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新人魔女と「味」を知らないゴーレムの宇都宮グルメ旅

作者: 九鳥乙矢

「お……おはようぎょざいます! 今日からお世話になります、七日町(なぬかまち)めぐりひっ!」


 私の名前は七日町めぐりひ。

 では、もちろんありません。七日町めぐりです(七日と書いて「なぬか」と読むのがポイントです)。


 噛んだわけではありません。驚きのあまりに声が上ずってしまっただけです。


 私でなくたってこうなるはずです。

 目の周りを真っ黒な包帯でぐるぐる巻きにした人が現れたら、誰だって度肝を抜かれることでしょう。


「あれ、なのちゃん来るの今日からだっけ?」


 驚く私と対照的に、黒包帯の女性(いくつでしょうか。先日まで生活していた施設の寮母さんより若いのは確かです)は「スケジュールどうなってたっけな……」なんてとぼけた風な口調で、ぶかぶかの白衣のポケットからスマホを取り出して、何かを確認し始めました――どうやら包帯ごしでもスマホの画面が見えているようです。


 ひょっとして私が知らないだけで、都会では最先端のお洒落なのでしょうか。だとすると早速のやらかしです。目に掛けるのは眼鏡かサングラスしか私は知りません。これでは田舎者のお上りさんだと後ろ指を指されてしまいます。


 実際その通りなので文句は言えないんですが、都会の人はなんとも言えない怖さがあります。暗い夜道を横切るカモシカよりも怖いです。

 と、


「――あ、あぁぁぁぁぁぁっ!」


 突然叫ぶ黒包帯さん。

 思わずびっくりしてしまいました。これだから都会の人は――いえ、嘘です。田舎の人でも叫ぶときは叫びます。何があったのでしょうか。


「ごめんね、なのちゃん。アタシ、なのちゃんが来るの来週だとずっと勘違いしてたわ」

「そ……そうなんですね?」


 黒包帯さんは自分の失態について隠す様子もなく、快活に言います。

 ところで、私は七日町(なぬかまち)なんですが、そちらも勘違いされたままだったりしないでしょうか。ひょっとしたら私が訛りに慣れ過ぎてそう聞こえるだけかもしれないので、安易に訂正もできません。都会は難しいです。


「歓迎する準備なんて全然できてないんだけど、いつまでも玄関で喋ってるのもなんだしさ、靴脱いで中へ上がんなさい」


 やたら社交的な黒包帯さんに背中を押され、玄関の中へ一歩入ると、アイテール(古い人は今もエーテルと呼んでいます。私も最近までそう呼んでいましたが都会に出るため矯正しました)特有のバニラとスミレを掛け合わせたような、青みがかった爽やかで甘い香りが漂ってきました。さすが魔女の職場です。新人として思わず身が引き締まります。


 しかし、引き締まった身は一秒と持ちませんでした。

 玄関に入ってすぐ、視界の端に飛び込んできた茶色い下駄箱。その上に鎮座ましますのは――木彫りの熊でした。

 鮭を咥えたあのクマです。


 これはどういうことでしょう。私が想像していたきらびやかな都会のイメージとは、少し……いえ、かなりかけ離れているような気がします。もしかしてこれが最近よく耳にする「丁寧な暮らし」というものなのでしょうか。あるいは、巡り巡って田舎の文化が都会で再評価されているとか?そう考えると、なんだか胸が熱くなってきました。


「オ、オジャマシマス……」


 私は気合を入れて履いてきたパンプスを脱ぎ、出されたスリッパに履き替えました。社会人たるもの、スーツとパンプスは必須だと思っていたのですが、郷に入らば郷に従えということでしょうか。郷に染まるのもまた、社会人かもしれません。


「そんなお邪魔しますだなんて他人行儀な」


 見た目に反して元気で快活で社交的な黒包帯さんは言葉を続けます。


「今日から一緒に生活することになるんだし、もうちょっと砕けても――あ、ひょっとしてアタシが誰だか分かってない? ああそっか、こんな包帯してたら余計わかんないか」


 はて、私はどこかでお会いしていたでしょうか。記憶を探ってもここまで親しい方は施設以外にいません。


「アタシだよ、アタシ。前にあなたをスカウトした楽々山(ささやま)未来(みく)


 少しばかり弛んでいた背筋が一気に張り詰めました。

 黒包帯さんの正体は、なんと社長だったのです。



■■



 社長の楽々ささやま未来さんはとてもすごい方です。

 なんと世界的権威です。


 といっても一般人にとっては全く無縁の世界なので知らない方も多いと思いますが、私のような新人魔女にとって、それはそれは雲の上の存在です。嘘でも大袈裟でもなく、こうして会話することも恐れ多いくらいに。


 楽々山さんは魔女の歴史を塗り替えました。

 世界中の魔女の掟を取り仕切る魔女協会は、かつてゴーレムの製造を禁じていました。人工生命の製造は倫理規定に反すると言う理由です。


 一方でロボットやAIに対しては容認の姿勢――そもそも界隈が違うので一概に比べることもできないのですが――を保ってきました。まったく、頭の固い世界です。


 と、一方的に悪者に出来ないのがルールというものです。ルールは人を守るためにあるものであって、生活を楽にするためのものではありません。私も耳にタコができるくらい聞かされました。


 ともあれ、その鉄の掟に風穴を開けたのが楽々山さんです。

 楽々山さんはなんと、私と同じ歳の頃にそれを成し遂げたのです!


 若造の声を聞き入れてルールを変えるなんて、なんて柔軟な世界なんでしょう。さすが魔女協会。ビバ!


「アタシのことは気軽に楽々(らくらく)さんって呼びなよ」


 ソファに優雅に座った楽々山さん改め、楽々さんは言いました。正直、モノローグでも楽々さん呼びは恐れ多いです。対面で同じようにソファに座ってるだけでも恐縮なのに、あだ名呼びだなんて。


 ですがここは会社、社長の言葉は絶対です。


「いろいろ手違いがあったとはいえ、今日からなのちゃんはアタシの弟子。言うなれば家族みたいなものなんだから、なんでも聞いてね」

「ありがとうございます。では失礼しまして……楽々さん」

「はいよ」


 楽々山さんは気さくに返事をしてくれました。同じ界隈の人に見られたら石を投げられそうです。


「それでは楽々さんは、えーっとその……」


 これは聞いても失礼には当たらないのでしょうか。

 ですが、私の知りたい好奇心――知的欲求はいつまでも緊張で抑え込めるほどにヤワではありませんでした。


「どうして宇都宮に住んでるのでしょう?」


 言ってしまいました。とうとう言ってしまいました。ですが気になるものは気になります。

 どうして世界的権威ともあろうお方が宇都宮に住んでるのでしょうか。


 ところで、宇という漢字には天下という意味があるそうです。

 なるほど、天下の都に宮殿と言われれば世界的権威が住まわれるのも納得です。



 ですがここは栃木県の県庁所在地、宇都宮市。


 私がかつて住んでいた、新幹線の通らない東北の田舎よりもずっと都会ではありますが、しかし、あの煌びやかで都会都会とした東京には遠く及びません。


 どうしてそんな町の、古びた一軒家をアトリエにしているのでしょう。

 おかげで私は東京の荒波に揉まれずに済みましたが、理由を知らずにはいられません。興味津々です。


 それともここは、たくさんあるアトリエの一つにしか過ぎないのでしょうか。


「んー……まあ、一口で言えばフィーリングが合ったんじゃない?」


 テーブルの上に置かれた一口サイズの黒糖饅頭をつまみ、口へ投げ入れる楽々さん。


 ざくざくと、とても饅頭らしからぬ音を立てていますが中に何が入ってるのでしょう。気になります。


「生活基盤をフィーリングに頼るって大事だよ? 魔女に限らずさ。だって寝ても覚めても動いても、泣いても笑っても帰る場所がそこなんだから。それなら心が常にざわつく場所なんかよりも、落ち着ける居心地の良い場所の方がいいわけだよ。帰るまでが遠足ですってね」

「な……なるほど!」


 なんと含蓄に富んだ言葉でしょう。

 当然のことを言ってるだけのはずなのに、思わず感銘を受けてしまいました。ですが、当然のことをこのように表せるのはやはり世界を知ってるからなのでしょう。


「だからまあ、アトリエはここの他に二か所あるけど、どれも市内だよ。ところで、なのちゃんはこしあんは苦手?」

「いえ、苦手じゃないです」

「じゃあ食べなよ。遠慮なんてしないでさ」

「えっあっハイ……いただきます」


 緊張と遠慮で手が出せませんでしたが、そう言われては仕方ありません。だってこういう小さいお菓子っていかにも高そうじゃないですか。貧乏人がおいそれと手を出していいものではありません。世界的権威が口にするものとなれば尚更です。

