」
エンディアリング家に戻った私に、お父様は開口一番、突き出すように書状を見せてくれた。その手は微かに震えていた。
『貴家のご令嬢フーリー様より、本日をもって婚約解消の意思を伝えられました。承服いたしましたので、正式にご報告いたします』
「先ほど、スライ殿が来訪した。そして簡潔に伝えられた。お前は、何をしてくれたんだ」
「貴方と、彼が、ねえ」
「ち、ちが、ちがうのよ!」
早い。やることが早すぎるわ。
それでもう、どこか別の場所へ移動されてしまったの?
お、追いかけなくちゃ。
「待て、フーリー。現状を、わかっているのか?」
「非常にまずいことになっているわ」
「まずいなんてもんじゃない。相手は代々宰相を輩出してきた侯爵の、それも次代の宰相として注目されている。既に、メディアは嗅ぎつけている」
明日の朝刊には、【侯爵家と伯爵家の婚約、解消】という文言で社交公報から打ち出されることになりそう。
「そんなものが、出てしまったら」
「持参金の返還はもとより、こちら側からの一方的な申し出だ。我が家はフォックス家に対して『名誉毀損』や『契約不履行』に対する高額な違約金を支払うことになるだろう」
わかりやすく、経済的な打撃だわ。
「『約束を反故にした家』『情緒不安定な娘を持つ家』として、信用が地に落ちる。特に仲人であられる公爵夫人やフォックス家と関係の深い貴族からの交流断絶は、間違いない」
社交界での孤立だけでなく、今後、【婚約破棄歴のある娘】として見られるようになり、適当な縁談を見つけることすら、極めて困難になる。
「政治における私の発言力の低下は、免れない」
我が家と対立する派閥や政敵は、このスキャンダルを格好の攻撃材料として利用し、政治的な圧力をかけてくるでしょう。
「我々一家の存続が、危うくなる」
口元を手で覆い、徐々に目線を下げるお父様は、地面にしゃがむように腰を落とした。
その様子に、私は目をしばたかせた。
伯爵といえども、ここまでの失態。今後の趨勢に多大な影響を与えることは、間違いない。
そうなのよ。だから止めないといけないの。
だから今、必死になって追いかけているところなの。
「…………貴方と夫婦になれて、幸せでしたわ」
「…………私もだ」
「諦めないで二人とも!」
大袈裟に別れを惜しむように抱き合う二人に、私は声を荒げた。
ここからの挽回は難しいでしょうけれど、まだ下を向くわけにはいかない。
やれることはあるはず。あるはずだから。
「フーリー。貴方の母となれたこと、誇りに思うわ」
「何とかする! 何とかするからぁ!!」
こうしている間にも、スライ様とは距離が開いていく。
こんな馬鹿馬鹿しいすれ違いで終わってしまうなんて、絶対いや!
「ま、またあとで来るから!」
逃げるようにして馬車に駆け戻った私は、次の場所へ向かった。
婚約者が立てた解消の筋道を追ううちに、事態は着々と進んでいた。
仲人役の公爵夫人のもとを訪れた。
私とスライ様を初めて引き合わせてくれた、大恩あるお方だ。
昔から鋭い眼光は、歳を経るごとに威圧を伴っている。初めてお会いしたときは、冷や汗が止まらなかったのを覚えている。
私の姿を見るなり、その顔に厳しく眉根を潜めた。
「貴方たち、仲睦まじいかと思っていたけれど」
「睦まじいです! 大変親密です! 本当です! 昨日だって一緒に寝ましたからぁ!」
なにかとんでもない発言をしてしまったけれど、誤解だということはとにかく慌てて伝えた。
彼女にしてみれば、怒りは当然だ。このままでは夫人の信用問題にまで発展してしまう。
仲人の目利きが甘かった、あるいは仲人が保証した相手に問題があったと見なされ、夫人の社交界での信用が損なわれるのは間違いない。
「誤解というなら、さっさと解いてきなさい。明日の朝日は起きて拝みたいでしょう!」
「誠心誠意、粉骨砕身、承知いたしました!!」
これ以上睨まれたら、恐ろしくて腰を抜かしてしまいそうだった。
無茶苦茶な決意表明になってしまったけれど、その勢いのままに、次の目的地へと向かった。
「貴方がねぇ。てっきり、婚約なんて、もう解消されたのかと」
「まあ、いつかはこうなる日が来ると思っていたわ」
「どういう意味よ!」
道すがら遭遇した友人たちは、スライ様とも会っていたようで、好き放題言ってきた。
少しは私の心配をして欲しいのだけれど。失礼ね、この人たち。
私がそんなに見捨てられると思っていたの?
