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「ユフィ、おれの妃のことだが」


「う、うんっ。聞くよ、ちゃんと聞く」


「以前、君の出していた条件があったな」


「あ、うん、あったね、そんなの」


「そのすべてに合致する人なんだ」


 えっ、とユーフィニアが飛び上がった。


「全部!? やったじゃない、リル! おめでとう! 最高のお妃様だね!」


「ああ。そうなんだ。だから、これは受け取れない」


 リルベオラスがポケットから取り出したのは、きれいに畳まれた紙片である。


「おれと君の離婚が成立していないのはな、これこの通り、まだおれがこれをここに持っているからだ」


「え? ……ああ、うん? 成立していない?」


「これを受け取るわけにはいかない。おれは、君と離婚はしない。うぬぼれるようだが、君は、本心からおれとの別れを望んだわけではないはずだ」


 ユーフィニアが、顔をしかめながら、人差し指の先をこめかみに当てる。


「なっ……そ、それは、あっでも、あれ? ご、ごめん、なんだからよく分からなくなってきた……? リルには理想的なお妃様がもういて、でも、私とは離婚してなくて?」


「そうだ。おれの妃は、君しかいない」


 リルベオラスが、まっすぐに、ユーフィニアのアイスブルーの瞳を見つめて、そう言った。

 雷に打たれたように、ユーフィニアが短く、しかし激しく体を震わせた。


「そ、……でも、あれ、私じゃ、例の条件になんて全然……」


「その条件て、なんだったっけな?」


「えっと、確か……きれいで、優しくて……」


 クライネが、「ユーフィニア様はとってもおきれいですよ! あたし、見習わないとっていつも思ってます!」


 ミルノルドが「ふん、それに、私たちに心を砕くだけでなく、農夫にも分け隔てなく優しく接したと聞いているわね」


 メサイアが「メイドにもですよ! 私たち、そういうユーフィニア様のお世話をするのがとても幸せなんです!」


「あ、ありがとう!? そ、それに、地位があっても偉ぶらなくて、働き者で、頭がよくて、多才で……?」


 ヒルダが、「ゆ、ユーフィニア様は一度も、ちゃんとお話もできないわたくしめに、偉ぶったりされませんでした。て、手品などいろいろなことをお出来になって、パーティの支度だって、み、自らされたと聞きましたし」


 ムシュが「エルダースの栽培に目をつけたのもユーフィニア様ですし、賢くておいでですねえ。ご自分でも畑を耕されて、働き者です」


 ユーフィニアが、たたらを踏みながらも続ける。


「あ、あとえーと、そう、おしゃれで、いいにおいがして」


 マティルダが「私と市に行った時には、特別値が張らなくても上品で仕立てのいい服をよく選んでおいででしたね」


 リビエラが「ユーフィニア様のつけておられる香水、とても自然でいい香りです。リルベオラス様も、たいそうお気に召しておいでとうかがっております」


「えっ、それは嬉しい……じゃ、じゃなくて、ほかには、そう、清潔好きで、整理整頓が得意で、自立もしていて、あと芸術的な感性も豊かで、動物や草花を愛でられる感覚と人柄も持ち合わせていて」


 エドンサルテが「このごみごみした小屋の中にあって、お前さんはすぐにそこら辺を片づけるよのう。それにここへ来た時には自分がどう暮らしていくかを考えておったし、まあまあ真面目に働いておるし、自立しているとも言えるじゃろ」


 それから、リルベオラスがさらに進み出てきた。

 ユーフィニアの手を取る。薬草を摘んだり加工するために荒れた指先を見られて、ユーフィニアが小さく震えた。


「どうした? 美しい手だ。城門前のあのバラ園は、城の中のおれの執務室からよく見える。バラを見るたびにおれは、君を想っている。いつか君と行った丘の上でも、君が優しい目で野の花を見ていたのを覚えているよ」


