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 十二月の半ばを迎えると、だんだんと周囲があわただしくなってきた。

 グリーシャが攻めてきたから、ではない。むしろあれ以来、結構な痛手を負ったらしい敵は、目立った動きを見せていなかった。これは本来のシナリオ通りのはずなので、一人でこっそり胸をなでおろす。


 世の中は、十二月二十四日のイベントに向けて浮わついているのだった。

 そう、この世界にはクリスマスが存在する。

 さすがにクリスマスという名前そのままではないけど、聖夜祭と名前を変えて、ほとんど日本のクリスマスそのままに、イルミネーション(魔法で光らせるらしい)を灯し、ケーキやチキンのような料理が並び、様々なオブジェやツリーが街にあふれる。

 私の住む別邸も飾りつけをするらしく、ムシュがとにかく張り切っていた。聖夜祭用の料理のために、メサイアもレシピの本をよく広げている。


 その中で私は、改めて、自分の身の振り方を考えていた。

 リルと離婚する。それはもう決めた。リルの新しい奥さんについては、もうさすがにおせっかいはやめて、成り行きに任せよう。それも決めた。

 だから、十二月の三十一日を迎えたら、私は離縁状を置いて、一人でこの国を出る。

 王族の離婚であっても、書面が正式なものであればそれで成立する――というのは、調べ物の成果ですでに把握していた。

 一応、あてのようなものも――そう確かなものではないけれど――思いついたので、なんとか生きていくことはできると思う。


 ゲームの中ではリルは連戦連勝、常勝無敗の将軍だった。そして一月や二月は、確か大きな戦いはないはずだった。でも、考えてみればそれはあくまで、ユーフィニアのいない世界の話だ。

 前に、私の悪評のせいで国が窮地に陥りかけたように、今度はどんな悪影響をヘルハウンズやリルに与えてしまうかは分からない。

 それだけは嫌だった。

 良かれと思って余計なことをして、本当に国を危険な目に遭わせるところだったのも、いくらリルたちがねぎらってくれても、思い出すたびに胸が凍りつきそうになる。

 ただいなくなる。それが私にできる、リルとヘルハウンズへの最後の貢献だ。


 自室の小さな文机の引き出しに、小さな宝石箱が残っている。

 中には、売らないでおいたネックレスが三つ。

 三人のメイドは、ユーフィニアに仕えて苦労してきただろうに、私に本当によくしてくれた。みんないい人たちだった。

 聖夜祭に、これを彼女たちにプレゼントして、それを最後の思い出にしよう。

 リルには、できるならもう会わないでおくつもりだった。最近、年の瀬を迎えて彼が多忙なせいもあり、顔を合わせずに過ごしているのは私にとっては幸いだった。


 そうして、静かに心を決めて、この国での最後の日々を送っていた十二月の二十日。

 その日は、突然やってきた。


 朝食の後、メサイアの入れてくれたお茶を、四人で飲んでいた。

 マティルダが、ふと思い出したように言った。


「そういえばユーフィニア様、城門前のバラ園の世話をされているそうですね」


「あ、うん。だってあれ、兵士のみんなの無事を祈るためのものなんでしょう? 枯れたりしてるのは、ちょっとね」


「あの白バラは、手入れ次第で年中咲き続ける希少な品種なのです。だからこそあそこに植えられているのですが。以前、図書館からバラについての本も借りられていたようですが、そのためでしたか」


 まあ、私がいなくなった後も、このバラたちがリルを見守ってくれたら……なんてちょっとした感傷を込めたりも、していたわけだけど。

 ただ、かなり繊細な品種だということが本を読んで初めて分かって、ここのところはエルダースの農園をみんなに任せ、私はお城の庭師と一緒にバラにつきっきりだった。


「バラっていえばさ」ムシュが、紅茶に添えられたジンジャービスケットを割りながら言う。「国境近くに、野バラの街道があるじゃない。あそこから、グリーシャからの避難民が入ってきてるらしいですよ。やっぱあっちは居心地悪いんですかね」


