表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第一章 ソフィー
9/41

危険なフィアンセ

 ジョンはソフィーの親族であり後見人であるコーストン家に招かれた。ジョンが訪ねた時にはソフィーは用事で席を外していた。コーストン夫妻とジョンは初めのうちは他愛のない会話を続けていたが、しばらくしてコーストン夫人がこのようなことを訊いてきた。

「ウェスレー さん、あなたにはお家で世話をしてくれる女の人が必要なんじゃないの?」

 それはもちろん家政婦という意味だが、開拓まもない新天地で手頃な値段で引き受けてくれる家政婦探しなど至難の業である。

「いや、このジョージアでそんな女の人、見つからないと思いますよ」

 するとコーストン夫人は狡猾な笑みを浮かべた。

「私は知っているわ、少なくとも二人ね」

 その時はじめてジョンはコーストン夫人の目論見に気がつき、あえてもう一人の名前を出した。

「では、ミス・フォーセットがいいでしょうね」

 ジョンの答えにコーストンはため息混じりに言った。

「ミス・フォーセットはあなたには陽気過ぎるわ。そうだわ、フィッキー(ソフィーの親族間での愛称)がいいんじゃないかしら。あの娘ならずっとお淑やかだし、色々とあなたの助けになってくれるわよ」

 そう言うとジョンが伏し目がちになったので、それを察してトーマスが尋ねた。

「何かね、彼女に何か気になる点でもあるのかね」

 ジョンはどう答えようか迷ったが、結局言うことにした。

「あの、ソフィーさんには婚約者がいると聞きました。私がもしあまり彼女と親しくすると、その方も良い気持ちではないでしょうし、ご迷惑なのではありませんか?」

 すると、コーストン夫妻は互いに顔を見合わせて苦笑し、トーマスがゆったりと声を低くして言った。

「なるほど、君がソフィーに何か引っかかっているのは薄々感じていたが、その原因はあのトム・メリチャンプだったとはね」

「トム・メリチャンプ?」

 ジョンが聞き返すと、夫人が話した。

「もう、とんでもないならず者よ。あの子がそんなならず者のどこに惹かれたのかわからないけど、口車に乗せられて結婚の約束なんかしちゃってね。でも警察のご厄介になって今は獄中にいるわ。本当は婚約解消したいんだけど、『俺は君を決して忘れない。ムショを出たら結婚式を開こう。だけど、もし俺たちの仲を邪魔する奴が現れたらそいつの葬式が開かれることになる』なんて脅すのよ。それでおおっぴらに婚約解消出来ないわけ」

 トーマスが続けた。

「もし君にソフィーへの気持ちがあるなら、一緒になることを考えてくれないか。そして彼女をこの状況から救い出して欲しい。実は彼女の両親にも君のことを話したんだが、とても喜んでいたよ。そんな国教会の司祭と結婚してもらえたらそんな嬉しいことはない、とね」


 ジョンはそれを聞いて少し心が明るくなった。と言っても、ソフィーを女性として意識することを自ら解禁したわけではない。これまで通り、フランス語の生徒として、また教区民の一人として接し続けることに徹した。ただこれからは柔和な態度で彼女の疑問や悩みに答えていこうと決めた。とりわけ、トム・メリチャンプがもたらす悩みや恐怖を解消するため、意欲的に相談に乗った。

「実は、あなたがかつて婚約した男から脅されているということを聞きました。以前、英国に戻るのは怖いことだと言っていたのは、そのことだったんですね」

「はい、先生にはずっと言おう、言おうと思っていたんですけど……言ったら嫌われてしまうんじゃないかって思うとどうしてもいい出せなくて」

 ジョンの胸がどきりと高鳴った。

「嫌いになるわけありませんよ……」

 そうは言っても、ついこの前までは婚約していたという事実を知ってが故に冷たい態度を取っていたのだ。つくづく救われ難い男だと自分で思う。

「ただ、ミス・ホプキーのような聡明な女性が、どうしてそんなならず者と結婚の約束などしたのですが? そこが解せないところなのですが」

「トムとは……学校のキャンパスで知り合ったんです。……ならず者っておっしゃいますけど、最初はそんな感じは全くせず、文学青年という感じでした。私が芝生の上でミルトンの失楽園を読んでいると、『君も失楽園好きなのかい? 僕もそれ、好きなんだよ』と話しかけて来たのです。それから自然に文学の話などをするようになり、ヘンリー・フィールディング作の劇などを一緒に観に行ったりするようになりました」

 ジョンにとって好きな女性の元恋人の馴れ初めを聞くのは辛いことだったが、堪えながら黙って聞いていた。

「でも、トムには一つの欠点がありました。それは気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こすことでした。それが酷くなると……手が出るんです」

「あなた自身がその被害者になることは?」

「……ええ、私も時々彼の暴力の標的になりました。だから家族も友達も、あんな男とは別れなさいと忠告しました。でも、癇癪を起こさない時の彼はとても優しいのです。だから私も彼への思いがどうしても抑えられず、プロポーズにも二つ返事で承諾しました」

「そんな……」

「でもその癇癪持ちが災いして暴力沙汰を起こして逮捕されました。私もそれをキッカケに断ち切ろうと思ったのです。でもトムは獄中から手紙を出して私を繋ぎとめようとするのです。それで私は逃げ出すように英国から出て来ました」

「そうでしたか。あなた自身の彼への思いはもうなくなった、と考えて良いのですか?」

「いいえ。心のどこかでまだ彼を慕っています。理性ではもう断ち切らなければいけないと分かっているんですけど……先生、この間ローマ書7章のお話をされていましたよね。『私には自分のしていることがわからない、私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことをしている……誰が私を救い出してくれるのか』と。それは本当に私のことなんです」


 そのようにジョンはソフィーの良き相談相手となったが、それが直ちにロマンスへと発展した訳ではなかった。そんな二人の距離が急速に近まったのは、弟チャールズのアメリカ撤退という、痛ましい出来事がきっかけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