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ともね……しょや……

 その文字を頭の中で描いて、ぼんっと音がしそうなほど、私は赤面した。


「ともね!? しょ、しょ……!?」


 ええッ!

 私が!? リルと!? そ、そうか、奥さんだもんね!?

 ていうか、今晩が初夜!? そうなんだ!?

 ど……どうしよう!? 夜って何時間後!? 私、なにとなにをしてどうしてればいいの!?

 ていうか、私つきのメイドであるマティルダさんの目の前で、そんな話!


「あ、あのっ、リル……様? かな?」


「ああ、最近は、君はおれをそう呼んでいるな」


「リル様っ、来てくれるのは嬉しいよ――嬉しいですよ、でも、マティルダさんの前でそんなあからさまなっ」


 勢い込んで言う私に、リルは再び笑いかけた。

 でも。

 それは、さっき人が違うようだと笑い飛ばした時とは違う、こちらの背筋がぞっと冷えるような微笑みだった。


「今さら、なにを言ってるんだ。君が公然と言い放ったんだろう。一日でも早く跡継ぎを作り、自分の厳然とした立場を確立するために、週二回の共寝を結婚の条件とすると」


「じょ、条件……? 結婚に、条件って……私が?」


「そうだ。戦のたびに先頭に立つため、戦費で常に首が回らないこの国には、大商家でもあるグリフォーン公国の資産がどうしても必要だ。その足元を見てくれたよな。グリフォーン公からは、金は出すから絶対に、空前の金食い虫の放蕩娘を公国へ返さないでくれという条件をつけられたわけだが……それも忘れたか?」


 そんな。そんなことを。

 忘れた……

 のでは、なくて。


「……知ら、……ない……」


 思わず、そう口に出していた。


「ふ、そうか、知らないか。おれにすればこの身を金で買われたも同然の、屈辱に耐えての結婚だったが、知らないと来たか! まあいい、おれのほうは約束は守るさ。それではまた夜にな!」


 リルは、馬にまたがると、城下に向かって下って行った。

 私は、さっきまでの浮かれた気持ちが吹き飛んで、足が底なし沼にはまったような気持ちだった。


 条件つきの、結婚。ヘルハウンズの――小国連合を守る戦の、費用のための。

 リルを、あんなに仲間想いで勇敢な人のことを、お金で操るような、結婚。

 それに、強制された子作り……。


 外にあっては、戦費を気にせずに戦うための。

 家庭にあっては、跡継ぎの子供を作るための――そうして妃が自分の安寧を図るための。

 そのためだけの、結婚……。


 じゃあ、リルの安らぎは、リルのための幸福は、この結婚にはないの?

 私が……今は私の(・・・・)、ユーフィニアが、そんなことを。


 静かに、奥歯を噛みしめた。

 ……させない。そんな不幸な結婚には、絶対にさせない。


 腕の中で、小さな温かい猫が、ナアと鳴いた。

 私が、リルにできること。

 なにかあるはずだ。こうして、今、私はここに来たんだから。当事者になれたのは、むしろ幸運だったかもしれない。


「マティルダさん」


「は、はい?」


「私、燃えてきました」


「……なににですか?」


「私が、リルから教わったことにです」


「……というと?」


 ほかでもない。

 自分が守るべきもののために、自分ができることをするのだ。


「私は、リルを、不幸な結婚から守りたい。幸せになって欲しい」


 眉根を寄せるマティルダさんに、私は、猫を抱いたままでこぶしを握り締めてみせた。


「私は、守るべきものを守ります! リルが、そういう生き方を私に教えてくれたから!」



 別邸は、お城から馬車で十五分くらいの、豪華なペンションみたいな建物だった。


「わあ、立派な造り……庭園まである。あ、でもさすがに、お城みたいにバラ園まではないんですね?」


 馬車から身を乗り出す私に、マティルダさんが淡々と答える。


「城門前の白いバラ園は、出撃する将軍や兵士の無事を祈るための縁起ものですから、こちらには不要なのです。……重心を馬車の中に残さないと、落ちますよ」


 そう言われて、座席にとんと腰を下ろした。

 そうだ、確かに、ハイグラにおける白バラはそういう意味があった。ゲームの中では、その文化に基づいたイベントも起きる。というか、恋愛ルートを起こすフラグになったりする。

