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一夜明けて、月曜日。
リルが私のところに通ってくるのは、毎週水曜と土曜日だという。
できれば、やっぱり、契約だからという理由でそういうことをするのは……避けたい。
だってその契約って、子供を作るためのものだっていうし。別れることを決めた今となっては、余計に慎重になってしまう。
これはもう、誠心誠意お願いしてみるしかないかな……。
「それはそうと、リルに不特定多数の女の子を引き合わせるには、どうするのが手っ取り早いんだろう」
「朝一番からなかなかに不穏なご発言、大変ご機嫌でいらっしゃいますね?」
ベッドの横で、部屋着――私の部屋着の感覚より大きく上振れした素材と仕立てだけど――への着替えを手伝ってくれていたマティルダが、半眼で言ってくる。
「あ、ごめん。口に出てたかな」
「頭の中に出すのも、本来どうかというお言葉ですが。そうですね、穏当な方法としては、パーティでしょうか」
「パーティ……おお……なんとなく聞き慣れてはいるのに、実生活ではまったくなじみのない響き……」
「なじみがない? あれだけのお酒を浴びるような毎日を過ごしておいて、よく……あ、いえ、記憶がないのでしたね。とにかくユーフィニア様がそうした催しを開かれれば、自然な形で姫君たちをお呼びできるかと」
「そういうのって、たとえば今週やりますとかって言えば、できるものなの?」
着替え終わって、姿見――私が持っていたものより三周りは大きい――の前で背中を見ていると、マティルダさんが胸を張った。
「昼間のティパーティでよろしければ。お命じいただければ、メールスワロウを飛ばして、今週末――金曜には開催できますよ」
金曜か。
水曜の夜をなんとかやり過ごせば、金曜の昼間に姫の誰かとリルが接近したら、私への興味が薄れるかも。それを繰り返して、だんだん気持ちがその子のほうに傾いてくれれば、早ければ翌日の土曜の夜から、私とそういうことをする気持ちも薄れていったりする、かも。契約なんて、私から破棄してもいいんだし。……また、怒らせてはしまうだろうけど。
きりきりと胸が痛む。でも、もう決めたんだ。
もともと、リルは二次元の人。文字通り、住む世界が違うんだから、未練なんて持たない。
「マティルダ、お願い。今週の金曜、十月十三日。私が言う通りの人たちを招いてティパーティを開いて」
■
もちろん、パーティの準備をマティルダに任せっきりにするわけはなく、私も一緒になって人やら物やらの手配をした。
これが、こまごまとして、かなり忙しかった。
よくマティルダはあんなに涼しい顔で「お命じいただければ」なんて言ったものだと思う。
だけど実際、彼女の作業はてきぱきとして無駄がなくて、スムーズだ。私なんかより、ずっと仕事のできる人なんだろうな。
そして私のほうも、こういう機会に、この世界の常識や人間関係がどんどん知れるのはありがたかった。
なにが欲しい時はどこへ注文して、その際に気をつけなければなにとなにか。
そうしたことのメモを取りながら目まぐるしく動いていると、ムシュとメサイアがまた驚きの目で私を見ていたけど、一緒に働いていると二人とも家の内外における業務のノウハウをどんどん教えてくれるので、とても助かる。
そしてあっという間に、水曜の夜になり。
「先週末以来だな。また仕事が立て込んで、顔を出せなくてすまなかった。わざと足を遠ざけていたわけではないんだが」
「あ、謝らないでください、リル様」どうしても敬語がぎこちなくなるけども。「私こそ、自分のことで手一杯になっちゃって。あの、それで、言いにくいんですが……」
「見れば分かる。今夜も共寝はなし、だな」
「も……申し訳ない……!」
私は、慣れない体で一日中動き回っていたせいで、日焼けはするわ腰は痛めるわ、ぼろぼろのコンディションになっていた。
夜のことをどう断ろうか悩んでいたので、それが解決したのはありがたいといえばありがたいんだけど。
「ああッ! せっかくリルが来てくれてるのに腰にコルセットつけてベッドに寝っ転がってるなんて、私ってなんて減点妻ッ!」
リルが私の横に座った。ベッドが小さくきしみ、彼の存在感を伝えてくる。
「聞いたよ。昼間に他国の王子を招いて食事会とは、君には珍しいな。そのための作業なんかするから、無理がたたったんだろう。日焼けも体力を奪うしな。そういえば、作業着姿の君を初めて見たと、メイドたちが話していた」
作業着といっても、比較的装飾のない動きやすい服をムシュに借りただけのだけど。
やっぱりユーフィニアの体は根本的に働くのに向いていないのか、少し動くだけでも心身ともにひどく疲れた。
うう。この世界、ジャージってないのかな。
「それにしても、先週からの君は、どうも言動が不安定だな。おれの呼び方も一定しないし」
「はっ。す、すみません!」
ゲームの中のリルに対してはいつも平常語で話しかけていたし――だって次元が違うんだから一方通行なわけで――、名前も呼び捨てにしかしたことがない。
こうして本人と面と向かって話す時は、なるべく対場と状況に合わせた話し方をしたいけど、これがなかなか難しいのだった。
「いいや、謝るほどのことではなくて、……そうだな、今の君のほうが、おれには気が許せて、接しやすいよ。なんというかな、上手く言えないが。……気のせいでなければ、おれのことを慮って、尊んでくれている気がする」
それはだって、尊いから! ……とは言えずに、私は「もちろんです、妻なので!」と言ってごまかした。私がリルの妻だなんて、自分で言っていて、不思議な気持ちになるけれど。
でも……今、私のこと、気が許せるって言ってくれた?
