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 どうにか飲食できるスペースを確保して、お盆からお茶とお菓子を降ろした。

 なお紅茶は私が入れたけれど、お茶菓子のスコーンはメサイアのお手製である。お菓子は分量が難しいので、まだ私はメサイアとマティルダのもとで修行中の身だった。


「わー、いいにおい! お菓子もおいしいです!」


 砂糖が高価な世界だけあって、私からすればスコーンはかなり甘さ控えめだけど、上品に焼き上げてあるのでしっかりおいしい。一応、ママレードやクロテッドクリームがあるので、調整もきく。ただ、これらも貴重品だ。


「ユーフィニア様、この前お兄様がとても褒めていましたよ! 商売下手なヘルハウンズには希少な才能だって」


「わあ。お兄様って、ギネだよね」


「もっちろん。このお邸の中も、ずいぶんすっきりされましたよね。ご自分の家財道具を売り払って資金にあてられたのにも、お兄様感心してましたっ」


 エメラルドグリーンの貴公子、ギネ。物腰穏やかな、歳若くして小国連合の知恵袋と呼ばれているキャラだ。


 まさか、ギネに評価される日がくるとは……ハイグラファン冥利に尽きる……。

 こっそり胸中で感慨にふけっていると、外に馬車がつく音がした。

 またお客さんかと思ったら、すたすたと邸の中に入ってきたのは、リルだった。


「あれ、どうしたのリル」


「ギネの事前準備と手際が良すぎてな、会議が予定よりだいぶ早く終わった。お、そのポット、まだ紅茶入ってるか?」


 リルがテーブルの上の白いティポットを見て言う。


「ごめんなさい、ここのは終わっちゃった。今新しいのを入れてくるね」


 私はいそいそと立ち上がって、ふと思いついて訊く。


「クライネのお迎えだよね? そのための馬車だろうから。ギネじゃなくて、リルが来たんだ?」


「ああ。……悪いか?」


 えっ? なにも、悪くはないけども。私だって、会いたかったし……


「おれが、君に会いたかっただけだ」


 私の頭の中と同じセリフがリルの口から出てきて、驚いてしまい、手が止まった。

 リルは、すねたようにテーブルを見ている。……色白の頬が、また赤い。


「だってだな、契約の日の夜にしか来ないっていうんじゃ、あんまりだと思わないか? 夫として、それだけが目当てかという話になってしまう」


 私はぶんぶんかぶりを振った。


「な、ならないよ? 思わないよ、そんなこと」


「夜でもよかったんだが。言っただろう、ティパーティの時の君の笑顔がよかったと。だから、……陽の光のある時間に、会いたいと思って」


 目と目が合った。

 私の足が、キッチンではなく、リルのほうを向いてしまう。


「リル……、私も……」


「あ、あのー! 今私いますよ!? で、出ましょうか!? 外で待ってましょうか!?」


 クライネの声に、ぼん、と私の顔から火が出る音が聞こえた気がする。


「ごめんごめん嘘嘘! あっ違う嘘じゃないよリル、そうそうお茶お茶! お茶入れてくるね!」


 ぱたぱたと、速足でキッチンに向かう。

 しょ、しょうがないなあ私は。


 熾火に藁と薪を足してやかんをかけ、お湯を沸かしなおしている間、リビングから声が聞こえてきた。


「リルベオラス様、喉乾いてます?」


「ああ。ついでに言えば、小腹も空いている」


「スコーンありますよ。お疲れなら、なにかジャムでも乗せて……あ、この瓶はシロップかな? 変わった色だけど、使ってもいいです? じゃ、かけちゃいますね」


「はは。君、お客なんだから気を遣わないでくれよ」


 やかんの中のお湯が、しゅんしゅんと音を立て始めるのを聞きながら。

 はて。

 テーブルの上に、シロップなんて置いてあったっけ。瓶。瓶入りのシロップ……。


 あ。


 わずかに残った理性でかろうじて火を消し、私は、リビングへ取って返した。


「待ってリル! その瓶って……ああ!」



 きょとんとしている、テーブルの二人。

 リルは、ちょうどスコーンを飲み下したところだった。