 意を決してひとつ手に取り、半分ほど齧りました。


 が、これが間違いでした。

 なんとこいつ(失礼)、見た目によらず固いのです。

 思わず前歯が欠けるかと思いました。


「あははははは!」


 おかげで楽々さんが爆笑です。


「ふふっ、手で触ったら固さ分かりそうなのに、前歯で行っちゃったかぁ……あははははは!」


 いっそ雲の上の方から笑いをとれたんだと前向きになりましょう。

 笑顔の絶えない職場です。


「そんな恐る恐るじゃなくて一口でいっちゃいな。かりんとう饅頭はその方がおいしいんだから」


 その言葉に従い、素直に頬張りました。

 舌の上に乗せると、ほのかな甘みが広がります。が、饅頭とは名ばかりの立派なかりんとうでした。


 飴のように口の中で転がして楽しんだ後、奥歯で齧ると「ばりっ」と音を立てて皮が砕け、中身の柔らかい餡子の甘味が一気に広がりました。


 新しい体験です。


 噛むたびにざくざくと割れて楽しいさっぱりとした甘味の外皮と、少量なのにしっかりとした甘味の餡子。これは美味しいです。


「あの! もう一つ、いいですか!?」

「ああ、遠慮しないでどんどん食べな」

「ありがとうございます」


 とはいえ、遠慮はします。舌が贅沢を覚えてしまってはこれからの生活に支障をきたしてしまいます。こんな素晴らしいお菓子、次はいつ食べられるのやら。


 それでも今はこの味を楽しみましょう。

 楽しめる時は楽しむ。魔女の心構えです。


「そんなちまちま食べることはないよ。一個数十円の饅頭なんだから」

「――!」


 驚きのあまり、思わず口の中で転がしていた饅頭をそのまま飲み込んでしまいました。


 喉に詰まらなかったのが奇跡です。

 それでも喉が苦しい気がしたのでお茶を流し込みます。


「……ちまちま食べなくていいとは言ったけど、丸呑みとは豪儀だねぇ」


 爆笑したり苦笑したり、本当に笑顔の絶えない上司です。


「そんなに安いんですか!?」

「安いよ。まあ売ってるお店が古ぼけた店構えしてるから、いつか食べれなくなるんじゃないかと心配になるけどね」

「それは残念です」


 私も生活に余裕ができたらお店に通うことにしましょう。美味しいものが無くなるのは世界の損失です。


 ところで、私はお仕事をしなくてもいいのでしょうか?

 そもそも、どうして私は楽々さん――楽々山さんにスカウトされたのでしょう。


 世界的権威のお眼鏡に適ったのでしょうか。

 お眼鏡どころか未だに黒包帯のままですが。


「なのちゃんは仕事熱心だねぇ。新しい環境には徐々に慣らしていかないと、本当にいい仕事はできないよ」

「……そういうもの、なんでしょうか」

「そういうものだよ。ま、この格好じゃ説得力も無いだろうけど」


 そう言って、笑いながら黒包帯を触りました。

 どうやら魔道具作り中にアクシデントがあったようです。新米にとってトラブルはよくあることですが、差し詰め上手の手から水が漏ると言ったところでしょうか。であれば余計な詮索は禁止です。好奇心で人を傷つけてはいけません。


「新しい道具作るときは自分で実験せにゃならんからね。ところで、なのちゃんはこっちに越してきてどれくらい?」

「えーと……一週間くらいですかね」


 一人暮らしをする余裕があまり無いのでギリギリまで向こうで生活をしていたせいです。


「一週間か……、ならまだこの街のことあんまり知らないね?」

「ええ、まあ……」

「よし、ならちょうどいいや。おーい、キゴウ!」


 楽々さんが誰かを呼ぶように声を上げました。キゴウとは名前でしょうか。


 呼ばれて現れたのは、紺色のスモックに同じ色の帽子を被った、小学生くらいの女の子でした。帽子から覗くウェーブのかかった栗毛色の髪は、楽々さんのストレートの黒髪とは全く違う質感です。一目で親子ではないと分かりました。ということは彼女は楽々さんが預かっている見習い魔女でしょうか。


 色々な憶測が頭の中をぐるぐる駆け巡りますが、これといった明確な答えが出ません。


「そちらの方は?」


 思い切って尋ねました――いえ、分かってます。尋ねなくともすぐ紹介してくれる流れだとは。

 果たして、返ってきたのはまったく予想だにしない言葉でした。


()()はアタシが造った新作のゴーレム。名前は記号」

「僕オレちゃんは楽々山記号じゃ。よろしくな」


 かりんとう饅頭が手から転げ落ちました。



■■



「ゴーレムを造る上で一番大切なことは愛着を持たないことだ」


 楽々さんは言います。


「愛着なんて持とうもんなら問題が起きた時に処分出来なくなるからね。だからこそ、ゴーレムに付ける名前なんてのは適当がいいんだ」

「38番目だから記号なんて、僕オレちゃんの主ながら、立派な親御様になれるかどうか不安になるセンスしとるわいな」


 記号ちゃん(ひょっとしたら君かもしれません)は独特な言葉遣いで、とても言えないような毒を楽々さんに吐きます。


「用が無いのなら作業に戻らせてもらうで。まだアイテールを火にかけてる途中じゃて、目が離せん」

「そうかい、じゃあ作業が終わったら戻ってきな。次の指示を出すから」

「おうよ」


 魔女の見た目らしからぬ威勢のいい返事をすると、記号ちゃんは自分の持ち場へと戻っていきました。


 なんともすごい会話です。これがゴーレムとのあるべき主従関係なのでしょうか。私はゴーレムなんて見るのも話すのもこれが初めてなので(まだ話してませんが)、知らないことばかりです。


「見てのとおり、試作品のゴーレムでね――」

「あれで試作品ですか!?」


 苦笑する楽々さんに思わず目を剥いてしまいました。


「どこからどう見ても人間の女の子ですよ! 受け答えもちゃんとしてましたし! なんかこう、言葉遣いはあれでしたけど、私なんてもううわー! って感じですよ! うわー! って」


 感極まりすぎてもう私の方がうわぁ……でした。

 でも仕方ありません。第一人者である楽々さんが造ったゴーレムを間近で見られるなんて、魔女冥利に尽きます。


 見た目もそうですが人語を理解させるなんて、どれほどの高等技術が組み込まれてるのでしょう。理屈を聞いても理解できそうにありませんが、私のリスペクトは止むことを知りません。


「アイテール作りまで任せられるなんてほとんど完成品じゃないんですか!?」

「そこまで言ってもらえるなんて嬉しいね。けどまだまだ道半ばだよ」


 あの完成度で道半ばと言われてしまっては、私なんて夢の中布団の中です。


「アレは見た目だけだよ。現状のゴーレムで出来ることなんて、今の汎用(はんよう)ロボットでも十分代用できるからね。だからこそ魔女協会もゴーレムを解禁したんだろうけどさ」

「そうなんですか?」

「さてね。お偉方の考えることまではアタシには分からないさ。ただ『車にAI載せて運転させたら車は人工生命になるのかい?』って言ったら製造解禁されたのは事実だよ」


 楽々さんは少し苦々しい顔をしました。

 人に歴史あり、事情ありです。魔女協会ビバ! と言ったことを恥じねばなりません。


「アタシが造りたいのはロボットよりも優秀なゴーレムさ」

「ロボットよりも……と言いますと?」

「仕事させるだけなら人間の見た目に寄せる必要なんて無いだろ?」

「そう……ですか?」


 私は慎重に言葉を選びます。


「記号……ちゃん、でしたっけ? とてもかわいらしい見た目で私はいいと思ったんですが。あ、や、し、素人が差し出がましいことを言ってすみません」

「いやいや、謝るこたぁないよ。アタシが聞きたいのはプロの意見じゃない、利用する人の意見なんだから。そういう意味では今の話は良かったよ。狙いは間違ってないと気付けたし」


 まさかのお褒めの言葉でした!