 そんなことを思い出していた私の足元には、例の黒猫がいる。


 馬車を邸の前につけて降車すると、黒猫もひょいと降りて私についてきた。

 そのままドアを開けて、中世を舞台にした映画のセットみたいな邸の中を、きょろきょろしながら進む。

 ここが、「別邸」か……。


「ユーフィニア様のお部屋は、階段を上がって右手です。……その猫は、部屋にお入れになるのですか?」


「はい」と言って私は黒猫を見下ろし、「けがが大したことなくてよかったね、名前つけてあげようか。ねえマティルダさん、飼ってもいいですか?」


 ひろびろとした私の自室――――一人暮らししていたワンルームの部屋を二つ三つ合わせたよりずっと広い――に入り、お城での手当てを終えた黒猫を床に放してやると、毛足の深いじゅうたんがその足を半分近く包み込んでしまった。

 ちゃんと爪を研いでおかないといけないなあ。


「ご自分でお世話ができるのなら、構いませんよ。……などと、わたくしが許可することでもありませんが」


 こころなしか、マティルダさんが冷たい目でそう言った。


「本当? じゃあ、まずは名前っ。私の好きなものの名前をつけたいな。……リル! ……はそのまま過ぎてよくないか。じゃあ、ひっくり返して、ルリ!」


 マティルダさんがいぶかしげな顔で目を細める。


「意外ですね。そんなにもリルベオラス様を慕っておられたとは。それに、あなた様がちゃんと生き物など飼えるのですか?」


「昔家で飼ってたことありますから、たぶん大丈夫だと思います!」


「家で? グリフォーン公国でですか?」


 おっと、いけない。


「そ、そうそう。家が広いもんだから、十匹や二十匹は余裕で!」


「……グリフォーン家が、小動物を好んでいるという話は聞きませんが。それにしても、わたくし、今、少し意地悪で申し上げたのですけどね」


「あ、それは、どうせ世話なんてできるわけないだろう的な?」


「まさにそうです。以前、あなた様があまりにだめ飼い主なので、犬には逃げられ、小鳥も逐電し、庭のミントさえ枯らしてしまったことをお忘れでは……いえ、お忘れなのでしたね」


「うう。面目ない……」


 二階建ての別邸の上階にある私の部屋からは、広い庭が見渡せる。

 花壇や、小さな丘のような盛り土だけじゃなくて、ちょっとした畑まであるのが見えた。

 ……でもあの畑の世話も、ユーフィニアはノータッチなのかもしれない。いや、普通は王子様に嫁いできた人が畑仕事なんてしないか。でも、ユーフィニアって普通以上に問題がありそうな気配がしているからな……。


 ここは別邸とはいっても、ベッドは天蓋つき、細かい意匠のついたマントルピースあり、フランス王家の肖像画に出てきそうな豪華な椅子あり、ティーテーブルらしい小ぶりなテーブルには細かい宝石がいくつもはまっていて、その装飾はお城の中と変わらないんじゃないかと思えた。

