キリスト者の完全
ジョンはこの頃体力的に馬の上に跨って移動することが難しくなっていた。そこで、小型の二輪馬車で英国各地を旅して回るようになった。そして旅の途中、馬車に揺られながら妻の放った言葉が頭の中を反芻していた。
「あなたは愛を知らない……」
メアリーは腹立ち紛れに深い意味もなく言ったのかもしれない。しかし、ジョンにとってこの言葉は雷鳴のごとく心の真髄まで鳴り響く強烈さを秘めていた。
(愛を知らない、か……)
最初はジョン自身、そうかな、と思い落胆した。だが、落ち着いて考えてみれば自分は神の愛を知っている。それは熱心に勉強した結果得られた知識ではない。聖霊がそうだと教えてくれた、それだけのことだ。だからそれを知らないと言ってしまうことはイエスを三度知らないと言った使徒ペテロの罪に等しい。
メアリーは愛が感じられないと言った。それゆえにあのような愚行に走った。その姿は……ジョンの目にはメソジストのなかなか回心に至らない求道者たちの姿と重なって見えた。
彼らはジョンがアルダスゲイトで経験したように聖霊の啓示を受けたいと願っている。そしてそのために奮闘努力をしている。……そしてもがき、苦しみ、嘆き、悲しむ。
(まるでメアリーのようじゃないか……)
ジョンは思う。求道に導かれている事実に目を向けてみれば、それだけで神に愛されているとわかるはずだ。何故なら愛されていなければ、その求道者はそこにいないのだ。そのことを認めることか始めたらどうなのだろう……。
そう思った時、ジョンは一つの理念が閃いた。
「キリスト者の完全とは……その動機において、神の愛に支配された状態であること」
ジョンは居ても立っても居られなくなり、紙とペンを取った。そして、その閃きを中心にして「キリスト者の完全」という一冊の書物を書き上げた。そして1766年、出版されるや否や好調な売れ行きを見せ、ジョン・ウェスレーの代表作となった。これはアルダスゲイトでの回心時はまだ頭でっかちであったウェスレー 神学が、様々な人生経験や苦難を通してより人間の実状に即した実り多き書物であった。
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「キリスト者の完全」が出版されてから数年後、多くの支持者を得たジョンは、メソジストの年会でカルヴァン主義者の批判に対して回答した。
「神が救う人間を予め定めていると言う予定説……確かに聖書を曲解なしに解釈するとそのような結論に達するのは正しいことだと思います」
「では、なぜ先生はカルヴァン主義の主張する二重予定説を否定されるのですか?」
ジョンは慈しむ眼差しで答えた。
「ゼノンの逆理をご存知ですか。足の速いアキレスは先に歩き出した亀を追い越すことは出来ない。何故なら亀がいたところにアキレスが到着する頃には亀は先に進んでいるからです。頭で理屈だけで考えるとそうなるのです。予定説とはそのような発想で陥る空論なのです」
「では、我々の発想のどこが間違っていると仰るのですか」
「神のなさること、その動機は愛です。その知識が欠けているのです」
こうしてジョンはカルヴァン主義の主張を否定し、ウェスレー 派とカルヴァン主義メソジスト派との亀裂は決定的となった。
年会が終わると、ジョンに来客を告げる者があった。
「私に会いたいと? 誰なんです?」
「……グレイス・ベネットさんです。先生がよくご存知の……お会いになりますか?」
「……ええ、会いましょう」
そして控え室で待っていると、グレイスが頭を下げて入って来た。互いに年齢を重ねたかつての婚約者同士の再会は潮が引いたように静寂に包まれていた。
「久しぶりですね。ベネット君はお元気ですか?」
「ええ、先生もお元気そうで何よりです。……この本、拝読させていただきました」
グレイスはジョンの著書キリスト者の完全を差し出した。ところどころ見られる書き込みが彼女の熟読を物語っていた。
「こんなに真剣に読んで下さったのですね」
「はい。あれから先生は結婚されて、……大変な思いをされたと噂で耳にいたしました。私は僭越ながら、そのことに心を痛めておりましたが、この本を読んで、私たちが一緒に過ごしたことも、……今のご苦労と決して無駄ではなかったと信じることが出来ました」
「そうですか……」
「ベネットは先生に反旗を翻すようなことをしてしまいましたが、私はいつか私たちが分かり合えるようになれればと願っています」
グレイスはそう言って立ち上がり、礼をした後、短い会合を終えて去って行った。この後、グレイスは夫が亡くなった後にメソジストの群れにカムバックするものの、これ以降、ジョンとグレイスがこのように膝を突き合わせて会話することはなかった。