 その時には、ユーフィニアの双眸からは、大粒の涙がこぼれ出していた。

 それでも弱弱しい声で、続ける。


「あ、頭が、よくてえ……夫に頼らなくても生きていけるくらいの、商才なんかも、あったりしてえ……」


「エルダースだけでも充分だがな。商談に君も同席して成功させたし。それに、君があれと一緒に植えていたプラナス。実をつけたから、生のものやドライフルーツにしたものを売り出してみたんだが、かなり評判がいい。これも君の手柄だな」


 ユーフィニアは完全に涙声になっていた。


「つ、つけ足してよければぁ……戦争が嫌いでぇ、リルが、リルが危険な目に遭うような戦争、この大陸からなくせるくらいの、超凄い人が理想ですぅ……」


「ああ、エルダースもプラナスもな、特にグリーシャの富裕層に大人気だ。小国連合とことを構えると、どちらも手に入らなくなるのではないかとあって、グリーシャでは政治に影響力のある大商家から反戦の表明が続いている」


「じゃ、じゃあ、リルは」


「ああ。君のおかげでおれは、もう戦いに出なくてもいい。少なくとも、戦で死ぬことは当分ないよ。……おれの記憶違いでなければ、妻の条件はもう一つあったな?」


「……こ、心から、リルを……愛しています……!」


 こらえきれなくなったように、ユーフィニアはリルベオラスを強く抱きしめた。


「ユフィ、自分の悪評を、ずいぶん気にしていたな。でも、必ず変わるさ。おれたちのように。世の中、そんなに分からず屋ばかりじゃない」


「リル、わ、私……帰ってもいいのかなあ。またリルのところに戻って、リルのお妃様やっていいのかなあ。お姫様たちや、メイドさんたちや、大好きなみんなと、一緒に過ごしてもいいのかなあ。そんなに幸せになって、いいのかなあ……!」


 リルがユーフィニアの髪をさらさらとなでる。

 それを横目で見つつ、エドンサルテがわざとらしく嘆息する。


「まあ、そこそこ働き者ではあったが、帰る場所のあるやつはさっさと帰んな。ついでに、あれも見せてやったらどうじゃ」


 あれ? と一同が首をかしげる。

 エドンサルテが嘆息して言った。


「まったく、ちょっとよくできた調合の褒美に絵の具なんぞくれてやったら、仕事が終われば夜更けまでぺたぺたぺたぺた、うっとうしいったらありゃせん」


「あっ。エドンサルテ、それは言わない約束」


「した覚えがないな、そんなもの。ほれ、猫や。見せておやり」


 黒猫――ルリが、ひょいひょいと奥のほうへ歩いていった。

 そこには赤黒いカーテンがかかっている。ユーフィニアの部屋がその向こう側にあった。

 ルリが、カーテンのひもに爪をかけて器用に引っ張る。

 しゃっ、と音を立てて幕が開いた。


「な」「わあ」「ひゃっ」「えーっ」


 口々に、驚きと感嘆の声が漏れる。

 そこには、ユーフィニアの背丈ほどの高さのイーゼルが一台と、何枚かの油絵のキャンバスが置いてあった。

 いずれも、人物が一人ずつ描かれた肖像画である。


「おれ……だよな?」とリル。


「わたくしでしょうか……これは」とマティルダ。


「わ、わたくしめも、……ここに」とヒルダ。


 口々に、自分の肖像画を見つけた者が、目を見開いていった。


「わ、わらわは!? わらわが見当たらないような!?」


「あ、ミルノルドは後回しにしてあって」


「後回しっ!? わ、わらわが後回し!」


「だ、だってそのぎらぎらの金髪ちゃんと塗るの大変そうだから! あれだよ別に後でいいやとかそういうんじゃないよ!? て、ていうか、みんな勝手に描いたりしてごめん!」


 ユーフィニアがぺこんと頭を下げる。


「もう、二度と会えないんだろうと思ってたから……それで、つい……。じ、実は私、もともと画家になりたくて! 似顔絵とか肖像画は得意じゃないんだけど、でもやっぱり私が今描きたいものって、これしかなくて……ま、まずかった……かな?」