 なんということでしょう、今日は素晴らしいことばかりです。私の記念日にしたいくらいに。


「それで物は相談なんだけどね」

「私にできることならなんでもやりますよ!」

「そりゃ嬉しいね。と言ってもそんな気負う程のことじゃないんだけど、記号のモニタリングをしてもらいたくてね」

「記号ちゃんのですか?」

「そう。具体的に何をって部分はあえて伏せさせてもらうけど、今日一日ぶらーっと散歩してもらって感想教えてもらいたいなと」

「そんなことですか。おまかせください!」


 これほどの貴重な体験、もちろん二つ返事で承諾です。

 断る理由なんてあるでしょうか。いいえ、ありません。


「不肖七日町めぐり、楽々さんの研究に助力することを誓います!」

「おー! 期待してるよ、なのちゃん」


 きっと七日だからなのちゃんなのでしょう。もうそんな細かいことは気にしません。


 さて、そんな約束をして一時間。

 記号ちゃんがやってきました。


 さっきまでの魔女の格好とは違う、実に女性らしい服装です。

 小学生らしさのまるでない、大人っぽいシックなスタイルで、ちゃん付で呼ぶのも憚られます。そんな巻きスカートなんて、小学生がチョイスするものでしょうか。


 ここは時流に乗って記号さんと呼ぶべきかもしれません。


「なんじゃお前さん、僕オレちゃんの顔をじっと見て。僕オレちゃんの顔でも溶けとるんか?」

「……溶けるんですか?」

「元が泥だからね。けど定期的に保護してるから大丈夫だよ」


 なら大丈夫でしょう。何の心配もいりません。


「ほんで、僕オレちゃんは何をしたらええんじゃ。アイテールだって予定の三分の一も出来とらんに」

「なのちゃんに町案内をしてほしいんだ」

「なのちゃん?」


 記号さんは首を傾げます。そういえば記号さんには挨拶をしてませんでしたね。


「はじめまして。今日からこちらで働くことになりました、七日町めぐりです。よろしくお願いいたします」

「ほーん、『なのか』やなくて『なぬか』なんじゃな。変わった苗字しとるの」

「……なのちゃんってさ、なぬかまちって読むの?」


 楽々さんの笑顔が少し強張ったのが見えした。

 ここは流すべきかどうか悩んだ末、


「え? アッハイ、ソウデスヨ」


 カタコトになりました。


「……ごめん、ずっと七日町(なのかまち)って読んでた」

「な、なのちゃんでいいですよ! ほら、なのちゃんってかわいいですし! きっと私の発音が悪かったんですよ!」

「めぐちゃんでもええと僕オレちゃんは思うけんどなぁ」


 このゴーレムは親の心、もとい人の心を知らないのでしょうか(ゴーレムだから心が無くて当然ですが)。


 ……いえいえ、怒ってはいけません。今日は記号さんと一緒にお出かけをするんですから、出かける前から険悪な関係になっては最悪です。


 それに製作したのは他でもない楽々さんなんですから、ならば楽々さんの分身だと思って接するのが筋ではないでしょうか。見た目も、実年齢も私の方が年上のはず、施設の頃と何ら変わらない接し方をすれば大丈夫。


「では、記号さんにはめぐちゃんと呼んでいただいて」

「おうええぞ。めぐちゃんも僕オレちゃんのことも好きに呼んでくれ」

「えー……っと……、では、きーさんで」


 記号さんだからきーさん。

 安直ではありますが、『ごうさん』よりは女の子らしくあります。口調的にはゴウさんの方が似合いますがここは見た目重視です。


「おう、よろしゅうな。めぐちゃん」


 和解ではありませんがひとまず友好関係は築けそうです。


「おし。ちょいとなのちゃん、こっちへ」

「? なんでしょう」


 楽々さんから手招きされ、素直に向かう私。素直はいつの時代も美徳です。


「まずはこれ」


 ポンと一万円札を渡されました。


「今日一日の軍資金。最低でも半額以上使い切ること」

「えっ?」

「まさか無一文で一日市内散策するわけにはいかないでしょ」

「え? え?」

「それとこれ、ペンダント型の魔道具。なにも無いとは思うけど、お守りだと思って首から下げといて」


 言われるがままされるがまま、小さな真珠のペンダントを首に掛けられてしまいました。素直というよりも、押しに弱いだけです。


 これがどんな効果を持つのか、使ってみるまで分かりませんが、使わずに済むならそれに越したことはないでしょう。本当に貴重なお守りです。


「これでよし。それじゃあ絶好の散歩日和だ、早速行っといで」

「えっと――あの」

「なんだい?」

「どこへ行ったら?」

「そんなの魔女なんだから決まってるだろ」


 楽々さんはサムズアップして自信満々に言いました。


「風の吹くまま気の向くままさ」


 つまり決まっていないそうです。



■■



「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」


 玄関を出るなり道を指差しながらきーさんが歌いだしました。

 まさか本当に気の向くままだとは。


 私はどこへ連れていかれるのでしょう。今の心境はドキドキとワクワク、半々です。

 ちなみに現在の私の格好ですが、なんとリクルートスタイルではありません。


 最近ファッション誌で見かけた、トレンドを取り入れた春らしいカジュアルコーデです。


 スーツ姿で散歩なんてさせられるかと、楽々さんのご厚意によりお借りしました。靴のサイズも問題ありません。履く人に合わせてサイズが変わる魔法の靴をたまたま用意していたそうです。


 コーデに合わせたデザインであることから、元々は楽々さんが身に着ける予定だったに違いありません。それを私に気遣って「たまたま偶然用意していた」なんて嘘をつくなんて、なんという懐の広さでしょう。今日から私は都会の女の子になります。


「こっちじゃな。ゆくぞ、めぐちゃん」

「案内お願いします」

「おう、僕オレちゃんの勘に任しとき」


 ……任せていいのでしょうか――いえ、私は楽々さんを信じています。あの方が造ったゴーレムですから間違いないはず。


 心地よい東風に背中を押され、きーさんは元気よく鼻歌交じり小道を歩いていきます(ヴィヴァルディの「春」なのが驚きです)。こちらに来てから生活基盤を整えるため、あちこち買い物に出かけてましたが、こうしてのんびりと歩くのは初めてです。それを気遣って――というわけではないでしょうが、きーさんの歩幅は私にとって丁度いいペースと言えました。


 かつて私が住んでいた施設もかなり田舎でしたが、宇都宮も駅から少し離れただけで似たような落ち着いた空気がします。


 新幹線が止まり、駅直結のお店があって、更に駅を挟んでショッピングモールが二つあって、ビルが何軒も建ってて、更には近未来型の黄色い路面電車(LRTと呼ぶらしいです)が駅から出てて……田舎出身の私のような人間からしたらまるで異世界です。


 にもかかわらず、こういうゆっくりとした空気が同じ市内に流れているんですから、不思議の世界に迷い込んだ気分です。私、魔女なんですけど。


 きーさんの案内で到着したのが、その駅でした。

 厳密には駅前の広場です。芸術ホールでしか見たことのない広い階段の上に、いつの間にか到着してました。右手には真新しいショッピングモールです。こちらにきて密かに気になっていながら、足を踏み入れる機会が無かったお店です。お洒落なお店はどうしても気後れしてしまいますが、今日はきーさんがいます。後ろをついていけば怖くありません。早速お買い物へ。


「いや、入らんで?」


 とはなりませんでした。


「散歩やゆーてんのに、いきなり買い物する阿呆はおらんじゃろ。わざわざ荷物増やしてから歩くトレーニングマニアなんか?」

「うっ……」

「まあ魔女なんじゃし、なんでも収納できる不思議なポッケがあるんなら構わんけども?」


 春なのに視線が雪のように冷たいです。

 そんな魔法のポッケは作れません。素材を集める段階から困難です。


「コインロッカーに預けるくらいなら帰りに寄る方が賢いぞ」

「そ、そうですね」

「喫茶店で休憩するくらいなら全然構わんけど、駅にもあるでな」

「より取り見取りですね」


 ちなみに喫茶店デビューはまだです。

 魔女でも唱えないような呪文で注文するイメージしかありません。


「まずは駅ナカ通って反対に出ようか」

「はい、先生」

「見た目先生なんはめぐちゃんなんじゃがな」


 僕オレちゃんの方が生徒やん、なんてきーさんは鼻で笑います。


 きーさんの一人称聞いてると何故かコーヒー濃い目のカフェオレが飲みたくなりますが、なんででしょう。僕オレという音に惹かれるのでしょうか。僕と言うか(ぼく)? 言霊の影響は侮れません。


 平日の昼間でも賑やかな駅構内を真っすぐ抜け(誘惑に負け、危うく自動ドアに吸い込まれそうなところを手を引かれ事なきを得ました。)、テレビでよく見るデッキへ。


 テレビで見る場所に自らが立っているって、とても都会っぽくありません?

