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「この体の私と、……もしリルが、そういうことを、したいと思うのなら、私は」


 するとリルは、手首をつかんでいたほうの手を放して、人差し指を立てて私の唇に当てた。しっ、と言うように。


「ユフィ、それは、君がそうしたいと思っていないのに差し出すようなものじゃない。仮初とはいえ、おれが夫でもな。別れることになるならなおさらだ。……おれたちは最後まで、おかしな夫婦だったな」


「……おかしいのは、私だけで、リルは」


「おかしいさ。いや、可笑しいのかな。おれは、戦費確保のために国に売られた王子だ。……悪い。君の前では、もうこういうことは言わないつもりでいたんだが。ただ、後のことはどうにでもなるから気にするなと言いたかったんだ。自分に素直に生きろ。人は、そうあるべきだ。たとえ王族でも」


 自嘲気味に笑うリル。

 聞き流してしまえば、それだけのこと。

 でも、だめだ。これだけは、直接言えるうちに、きっぱり否定しておかないといけない。

 今吐露されたのはきっと、主人公のアリスはもちろん、プレイヤーにも告げられることのなかった、リルの本音の弱音だ。

 お金のための結婚の道具になったということが、きっと誰にも見えないところで彼をとらえ続けた、本当のコンプレックスなのだから。


「リル。リルは、売られた王子なんかじゃないよ。たとえこれから一秒だって、そんなふうに思って生きていって欲しくない。この国にはリルが必要で、そのためにこの結婚が必要だっただけだよ。あなたという人間の価値が、お金に置き換えられるわけないじゃない」


 意志を込めて、リルを見つめながら、続ける。


「出撃のたびに見送りに来る国民たちの顔を、声を、知ってるでしょう? さげすんでいる人なんか一人もいないよ。みんな心からリルを敬って、愛してるよ」


「……ずいぶん優しいじゃないか。いや、()は優しかったな、ずっと。……ああ、君が言ってくれたことは決して忘れない。たとえ、別れてもな」


「そうだよ。……新しい奥さんが、きっとすぐに見つかるから」


 お互いに釘を刺し合う。ぶれないように。もう、結末は決めたのだ。


「新しい妻か。おれはきっと、戦に忙しくなる。そんなやつと結婚してくれるもの好きはいないだろうよ」


 リルが苦笑する。

 ほとんど反射的に、私はまた反論していた。


「そんなこと、あるわけないでしょう? リルにはちゃんと、ふさわしい人が見つかります」


「……ほお? おれにふさわしいって、どんな相手だよ?」


 リルが半眼になった。


「それは、……リルの奥さんになるくらいだから……」


「だから?」


「そうだなあ……まず見た目がきれいで、性格は嫌味がなくて優しくて、人に親切で、お姫様とか地位のある人だったとしても偉ぶらなくて」


「ふむ」


 いざ、リルにふさわしい奥さんを考えると、勝手な理想を押しつけてしまって申し訳ないのだけど。


「働き者で、頭がよくて、多才で、おしゃれで、いつもいいにおいがして」


「へえ」


 たった今までの深刻な話の後だというのに、私の口は軽やかに動いた。


「清潔好きで、整理整頓が得意で、リルのことを心から愛していていつも一緒にいるんだけどしっかり自立もしていて、あと芸術的な感性も豊かで、動物や草花をいとおしいとか大切にしようっていう感覚と人柄も持ち合わせていて、夫に頼らなくても生きていけるくらいの商才があって、それに」


「……ああ。ありがとうよ。そのへんで」


 リルが、ぴっと挙手して言った。


「えっ、まだ三分の一くらいだけど」


「いや、充分だ。それにそんな完璧生命体はたぶん大陸に存在していない」


「うーん、でも、頑張って探せば」


「おらんと言ったらおらん。……まあ、今の条件をそこそこ満たしているやつには心当たりがあったんだけどな」


 え、と目を見張る。

 リルの傍に、いつの間にそんな人が。

 あの妹姫たちのうちの誰かだろうか。見た目や性格は全員文句なしだし、そうかもしれない。

 だとすると、喜びの気持ちは確かにあるけれど、ちくりと胸も痛む。

 ……でも今、過去形だったような?


