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 十月二十四日、水曜日。


 夜になり、リルがやってきた。

 部屋のドアをノックし、私が返事をすると、私の夫が入ってくる。

 私の――この国の為政者一族である、夫が。


「……おう。……どういう騒ぎだ、これは?」


 私の部屋はティーテーブルを端に片づけ、代わりに、三つほど作業台のような机が入っている。

 その上には、所狭しと、街の図書館で借りてきた植物学の本、図鑑、それにヘルハウンズ周辺の地図、などなどが並んでいた。


「リル。待ってた」


「おれが思っていたのとはまた別のことで待ってくれていたみたいだな。……話を聞こうじゃないか」


「これ、知ってる?」


 デスクの脇には、鉢植えにしたエルダースがある。


「ああ、野山に狩りに入った時に、茶にして飲んだ気がするな。エルダースだろ。それがどうしたんだ?」


「これ、干して使ったことある?」


「干す? いや、紅茶よりうまいものでもないし、いつも摘んだらすぐに茶にするから、干したりなんかは」


 私は、デスクの上のベルを鳴らした。

 マティルダとメサイアが入ってくる。


「なんだというんだ、君らまで」


「リルベオラス様」マティルダが神妙な顔で切り出す。「こちらをお召し上がりください」


 銀色のお盆の上に乗っているのは、シュトール鴨という鳥のローストを薄切りにしたものだった。


「こんな夜中に、鴨? ……いいだろう、いただこうじゃないか。だが今の時期のシュトールは、脂がきついんだよな。紅茶もくれよ」


 一切れ口に入れると、リルの顔色が変わった。


「……なんだ、この香り? 鴨の脂のしつこさや、嫌なクセが完全に消えている……鼻の奥までくる刺激的な……だがまったく嫌味じゃない……。黒い粉のようなものがかかっているな。これの香りなのか?」


「リル、それはエルダースの葉を乾かして砕いて、鴨に振りかけたものなの。山の中に自生しているけど、赤土や荒れた土地でも丈夫で、早く育つんだって。これを――」


 私は地図のある個所を指さす。

 リルと一緒に見た、あの荒地を。


「――これを、ここに植えられないかな。山から掘り出して植え直しても大丈夫みたいだし、いずれは種から増やして、ちゃんとした畑にしたいの。上手くいくかは分からないけど、試してみたくて」


「畑? 確かに、これは人気が出るかもしれないが。この間も言っただろう、もうあそこで働く農夫のあては……」


「用意して欲しいの。国費で。ううん、まずは、私が、この邸にあるものを売り払って――ゆくゆくは建物も土地も売ってでも、お金を作るから。国費を充てるのは、もし軌道に乗ったならっていうことで。それに、山からどれくらいならエルダースを掘り出しても周囲への影響がないものか、それが分かる学者さんも紹介して欲しい」


 邸の中のものを、ともすれば邸ごと売ることは、メイドのみんなには話してあった。

 もともとユーフィニアが自由気ままに暮らしたくて設けた別邸なら、我がままを重ねるのは申し訳ないけど、私の意志で売り払うこともできるはず。

 どのみち、……私は、いなくなるのだし。マティルダたちはお城に戻ればいいだけだ。リルなら、彼女たちをむげにはしないはず。


 リルが目を見開いている。

 けれどその眼には驚きだけではなくて、理知的な輝きがあった。


「……ユフィ。簡単に言うが、最初は、大した量は収穫できないとは思うが」


「でも、実じゃなくて葉だし、枯れてしまわないようにではあるけど、すぐに摘める分だけでも結構あると思う。それに、この香りは一度かげば魅力は一発で伝わるよね。なら、初めのうちは収穫量が少なくても、希少価値が出ていいんじゃない?」


「……それに、これも簡単に、邸のものを売るというがな。君が指示して買い集めたものは、どれも値が張るものばかりだ。すぐに買い手がつくとは限らない」


「ルーズ商会、っていうところを紹介して欲しい。ドライ・エルダースを売るにしても、流通や販売の経路が必要でしょ。なるべく早く大きくお金を動かしてくれるところがいいけど、聞いてる感じ、この大陸ではその商会が一番みたいだから」


「……君は」


 リルは、今度は少しの間絶句した後、マティルダたちには聞こえないように、私に耳打ちしてきた。


「この間の話を気にしているのか? 君のせいではないと伝えたつもりだったが。それに……なにを焦っている?」


 確かに、私は焦っている。

 エルダースにコショウとしての機能があるというのは、この世界では今のところ私だけが知っていることだけど、いずれハイグラ内の誰かが気づくだろう。

 そうなってからでは遅い。一日でも早く、確実にヘルハウンズの公式の特産にしないと。


 それにシナリオ上、あと二ヶ月と少しで年が明ければ、本格的にストーリーが始まり、日が進むにつれてリルの出征も立て続けになる。

 それまでに間に合うなら、私が原因の――ううん、それ以外のものでも、リルの足かせになるような要素は、できるだけ取り除いておきたい。


 現世で事務職をしている時、営業課長からは、よく「仕事の秘訣は人脈と物真似だよ。自分ひとりの力でなんて、大したことはできないんだ」と聞かされていた。

 一応培った職務経験、ここで活用させてもらおう。

 私の勤めた会社は、食品の流通業だった。ものを作る人と売る人の間でものを動かす立場は、両者に負けないだけの――時にはそれらを上回るほどのお金を生み出せることを知っている。

 戦費。それが、リルを最も縛っている不安材料なのだから。


 それに今の私は、リルの人脈を頼れる立場にいる。使えるものは、使えるうちに使わなくては。だから焦りもする。

 もとから問題児の上、道理の通らないような離婚をした我がままなお姫様なんて、元の国にそのまま帰れるとは思えない。勘当くらいされると思っておいたほうがいいだろう。

 私は、ただのユーフィニアになるのだから。

 そうしたら、きっともうリルのために私ができることはなにもない。


「リル。私、怪しいよね。もとから評判が悪かった上に、もう何度目かの記憶喪失騒ぎ。いろいろ、不審だろうなって自分でも思う。……そうだよ、私、理由があって焦ってるの。でも、……私にできることをやらせて。お願い」


「ユフィ……君は」


「あ、あのっ! リルベオラス様!」


 いきなりメサイアがそう言ってきたので、リルと二人でぎょっとした。


「ユーフィニア様のお願いを、聞き届けて差し上げてください! 一昨日から、ほとんどお休みもせずに、ずっと調べ物をしておいでなのです! ユーフィニア様は本当に、リルベオラス様とヘルハウンズのことを思いやっておいでです!」


 ああっ、そんなこと言わなくていいのに。

 リルが私のことを、改めてじろじろと見始めた。

 メイクで隠し切れないくまや、資料を読み漁ったためにインクと乾燥でぼろぼろの指先がそれと知られてしまう。


「……分かった。分かったよ、ユフィ。君が金を作ってくれるというなら助かる、国費は常に不足しているからな。グリフォーンもさすがに、もうそう金を出してはくれまい。その代わり、必要な人材はおれが手を尽くしてそろえる」


「ありがとう、リル!」


「ああ。ところで」


「うん?」


「すっかり、おれと話す時は、町娘のような口調で定着したな」


 あ。いけない、このところ余裕がなくて、完全に素だった……。


「それで構わない。かしこまられるより、ずっといいさ。それとだな」


「ま、まだなにか?」


「一応確認なんだが。今日も、共寝はなしということだな?」



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