既に外部の重鎮にまで話が伝わり、もはや『冗談でした』なんて言い出せなくなっている。
マズイ、マズイ、マズイ。
「書状はいただきました。本件に関する書類にも、既に記入されております」
教会では、婚約に関する公的記録を取り扱う司祭が出迎えてくれた。普段は温和な方だが、今は固い面持ちに見えた。
スライ様は数分前に入れ違いで出ていったらしく、やるべきことは終えたという。
婚約の解消を届け出ており、公示の依頼や法的手続きまで、簡潔に説明された。
財産契約の最終確認と、持参金の移管手続きまで、弁護士を通して行われていることもここで知った。
違約金や贈答品の返還に関する協議まで行われているらしい。
まずい。本当にまずいわ。
どんどん既成事実化が進んでいるわ。
このままだと、一家の存続が…………明日の太陽を見ることができなくなってしまうわ。
これ以上、悪化する前に、止めなければ。これ以上の悪化があるのかしら?
もうだいぶ手遅れになっていそうだけれど、まだよ、まだ。覆せる可能性はある。
ある、はずだから。
「あ、あの! スライ様は、どこへ」
もはや涙ぐんで震え声で尋ねる私に、司祭は淡々としていた。
「国王陛下のもとへ向かわれましたよ」
「…………え、」
こここ、国王陛下!?
左右にゆっくりと開かれた重厚な扉を通り、足を踏み入れると、その場の荘厳な空気に思わず息を飲む。
高い天井からは、巨大なシャンデリアがいくつも吊るされ、無数のクリスタルがきらめきながら、謁見の間に厳粛な光を注いでいる。床には深いボルドーと金糸で紋章が織り込まれた分厚い絨毯が敷かれ、私の足音を吸い取った。
「待っていたよ」
完璧に整えられた出で立ちのスライ様は、入室した私を一瞥してそう短く言うと、すぐに前へ向き直った。
なんだか、長いこと会っていなかったような心地がした。今朝も顔を合わせていたのに。
口を開きかけて、しかしどう声をかけていいのかわからず、彼と同じように前を向いた。
正面奥、一段高い演壇の上の玉座は深紅のベルベットと金箔で飾られ、威厳に満ちている。
そして、そこには。一切の無駄な動きなく、まるで大理石の彫像のように、国王陛下が静かに座しておられた。
「話は、聞き終えた」
厳かに開かれた口は、万人の神経を屈服させるほどの迫力を帯びていた。
その年齢は、厳しく整えられた灰色の髪と、長年の経験を物語る深い皺が刻まれた顔立ちからうかがい知れた。しかし、その背筋は伸びきり、老いによる衰えなど微塵も感じさせない。
「若人の契りを、な」
玉座の背後の壁には、建国者の肖像が描かれている巨大な油絵が飾られており、陛下の威厳をより重く厚くしていた。
玉座の手前脇には、婚約者の父君、現在の宰相閣下が静かに佇んでいた。
国の中枢に位置する二人、そしてスライ様の視線に晒され、私の身体をプレッシャーが押し潰しそうだった。
このような場で、ちょっとした戯れだったのです。などと告げてしまえば、どうなるか。
不敬罪どころでは済まないわ。この戯れに巻き込まれてしまったスライ様まで、処断されてしまうのでは。
私も彼も、侯爵家・伯爵家から勘当されてしまうわ。
呼吸を整えた私は、玉座の主である国王陛下を強く見つめた。
「お主らの意思を認めよう。二人の婚約は、今日をもって解消とする」
あまりにもあっさりと告げられた。まるで日々の雑務をこなすような淡泊さだった。
…………え、本当に破棄しちゃうの?
ちょっと待って、ちょっと待って!!