「ユフィ。君と、こうして落ち着いて話ができる機会は、もしかしたらそう何度もないかもしれないな。だから、告白しておく。俺の初恋はな、()なんだ」


 リルが、まっすぐに私を見て、そう言った。

 そうだったんだ。幼馴染だって言ってたから、不思議ではないと思う。

 ……とはいえ。


「あの……記憶喪失前の私の話を聞くに……リルって、ちょっと女の子趣味、独特だったりするかも?」


「そうじゃない」


 そうじゃない? って?

 私は眉をひそめながら、集中して聞いた。


「おれが初めて好きになった女は、()だ。記憶を失ってからの、まるで別人のようになった、この二ヶ月たらずの間の()なんだ。本音を言えば、記憶を取り戻して欲しくないと――元のユーフィニアに戻らないで欲しいと思っている。だが、それ自体が不純な想いといえるだろう」


 リルの口調はゆっくりだったけれど、私は、上手く話が理解できなかった。

 というよりも、理解するのが怖かった。言葉通りに解釈してしまえば、……


「これからは、ユフィの記憶が戻ることを、雑念なく祈れるよ。ようやく、そうできる。もちろん、君が幸せになることも願っている。別れても、それは信じていてくれ」


 呆然としている私を残して、リルは、床に下ろした離婚についての資料を大切そうに整えてベッドに戻して、……振り返らずに、ドアを出て行った。


 祝福だ、と思った。

 これはリルが贈ってくれた幸福なんだ、と言い聞かせた。

 だからつらいはずなんてないんだ、と。


 こんなに幸せなことはない。大好きな人が、私を好きだと言ってくれたのだから。

 こんなに恵まれた別れはない、これで全てがいいほうにいく。


 私は笑顔になっていた。

 その頬を涙が幾筋も伝って、流れた跡を一人の部屋の空気がひやりと撫でて、音もなくシーツに落ちる雫と共に、去った温もりを痛いほど思い起こさせた。



 人は、冷静さを失った時、その人が取れるうちで最も愚かな行為をする……という話を聞いたことがある。

 この時の私は、まさにそれだったかもしれない。


 できることを、できるうちに。

 その気持ちに煽られるままに、翌日、私は一通の手紙を書くと、マティルダにも知らせずにそれをメールスワロウに託した。


 宛先は、ミッドクラウンの姫、ミルノルド。以前に見た感じだと、リルに対して好意を抱いている、気がする。

 妹姫たちの中で、今となっては一番リルと結ばれる可能性があるのは、彼女だ。


 三日後、暦は十二月の始まりの朝、リルはミッドクラウンに出かけて行った。

 私が手紙でお願いしたとおりになったのだけど、表向きはアーノルド王子との軍議ということになっていた。


 これで、リルとミルノルドが進展するといいんだけど。うまくいかなくても、それはそれでもう仕方がない。

 すっかり日課になった家事を、マティルダたちと片づけていく。

 合間に、メイドたちから「やつれてお見えですが、大丈夫ですか?」と訊かれ、ムシュはハーブティを、メサイアは蜂蜜とドライフルーツを差し入れてくれた。いい子たちだなあ、と思う。


 リルにはあの後、私のことよりも三人の後の面倒を見てくれるようにメールスワろうを飛ばして頼んでおいた。


 そうして午前が終わり、農園のレポートを見ている間に、夕暮れが近づいてきた。

 明日は農園を見に行こうかな、と思っていた時。

 外から、けたたましく鐘が鳴り響いた。


「なっ、なに!?」


「警報です」とマティルダ。「あの鳴り方、三連打を繰り返しているのは、侵攻を受けている時ですね」


「侵攻!? って!?」


「グリーシャ、あるいはその息のかかった傭兵団が、国境に攻め込んできています。ユーフィニア様、お城に避難を」


「避難……って、そこまでまずい感じなの?」


「いつもリルベオラス様が戦っておいでなのは、小国連合とグリーシャの領地の中間地です。しかしこれは、国境が扼されている時の警報ですね」


 別邸を出ると、夕焼け空が群青色に変わりつつある中、けたたましい鐘はなお鳴り続けていた。



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