 そして、やっぱり、惚れ薬の瓶が開いている。

 資料にばかり目が行って、うっかりしていた。もっと、ちゃんと片づけておくんだった。


「リルっ、こっちを見ないで! 私を見ちゃだめ! あっでもクライネのことも見ないで! 目を閉じて!」


「な、なんだ?」


 と言いながら、リルが、ばっちりと私を見てしまった。

 最悪だ。惚れ薬を、絶対に使ってはいけない使い方だ。


「リ……ル……。ごめんなさい、私、……そんなつもりじゃ……」


「なんだというんだ? ……これが、なにか?」


 リルが小瓶をつまんで振る。


「それ、惚れ薬なの……森の魔女からの、もらいもので……うっかり、私が、出したままにしていて……使うつもりは……」


 まったくなかった、わけではなかった。だから棄てられずにいた。人の心を捻じ曲げてしまう薬を。

 悪いのは、私だ。言い訳できない。


「リル、それを飲んだ人は、飲ませた人のことを好きになるの……だから、もし今からリルが、私にもし、好意を持ってくれても……それは、薬のせいだから……本当の気持ちじゃ、ないから……」


 申し訳なさで、涙が込み上げた。

 薬が切れるまでの時間は個人差があるという。リルの場合は、どれくらいだろう。数日? 数週間? それとも――


「待てよ。飲んだ人間が、飲ませた人間を好きになる? すると、おれじゃなくて」


 リルが振り返った。その先には、クライネがいる。

 少年のようにぴんと張ったクライネの頬が、上気していた。その目が潤んでいる。

 そして彼女の視線は、ぼうっとして定まらないようでありながら、まっすぐにリルに向けられていた。


 私は悲鳴を上げた。


「クライネ!?」


「おれが瓶を取って、彼女のスコーンにこれを振ったんだ。おれは別に、甘味は必要なかったからな」リルがクライネの前で手のひらを振った。「……クライネ、分かるか? どんな気分だ?」


「はい……え、あ……リルベオラス、様……? あたし……。え、嘘……なんで? だって、リルベオラス様は、この前結婚されて……その時、あたし、全然……でも……う」


 その表情からは、ついさっきまでの快活さが、すっかり影を潜めていた。代わりに、熱に浮かされたような危うい色っぽさが浮かんでいる。

 ……効いてしまっている。


 さっき、リルに私を好きにならせるのが最悪だと思ったのは、間違いだった。

 誰が誰に使っても、おしなべて最悪だ、これは。そんなことも分からないなんて、私は。


「吐かせるか」とリルが言ったけど、魔女には吐かせても無駄だと言われたことを説明する。


「クライネ、ごめんなさい。私のせいなの。今、変な気分になっているのは、私が持っていた薬のせいなの」


 クライネの横に駆け寄ると、彼女はぐったりと、座ったまま上半身を私に預けてきた。


「う……惚れ薬、でしたっけ……凄い、あたし、初めてです……人を好きになるって、こんな……」


 息をのむ。

 初恋なのだ。

 冷たい針で、背中を刺されたような気持ちになった。

 私は、クライネの初恋を、こんな形で。


「クライネ、ごめんなさい……本当に、……ごめんなさい……」


「ふ……ふふふ。よかった、薬ですか。安心しました……。ならあたしは、ユーフィニア様の夫に、横恋慕したわけじゃ……ないんだ」


 クライネが、自分で体を起こした。


「……クライネ?」


クライネが、一度リルを見た。そして、ぼっと顔を赤らめて、それから私のほうに向き直る。


「ふ、ふっふふふ……ユーフィニア様、本当にきれいな人……あたしとは、全然違う……」


 クライネはふらふらと立ち上がった。私の肩につかまるようにして。


「大丈夫ですよ、ユーフィニア様。あたし、……薬なんかには負けません。これは、勝負ですよ」


 言葉は気丈だけど、クライネの頭は震えていて、前後左右に時折かくんと折れる。


「しょ、勝負って?」


「こ、この薬と、……あたしとユーフィニア様の、勝負ですよ。いつか、……いつとは分からないけど、効果が切れるまで、耐え抜いて見せます。あたしと、ユーフィニア様の友情が勝つところ、お、お見せしますよ」