 記念に一枚撮っておきましょう。


「何をしとるんじゃ?」

「記念撮影です」

「駅の看板だけを撮るのが記念なんか?」

「だってテレビでよく見るあの看板ですよ? そりゃなるべく同じ画角になるように撮りますよ」

「ネットに同じ画像があるのにわざわざ撮るんか」

「こういうのは自分で撮るから意味があるんですよ」


 まあ、撮っただけで満足するんですが。

 大事なのは撮ったという行動の思い出です。

 きーさんはため息をついて、「僕オレちゃんにはよくわからんのじゃが、記念撮影だってんなら自分を写さんでどうするんや?」と言ってきました。


 なるほど。

 記念と言うならこれもまた記念です。


「じゃあきーさん」

「おうよ」

「かわいくポーズしてください」

「なんで僕オレちゃんが被写体なんじゃ。めぐちゃんの記念やろがい」

「だって自分を写せって」

「自分違いじゃろがい!」

「冗談ですよ。それくらい私にもわかります」

「ほんまかいな」

「ほんまですほんまです」


 ぶつぶつと文句を言うきーさんの後ろ並んで記念に一枚。


「って何を撮っとるんじゃ!」

「いいじゃないですか。これもまた記念です」


 ついでにもう一枚。


「なんの記念になるんや」

「そういうのは後から考えるんですよ。その場のノリとテンションで撮るのが楽しいんですから」

「僕オレちゃんには分からん……」

「もう少し大人になればわかりますよ」

「ゴーレムは成長せん」


 うっかり忘れてましたがそうでした。


「うっかりで忘れることか?」

「だってどこからどう見ても小学生の女の子ですよ」

「……あーあ、バレてしもたか」

「――えっ?」


 ふっ、と大人びたアンニュイな表情を見せるきーさん。何か地雷を踏んでしまったのでしょうか。


「実はな、僕オレちゃんゴーレムと違うんじゃ。ほんまは人間なんよ」

「そんな!」

「未来の奴、魔法の副作用で記憶が混濁してるんよ。じゃから僕オレちゃんのこと、ゴーレムとしか見えんようになってな」

「ま、まさか……」

「世界に名を馳せる魔女が事故でそんなことになってるなんて、世間に公表できんやろ」

「………………」

「ま、嘘じゃがな」

「もう!」


 信じちゃったじゃないですか。

 ゴーレムが嘘をつくなんてビックリですよ。ロボット三原則じゃないですけど、そういう制限がきーさんには無いんでしょうか。


「僕オレちゃんは試作品だでな。そういうのは緩いんよ」


 と言って再び歩き出しました。

 その背中は、どこか寂しげでした。


 なんて風だったら私も落ち込まずに済んだのですが、そんな空気は一切なく、大手を振って元気にショッピングモールを横切っていきます。きーさんは本当に人の心を知りません。どうやらこちらもお預けのようです。


「そんなビルが気になるんか」

「えっ!? やだなー、そんなことありませんよぅ。そんなお上りさんみたいじゃないですかあ」

「さっきから犬みたいに顔がチラチラビルを向いとるで」

「あぐ……」


 後ろにも目が付いてるのでしょうか。……付いてるかもしれません。

 だってゴーレムですし。



■■



「うわー! すごいですよ! ビルとビルの間に鳥居が現れましたよ! まるでビルが金剛力士像です! ……ってならんのかい」


 誰の口調を真似たのか分かりませんが、私はそんなに驚いたりはしませんよ。これでも魔女ですから、住まう土地のパワースポットや神社仏閣は事前にリサーチ済みです。


 それでもビル影の隙間を延々と歩き続けて、ふっと陽の当たる場所が現れると解放感があって気持ちがいいものです。


 知ってるのと実際に見るのとでは全く違います。

 百聞は一見に如かずです。


「面白い反応を期待したのに薄いのう」

「そんなお上りさんみたいな反応を期待しないで下さいよ。今日は都会の女なんですから」

「都会の女は自分をそんな風には言わんで?」


 言うほど都会でもないじゃろ――と、どちらに向けてなのか分からない、辛らつな言葉を付け加えました。


 楽々さんは何を思ってこの性格にしたのでしょうか。気になるところではあるんですが、きーさんはくるっと栗毛色の髪を靡かせて、鳥居をくぐって行ってしまいました。


「待ってくださーい」


 私も慌ててきーさんを追いかけます。広場で見失うことは無さそうですが、万が一のことがあっては楽々さんに合わせる顔がありません。

 すぐにきーさんに並び、新緑に映える白い桜に見蕩れながら、長い石段をゆっくりと登ります。


 ここまで歩いてきているのに、ちっとも苦にならないのは靴のおかげでしょうか。


「そない口ポカンと開けて、桜の花びらでも食おうと思っとるんか?」


 爽やかな風とは反対の、冷めたようなジト目で言われました。


「塩漬けじゃあるまいし、いくら食べても味なんてせんぞ」

「えっ? そんな開いてますか」

「桜の花びらを直に食うのが都会の女なんじゃのう」

「からかわないでくださいよ!」


 綺麗な景色に目を奪われると口への意識が疎かになりがちです。

 景色の方はあとで一枚収めておきましょう。


 手水舎で手と口をお清めして、桜の木陰を進んで、お賽銭を二人分入れて(私のお財布からです)、二礼二拍手一礼。今日これからの無事をお祈りします。


「ところできーさん」

「なんざんしょ?」


 境内(けいだい)から西へ伸びた女坂を下りながら、なんとなく気になったことを尋ねてみました。


「きーさんは神様を信じるんですか?」

「信じると言ったところで、めぐちゃんはその言葉を信じるけ?」


 質問を質問で返すんじゃありません!


 と言いたいところではありますが、これに関しては私に非がありました。暗に「自分の中で答えは決まってるだろ」と指摘されているようなものです。


 ゴーレムがどういう思考を辿るのかという興味でしたが、ちゃんと関係性が築けてからするべき質問でした。反省です。


「人間はともかく、ゴーレムにとっては生みの親が神なんとちゃうんか?」

「なるほど……」

「信じるか信じないかは、めぐちゃん次第じゃがな」


 楽々さんは雲の上の人ですから、私にとっては現人神に違いありません。


「じゃあ次は信じられない場所へ行ってみるか?」

「信じられない場所とは?」

「餃子屋が立ち並ぶ、通称『餃子通り』」



■■



「……ここ、ですか?」

「垂れ幕も出とるじゃろ」

「そうですが……なんというか……」


 神社を出てすぐ、大通りを外れた、陽がほとんど入らない小道に『餃子通り』と書かれた横断幕が掲げられていました。

 これほど裏通りという言葉が似合う場所はそう無いでしょう。


 片側3車線の広い表通りと対照的に、よく言えばレトロな――飾らずに言えば、時代に置いてかれた雰囲気が漂っています。年季の入った建物が密集した細道に建つ電柱には、妙に新しい『餃子通り』と書かれたプレートが貼られていて、確かにここがその『餃子通り』ではあるんでしょうが……。


 手元のスマホで確認しますが、確かにここがその場所でした。


「目の前にも餃子屋があるじゃろ」

「えっ……あっああ、本当だ!」


 立て看板に隠れて気付きませんでしたが、目の前に餃子屋がありました。

 ですが、残念ながら開店前のようです。


「生憎と時間的にどこも開いておらんな」

「じゃあなんで案内したんですか! お口が餃子になってるんですよ私!」

「口が餃子なら桜食おうとせんで閉じときゃ。食べる以外にも見どころはあるでよ」

「何言ってるんですか。餃子は食べ物なんですよ? 餃子が食べれない餃子通りなんて、ただの怪しい路地裏じゃないですか」

「アレを見てみぃ」

「よく見ると電柱プレートの餃子が飛び出てる!」

「そしてこっちが創業五十年以上の老舗の餃子屋じゃ」

「歴史の重みを感じる店構え!」

「上を見上げてみぃ」

「街灯が餃子の形! こっちはご飯も出さない餃子専門店! ああっ! 日向に唐突な餃子のモニュメントが!」

「そして足元を見てみ」

「なんと、マンホールが餃子柄!」

「これこそが餃子通りの所以よ。どや!」

「どや――じゃないですよ!」


 思わず叫びました。

 心の叫びです。


「お口が餃子のままで何も解決してませんよ!」


 餃子通りを文字通り、通り抜けちゃいました。

 なのに餃子の皮一枚すらも口には入ってきてません。

 美味しそうな匂いはしてたのに!


