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<第三章 別れの香りはたおやかに>


 次の日の朝、みんなの分のコーヒーは私が入れた。

 食卓に着いたリルは驚いていた。私が炊事をすることにも、三人のメイドが、先日私がそうお願いしてから、同じ時間に同じ場所で食卓を囲むことにも。

 なお私が用意したのはコーヒーだけで、それ以外は、卵も、サラダも、ママレードを塗ったトーストもトマトのスープも、すべてメサイアが作ってくれた。

 この世界には、塩はあっても香辛料の類があまりなくて、目玉焼きにコショウが欠かせない人には物足りないかもしれない。

 さらに砂糖も貴重らしく、ママレードは私が知るものより甘さがかなり控えめだったけど、充分おいしい。


 朝食が済むと私も洗い物を手伝って――これにもリルは驚愕していた――、リルは少し体を動かしてくると、庭園で運動をしていた。体操というよりは、武術の鍛錬みたいだった。


 それが終わってから、リルの馬に二人乗りで、私は邸の外に連れて行ってもらった。


 邸から三十分ほど行ったところには、花の咲く盆地の真ん中に湖があった。

 そこで初めて、馬を降りたリルが私に訊いてきた。


「さっきから気になっていたんだが、今日のユフィの香水は、今までにかいだことのない香りがするな」


「えっ、あっ、うん。どうかな」


「いつもより穏やかで、自然で、いいと思う」


 今日は、こっそりと、エドンサルテがくれた香水の中から、シトラス系のものを首筋と手首にかけたいたのだった。だってユーフィニアの持っている香水って、どれもこれも、ほかのにおいがかげなくなるくらいきついから。


「腰が痛くないか? 馬車と違って、乗り慣れないだろう」


「うう。少し。お見通しで」


 手近にあった大きな切り株に二人で腰を降ろして、メサイアが持たせてくれたサンドイッチと紅茶で、少し早めの昼食をとる。

 サンドイッチの具は、くせのないチーズとトマト、下味をつけた薄切りの鶏肉と酸味のあるソース、こしょうをきかせたポテトサラダなどなど。

 一度に作ろうとするとだいぶ手間がかかりそうだけど、メサイアの手際の良さにはいつも感動してしまう。


 周りには、小さな花弁の野の花がちらほらと咲いていた。

 見慣れた花でも、こうして地面に近いところに腰を下ろしてすぐ傍で目にすると、格別に愛らしく感じる。

 リルにそう言うと、


「ああ。おれも、花壇の花も好きだが、こういうふうに見る花もいいと思う」


 と微笑んでくれた。


 紅茶に息を吹きかけて冷ましながら、ふとリルとみると、東のほうを眺めているようだった。

 私もそちらに目をやると、明るい緑色の森が途中で切れて、その向こうは荒野になっている。


「景色がいいのはここまででな。特に東側は、荒廃した土地が広がっている。……覚えているか?」


 私はかぶりを振った。ゲームの中には出てこない情報だった。


「西の大国グリーシャとの戦は、なかなか終戦に至らずに、小競り合いが続いている。人も金も、そのために浪費されていく。実際あの荒野は、おれたちが子供のころは畑だった。だがもう、耕す人手も、畑として整備する手間も、そうするだけの金も、この国にはなくなった」


 サンドイッチはもう食べ終わって、私たちの手には、紅茶の入った陶製のマグだけがある。

 その湯気の向こうに荒野を見据えて、リルが続けた。


「小国連合は二十を超える国々の集まりだが、戦費を出すのは、どこも渋る。昨日の四人の王子の国は、小さい国もあるが、それでも、どれも協力を惜しまないところだ。だから強く連帯していられる」


 こうしたところは、恋愛に直接関係ないということで、ハイグラのシナリオ上では説明されなかったところなのだろう。

 リルがこうしたことで悩んでいるのも、テキストで見たことがない。

 私が楽しく遊んでいた恋愛シナリオの裏では、こういうこともあったんだなと思う。この人が、こういう人たちが、支えてくれていたんだと。


「だが……いずれは、小国連合としての戦争の費用はすべて、本当におれたち五ヶ国だけの持ち出しになるかもしれないな。そうなれば、連合の崩壊は近いだろう。国々の結びつきが弱まればグリーシャは内部分裂を狙った工作だって仕掛けてくる。……なにが言いたいかというとだな――」