 そうなんだ、とうなずきかけた私の体が、ぴしりと固まった。


「ど、どうかされました?」とメサイアが心配してくれる。


 なのにそれに応えもせずに、私はムシュに訊いた。


「避難民? ……ってどんな……?」


「どんなって、そりゃ老若男女問わずいろいろですよ。赤ん坊から爺さん婆さんまで」


「今までも、……避難民っていたの?」


「前からですか? そうそういませんでしたね。国境超えるって、結構大変なんで。ただ今回は、ほらちょっと前に夜襲なんぞしようとした傭兵団の奴らがいて、ユーフィニア様のお手がらでそいつら追い払ったじゃないですか。そのおかげであたり一帯の治安がよくなったんで、割とまとまった人数が逃げ出してきたらしいですよ」


 避難民。

 そうだ、グリーシャの国境警備は厳しく、それを潜り抜けても、夜盗まがいの傭兵団が、小国連合の外縁にはうろうろしている。

 避難民が小国連合にやってくるのは、まれなことのはずだ。

 そして、そのまれな人たちの中に。

 彼女がいるのだ。


「マティルダ……私、ちょっと出かけるね。一人用の馬車借りるから」


「借りるというか、この邸のものはあなた様のものですが。どうぞ。……避難民に、なにか思うところが?」


「ううん、なんでもない」


「本当にお一人で行かれるのですか? 今日はリルベオラス様が国境の外まで巡回されるそうですから、領内は安全ではあると思いますが」


「そうなんだ、ありがとう。気をつけるから」


 そう生返事を返して、席を立つ。

 実際、なんでもないといえばなんでもないことだ。

 私の予定が変わるわけでも、この国に大きな破局が訪れるわけでもない。

 ただ、私が見てみたいだけだ。彼女を。ゲームの中ではずっと私の分身だった、この物語の正ヒロインを。


 目立たない色合いのダークグレーのコートを羽織り、馬車を走らせて、国境の近くへ向かった。

 冬晴れの空の下、広く開かれた道の横に、ぽつりぽつりと木立が散在している。

 道の端は、ちらほらと野バラが彩っていた。どれも花が白くて、赤いものはない。

 これも、軍が通る道だから、ただの野バラのように見えて、冬でも咲く品種を植えているのかもしれない。実際、真冬に咲くバラって、存在感があるなと思う。


 その道路を、数十人の人間が、適当な感覚を空けながらそろそろと歩いていた。

 あれが、避難民だろう。


 知らず、私は、その少女を探していた。

 捨て子という設定なので歳は正確には分かっていないけれど、十代後半。背の高さは、百五十七センチ。髪はブラウンのボブ。ただし、冬は、毛糸の赤い帽子をかぶっている。

 ――アリス。


 いた。


 間違いない。地味で粗末な、ぼろぼろの服に身を包んで、でもその眼差しにはまぶしい光を宿して、意気揚々と歩いている。

 確かに「正史」たるシナリオでは、アリスはほかの避難民と一緒に命からがら逃げてくる、のだけど。

 でも、一月一日どころか聖夜祭もまだなのに、どうして。


 もし、ムシュの言った通りなら……私のせいで呼び込んでしまった傭兵団を、結果的に壊滅させたせいで、一帯の治安がよくなった結果、避難民はここに来られたわけだから。

 私の行動の結果、アリスの来訪が早まったということだ。


 私は馬車を停め、木立の一つに身を隠して、陰からアリスを見つめた。別に隠れる必要はないのだけど、なんだか、秘密の場所を覗き見るような、妙な高揚感があった。


「うわああああ……」と、思わず声が出た。

 アリスだ。

 間違いない。スマートフォンの画面の中で、何度も見た顔だ。


 リルとこの世界で初めて会った時も衝撃だったけど、アリスはアリスで別の大きな感慨がある。

 思わず、その場で飛び跳ねそうになった。

 私は同人誌の活動などはやっていなかったけど、息抜きについついハイグラのキャラを、クロッキー帳にらくがきすることはよくあった。特に、アリスは描きやすいこともあって、ラフも含めれば何十回鉛筆を走らせたか分からない。