嘘、嘘だから!
「あの!」
「ん? まだ何かあるのか?」
瞼を細めた陛下に、舌が制止した。言葉が喉に詰まった。
「あの、あの。本当、は」
陛下の眦が、僅かに動いた。宰相は瞼を閉じて頭を少し前へ傾けた。
絞り出すようにしてでも、伝えなくては。
次の言葉、更なる想いを。
「私は! スライ様の隣を! 歩きたいです!」
声を振り絞って、思いの丈を叫ぶ。
そして、目線を下げる。視界の端に捉えたスライ様は、振り向こうとすらしない。私の声が聞こえないかのように、前だけを見ていた。
それは、無言の拒絶を示しているようだった。
スライ様、本当は、私のこと。
「陛下の御認可を、謹んで拝受いたします」
声のトーンは低く落ち着いており、明瞭な滑舌だった。一語一語を重々しく、しかし流れるように発して、頭を下げた。
その背は、彼の意思を私だけに伝えているようだった。
視界の端がぼやけ、ぐらついた。突如として足元に亀裂が生じ、地の底へ叩き落とされるような心地がした。
立っていることさえ、難しくなってきた。
「それでは」
額を上げた彼が、ゆっくりと振り向き、私に歩み寄ってきた。
最後に、何を言われるのだろう。
顔を見るのが怖い。目線を合わせられない。
どんなときも、私の心は彼を追っていた。
書類に向かう際の指先の美しさ、立ち上がった際の均整の取れた体躯は、輝きを纏っているようで。いつだって、私の目を引いた。
普段、愁いを帯びたような雰囲気を纏う彼の眉目を、笑わせようと苦心する私がおかしな挙動を取る。まるで雪解け水のように表情をやわらげて笑みを浮かべてくれるところが、一層眩しく見えた。
政略結婚であろうと、私は構わなかった。身体に衝撃が走った初対面の思い出と共に、彼と生涯を添い遂げるのであれば、形式など何でもよかった。
ただ、スライ様はどうだったのだろう。公爵夫人の面目もあったとはいえ、家の決定に反論の一切をせずに従ったという。彼に求婚する者は、それこそ大勢いたはずなのに。
内心では、婚約解消の時を密かに待ち望んでいたのではないか。
今日一日の出来事をみても、手際の良さからそう確信してしまうほどに。
俯いて、ドレスの裾を掴む。無意識に、指先に力が籠っていた。
「フーリー」
絨毯の上を静かに歩いてきた彼は、緩慢に片膝をついた。
若干視線を下げて床を見つめたかと思えば、ゆっくりと私を見上げた。
端正で、真面目で、誰よりも愛している方。
その唇が、開かれた。
「僕と、結婚してください」
…………ほえ?
彼の大きな掌の上で、小さなベルベットの箱が、中の宝石の輝きを静かに光っていた。
え、お、う、あい、ぬおえ?
「かっはっは。見事に騙されたな」
「へ、陛下……? これは、いったい、」
これまで一切の表情を排していた陛下が、初めて口角を上げ小さく笑った。
私が狼狽えていると、背後の扉が音を立てて開かれた。
「うふふ、やっぱりわからなかったわね」
「お母様?」
「ここまで鈍いとは思わなかったぞ、娘よ。私の不安の種は尽きないな」
「お父様まで? どういうこと?」
入室してきたのは、両親だけではなかった。スライ様の執事に秘書、侍女の数名、仲人役の公爵夫人、司祭、そして、スライ様の母君。
一呼吸置いて、スライ様は目尻を下げて、声色を明るくした。
「今日が、そう言う日だということは、私も知っていたよ」
そう、今日は。
無害な悪戯や嘘をついても良いとされる日だ。
あくまでも人を和ませるような風習であり、関わる人全員が、楽しい気持ちになることが目的とされている。しかし、それは古文書に記されていたぐらいで、大多数の人は、その存在さえ知らない。
私だって、一週間前に知った程度だ。
「安直すぎる。もう少し頭を使えんのか!」
父の呆れる声に、私はようやく理解が追い付いてきた。
虚言を認められる日に私がユーモアを仕掛けることを、スライ様は知っていた。