「今思い出しましたよ。こちらに越してきてからまだ餃子食べてないことに!」

「それは自分の責任じゃろが」

「お昼は絶対餃子食べますよ! なんならここで開店まで並びます」

「それはやめとけ」

「どうしてですか」

「小さい店に喧しいのが一人でもおったら向こうも迷惑やろ」


 否定できません。

 丁度よく目の前にカフェがあります。一旦こちらで落ち着きましょう。

 ……落ち着けるでしょうか。


 大丈夫。今の私は都会のレディです。ガラス張りの明るいお店も、白を基調とした眩しい店内も怖くありません。

 ちょうどカフェオレが飲みたかったところです。


「さ、入りますよ、きーさん」

「入りたいんやったら僕オレちゃんの背に隠れんでもよかろうも」

「隠れてるわけじゃありませんよ、背を押してるだけです。勇み足です」


 お洒落な店員さんに、お洒落な席へ案内され、お洒落なメニュー表を渡されました。何もかもがお洒落です。圧倒的お洒落力に気圧されて、言葉がほとんど出てきません。価格もなかなかなお洒落力です。


 ですが今日は楽々さんから手渡された軍資金があります。数字なんて気にしません。


 そしてなにより、このお店の注文方法はスマホ経由のセルフオーダー方式。メニューを指差して店員さんに注文する必要が無いなんて、最早私に怖いものはありません。


「きーさんはどれにします?」

「さっきまでの餃子口はどこへ行ったんじゃ?」

「デザートは別腹ですよ」

「元の腹には何も収まっとらんやないか……。ま、どれでもええぞ。僕オレちゃんはなんでもいけるからな」

「では同じものにしましょう」


 ということで、イチゴのタルトとカフェラテを二つずつ注文しました(残念ながらカフェオレはありませんでした)。


 スマホで注文できるのは本当にいいですね。難しい呪文を唱えなくて済むんですから……。

 …………あれ?


「……食べれるんですか?」

「食べれるし、ちゃんと味も分かるぞ」


 元が泥人形であるゴーレムにそこまでの能力が備わってるなんて、とんでもない偉業をやってのけてます。どこまで機能を備えてるんでしょう。


「あ……えーと、その。所謂(いわゆる)食べた物は――」

「エネルギーと身体になるぞ。身体が泥なんやからな」

「本当にとんでもないことやってません?」


 そこまで機能を実装してもまだ足りないとは、いったい何を目指しているのでしょう。

 ホムンクルス――なんてことはさすがに無いでしょう。いくらなんでも穿ち過ぎです。


 少しして、カフェラテとイチゴのタルトが運ばれてきました。

 タルトとイチゴの層の上にちょこんと乗ったクリームとミントがお洒落です。残念ながら今の私にはお洒落語彙力が足りません。


 カフェラテもお洒落です。こげ茶色のカンバスに白い牛乳で絵が描かれてます。

 魔法の勉強よりも、お洒落力を極める方が今の私には大変そうです。


「あ、まだ食べないでください。写真撮るんですから」

「魔女だなんだと言っても、結局は今どきの子やなぁ」

「きーさんも今どきだと思いますよ?」


 なんなら令和生まれじゃないですか。


「そんなに撮って誰ぞにマウントでも取るんけ?」

「取りませんよマウントなんて。写真は撮って楽しむんです。あとはお世話になった寮母さんたちに送って、私は元気ですよって伝えるんです。初めての喫茶店も入れました! って」

「これだけ撮っても僕オレちゃんを頼って入店したことが伝わらんがな。一番重要じゃて」

「そこはほら、私の近況報告ですから」


 嘘を書かなければいいんです。良い方に誤解されてしまってもそれは不当表示には当たりません。


 お洒落なお菓子とコーヒーを写真に収めたので、次はちゃんとお腹に収めましょう。

 どちらも形を崩すのがもったいないですが、まずはカフェラテからです。


「ん――ぅげ」


 苦みのあまり、思わずカップを口から離してしまいました。

 表面が白いので、てっきりカフェオレみたいに甘いものだと思ってましたがこれはビックリです。これがカフェラテなんですね。まさかのほろ苦いデビューです。


 対してきーさんは澄ました顔でカップを優雅に傾けます。まだ幼さが残る顔なのにクールビューティです。


 一旦カフェラテは置きましょう。

 次はイチゴタルトです。

 片手でつまんで口へ運びます。


 甘さ控えめのさっくりとした生地と甘いイチゴが、口の中の苦みを綺麗に上書きしてくれました。やはりデザートはいいですね。甘くなくちゃいけません。


 カフェラテの苦味は目覚めの一杯でも私の舌には時期尚早です。

 ですが今は午前中のティーブレイク(コーヒーですが)。甘いタルトがあればカフェラテにも挑戦できます。


 苦いと分かってるんですから、覚悟はできてます。何かあってもタルトがあります。


 恐る恐るカップを口元へ近づけます。

 気合を入れるために深呼吸をすると、コーヒーの優しい香りが鼻から口いっぱいに広まりました。こんなに苦いカフェラテが、どうしてこんなに甘い匂いで誘ってくるんでしょうか。


 もう一度、ゆっくりとカップを傾け口へ運びます。


 カフェラテはちゃんと苦いです。ですがその後に来る牛乳の柔らかさが、口の中の苦味をまるく流し込んでくれます。

 大丈夫。タルトと交互ならちゃんと美味しく飲めそうです。


「コーヒーを随分苦そうに飲むやないか」

「そそそそそんなことありませんよ」

「そこまで的確にサ行を発音できる口が逆にすごいわ。わざとでも滑舌良すぎじゃろ」


 僕オレちゃんでも真似できねえよ、なんて冷めたことを言われてしまいました。


「苦いのは嫌いか?」

「嫌いではないですよ、苦手なだけで」

「食べ物の嫌いと苦手って似たようなもんやろ」

「違いますよ。ピーマンだってゴーヤだっておいしく食べれますし」

「チョイスが子供か」

「苦いものなんてそれくらいしかないじゃないですか」


 他にはコーヒーかビターチョコレートくらいしか思いつきません。


 カップをもう少し深く傾けて、カフェラテを口へ含みます。

 口いっぱいにコーヒーの美味しい香り広がりますが、それでも私の舌はまだまだ苦手なようです。


 タルトの甘味で口と心を回復させます。

 クリームのサッパリとした酸味がアクセントになって、イチゴの甘さを一層引き立てます。つまり美味しいんです。サクサクタルトと甘いイチゴと酸っぱいクリームの組み合わせは最高です。


 まだまだお財布にもお腹にも余裕はあります。もう一つ注文しちゃいましょう。


「きーさんはもう一つ食べれます?」

「さっきまで餃子餃子騒いどったのに、もうそれかいな」

「餃子は別腹です」

「普通は逆やろに……にしても、好きなもの食べてるときは幸せそうな顔するんじゃな」

「美味しいもの食べて嫌な顔する人なんて変人だけですよ。きーさんは逆に無いんですか? 苦手な物とか好きな物とか」

「なんでも食べるし、ちゃんと味も分かるぞ」


 答えにはなってないような気がしましたが、何でも美味しく食べれるならそれに越したことはありませんね。



■■



 ウツボカズラという植物をご存じでしょうか。

 甘い香りで虫を誘き寄せて捕食する食虫植物です。甘い誘惑に抗えないのは人間だけではないのだと、この植物は教えてくれます。

 花言葉は『甘い罠』。

 綺麗な薔薇には棘がある様に、甘いお菓子には罠がありました。


 そんなわけで現在、私たちは餃子通りより北にある八幡山の頂上に来ていました。標高158メートル、歩いて登るのもそこまで苦ではありません。なによりここは満開の桜が素敵です。平日にもかかわらず、お客さんが沢山いらっしゃるのも頷けます。


 どういうわけで山を登ってるのかですか?