 実物のアリスと出会えた私は完全に一ゲームファンの心持ちになってしまい、話しかけてみようか、でも不審がられないか、ぐるぐる考えていると、蹄の音が響いてきた。

 道の奥に目をやる。


 あっと声を上げそうになった。リルの率いる小隊が、国境に向かって街道を走ってくる。そういえば、マティルダがそんなことを言っていたっけ。

 反射的に、道のへりのひときわ太いブナの木の幹に体を隠した。

 先頭を行くリルは、そのすぐ傍で馬を止めたようだった。


「君たち、避難民だな。グリーシャから来たのか。こんな小さな子供まで」


 そのリルの声に答えたのは、アリスだった。


「そうです、避難民です。みんなを助けてください。お腹も空いているし、誰も行くあてもないの。でも、今のが私のことを言ってるなら、小さな子供じゃありませんっ」


「はは、そうか。これは失礼した、レディ」


 既視感に、体が少し震えた。

 この、アリスを子ども扱いして言い返されるやり取りは、各王子の恋愛シナリオの導入に共通したものだ。実際に耳にすると、感動のようなものが押し寄せてくる。

 ……ただ、リルのルートはないはずなのだけど……。


 胸騒ぎを覚えた私をよそに、リルとアリスの会話は続いていた。


「将軍様は、これから戦いに行くのですか?」


「いや、今日のところはただの巡回だ。だから君らは、後ろは気にしなくていい。何物にも、君らの後を追わせはしない」


「ありがとうございますっ。ええと、そうだ、ほんの少し待っててくださいね。……どうしようかな。摘んでしまうのは、かわいそうだから……」


 そう言うと、アリスは、私が隠れている木のすぐ横で、土を掘り出したらしかった。

 あ。

 これは、まさか。


 ほんの少し身を乗り出してみると、アリスはやはり、小さな野バラの株を掘り出して、自分の赤い帽子を脱ぐと、それを植木鉢代わりにして土ごとバラを入れた。

 私からは見えないものの、リルはきっと目をぱちくりさせているんじゃないだろうか。

 彼は驚いているだろうけど、私は、このシーンに見覚えがある。


「将軍様、どうぞっ! 小国連合では、白いバラは無事を祈る印なんですよね! どうか今日を無事に過ごされますように、……そしてグリーシャと戦われる時には、神のご加護がありますように!」


 でも、どうして。リルには、このイベントは起きないはず。あの四王子に対してだけ発生するはずなのに。


「……ありがとう。いただくよ。帽子も、新しいものを贈ろう。君、名前は?」


「アリスです。姓はありません。家族も、信じられる教師もいない、ただの、アリス……。あの、将軍様」


「ん?」


「私も、将軍様の軍隊に入れていただけませんか。私、軍に入って、一緒に戦いたいんです。……グリーシャを、倒したい!」


 これには、リルだけでなく、私もびっくりした。

 こんな展開は知らない。


「ふっ。ばかなことを言わずに帰れ、と言いたいところだが、身寄りも師もいないんだったな。少女だというのにいい度胸だ。よかろう、今日のところは最後尾に並べ。城に戻ったら、事情を聞こうじゃないか」


「あ、ありがとうございますっ! でも、子供ではないですからね!」


「はは。面白い子――失礼、珍しい御仁だ」


 ぱたぱた、とアリスが迷いなく部隊の最後尾へ向かう一方で、私はすっかり混乱していた。

 え、え、アリスが、軍隊に入るの? ヘルハウンズの? ほかの四王子との関係は?


 やがて、歩みを再開させた部隊の最後尾が近づいてきた。

 私は、そっと木立から離れ、街道に足を踏み入れる。

 目の前、三メートルほどのところに、アリスがいた。

 隣にいた兵士になにか言われて、「ええっ! 今さっきのが、王子様!? ヘルハウンズの!? えええ、どうしよう!?」などと騒いでいる。


 ふらふら、とその後ろを、私は歩いた。

 気配に気づいたアリスが振り返る。

 間近で、私と目が合った。


「? こんにちは?」


 アリスが、不思議そうにしながらもぺこりと頭を下げる。


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