 深く腰を折ったままそう言い終えたユーフィニアが、再び顔を上げると。

 そこには、全員の、満面の笑顔があった。


 マティルダが言う。


「リルベオラス様の妻の条件の中で、残っていたのは、芸術的な感性でしたね。私たちが証人です。素敵な絵を描かれるのですね。画才がおありとは、存じませんでした。まるで本職の画家ではございませんか。……また一つ、末永くまでのお仕えのし甲斐が増えましたよ」



 ややあって。

 帰途につく馬車には、リルベオラスの隣に、ユーフィニアが乗ったものが一台あった。

 来る時にはリルが騎乗していた黒い馬は、今はその馬車を引いている。

 当然のように、ルリがしっぽを揺らして、彼らの足元に乗り込んでいた。

 なお、肖像画は描きかけのものも含めて、すべてほかの馬車に、画材ごと積んで運んでいる。


 エドンサルテに借りた茶器でメサイアが入れてくれた紅茶――茶葉は持参していた――をリルベオラスが薄い陶製のマグにつぎ、プラナスの実と共にユーフィニアに渡してきた。


 栽培されたプラナスの実を口に入れるのは、ユーフィニアは初めてだった。

 穏やかな甘さに、木の実らしい酸味が加わり、本当にユスラウメにそっくりで、大変味がいい。

 いいものができたんだな、とユーフィニアは、栽培の発起人としてはたいぶ遅めの感銘を受けていた。


「ユフィ、提案なんだが。別邸はアトリエにでもして、城で暮らさないか。君が別邸で暮らすと聞いた時、正直なところ、王と王妃を含め城の中の者はみな胸をなでおろしたと思う。君の前評判を聞く限り、そのほうがいらぬいさかいを起こさないで済むとな。だが、今はむしろ君のことを見て欲しいんだ、おれの国のみんなに。いや外のみんなにも」


 ユーフィニアが体を固くした。

 だがこれは、リルベオラスと共に生きていくことを選んだのなら、避けられない道であることはすでに分かっている。


「うん。そうさせて。私もやっと、その覚悟が決まったから。きっと、私の評価をいいほうに変えてみせるね」


「いいほうに変化、か。喜ばしいことだ。うぬぼれでなければ、おれもようやく閨で君に触れる許可をもらえそうだしな」


「えっ!?」ユーフィニアの体が、さっきよりも硬直する。「そ、れ、は、……その。あの、なんというか」


 ユーフィニアがうつむく。口の中で、なにかをぼそぼそとつぶやいていた。

 馬車の音にかき消されてしまい、なんと言っているのかは隣にいても分からない。

 からかい過ぎたか、とリルベオラスが反省して、妻の髪を撫でようとした時。


「……ます」


「ん?」


 ユーフィニアが、ぱっと顔を上げた。頬がプラナスの実のように赤く染まっている。


「こんな私でいいのなら、お、お、お気に召すがままに、差し上げます! って言ったの! ……え? な、なんで笑うの!?」


「いや、悪い悪い。そういえばユフィ、以前、少し気になったことがあったんだが」


 ふくれっ面のユーフィニアの顔に、冷や汗が浮かんだ。


「……気になることと言われれば……心当たりは山ほどあるけど、どれでしょーか……」


「前におれが君に迫った時、『この体の私と』と言っていたんだ。その言い方が、なんだか引っかかってな。その体じゃない(・・)君がいるのか?」


 ユーフィニアは、少し考えてから――言うべきかどうかを迷ったのではなく、どう説明するのがいいのかを考えたために――、彼女の身に起きたことを少しずつ語り始めた。


 この世界で、初めて瞼を開いた時とは違う。

 今は、ここに、愛も信頼もある。

 自分が何者で、どう生きていくかも自分で決めた。それは、とても幸福なことだ。

 だから本当のことを言うのは、まったく怖いことじゃない。


 まだ日は高い。

 彼らの行くべき新たな道程も、まだ始まったばかりだった。



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