 それは乙女の秘密なので言えません。強いて言うのであれば、喫茶店で優雅な時間をとっぷりと過ごしてしまった結果。とでも言っておきましょうか。


「なんか不思議ですね、新幹線を降りて歩いて行ける範囲に山があるなんて」

「山だらけの国で何を言ってるんや……。まったく、腹ごなしに歩こうなんて都会の女が聞いて呆れる」

「でもでもこんな桜の名所ですよ。最初から計画に入ってましたよね?」

「なんの計画じゃ?」

「またまたぁ、そんなとぼけちゃって。さすがの私でも分かりますよ。風の吹くまま気の向くまま、なんて言いながらもちゃんと町を案内してくれてるじゃないですか」


 本当に風の吹くままだったら今頃こんな山にはいないはずです。もっと言えば、経路的に最初に行くべきは『餃子通り』のはずなのに、そこではなく神社を選んだのは何らかの意図――配慮があったと考えるのは自然です。

 ここまでもきっと楽々さんの思惑通り。

 誰だって何の考えも無しに一万円札を渡したりなんてしません。

 その思惑が何かまでは私にはわかりませんが、自由に使っていいお金ということなので、ぜひ有益に使わせて頂きましょう。


 まあ。

 使った結果が今なんですけどね。


「そこまで分かっててタルト馬鹿食いしたんか」

「美味しいものは別腹のつもりだったんですー。でもでもということは、私の推理は合ってるってことですね。やったー!」

「別に推理するようなことでもなかろうも……」

「あれ? じゃあそうなると散歩に出されたのって――楽々さんが私が来る日を忘れてたってのも演技だったりしません?」

「そこまでは知らんよ。僕オレちゃんは主に町案内を任されただけじゃからな――あ」


 何を思いついたのか、きーさんは足を止めました。

 いえ。その表現はどうやら正しく無さそうです。

 何か思いつめた風に、きーさんは足を止めました。が正確です。


「ちとすまんが、僕オレちゃんを人気(ひとけ)の無いところまで運んでくれんか?」

「もしかして人に酔っちゃいましたか?」

「ゴーレムが酔うかいな」


 きーさんの精密さを考えたらそれくらいの機能は備わってる気がしますが。


「このまま歩くと、文字通り足がポッキリ折れるでな――」

「一大事じゃないですか! 大ごとですよ!」

「大声を出すなっちゅうに、悪目立ちするわ。それに修復もできるから、そこまででもない」

「ならひと安心ですね」

「まだ何も解決しとらんがな」


 そうでした。

 さて、この辺で人気の無い場所なんてどこかにあったでしょうか。観光客がこれだけいる中でそんな場所を探すのは容易ではありません。魔女はその存在自体が秘密です。その魔女が造ったゴーレムだって同様に存在を隠さねばなりません。


 人目に付かなければそれで十分なんですが、生憎と教の私にそんな準備はありません。ひょっとすると、こういう緊急事態にも対応できるかどうか試されてるのでしょうか。ならばこのペンダントに頼るべきではありませんね。


 もしかしたら楽々さんは、人に頼ることを私に教えたかったのかもしれません。ですが、この程度のことで誰かに頼ろうなんて発想は私にはありませんでした。

 都会でも田舎でも、ここは日本。大きなルールは変わりません。


「負ぶりますよ」

「……恩に着るわ」

「気にしないで下さいよ。私ときーさんの仲じゃないですか――あ、今のはギャグじゃないですよ? それに、人目に付かないことを優先するんで、あんまり快適な場所ではないと思いますよ」


 きーさんの体重(正しくは重量ですか)は見た目以上に軽く、背負った感覚がほとんどありませんでした。軽量化の魔法が使われてるのでしょうか。重さはそのまま負担になりますから、そういう細かいことも考慮してあるのでしょう。

 微に入り細を穿つ。

 楽々さんのゴーレム造りはどこまでも徹底されています。


「人気の無い場所なんて心当たりあるんけ?」

「観光地ですからね、そりゃありますよ」


 公衆トイレくらい。



 ■■



「――よっ」


 便器に座って左足の太ももを勢いよく叩くと、ぺきん、と音を立ててきーさんの脚は床に倒れ落ちました。

 事情を知らなければちょっとしたパニックホラーです。


「痛くないんですか?」

「こうなった時点で痛みは無い。壊死みたいなもんやな」

「さらっと怖いこと言わないでくださいよ……、それにしても綺麗ですねこの断面。アメジストの晶群みたいですよ。やっぱり見た目通り固いんですねぇ、これって壊死すると固くなるんですか? あ、スマホの光当ててもいいですか?」

「……めぐちゃんのやってることの方が世間的には怖いんと違うか?」


 猟奇ホラーじゃろうが、なんてきーさんに言われてしまいました。とはいえ、ゴーレムの中身を見れる機会なんてそうあるものではありません、許される限り見させていただきましょう。


「見てないで直して欲しいんやけど」

「あ――すいません、つい……私が直すんですか?」

「そりゃ僕オレちゃんじゃ直せんでな」


 そう言って、ポシェットから親指ほどの真っ黒い小瓶を取り出しました。液体が入っているところまでは見えますが、ラベルも無いので何かまではわかりません。


「なんですかそれ?」

「アイテール」

「……ははぁ」


 アイテールは素材を溶かして魔力を抽出し、他の魔力と練り合わせやすくするための謂わば溶剤です。といっても溶かす力が非常に弱いので――元々大鍋いっぱいに用意して使うものなので、小瓶で持ち歩くことなんて普通は無いのですが。


「これっぽっちの量、何に使うんですか? それとも何かすごい効能が?」

「足の断面全体に満遍なく塗ってくれたらええんよ」

「? それってきーさんでも出来ますよね?」

「僕オレちゃんの指じゃ塗る前に溶けるんでな。その点魔女なら魔力で指をコーティング出来るやんか」


 軽く言ってくれますが失敗すると私でも手が荒れますよ。

 まあ、そこは置いといて。


「塗るとどうなるんです?」

「折れた原因の魔素詰まりが解消されて足がくっつく」

「なるほど」


 ならば一も二もありません。こうして実践できるなんていい機会です、ゴーレムについてしっかり勉強させていただきましょう。

 浮ついた気持ちでやると怪我の元なのでしっかり集中です。

 案外こういう作業こそ楽々さんが狙っていたものかもしれません。興味と実践は魔女にとって永遠の課題です。


「どうでもいいこと聞いてもいいですか?」

「どうでもいいこと」


 でこぼこの断面にアイテールを塗りこみながら私は尋ねました。

 塗ってから溶解するまでどれくらい時間がかかるのか分かりませんが、手早く済ませるに越したことはありません。そうでなくともトイレを占有してるわけですし。


「きーさんの言ってた『38番目だから記号』ってどういう意味なんですか?」

「本当にどうでもええな」

「どうでもいいことでも気になるじゃないですか。分からないことは放っておけませんよ」

「ゆーてもそのまんまの意味じゃぞ。書いて字のごとく文字通り、38番目だから記号」

「分かりませんよ。37番目のゴーレムはなんて名前だったんですか?」

「左号」

「号は変わらないんですね……なら1番目は?」

「さて、そこまでは知らんがな。が、ルール的に考えれば伊号やろな。漢字は想像だけど」

「最初が『い』で、ひとつ前が『さ』、38番目が『き』……、なんでしょう、一文字ルールですかね……」

「いろは順――」

「あ! あー!」


 考える時間を与えてくれないきーさんに思わず叫んでしまいました。

 五十音順ではなくいろは順。

 日常的に使う言葉では無いので意識してませんが、言われれば理解は出来ます。出来ますが、センスが無いと言われればそう……なのかもしれません。


 一郎二郎みたいに産まれた順に数字を使う名付けが一般的だった時代が少し前にもあるわけですから、単純に否定するのもおかしな話なんですが。それならそれで一号二号の方がストレートでゴーレムとして分かりやすくあるんですよね――製作者のセンスだと言われたらそれまでですが。


 これまでの事を考えるに、遠回りな名付けも楽々さんの性格によるところが大きい気がします――まあ、つまりはやっぱりセンスですか。


 私ならなんて名付けましょうか。

 ……造ってから考えましょう。


「出来ましたよ」

「さんくー」

「これ、このままだとすぐに外れません?」

「包帯で巻いておけばすぐにくっつく」

「はえー、便利ですねえ」

「そりゃゴーレムじゃからな。無理が利かなきゃ人の代わりになんてなれんよ」


 くっつけた足の接合部に自ら包帯を巻いて、きーさんは手すりを頼りに便座から立ち上がりました。それから確かめるように足をゆっくり動かして「ふむ」と頷きました。


「すまんが、くっつくまでもう少し背負ってくれんか」

「構いませんよ。次はどちらへ案内してくれるんですか?」

「そろそろ小腹も空いたじゃろ。お待ちかねの餃子じゃ」



 ■■



 負うた子――もとい、きーさんに教えられ到着したのは最初に訪れた神社の、道路を挟んだ反対側にあるデパートの地下一階でした。


 さっきからずっと街中をぐるぐるしてるだけのような気がしますが――実際地図アプリで確認すると本当にぐるぐるしてるだけなんですが――まさか、餃子通りの近所に複数のお店の餃子を堪能できる場所があるなんて。