 リルが、並んで座っている私のほうを見た。そして少し笑顔になる。


「――そうまで真剣な顔で聞いてくれていると、話しがいがあるよ。おれは、敵が仕掛けてくるすべての戦いに出向き、そのすべてに勝つ必要がある。うぬぼれではなく、それができるのは、おれだけだ。おれが国民を――ヘルハウンズだけではなく、小国連合すべての民を守らなくてはならない。だから、……本格的な戦争が始まれば、出征が続いて、君には寂しい思いをさせるだろう。許して欲しい」


「……許すなんて」


 風が渡る。

 リルは、その「本格的な戦争」が始まる来年、繰り返し戦いに出かけて行って、本当にすべて勝ってくる。それは、何度も見たゲームのシナリオだ。

 でも、だから大丈夫だろうとは、目の前に実在している血の通ったリルを見ていると、もう思えない。

 この世界が私の知るシナリオ通りに進むとは限らないし、私の知らないことだって、もうすでにたくさんこの身で体験している。

 リルに、私の最高の恩人に、万が一のことがあったら。

 そうさせないためには。


「リル。ルーズ商会っていうところに、資金提供を断られたんでしょう? 大陸中に影響力のある、大きな組織なのに」


 リルが目を見開いた。


「なぜそんなことを」


「ちょっとね、たまたま、つてで」


 エドンサルテが、邸からの去り際に教えてくれたことだった。

 小国連合が大国に抵抗し続けることは、その商会にとっては商売上の好機であって、本当なら資金提供があってもおかしくないはずだった。

 けれど彼らは、小国連合を代表する将軍であるリルベオラス・ヘルハウンズが、悪女と名高く、浪費癖もあれば異性にもだらしのない女と、お金目当てに結婚したことを重く見た。


 断続的ながら長く続く戦いの中、小国連合にはもう、体裁を取り繕うだけの余裕もなくなっている。

 戦争の最重要人物であるリルの結婚相手が、共に国を支えうる才媛ではなく、大陸のほうぼうまで評判が届くほどの悪女では、行く末も知れている。

 これでは、小国連合に資金を提供しても、ただの無駄金で終わるだろう。少なくとも、出資相手としての信用度は著しく下がった。

 そう、ルーズ商会に結論づけられたらしい。


「私のせいで、……リルが、小国連合が、戦えなくなる……」


「待てよ。いくらなんでも、君一人のために、大陸一の商人連中が商いをどうこうしたりはしないさ。どう聞いたか知らないが、商会の奴らは足元を見てるだけだ。難癖をつけて、より有利な取引をするために」


 そうかもしれない。でも、そうではないかもしれない。

 ルーズ商会という組織も、ハイグラには出てこない。

 せめてゲームの知識でリルを助けることができれば、少しは救いになるのに。

 少なくとも、それができうるのは、この世界では私だけなのに。なにが結構な特権だ。リルのために、なんの役にも立てなくて。むしろ迷惑をかけて。

 それを分かっていながら、半ばパニック状態だったとはいえ、キスされたくらいでぐらつきかけていた自分を、叩いてやりたかった。


 リルが、私の肩を抱く。

 涙をこらえる。これは、流していい涙じゃない。


 私は、リルの肩に頭を預けた。

 リルの手が肩からのいて、今度は私の頭と髪をなでてくれる。

 気持ちよかった。陽だまりの子猫になった気分だった。

 でも、これが最後。

 私がリルに甘えるのは、これが最後にしよう。



 十月二十二日、月曜日。


 朝食を終えた後、リビエラが贈ってきてくれた紅茶を、メサイアが入れてくれた。

 信じられないくらいいい香りがして、私とメイド三人で目を白黒させた。


 その後、この日はムシュと一緒に洗濯をする。

 シーツを洗うというので、中庭に大きなたらいを出して、その中に洗濯液とシーツを目いっぱいに入れた。


「ユーフィニア様、洗濯液に浸してる間、ちょっと息抜きしませんか?」


「もう?」


 いたずらっぽく笑うムシュに連れられて行くと、庭園のはずれに、赤茶けた土の一角があってそこに見慣れない植物が植えられている。

 木のようだけど背丈は低くて、柔らかそうな葉がたくさん茂っていた。


「なに、これ?」


「ふっふっふ。さっきの、リビエラ様のお茶とはちょっと違いますけど、こういうのもいいものですからね」


 ムシュが、手早く十数枚の葉をちぎり取った。

 そしてどこからともなくお湯の瓶とティポット、それにカップを取り出して、ハーブティの要領でお茶にして注ぐ。


「どうぞ、ユーフィニア様。あたしがこっそり育ててた、ユーフィニア邸産の名品です。今までは内緒でやってましたけど、今のユーフィニア様には教えちゃいましょう。前は、こんなことがばれたらどんな目に遭わされたかわからないですから、絶対言えませんでしたけどね」


