荒波に揺れる心
メソジストの四人の会話はモラヴィア兄弟団のことで持ちきりだった。ことのほかジョンの語り口はいつになく熱弁だった。その様子に何となく違和感を感じたのは、弟ではない方のチャールズ、つまりチャールズ・ドゥラモット(愛称チャーリー)だった。大学の後輩になるチャーリーはジョンを兄のように慕っており、ジョンにとっても実の弟チャールズよりも本当の弟のような存在だった。
「もしかしてジョンさん、今気になってるのはモラヴィア兄弟団じゃなくて……何か別のものじゃないんですか?」
チャーリーはジョンと二人きりになった時に訊いてみた。
「べ、別のものって?」
「例えば……女の人とか」
チャーリーは人が口にしづらいようなことを屈託なく開けっぴろげに言う性格で、その率直さがジョンの気に入ってはいたが、この発言には狼狽した。図星だったからである。
「いや、その……」
「ジョンさん、ちょっと前から様子が変でしたよ。これはもしかして好きな人でも出来たなって思ってました」
堅物として煙たがられているジョンにこんなことを言うのは世界広しと言えどもチャーリーくらいだろう。ジョンは観念した。
「チャーリー、君には敵わないよ。正直に言おう。この間チャペルにいた一人の若い女性に好意を持った。だけどそれはよくある一時の気の迷いだと思うんだよ」
「ジョンさん、何か女の人を好きになることに罪悪感抱いてませんか? 僕は人を好きになることは素晴らしいことだと思いますけど」
「そうだろうか……」
「そうですよ。人を好きになれない人間にそもそも牧会は無理だと思います。どっちかと言えばジョン先生はそういう面に欠けているのが気になっていたくらいです」
歯に衣着せぬ発言にたじろいだが、ジョンは気をとりなおして助言を仰いだ。
「どうすればいいと思う?」
「とりあえず相手の人と知り合いになることですね。どこの何という名前の人なんですか?」
当然ジョンは答えられない。そこでチャーリーはジョンと一緒にその意中の女性を探しに行くことにした。すると、まもなくその女性がデッキで仲間たちと一緒に茶会を開いている場面に遭遇した。チャーリーはその中で誰がジョンの意中の女性かたちどころに言い当てることが出来た。
「なるほどね、なかなか可愛い娘じゃないですか」
「ま、まあね……」
「じゃあ、ちょっと調査してきますね」
「調査っておい、ちょっと!」
チャーリーは一旦引き上げたが、二人の仲間と共に楽器を持って戻って来た。チャーリーはリュートを持っていたが、他のメンバーはそれぞれリコーダーとフィドルを持っていた。そして茶会を開いていた若者たちに近づいて行った。
「もしよかったら、一曲如何ですか?」
チャーリーがそう言うと、若者たちは喜んで承諾したので彼らの演奏が始まった。なかなかの腕前で、茶会の若者たちだけでなく、周りにいた人々も足を止めて演奏に聞き入った。演奏が終わるとチャーリーたちは若者たちに混ざって歓談した。そしてそこで得られた情報をジョンに伝えたのである。
「彼女の名前はソフィー・ホプキー、現在の年齢は18歳。オグルソープ氏の部下であるコーストン氏の姪に当たり、アメリカではそのコーストン氏が後見人となるそうです」
「18歳か……33歳のおっさんの相手としては若すぎるよな……」
「いや、それくらいの年の差は今時珍しくはないですよ。それよりもジョンさんに耳寄りな情報があります。ソフィーさんはフランス語の教師を探しているそうです!」
「どうしてそれが耳寄りな話なんだ?」
「そりゃ、彼女に近づくチャンスだからに決まってるじゃないですか。つまりジョンさんが彼女にフランス語を教えるんですよ!」
「ちょ、ちょっと待てよ。僕は確かに語学は得意な方だけど人に教えられるほどのものじゃない」
「なに言ってるんですか、無理矢理にでもフランス語教師の座を勝ち取るんですよ! 実は最初、僕がフランス系の名前であるのを見て僕に依頼してきたんですけど、『もっといい人知ってます、チャプレンのジョン・ウェスレー です』って宣伝しておきました。『それは是非お願いに上がりたいと思います』って言ってましたから、そのうち彼女の方から訪ねて来ると思いますよ」
「な、何を勝手なことを……」
と言いつつも、ジョンはチャーリーにこの上なく感謝した。ここまでお膳立てされなければ、船を降りるまで一度もソフィーと話すことなどないだろう。
†
それからしばらくして、チャーリーの言った通り、ソフィーがジョンを訪ねて来た。
「失礼します……」
そう言ってドアを開き、ソフィーは入って来た。ジョンはその娘の顔を見て心臓が口から飛び出しそうになった。
「ソフィー・ホプキーと申します。既にお聞きになったことと存じますが、フランス語を習いたいと思いましてウェスレー 先生にお願いに上がりました。実は母からフランス語を勉強するようにと言いつけられていまして、授業料もお預かりしているのです」
「ぼ、僕はフランス語は、教えられるほどのレベルではないのですが、僕のような者でもよろしいのですか?」
「ご謙遜ですわ。以前チャペルでフランス語の説教をなさったのを聞きましたが、とてもご堪能なのに驚きました」
ジョンは英語だけでなくフランス語や様々な言語での説教を行なっていた。当時アメリカ大陸に渡る移民には英語以外の言語を母国語とする者が大勢いたのである。
「で、では明日の午後一時から最初のレッスンをしましょうか」
「はい。明日また伺います!」
ソフィーがそう言って退室すると、ジョンは呆然となった。そして今まで経験したことのないような幸福感に満たされた。恐らく今ならライオンの穴に投げ込まれても、痛みも感じずにライオンに喰われるだろうと思った。
そして翌日、いよいよ最初のレッスン。ジョンは生徒のレベルを把握するため、簡単なテストを行なった。その結果……
「とても優秀な成績です。文法的な基礎はもう殆どマスターしていますね。ですから会話と読本を中心に勉強していきましょう」
「よろしくお願いします、ウェスレー 先生」
ジョンと呼んで下さい、と言おうとしたが流石にそれは馴れ馴れしい気がしてやめた。間近で見るソフィーは遠目よりはるかに美しく、またほのかに漂わせていた香水の香りがジョンを幻惑させた。ソフィー・ホプキー……この18歳の少女がジョン・ウェスレーの人生に波紋を投げかける最初の女性になろうとは、彼には想像すら出来なかった。