 さっき獣医さんのところに行くのに少しだけ入った城内は、石造りな上に警備の兵士がそこかしこにいて、武骨な印象が強かったからなおさらそう感じるのかもしれない。


「ユーフィニア様、お帰りなさいませ」


 私の部屋のドアのところで、じゅうたんの上ででんぐり返っている猫を眺めていると、後ろからそう声をかけられた。


「は、はいっ?」と振り向くと、そこにはマティルダさんと同じ服装の女性が二人立っている。この人たちもメイドさんなのだろう。


「あ、どうも、ただいま帰りました」


 慌てて返事をしながら会釈すると、二人は同時に驚いた顔を浮かべて、口々に言う。


「ゆ、ユーフィニア様が……私たちに挨拶を……?」


「なにか悪いもの……いえ、いいものでも召し上がられたんですか?」


 ……これ言われたの、今日何回目だろう。


 マティルダさんが私の状況を、二人に説明してくれた。

 戸惑いながらも納得してくれた二人のうち、一人はムシュといって、歳は二十歳。やや大柄の体に浅黒い肌、金髪のショートヘア。

 もう一人はメサイアといって、白い肌に黒のロングヘア、小柄な十代後半の女の子だった。


「ムシュさんとメサイアさんですね。私、記憶をなくしちゃいましてけど、これからもよろしくお願いします」


 すると、マティルダさんに「さんはいりません。メイドですから。わたくしにも同様に」と注意された。


 ちなみにマティルダさんは二十五歳らしい。ユーフィニアが二十三歳ということなので、この家のメイドで私より年上なのはマティルダさんだけなんだな。

 それでも、転生前の私よりはマティルダさんも年下なんだけど、私なんかよりずっとしっかり者に見えるので、ついつい気後れしてしまう。


 そのマティルダさんが、二人を順に示しながら改めて紹介してくれた。

 

「二人とも一通りの家事はこなせますが、ムシュは特に掃除洗濯、それに庭仕事が得意です。メサイアは料理の腕前がお城のコック並みですよ」


「ふふん、力仕事はお任せですね」と腕を叩くムシュ。


「い、言いすぎですよそんなあ」とあわあわするメサイア。


「あら、わたくしはそう思っていますよ」とマティルダさん。


「あ、あの、マティルダ……さん」


「わたくしのことも呼び捨てになさってください、ユーフィニア様。かしこまられると気色悪……緊張してしまいます」


「今、気色悪いって」


「申しておりません」


「いや絶対言っ」


「生活態度だけでなく、耳まで悪くなられたのですか?」


 け、結構言うなあ。

 でもそのほうが、回りくどくなくて、少なくとも今の私にはありがたいかも。


「ま、マティルダ。今夜って、その、私とリル……様の、いわゆる、その、」


「ああ。初夜ですね」


 ……照れている場合ではない。


「そ、それです。あの、この世界――この国で、なにかこう、それを迎えるにあたって作法というか、決まりごとっていうか、そういうものってなにかありますか? 私、なにしてリルを待ってればいいんでしょうか!?」


「……特定の作法などはないと思いますが。沐浴して身を清め、寝台でお待ちになっていればよいかと」


 そこで、メサイアがおずおずと会話に入ってきた。


「お夕食には、ドライフルーツと、蜂蜜を多めにご用意しますね。栄養と精力が必要かと存じますので」


「あ、ありがとう……?」


 精力なんて言われてさすがに赤面する私に、メサイアが目をしばたたかせた。


「今、なんと……?」


「え? いや、ありがとうって」


 すると、メサイアの長い髪に隠れがちで控えめな視線が、ぱあっと華やいだように見えた。


「わ、私、ユーフィニア様にお礼なんて言っていただいたの、初めてです……」


 ……ほんと、どういう人間なの、このユーフィニアって……。


「いや、本当」とムシュ。「あたしがこう言うのもなんですけどね。記憶をなくされたっていう今のほうが、断然いい感じですよ、ユーフィニア様」


 メサイアもこくこくとうなずいて、「私、ユーフィニア様のこと誤解していたかもしれません! 本当はきっとまとも……いえ、お優しいんですね! それでは、夕食の支度があるので失礼いたします!」そう言ってぺこりと頭を下げると、走り去って行った(そしてマティルダに「走るんじゃありません」と怒られていた)。


 そうして、メイドのみんなはそれぞれの仕事に戻っていく。

 私は、……私の仕事は、沐浴して、……

 ベッドで、リルを待つこと……ですか……?



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