 宇都宮はどこまでも餃子推しの町の様です。


「さてめぐちゃんよ、どっちにする。日替わりで違う店の餃子が食べられる方と人気店が介した方。好きな方を選ばせちゃる」


 きーさんは妙に偉そうな口調で言いました。

 まだ私に背負われてるんですが、なかなかどうして生意気なお口なんでしょう。ラー油を直に流し込んでやりたくなります。


「あ、そういえばまだアイテールが僅かに残ってるんでしたっけ。あれって舐めたくなるような甘い香りしてますよね」

「やめい。このタイミングでなんでそんな話をした」

「いえいえ他意はありませんよ。ただちょっと味がわかるきーさんに味見してもらいたいなぁと」

「味見する舌に穴が開くわ。穴はここじゃ補修できんのじゃからほんまにもう、意地の悪いことゆわんといて」

「意地悪ついでですけど、まだ歩けそうにないですか? さすがの私でも疲れてきましたよ」

「変な歩き方になるけど、まあ大丈夫じゃろ。多分」


 その言葉を信じ、私はきーさんを床へ下しました。ああ、背中がだいぶ軽い。重いリュックを置いたような解放感です。


「改めてめぐちゃん、どっちへ行く?」


 先程きーさんが言ったように、私たちの前の道は二手に別れています。

 日替わりの方は違うお店の餃子を一皿で二個ずつ堪能でき、常設店の方は焼き餃子以外も楽しめるのが魅力的です。

 どちらを選ぶか非常に悩みどころですが、ひとつだけきーさんの問いには引っ掛けがありました。


「わかりました。まずは日替わり店から行きましょうか」

「おう……ん? めぐちゃん。今、まずはって言った?」

「はい」


 どちらかを選んだからと言って、もう片方を諦める理由になんてなりません。

 軍資金にはまだまだ余裕があるんですから、とことん楽しもうじゃないですか。


「さっき後悔しとったのに反省せんのやなぁめぐちゃんは……」

「別に後悔なんてしてませんよ。美味しいものを食べたら運動するのは都会のレディの嗜みです」

「とかいのれでぃ、ねぇ」


 何か言いたそうでしたが気にしないことにします。


 お昼時を過ぎていたおかげかスムーズに入店でき、私はようやく腰を落ち着けることができました。店員さんに運ばれてきたお冷を一口飲むと、思わず溜息がこぼれました。どうやら思っていたよりも体力を使っていたようです。

 新しい情報が次々と入ってきてましたから、身体以上に頭を使ってたのかもしれません。


「メニュー見せてください……あ、こっちでも水餃子とか変わり種もあるんですねぇ。でも今回は冒険せずに、盛り合わせから様子を見てみましょうか。……でもこれ、餃子自体に名前が書いてないからどこのお店の餃子が美味しかったとか、食べた直後に忘れそうですね……、メニューを見ながら食べるのが間違いないんでしょうか。でもそっちに気取られてたら味がわからなくなりそうです」

「めぐちゃんってさ」

「なんでしょう?」

「ほんまに食い意地だけはすごいな」

「そりゃ食べたいと思ったものはその時に食べなきゃ後悔しますからね。興味を失ってから食べても美味しくありませんよ。とりあえず、まずは盛り合わせ二種をシェアする感じでいいですか? 食べきれなくなったら私が責任を持って美味しくいただきます」

「……あー、うん」


 目が点になっていたように見えましたが、まさかゴーレムにそんな機能は付随していないでしょう。

 店員さんに注文し、待つこと十分。

 盛り合わせ餃子二皿が到着しました。


 同じ餃子なのに見た目から個性が表れています。お店の違いは味だけではないようです。

 早速メニューを参考に実食です。


「いただきます」


 人生初の宇都宮餃子です。

 一口噛むとパリッとした薄皮から、熱くて濃厚な肉汁が溢れてきました。スパイシーな味の秘密は何でしょうか。ともあれ、ご飯が欲しくなる味です。


 二つ目はどうでしょうか。

 さっきとは違う、少し厚めの皮から溢れる肉汁は先程とは全く違う、野菜特有のやさしい甘味が特徴的です。その気が無いのに自然と食べ比べできるのは盛り合わせのメリットですね。惜しむらくは、同じものを食べようと思ってもすぐには食べられないことでしょうか。


 これはもう一皿ずつ注文する必要がありますね。味変も含めたら三皿でしょうか。醤油にラー油に酢胡椒と、色々試して理想の食べ方を見つけなければ。


「どれも美味そうに食べるな」

「美味そうじゃなくて美味しいんですよ。もうご飯頼めばよかったと後悔してますよ――あ、スープセットだと安いしこの際頼んじゃいましょうかね。口直しがあった方が長く楽しめますし――ウーロン茶! 餃子は中華なんですからウーロン茶飲まなきゃ嘘ですよ。なんで先に頼まなかったんですかね私。……おや、お箸が進んでませんね? 本当に要らないなら私が全部食べちゃいますよ?」

「めぐちゃん」

「なんでしょう」

「美味しいってなんぞや?」


 こんな熱々で美味しいものを前にして、きーさんは冷静でした。

 いえ、言ってることは冷静とは程遠いんですが、口調だけは冷静と言うか真面目と言うか、そんな感じです。


 哲学? 禅問答?

 ソクラテスでしょうか。

 美味しいは美味しいでいいと思うんですが。それに――


「早く食べないと美味しくなくなっちゃいますよ」


 熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べる。

 これが美味しく食べる鉄則です。


「別に冷めたら具材が変質して味が変わって美味しくなくなる、なんて科学的な話をしとるわけじゃないねん」


 真ん中にあったお皿を私の方に寄せて、きーさんは続けます――御厚意はありがたく頂戴しましょう。


「餃子好きなだけ食べてて良いから僕オレちゃんの話を少し聞いちゃくれんか」

「餃子十八個分の時間でよければ聞きましょう」

「時間換算で十分弱」

「そんなに早く食べませんよ。ゆっくり味わいます」

「僕オレちゃんは味がわかる」


 グルメ系ラノベのタイトルでしょうか。

 ひとまず私は餃子を堪能することにします。甘い餃子とパンチのある餃子、交互に食べるとその差がよくわかります。だからといって優劣は付け難いですね。好みの問題です。


「わかると言っても味を測定して数値化できるだけで、僕オレちゃん自身が美味しいと

 感じてるわけじゃない。熱い冷たいと味の組み合わせを一般的な好みと照合した結果を元に、美味しい不味いの判定してるわけやね」

「はあ」


 お次の餃子は……今食べた餃子と同系統でしょうか。あっさりめですが食べやすく感じます。もう一個はもちっとした皮がアクセントになってます。パリパリと続いてところに厚い皮でリズムを変えるなんて、きっとこの餃子の並びは食べる順番も考慮されているのでしょう。

 やりますね、宇都宮。


「好みってあるじゃろ。苦いコーヒーを不味いと感じる人がいる一方で、美味しいと感じて飲んでる人もおる。美味しいと思う人には美味しいし、不味いと思う人には不味い。一方で辛い物が好きな人もいれば、甘い味に醤油やラー油、お酢で味変する人もいる」


 もちもちの皮が続きます。

 パリッとしてサクッと歯切れのいい皮もいいですが、食べ応えのある皮もまた素晴らしい。こちらの草団子みたいに緑色の餃子はどうでしょう……なるほど、この独特の香りはニラですか。味もそうですが、見た目にインパクトがありますね。


 そろそろここら辺で味変を試みましょうか。

 甘めが続いたのでオーソドックスに醤油とラー油で。


「甘いデザートを好んで食べながら今度は甘さとは反対の味を好んで足して、かと思えば同じ甘味でも嫌ってみたり。そんなの個人の好みと言われりゃそこまでなんにゃが、じゃあ僕オレちゃんの立場はって話になる」


 餃子の先を少しだけタレに付けて食べるだけで、今までとは違う味が口に広がりました。しかしこれは餃子本来のポテンシャルがあってこそでしょう。やはり調味料は引き立て役、ラー油の辛さが野菜のうま味を一層引き出してくれます。


 しかし、そろそろ新しい食感が恋しくなりますね。このお漬物はそういう目的でしたか。餃子にどうしてお漬物が? と疑問でしたが、メニューにあるものはしっかり意図があるんですね。

 やはりライスセットを今から頼む……ですが、ここでご飯を頼んでは負けな気がします。

 主にお腹のリミットが。


「存在意義――なんて大層なことは言わんけど、誰かの代わりになるために生まれたのに役に立てられない機能なんて、ほんまにいるんじゃろか。言っとくと別に悩んでるわけじゃないで。僕オレちゃんとしては、機能があるならば有効活用したいと思っとるだけなんよ」


 確かに、あるものは試したいですが……小盛りライスとスープ、お漬物ならギリギリいけそう……?

 いや。残り四個です、ここはこのまま味変とお冷で進みましょう。

 本当にどうしてウーロン茶を頼み忘れたんでしょうか。メニューに書いてあるのに!