シナリオの中のリルは、いつも戦ってばかりいたから、いくらかでも安らげる時間を作ってあげたいけど。
このユーフィニアの中の私に、それが少しはできていたら、いいな。
「時に、……つまらないことを訊いてしまうかもしれないが」
「え、なに? なんでも訊いて、じゃなくて、訊いてくださいっ」
「ああ。……結婚式以来、ここにおれ以外の男は来ているのか?」
「男の人? あ、香草の行商の人とか、クリーニングの人は来たかな」
リルが頭をかいた。
「いや、そうではなくて。つまり、君の、遊び相手がだ。何人かいただろう」
はっとして起き上がろうとして、腰がぎしりと痛んだ。
「くっ!」
「ああ、動くな。……悪かった、変なことを訊いて」
「ううん、そうだよね、気になるよね! 前の私が私だから――ですから!」
「前の?」
聞き返されて、慌てる。
「あ、だから、結婚式の前ってことです! でも、もう絶対にしません。昔のことも、……後悔しています。覚えてないけど、リルっていう人がいるのに、恥ずかしいことをしていたなって思います……」
本当は私がやったことじゃないけど、それでは通らないだろうから。
腹ばいの私は、首だけを上げてリルを見た。
目と目が合う。
「一応言っておくが、君を責めるつもりはない。おれの知らない、君なりの事情ってものがあるだろうからな。だから今のは、……ただ、おれが面白くなくて訊いただけなんだ。本当は、おれが相応の甲斐性を持てばいいだけだものな。……情けないこと言ったかな」
そう言って、リルはまた頭をかいた。
「そ、それは違います! 自分の奥さんがつい最近までそんなふうだったら、気になって当たり前ですよ。むしろ気にならないって言われたほうが、私ならショックかも――私こそ自業自得なんですけどね! だいいち、リルが情けなかったことなんてないし!」
変なスイッチが入ってしまった、と自分で気づくこともできず、私はまくしたてる。
「リルはまさに王子の中の王子、将軍の中の将軍、リーダーの中のリーダー! 雄々しくて頼りになって、リルなしには小国連合なし! 天に星、地に花、人に愛、私の心にいつもリル! とにかくそんな感じですから! ありがとうリル! 最高だよリル!」
気がつけば私は、うつ伏せのまま、ベッドの天蓋に向けて、高々とこぶしを突き上げていた。
「……お、……おう?」
「というわけでっ! もう決して、リルが心配するようなはしたないことはしません!」
「はは、頼もしいな。……本当に、少し前の君とは別人のようだな。ユフィ、仰向けになれるか?」
それくらいなら大丈夫、と私はゆっくり体を反転させて上を向いた。
「どうかしました? 起き上がれないわけじゃないから、仰向けになるだけじゃなくて、なんでも大丈夫ですよ」
「いや、そのままでいい」
「そうですか?」
なんだろう、と思っていたら、すうっとリルの上半身が私に向かって降りてきた。
どうしたんですか、と聞こうと思った時には、唇が重なっていた。
最初に、くすぐったい柔らかさが唇に伝わってきた。
そして次の瞬間には、びりっと甘ったるい電流みたいなものが頭の先からつま先まで流れて、優しい痺れが全身に広がっていくのを感じた。
私の瞼一センチ前に、目を閉じたリルの顔がある。私のほうはあまりのことに固まってしまい、目も開いたままだった。
なにが起きているのか一瞬分からなくなって、思考が止まる。
息が止まる。時間も止まる。
やがて柔らかい唇が、私の唇に触れたまま少し動いただけで、あまりのくすぐったさに背中が跳ねそうになった。
なにもできないままでいる私の上で、リルの体が起き上がる。
「おれのほうから、こうすることは、その気になればいくらでもできたのにな。不安にさせていたんだろうな」
「は……え」
今。私。リルと。
色白のリルの顔が赤い。たぶん、雪のように白いユーフィニアの顔も、真っ赤になってしまっている。
「具合が悪い時に、すまなかった。今日はもう帰るよ」
「……は……い。あ、あの悪くなんか。むしろもっ」
「も?」
「も――も、い、いえ、なんでも、ないです……」
リルがドアを出ていく。私はかろうじて、手を持ち上げてふらふらと振り、一度振り返ったリルがそれを見て微笑んだ。
この間押し倒された時より、服はちゃんと着ていたし、接触の範囲は狭いし、時間は一瞬だったけれど。
なぜかあの時とは比べ物にならないほど気持ちのいい熱が、私の体温をじりじりと上げていった。
頭がくらくらする。風邪を引いた時みたい。
だから、気を強く持たないと。
迷ってはいけない。
リル。
私が。
決意を確かにする分だけ、なぜか、涙も溢れそうになっていた。
私がリルを、自由に、幸せにしてあげるからね。
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