エピローグ
私はここで筆を置いた。伝道者ジョン・ウェスレー としては、メアリーとの別居後も多くの偉業があるのだが、ウィリアム・スタインバーグ氏の要望に沿った仕事としてはここまでで充分であると判断したからだ。
すなわち、これ以降ジョン・ウェスレー には女性の陰が見えず、あたかも独身者であるかのごとく生涯を送ったからである。私は書き上げた原稿の推敲が一通り終わると、スタインバーグ氏の元を訪ねた。
「お待たせしました。こちらがご依頼の原稿です。どうかご査収下さい」
「ご苦労様。どれどれ、拝見させていただきましょう……」
スタインバーグ氏は胸元のポケットから読書眼鏡を取り出し、鼻にかけると私の書いた原稿に目を通し始めた。最初のページから全く同じ速度で規則的にめくられていく。目は通してはいるが、深い共感を持って読まれている印象ではなかった。スタインバーグ氏は最後のページを読み終わると、深く瞑想するように目を閉じた。彼が目を開くのを待って私は物書きとして最も気になる質問をした。
「……あまり面白くありませんでしたか?」
するとスタインバーグ氏は口元に僅かな笑みを浮かべて答えた。
「あなたはとても良い仕事をしました。面白いかどうかなど……どうでもよいのです」
「はあ……」
「聖書に出てくる重要人物は、ダビデしかり、ペテロしかり、その重要度が増すにつれ、不名誉なエピソードが明記されています。だからこそ、彼らの生涯の中に人は福音を見いだすことが出来るのです。でも、人間の書く物語はどうですか。一旦偉大な人物として祭り上げられると、出来るだけ不名誉な話は語るまいと気持ちが働くものです。恐らく、ジョン・ウェスレー の場合も、あなたが書いたようなことは避けられていくでしょう」
「……」
必ずしもそうではないのではないか、そう思ったが、私は沈黙した。
「ジョン・ウェスレー はあまりに大きな影響をキリスト教世界に残しました。その影響を受けた人々はそれぞれ枝分かれしてはいるものの、一様にある出来事を重要視しています」
「アルダスゲイト体験……ですか」
「ええ。そして彼らはアルダスゲイトの追体験を必要条件と言わんばかりに絶対視しているように思えます。だが、ご自分で彼の生涯をお調べになって、あなたはどう思いますか。アルダスゲイトの一夜で彼は完全に達したと思いますか?」
「……そうですね、あれほど女性に振り回されているところを見ると、少なくとも肉欲に左右される部分は残っていたのではないかと」
「彼が心の中で情欲を抱いていたのかどうかはもはや知る由もない。しかし、最も尊敬すべき点は妻に右の頬を殴られながら、左の頬を差し出し続けていたことですよ。実際、中々出来るものじゃありませんぞ」
そう言ってスタインバーグ氏は高笑いした。そして私は一礼して彼の元を去った。
完