「それで最初の質問に立ち返って、『美味しい』って何かって話になる。僕オレちゃんがいくら料理を食べたところで、誰かの代わりにはならんじゃろ――誰かと一緒に食べたいって願望は否定せんけども、それなら味覚センサーなんて不要なわけで。味を伝えるだけならそれこそ機械で十分やん。僕オレちゃんにある以上は味以上のことを――『美味しい』を伝えなきゃ、嘘んなる」


 美味しいものは美味しく。まったくその通りです。

 満腹感を押してまで――苦しみを感じてまで食べようとするのは美味しくありません。どうしてこんなにすぐにお腹が満たされるんでしょう。

 ええ、原因は分かってます。

 タルトをあれだけ食べたらそうもなりますよね!

 欲張りすぎですよ、喫茶店の私!


「美味しいってなんじゃ。同じ美味しいものでも食べ過ぎたら食べ飽きるし、桜の下で弁当開けば余りものでも豪華に変わる。写真を撮れば見た目は伝わるし、言葉を選べば味も匂いも食感だって伝わる。けどそれは僕オレちゃんを通した『美味しさ』の要素であって、本当の味でも美味しさでもないじゃろ」

「言葉を選んでも伝わらないことはありますよ」


 残った四個の餃子をそれぞれ一個ずつ皿に分けて、片方をきーさんの元へお返しです。


「お一つ食べて味の感想をどうぞ」


 きーさんは一瞬だけ首を傾げた後、素直に箸で口へと運びました。


「いかがですか?」

「肉と野菜のオーソドックスな餃子じゃな。シンプルながらも軽くて飽きがこない。皮も厚いし主食にしても申し分なし」

「もう一つどうぞ」

「こっちはパリッとして皮は薄めじゃが、肉感強めで独特のうま味が口に広がるな。……僕オレちゃんの今の語彙力じゃこんなもんだが、何か分かったんか?」

「はい。『美味しそう』は伝わっても『美味しい』が伝わらないことが分かりました」

「何度も言ってるやろが――」

「別にそんなのきーさんじゃなくたって伝えられませんよ」


 映像だって音だって、本当の匂いや味は届きません。

 だってそれはあくまで伝聞――情報でしかないんですから。

 AIじゃないんですから、情報を食べても美味しくありません。別にAIだって美味しいから情報を収集してるわけじゃないでしょうけど。


「けど、『美味しい』を伝える方法ならありますよ」

「ほんまか?」

「本当です」


 ただし。

 きーさんが望む解決策かどうかは別ですが。



 ■■



「おかえり。随分と楽しんできたようでアタシとしては何よりだよ。宇都宮の散歩はどうだった?」

「もうへとへとですよ。あ、でも一つだけ凄かったのがありました。個人のお宅なんですけど、外壁に仏像が浮彫になってたんですよ。浮彫ですよ浮彫。もう二度見も三度見もしちゃいまいたよ」

「そりゃよかった」


 日が沈んだ頃に帰宅(いえ、帰社ですか)した私たちを楽々さんは笑顔で出迎えてくれました。

 へとへとと言うのは誇張でもなんでもありません。食べ過ぎた分のカロリーを消化しようと駅の反対側を大回りした結果なので、誰にも文句は言えませんが。


「あ、そうだ。こちら楽々さんへのお土産です」


 右手に持っていた、重たい手提げ袋を楽々さんへ渡しました。


「おや、そんな気にしなくてもいいのに」

「いえいえ。これはきーさんが選んだお土産なんですから」


 地元民である楽々さんへ渡すお土産としては少々ナンセンスな気がしますが、しかし如何せん、お金を使うというルールを達成するためには必要なことでもありました。


「このお土産――冷凍餃子がなのちゃんの回答ってことでいいのかい?」

「冷凍に対する回答ってギャグみたいになっちゃいましたけど、そうですね」


 私は自信を持って頷きました。

 『美味しい』を伝えるにはどうしたらいいか。


 一見すると難しい哲学ですが、柔軟に考えればなんてことはありません。

 同じものを、理想的なタイミングで食べてもらえばいいんです。

 そのための『お土産』は一つの回答として十分と言えるはずです。

 ちなみにミッションである「お金を使い切る」に関しては、使い切れなかった分を寮母さんの元へ餃子を送ることでクリアしています。


 ところで、どうしてそんな話を知ってるのでしょう。

 選んだ本人は到着するなり部屋の奥へ戻っていってしまいました。私のせいで無理をしていたらしく、メンテナンスをしないとまずいとのことでした。

 だからこそ、きーさんと話すタイミングは無かったと思うんですが。


「ひょっとしてなのちゃん、まだソレに気付いてなかったのかい?」


 楽々さんは胸元を指して言いました。楽々さんの胸には何もなく――ああ、私の胸には外出前にお借りした魔道具のペンダントがありましたね。


「一度やってみたかったのさ。マイク内蔵型のお守りってのをさ」


 まるで子供がイタズラをしたような笑顔を浮かべる楽々さん。どうやら私の痴態が全部知られていたようです。ああ、穴があったら入りたい。


「あっはっは! 初々しくていいねえ。なのちゃんをアテにビールを一杯を引っ掛けたいところだよ。未成年だからやめとくけど」

「もう成人してますよ、二十歳になってないだけで」

「あれ、そうなんだっけ? そういやそんな法律ができてたんだったか、時代の移ろいってのは年取ると面倒になっていかんね」


 時代の転換期のキーマンとなった人が何を仰るのやら。


「持ち上げてくれてるところ悪いけど、アタシはそんな大したタマじゃあないよ」


 目が隠れているので表情までは読み取れませんが、至極ばつの悪そうに頭を搔く楽々さん。


「あくまで協会側がルールを変えようとしてたタイミングと一致したってだけの話で、アタシはただのお飾りに過ぎないのさ」

「だとしてもですよ、きーさんみたいなゴーレムなんて、そう簡単に造れるものじゃありませんよ」

「毎度お褒めに与り光栄だね。ま、アレを造ったのはそんな協会に対する反発でもあるんだけどね」

「…………」


 仕方のないことではありますが、楽々さんが『アレ』と呼んだことに、少しだけ心が痛みました。


 どうやら私は、きーさんに感情移入をしていたようです。

 人形に感情移入すること自体は変ではないのですが、きーさんは特別です。

 身体こそゴーレムのそれでしたが、見た目も挙動も、食べる仕草までもが、どう見ても生きてるとしか思えません。

 だからこそここまで感情移入してしまってるのでしょう。


 魔女協会の掟として、生命を生み出すことは固く禁じられています。

 だからこそきーさんは、人間そっくりに動く人形でしかないのですが……、どうしてそんな人形を造ったのでしょう。


 代わりに作業すると言うのであればきーさんの言うように味覚なんて感じる必要はありません。反発だからというには、手が込み過ぎている気がします。

 限界への挑戦なんでしょうか。


「聞いてもよろしいですか?」

「なんでもどうぞ。今日一日頑張ったご褒美だ」

「どうして、人間そっくりに仕立て上げたんですか? 誰かの代わりにするなら余計な機能ばっかりだと思うんですけど」

「餃子を食べながら話してたこと、しっかり覚えてたんだね。偉い」


 別にそこまで覚えていたわけじゃないのですが、ここは褒められておきましょう。いい方に誤解されてしまっているだけなんですから。


「別に誰かの代わりになってほしくてそんな機能付けたつもりはないよ」


 もっと言えば、そんな思考する機能も付けた覚えもなかったんだけどね。なんて楽々さんは苦笑いを浮かべます。

 包帯の奥の目も笑っているような、そんな気がしました。


「まあそうだねえ。目的とか、反骨精神とか、なんかあれこれ努力とか目標とか格好いいことは色々言えるんだけど、どうしてって言われると、なかなかコレっていう一つには集約できないね」

「……そうですか」

「それでもあえてひと言で言うなら、夢かな」

「夢ですか」

「誰かの代わりにじゃなくて、誰かのために動けるゴーレム。それがアタシの夢さね」


 その言葉を聞いてなんとなくですが、きーさんの行動原理が分かったような気がします。ゴーレムの存在理由からはズレていますが、だからこそきーさんは悩むことが出来たのでしょう。

 誰かのために動くことも、自分のことで悩むことも、どちらも能動的な行動なんですから。


「はん、やれやれ。呑む前からこんなこと言わされちゃ敵わんね」

「酔ったらもっと格好いいこと言ってくださるんですか?」

「目を輝かせるんじゃないよ。かりんとう饅頭つっこんでやろうか?」

「やめてください。今度こそ喉に詰まっちゃいます」

「なら余計な口は閉じるんだね。口は禍の元だよ」

「かもしれませんね……」


 まだ減らないお腹をさすりながら、私は溜息を一つ零しました。

この物語はフィクションです。

実在の人物や団体などとは関係ありません。

宇都宮が面白い町なのは事実です。

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