 もう、とくすくす笑って、私はカップを受け取った。


「あ、いいにおい。なんだっけ、エルダーフラワー? あんな感じ。でも、コショウみたいなスパイス感もあって、すっきりするね」


「コショウ? てのは知りませんけど、これ、疲れてるときや暑い日にいいんですよ! 解毒作用もあるから、毒虫や毒草のある山仕事では重宝するんです。あと、これもどうぞ」


 ムシュが、すぐ近くの別の木に案内してくれた。これも低木だったけど、今の木とは違って、きれいな赤い小粒の実がたくさん生っている。

 さくらんぼより少し小さいくらいの実が鈴なりになっているのは、濃い緑色の葉に映えて、見応えがあった。


「あたしの庭じゃないのになんですが、好きなだけつまんで召し上がってください。甘酸っぱくて、おいしいですよ!」


 お言葉に甘えて、何個か摘み取って、食べてみた。

 酸味があるけど甘みがそれ以上で、とてもおいしい。

 あ、これ、知ってる。現世のよりだいぶ大振りだけど、ユスラウメと同じ味だ。おばあちゃんの家で鉢植えされていて、小さいころにスケッチしたっけ。


「ああ、なんだかいいね、こういうの。外で直接食べるっていうのが、また楽しいっ」


「でしょう。こいつら、この外れの質の悪い土でも、一年中よく育つんですよね。特にさっきお茶にしたほうは樹木だけど、草並みに成長が早いんで、楽でいいですよ」


「ふうん。逞しいんだ」


 質の悪い土。なにか、頭の片隅に引っかかるものがあった。


「ね、ムシュ。これってどっちも、育てるの大変だったりする?」


「え? 全然。水やるだけですね、せいぜい。勝手にぐんぐん育ちます」


「そんな簡単に育つのに、どうしてもっと流行ってないの? 私、何度かマティルダと街に買い出しに出たけど、見たことないと思うんだけど」


 最近、厄介ごとになったら面倒だと言わんばかりのマティルダに頼み込んで、スカーフでほっかむりして一緒に買い物に行って、日用品のほかにも安くて丈夫で趣味のいい服を買ってみたりしたのだけど。

 その時も、食料品店に並ぶ香草や香辛料の種類が限られていることに驚いたのを覚えている。本当に、裏庭栽培か、リビエラのような上流階級の趣味程度にしか出回っていないようだった。

 そこでこの葉を見かけていれば、覚えているはずだ。

 ああ、とムシュが手を打つ。


「これ、どっちもヘルハウンズ領周辺にしか生えてないんですよ。それも野生種だから、出先の木こりならともかく、わざわざ育ててまでお茶にする物好きもいませんし。普通にお茶飲むなら、紅茶があればいいですしね。これはあたしが、山に入った時に掘ってきて植えたんです」


 ふと、ひらめくものがあった。


「……ムシュ。コショウって、聞いたことないんだよね?」


 ムシュが首をかしげた。


「さっきも言ってましたね、それ。存じませんねえ」


「この、ちょっとピリッとくる後味あるでしょう? こういう香りがするものって、ほかにある?」


「んー、あたしは心当たりないなあ。コショウ、ってグリフォーンにあるものですか?」


「ううん、いいの。……これ、どっちも、名前なんていうの?」


「お茶にしたほうがエルダースで、実のほうはプラナスです」


 私は、葉と実を多めに摘み取らせてもらって、邸に持って帰った。

 不思議そうにしながらも洗濯を再開したムシュと一緒に作業を終わらせると、私はキッチンのかまどに火を入れ、エルダースの葉をフライパンで乾煎りにしてみた。

 水分を完全に飛ばしてから、もんで砕いて、香りをかいでみる。

 ……お茶の風味が飛び、残った香りは、コショウだ。完全にコショウのそれだ。


 この国には、コショウがない。木もなければ実も存在しない。

 でもここに、同じ香りのものがある。

 確か、現世では、コショウが原因で戦争にまでなったはずだ。

 それくらい、人を魅了する香辛料。


 これは……

 なにかに、なるのでは。

 私は、キッチンを出ながら大声で言う。


「マティルダ、いる!? この国って、図書館ってあるかな!? 植物の本が置いてあるといいんだけど!」



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