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「アリ……ス」


「えっ? どこかでお会いしてましたっけ?」


 今まであったこと。

 これから起きるであろうこと。

 私が知っていること。私だけが知っていること。

 そして、私も知らないこと。

 言いたいことは、いくつもある気がした。

 聞いてもらいたいことも。


 でも、どれ一つ、私がここで彼女に言うべきことじゃない。

 私が、できることは。


「……祝福の……」


「祝福?」


「祝福のエメラルドは……十角形のものが本物で、ほかは偽物で……能力値が増えないから、気をつけて」


 ぽかんとしているアリスをよそに、私は続ける。


「今は分からなくてもいいよ。でも、忘れないで。狩人のパインの依頼は、二度断ってから受けること……そうじゃないと、罠にはめられるから。あと、教会でのお祈りイベントは、教会の中のシスター全員に話しかけてからのほうが、能力値の上昇が大きくなるのと……夜食は、食べ過ぎると幸福感は上がるけど、魅力度は下がるから気をつけて……」


 とっさに思い出した攻略情報を立て続けに口にすると、アリスは、ぐっと前傾姿勢になって言ってきた。


「お、お話難しくて、分からないところもありますが……お姉さんは、同じ部隊の方なんですか?」


 最後尾にいた別の兵士が、ちらりと私の顔を見る。この女見覚えがあるな、という表情だったけど、今日の私は格好は質素だし馬車で髪がぼさぼさで、まるでいつもとは別人なのだろう。気づかれなかった。


「いいえ、私は……ただの、行き先のない、迷い人です」


「そうなんですか? じゃあ、私と一緒に行きませんか? ここの将軍様、――王子様みたいなんですけど、優しい人っぽいです!」


 私はかぶりを振る。

 そして。


「迷いは、何度も吹っ切ったつもりだったけど、今、本当になくなったの。……アリス、あなたにも白バラをあげたいけど、あなたの言うとおり、そこに咲いてるのを摘むのはかわいそうだから、……王子様とお城に帰ったら、城門の傍の庭園を見てみて。それが、私があなたたちに贈る、祈りと祝福の白バラだよ」


「ありがとう……ございます……?」


 頭に疑問符を浮かべているアリスに向かって、大きく息を吸って、努めて笑顔で。


「あなたたちの幸せを、心から祈っています。それじゃあ!」


 そう言って手を振りながら、私は、停めてあった馬車へ向かった。

 アリスにしたらまるでわけが分からなかっただろうな、とは思う。

 でもそれからはもう振り向かずに、座席に飛び込むと、馬を走らせた。


 やった、と胸中で何度も叫んだ。

 手綱を握っていなければ、万歳をしていたと思う。


 あの、帽子とバラのイベント。本来は四王子のうちの誰か、好感度が一番高い相手とアリスとの間に、シナリオの中盤で発生するものだ。

 リルはきっと、ゲームにはなかった、ヒロインとの恋愛ルートに、この世界では乗ったのだ。

 そして恋愛ゲームの仕様上、そうなれば、リルが戦争などで死亡するバッドエンドになるとは考えられない。


 絶対にあの二人は幸せになる。

 乙女ゲームはやっぱり、ハッピーエンドじゃないと。

 やった。やった。

 私は心からそう叫んだ。


 馬車が速度を上げる。

 頬を雫が流れ落ちた跡が、一瞬熱く、でもすぐに冷え、昼日中とはいえ冬の風になぶられると、切り傷のように痛んだ。

 リルと、別離を口にし合った日の夜のように。


 でもこの日は嬉しさのあまり、とうとう笑い声が、胸中だけでなく私の口からも出た。止まらなかった。涙も同じだった。

 笑いと涙、どちらの理由も本当で、嬉しいのに悲しくて、つらくて苦しいのに最高の気分で、どうにかなりそうだった。


 帰り道、エルダース農園を丘から見下ろすと、私がいなくても、畑は大勢の人たちが滞りなく働いていた。


 次にヘルハウンズ城の庭園を見に行った。

 ここ最近打ち込み続けた成果があり、庭師のみんなも協力してくれて、大輪の白バラがいくつも咲き誇っていた。

 ここももう、私がいなくても荒れてしまうことはないだろう。


 邸へ戻った。

 全然お腹が空かないので、お茶だけをメサイアに入れてもらって、自分の部屋で夕暮れまで過ごした。

 それから文机に向かって、メイドのみんなへの一足早いクリスマスプレゼントのネックレスについて、短い手紙を書いた。


 それと、ユーフィニアの実家のグリフォーン公国へ向けても、ヘルハウンズへの資金協力を続けるようにと公式の文書でしたためておいた。どれくらいの効力があるかは分からないけれど、さもないと小国連合自体がもたないのだから、分かってくれるとは思うのだけど。

 一応、援助を打ち切りでもしたら、せっかくいなくなった問題児がまた舞い戻りますよと追伸で脅しておこう。本当に戻るとリルに迷惑がかかりそうだから、実際にはやらないけども。


 リルへは改めて、メイドの三人によくしてくれるように、一応お願いの手紙を再度書いた。

 その横に、きっちりきれいに折り畳んだ離縁状を置いて。……メイドについての手紙を添えたのは、離縁状と別れの挨拶だけでは、寂し過ぎたからでもあった。


 マティルダが、就寝のあいさつにドアまで来たのを笑顔で見送ってから。

 私は、鞄一つと馬車小屋の鍵を手に、邸のドアを出た。


 物音を立てないように、馬と馬車とが入れられている馬車小屋の錠を開け、一台馬車を仕立てる。

 大した距離でなければ、私が下りた後に馬車を放せば、馬はこの邸まで自分で帰り来ることができるのは知っている。


 邸から離れるまでは蹄の音を響かせないように注意しないといけないので、馬車には乗らずに、手綱を引いてしばらく歩くことにした。


 さて、行くか、と息を吸い込んだ時、足元でニャアという声が聞こえた。

 あれ、と思って見下ろす。

 そこには、夜の闇から浮いた黒猫が、ちょこんと座っていた、


「あれ!? もしかして、ルリ!?」


 いなくなった後、大丈夫だろうと思いながらもそこそこ心配していたのだけど。

 ……それにしても、久しぶりに見ると。


「君、……だいぶふくよかになったみたいだね?」


 ニャア。

 心配は不要だったらしい。


「よかったら、一緒に行く? ここに帰りたくなったら、馬車と一緒に返してあげるから。ムシュも喜ぶだろうし」


 ニャア。


 分かっているのか、いないのか。この世界の猫は、現実世界よりも人と意思疎通がしやすい子が多いみたいなので、本当に会話しているような気になってもくるけれど。


 まあ、いいでしょう、とりあえず。


「行こうか」


 私は月明かりの中、邸を背にして、新しい一歩を踏み出した。



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