だからこそ、それを利用したのだ。
両家の当主や婚約に関係した人々、国王陛下まで巻き込んで。
「陛下には、このような催しに巻き込んでしまい、大変申し訳ございません」
「よい。余は楽しめた」
恐々とする宰相に、陛下は低く喉を鳴らすようにして笑った。
「良かったわね、フーリーちゃん。朝日は見られそうで」
公爵夫人の笑みが、まだ少し怖かった。
「これ、って」
全員が共謀して、この舞台を作り上げたのだ。
婚約解消という名の、手の込んだプロポーズだったのだ。
「皆で騙していたってこと!? 酷いわ!」
今まで、サプライズなんて頭の片隅にもない人だと思っていたのに。
苦情を申し立てると、スライ様は少しだけ肩をすくめた。
「元はと言えば、フーリーから始まったことだよ。始めに聞いた時、私は眩暈を覚えた」
「それは申し訳ございません。でも、誰から聞いたのですか?」
「君の世話係の一人から、かな」
思いつきは、私の侍女が故意に周囲へ漏らしたらしい。
まったく、裏切り者ばかりだわ。
「私が言えたことではありませんけれど、それにしても酷いです。泣きそうだったのに!」
「いや、ちょっと泣いているわよ」
「それだけ皆さんの演技が真に迫っていたのね」
友人たち、うるさい! というか、貴方たちもその一員なの!?
「フーリー」
もう何が何だかわからなくなり騒ぎ立てそうになっていた私を、スライ様は呼んだ。
切れ長の瞳で、こちらを真っすぐに見つめている。
彼のしなやかな指が箱の蓋に触れ、そして開かれた。
そこには、純白の輝きを放つダイヤモンドが鎮座していた。その圧倒的な光は、頭上の豪華なシャンデリアの光さえ吸い込み、スライ様の微かに震える指先の上で、静かに煌めいていた。
真摯で揺るぎない想いを、形として表してくれたようだった。
「婚約を破棄して、僕の妻になって欲しい」
戸惑いが毛先に、高揚が全身に、愛おしさが胸に、それぞれ広がった。
なんて、なんてヘンテコな言葉。
思わず笑ってしまいそうになったところで、気づいた。
彼自身の美しさだけでなく、その瞳の奥には、宰相の家柄にふさわしい威厳は一切なく、ただ一人の男性としての純粋な愛情と、緊張が見て取れた。
「ふっ、ふふ」
この人でも。
こんな顔をするんだ。
安堵や興奮が頬をつたい、堪えきれない感情の奔流となって目尻から解放された。
全身に歓喜と力がみなぎり、跪く愛しい彼に向かって抱きついた。
言うことは、決まっていた。
「婚約なんて破棄よ破棄! 破棄はきハキ~~!!」
笑い叫ぶような声が、高らかに響いた。
飛び込むようにした私を受け止めたスライ様は、安堵の息を漏らし、白い歯を浮かべた。
この場にいたすべての人が、私たちを祝福していた。
私の両親は満足そうに頷き、スライ様のご両親は感動を分かち合うように肩を抱き合った。公爵夫人は瞼を伏せて微笑み、顔を見合わせる友人たちは賛辞を送ってくれ、司祭は柔和な顔つきになった。
玉座を立ち上がった陛下までもが、大きな拍手で私達を讃えてくれた。
私の薬指には、強く輝く指輪が、嵌められていた。
令嬢ものの短編は初めての取り組みとなりました。
一話のみで登場人物の心情から展開までを魅せなければならず、苦戦ばかりでしたがようやく書き上げることができました。
普段の連載作も言ってしまえば短編の連なりを描いているだけなのですが、やはり方向性には多少の差異が生じます。
この作品は、ジャンルだと恋愛とヒューマンドラマのどちらになるのでしょう?
一応は、恋愛:異世界 として投稿しましたが、こちらで正しいのでしょうか?
よろしければ、感想欄にてお教えください。
今後もいくつか、地力をつけていくためにも、一話完結型の作品を投稿していこうと思います。
次回の短編は、少年とお姉さんものになります。あまりコメディ調になりすぎないように心掛けます。
また読んでいただけると、ありがたいです。