 そう言ってクライネは顔を上げた。視線は定まっていない、けれど。


「友情……? クライネが、私に?」


「ゆ、ユーフィニア様を、見ていて……ティパーティでも、エルダースの畑のことでも……あたし、自分が恥ずかしくなったんです。ただ、城で着せてもらえるものを着て、食べさせてもらえるものを食べてきました……一国の姫なら、それは悪いことじゃないのかもしれない、でも、あたしにならできることをしないのは、いいことでも、……ない。小さなことでも、大きなお仕事も。ユーフィニア様を、見習わないとって」


 ふらつく足を、クライネは、ぐっと踏ん張った。

 その体のこわばりを通して、彼女の意志力が私にも伝わる。そして、本当に熱病にかかったような、クライネの異常な高熱も。


「あ、あたし、傷病兵用の、基金を始めたんです。や、やり方は、お城の人や、お兄様に訊いて……難しかったけど、大臣たちには任せずに、あたしがちゃんと分かった上で、やらなきゃって、それで。や、やっぱり、民間より、王族がやればこそ寄付してくれる人たちって結構いて、お、思ったより順調、なんですよね」


 クライネの瞳が震えている。

 なぜかは分かった。

 リルを見つめたいのに、それを、歯を食いしばって耐えているせいだ。

 そして、私を見つめてくる。


「そしたらですね、お、お兄様に、あのギネお兄様に、褒められたんですよ。いえ、今までも褒めてくださることはありましたけど、それは妹として……今度のは、姫として、王族として、褒めてもらえたんです……ユーフィニア様のおかげなんですよ!」


 クライネは、息を荒らげて泣いていた。

 惚れ薬の薬効と、意志とのつばぜり合いのせいで、感情の歯止めが利かなくなっているようだった。


「だ、だから、こんなものには、負けはしませんっ! ご安心ください、お二方! あたしは、こんな薬のせいで、お二人に間に割って入って、不貞を試みたりはしませんよ! そ、そうしたら、ユーフィニア様、お許しくださいますか! あたしが、ユーフィニア様に友情を、い、抱くことを! わ、私たち……お友達に……」


 許すなんて、と言おうとしたのに、声が出なかった。

 喉が詰まって、引きつっている。


「け、敬意でもいいんです、そっちのほうが正しいんじゃないかって、お兄様にも言われました。でも、ゆ、友情って、一方だけじゃなくて、お互いって感じがして、いいじゃないですか。だ、だから、そ、そのほうがいいなって! だから……だから――」


 クライネが、私の顔に手を伸ばしてきた。

 そして人差し指を立てて、その指先で私の頬をすうっとなでる。

 涙を拭いてくれたのだった。私も、いつの間にか泣いていた。


「――だから泣かないで、ユーフィニア様。美しいお顔に、涙は似合いません。あたしは、平気ですからね……」


 クライネを抱きしめた。

 なにか、なにか、できることはないのだろうか。

 ただ薬の効果切れを待つしかできないのだろうか。

 エドンサルテなら治せるのかもしれないけど、あの森まで行くには半日はかかる。

 本人がいなくても、解毒剤があれば。メールスワロウを飛ばして、持たせてもらうか、作り方を書いてもらうか。それには何時間かかるのか。

 今すぐ助けてあげたいのに。一秒でも早く、私の過ちから解放してあげたいのに。


 そんな思考を巡らせていると、そこへ、ムシュがやって来た。


「なにかありましたか? 騒がしいようですねえ……。どうしたんですお二人、抱き合って?」


 その声を聞いて、ひらめきに打たれたように思い出した。

 解毒。そうだ、その言葉を、ムシュから聞いたのだ。


「ムシュ、エルダースの葉があるよね? 粉にする前の」


「え? ああ、キッチンにありますよ」


「お湯は沸かしてあるから、すぐに煮出して!」


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