8
夜の丘、庭園の出口あたりに、馬に乗ったリルの後ろ姿が見えた。
ゆっくりと馬を歩かせてくれていたおかげで、全然走るのに向いてないヒールの靴ながら全力疾走すると、なんとか追いつけた。
「リル!」
私は馬の横からすがりついた。
「あれ、ユフィ――き、君その格好で!? なんだ、どうした!?」
「わ、分からない」
「なに!?」
「分からない、分からないんだけど――私、あなたになにも文句なんて言えないんだけど、でも!」
その時、後ろから、マティルダが追いついてきた。
「ユーフィニア様、なにがお気に召さないのです! 妃であるあなたが固辞されれば、リルベオラス様がよその女を召されるのは、当たり前のことでしょう! 無理強いされない分だけリルベオラス様のお慈悲というもの! 理の当然、因果応報、自業自得、猫が寝ころべば尾は頭を指さずでございます!」
「あ……ああーッ! 初耳の慣用句を交えて理路整然と仕方ない感じで言わないでッ! 私だってそれはそうだなって、でも、でもー!」
どうしていいか分からなくなり、半泣きで頭を抱える私の横で、リルが吹き出した。
「ふん。マティルダ、君は相変わらずのやり手だな。そして主人思いときた。おれの臣下に欲しいくらいだ」
「恐れ入ります、リルベオラス様」
え? え? なに?
リルは、馬から降りて私の隣に来た。
「説明が足りていなかったな。おれは君にいくらお預けをくらわされても、決してほかの女には手を出さないと誓おう。この通り、証人もいる。……安心したか?」
さら、とリルの手が私の頭をなでて、優しく髪をすいた。
生物学上の男性としてというより、女性の守り手としての矜持がそうさせるような、穏やかさと優しさがこもった手に、こわばった私の体から、力がするすると抜けていく。
「し……しました。あの、ごめんなさい、リル……私自分のことばっかりで、リルのこと……」
「おれのことはいい。君の嫌がることはしないよ、夫婦だからな。どれ、悪さをしない証明に、今日は別邸のほうに泊まらせてもらおうか。マティルダ、客室を用意できるか?」
「客室でよろしいのですか? ユーフィニア様のお部屋では……」
「おれたちには、少し時間がいるようだ。おそらくは二人でいる時間だけでなく、一人の時間もな。しかし戦でもないのに、城の外へ泊まるのは久しぶりだ。城には、メールスワロウを飛ばして知らせておいてくれ」
かしこまりました、とマティルダが言う。
そして、馬を引いて歩くリルと、私たちは三人で歩き出した。
夢中でここまで来てしまったけれど。なんだか、……私は、とても大事にされている気がする。
私はマティルダに耳打ちした。
「マティルダ、……リルのさっきの言葉を私に聞かせるために、こうしてくれたの?」
「どういたしまして。まさか、バスローブ姿で飛び出すとは思いませんでしたが」
はっとして、体を見下ろす。やけに風通しがいいなと思ったら。
私は慌てて、素材がいいせいかさほどはだけていない前を、それでもかき合わせた。
「わ、わああああきゃああああ。リ、リル、見ないで」
「おおよ」リルが笑って言う。「マティルダがやり手なのは、今に始まったこととじゃないからな。それにしても、少し前までは、結構ユフィに当たりが強いように見えたけどな?」
マティルダは小さく首をかしげて、人差し指を顎に当てる。
「ふむ、そうですねえ……最近のユーフィニア様を見ていると、このくらいのお世話は焼きたくなるのですよね」
その顔は、月明かりでも分かるくらいに、にっこりと笑っていた。




