彼女の事情
それからアメリカに船が到着するまで、ジョンは時間を見つけてはソフィーにフランス語のレッスンを施した。ソフィーの授業態度はとても模範的だったが、教師であるジョンの方は気もそぞろでレッスンどころではない。
ソフィーは当初、ジョンに対して堅物の気難し屋というイメージを抱いており、恐る恐る接しているところがあった。ところがジョンが不器用ながら意外に親切であること──それは彼女への好意から来るものであるが、彼女はそれに気づかずにいた──が分かり、徐々に打ち解けて行った。そして例の若者たちとの茶会にも誘われるようになった。
「今度のお茶会、先生もいらっしゃいませんか?」
「えっ? でも僕なんかが行ったらみんな嫌がらないかな……」
「そんなことないですよ。先生がもしお嫌でなければ……」
嫌な訳はない。むしろ楽しみである。ソフィーに連れられて若者たちの集まるテーブルにやって来たジョンはすっかりのぼせた気分で、さりげなくソフィーの隣の席についた。彼女もまた、ジョンの方に椅子を少しだけ寄せた。
堅物と思われていたジョンがやって来たので若者たちは最初はびっくりしていたが、ソフィーとの会話が案外カジュアルなのを見て彼らも徐々に心を開いていった。ある者はこんな質問まで始めた。
「聖書は殺人を禁じているのに、キリスト教国はどうして戦争をするのですか?」
「キリストは『天の父が完全であるように、あなたがたも完全でありなさい』と命じているんだよ。しかしキリスト者を自称する者たちの殆どがその命令に従っていない。完全でない者同士がぶつかり合えば、争いは避けて通れないだろう」
「セックスは罪なのですか?」
「創世記の初めを読めば罪でないことは明らかだね。しかし結婚関係外での性交渉は聖書のどの箇所を取っても認められるものではないよ」
そのように若者たちは普段聞き辛いことをジョンに質問していった。そのようなお茶会はこれ以降も度々開かれ、ジョンと若者たち、ひいてはソフィーとの関係に親身さが増していった。そしてジョンはソフィーにますます強く惹かれていった。もはや彼女への恋に落ちたことを認めざるを得なくなり、真剣にソフィーのことを考えようと気持ちを定めた。
「主よ、あなたの御心に叶うのでしたら、どうかソフィーを私に妻としてお与え下さい」
皮肉なことに、聖職者としてこれほど切実に祈ったことは未だかつてなかった。
ジョンはチャーリー以外のメソジストのメンバー、すなわちベンジャミンと弟のチャールズにも心中を打ち明けた。チャーリーはジョンの気持ちを弁護するように言った。
「僕はミス・ホプキーと話したことがあるけど、ジョンさんにふさわしい相手だと思う」
しかしチャールズとベンジャミンは懐疑的だった。
「兄さんは外面的な美しさに惹かれただけで、ちゃんと相手を見ていないよ。多分に動物的本能に突き動かされているだけじゃないか」
「僕もチャールズの言う通りだと思う。今は恋人同士として交際を目指すのではなく、少し距離を置いて吟味していった方がいいと思うよ」
彼らの言うことは既にジョン自身が自問していることだった。つまりジョンは自身の願望と倫理観の狭間で揺れ動いていたのである。
と、その時ジョンの体が大きく揺れた。チャールズやベンジャミン、チャーリーも床に転がり落ちた。また嵐がやって来て、船が大揺れしたのだ。彼らは船室から出てチャペルへ向かった。案の定そこにはモラヴィア兄弟団のメンバーが集まっていた。そして歌い出した。マルティン・ルター作「神はわがやぐら」であった。
Ein' feste Burg ist unser Gott,
我らの神は堅固な城
Ein' gute Wehr und Waffen;
良い防壁であり武器である
Er hilft uns frei aus aller Not,
神は我らが今遭遇している
Die uns jetzt hat betroffen.
全ての困難から助け出される
モラヴィア兄弟団の歌声を聴いているうちにジョンは安らかな気持ちになった。そして嵐が収まった時、助かったという安堵の気持ちが起こったが、目の前のモラヴィア兄弟団は嵐が起ころうと止もうと変わらなかった。──あの人たちは救われている──ジョンは思った。
(だが私は災難に遭えば怯え、美しい少女には心を奪われてしまう肉的な人間だ。やはり救われているとは考えにくい。モラヴィア兄弟団の人たちとは決定的に何か違うのだ……)
ジョンがそのように物思いに耽っている頃、チャーリーが若い女性に呼び止められていた。ソフィーの友人ルーシー・フォーセットであった。
「あの、ドゥラモットさん、ちょっとお話ししたいことがあるんですけど……」
「僕に話ですか?」
「ええ、ソフィーのことで……」
「ソフィーが……どうかしたんですか?」
チャーリーは他に誰もいないところに行ってミス・フォーセットの話を聞いた。そして、彼女の口からソフィーについての衝撃の事実を耳にした。