本当にイエスキリストを知っていますか
チャーリーはミス・フォーセットから聞かされ知ったソフィーの事実について、ジョンにどうやって伝えるか、いや、そもそも伝えるべきかどうかすら迷っていた。そこでそのことをベンジャミンに相談してみた。
「それはジョンさん、知ったらショックだろうなぁ」
「そうだろう? あの人、ああ見えて結構心がポキっと折れやすいところがあるからな」
「だけど、真っ直ぐな性格だから、隠し事をしていたと分かったら後々面倒だよ。やはり早めに伝えた方がいいよ。それで傷ついたとしても、早い方が傷が浅くていいだろうからね」
だがチャーリーはジョンに話す機会を伺っていたが、なかなか良いタイミングに巡り会えなかった。そしてとうとう乗船中伝えそびれてしまったのである。
ところで、ジョンの方もソフィーが過去の出来事で何か重荷を背負っているのを少しずつ感じとっていた。
「先生は英国が恋しくなることはありませんか?」
「うーん、僕の家族は離散しているし、唯一親交のある弟はこの船に同乗しているのであまりホームシックにはなりません。ミス・ホプキーはどうですか?」
「私は……時々無性に英国が恋しくなります。でも、帰りたいとは思いません。いえ、帰るのが怖いんです……」
「怖いって……何かあったんですか?」
「……ごめんなさい。今は言いたくないです」
「そうですか。でも、もし話したくなったら聞きますよ」
「ありがとうございます、先生」
ジョンはソフィーが心に秘めている恐怖の正体を強く知りたいと思ったが、その気持ちを必死で堪えた。
それ以降もソフィーのトラウマが顔を出す場面に遭遇することがあった。いつものように彼らの茶会にジョンが顔を出していた時である。一人の乗客がスコッチの瓶を片手に管を巻いていたのだが、その酔客が茶会の席に寄って来たのだ。
「ああん? 偉大なる大英帝国の未来を背負う若者たちがこんなところでティーパーティーか? けっ、我が国も落ちたもんだぜ」
するとカチンと来た若者の一人がよせばいいのに向きになった。
「そういうあなたこそ昼間からスコッチ飲んで泥酔しているじゃないですか。甲板で寒風にでも当たって頭を冷やしたらどうです?」
「何ィッ、この若造め!」
酔客が酒瓶を振り上げたので、そこにいた男たちは慌てて酔客を取り押さえた。その場はなんとか収まったが、ジョンがふとソフィーの方を見ると、すっかり血色を失ってガタガタと震えていた。その体をミス・フォーセットがしっかりと抱きかかえていた。
「ソフィー、大丈夫? 怖かったよね……」
ミス・フォーセットはそう言って何度もあやし、茶会を抜けてソフィーを彼女の船室に連れて行った。ジョンは何か彼女を守り切れなかったような気持ちで、やるせなくなった。だが、それと同時に彼女の内側に巣食う?臆病の霊?の執拗さを垣間見た気がしたのであった。
ジョンは結局、船を降りるまで自身の恋愛を発展させることはなかった。もちろんソフィーへの愛が冷めたわけではない。むしろ燃え上がって抑えきれない程になっていたが、ジョンは自ら打ち立てた教条と願望の間にある強い引力に拘束されて身動き出来なかったのである。
†
帆船シモンズ号は結局四カ月もの航海を終えて翌年1736年2月6日、アメリカのピーパー島(現在のジョージア州クックスプール島)に到着した。
下船の際、ソフィーがジョンのところに挨拶に来た。
「先生、今まで本当にお世話になりました。一緒にいれてとても楽しかったです」
「ミス・ホプキー僕も楽しかったです……」
ジョンはふと思い切って気持ちを伝えようかと思った。ところが、船員が乗客に早く下船するよう怒鳴り散らしたので、彼らは慌てて船を降りた。そして遠ざかるホプキー親子の後ろ姿を見送りながら寂しく感傷に浸っていると「ウェスレー先生」と背後から声をかけられた。振り向くと、シュパンゲンベルクがそこにいた。
「先生、お会い出来て幸いでした。新開地伝道のためにお祈りしています」
その言葉に胸が熱くなったジョンがこう言った。
「シュパンゲンベルクさん、私は長年信仰者の家庭に育ち、最高の環境で神学を学んできましたが……みなさんとお会いして、生まれて初めてキリストに出会ったような気持ちになりました」
するとシュパンゲンベルクがじっとジョンを見つめてこう問うた。
「あなたは、イエス・キリストを知っておられますか?」
そのあまりにもシンプルで、しかも自明な質問にジョンはたじろいだ。
「……ええ、彼が世の救い主であることはもちろん知っていますし、私自身そう教えて来ました」
「?世の?救い主ですか。たしかにそうですが、あなたはキリストが?あなた?を救ってくださったと確信していますか?」
その質問はジョンの心に重くのしかかった。ジェレミー・テイラーの「人は自分の救いを知り得ない」という説を盾としながら、どこか平安のないジョンにとって、ある意味一番聞かれなくない質問だった。
「ええ、彼が私を救って下さったのだと、……思います」
「そのように、あなたの内側に証しを持っておられますか? 神の聖霊は、あなたが神の子であることを証ししておられますか?」
もはやジョンには返す言葉が見当たらなかった。シュパンゲンベルクは深々と一礼すると、モラヴィア兄弟団の者たちを引き連れて去って行った。