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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第一章 ソフィー
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出帆

 ジョン・ウェスレーを取り巻く環境は三十代になって大きく変化する。まず、父親サミュエルの死によって一家はバラバラになった。因みに一家で聖職に就いたのはジョンと兄のサミュエルJr.、そして弟のチャールズだけで、女兄弟たちは揃って愚かなで不幸な結婚をしたという。

 その頃、ジョンは国教会の教職者となっていたが、ある日、アメリカ・ジョージア植民地の開拓責任者ジェームズ・オグルソープ将軍がジョンの元を訪ねて来た。

「突然の訪問で失礼します。あなたのお父上とは旧知の仲でして、生前はお世話になりました」

「こちらこそ、父が大変お世話になったと聞いておりますし、ご高名はかねがね承知しております」

「ところで今は一時帰国でこちらにいるのですが、この度はジョン・ウェスレー先生にたってのお願いがあって参りました」

 お願いの一言にジョンは襟を正し、耳を傾けた。

「オグルソープさんほどの方がわざわざ私にお願いされるとはどういったことでしょうか」

「私はジョージア植民地の開拓を担っていることはご存知と思いますが、宗教面ではまだまだ脆弱なところが否めません。私は健全な社会作りにはキリスト教的土台がしっかりと備えられている必要があると思うのです。そこで色々と人選を重ねた結果……ウェスレー 先生に白羽の矢が立てられたというわけです」

 国教会の聖職者としては光栄なことだ。しかし、なぜ自分なのかという疑問が頭を擡げる。

「もちろん伝道のためとあらば、私はどこにでも出かける所存です。たとい迫害の中に飛び込むとしても……しかし、洗礼を受けた英国人相手に説教するなら何も私である必要はないのではありませんか?」

「実はターゲットは英国人ばかりというわけではありません。彼の地にはインディアンがたくさん住んでいて、決して少数派ではないのです。私としては彼らをキリスト教に改宗させたいのですよ。それにはウェスレー先生のように、品行方正かつ柔軟で強靭な精神をお持ちの方が適任なのです」

 ジョンはオグルソープの発想が多分に政治的であるのを感じ取った。と同時にインディアンに福音を宣べ伝えることを考えると心が震えた。オグルソープが帰った後、この依頼のことを運動のメンバーに伝えた。するとまず弟のチャールズが感慨深げに言った。

「それは素晴らしい。福音を必要としているアメリカ先住民たちに伝道出来る、これは神が与えた使命であり、チャンスだ。是非とも行くべきだ」

 ところが、ジョージ・ホウィットフィールドが少し慎重論を唱えた。

「確かにアメリカ大陸への宣教には私自身重荷がある。しかし今はまだ政情不安であり出かけるのは時期尚早な気がする」

 また他のメンバーも反対意見を出した。

「オグルソープは債務者の逃れの町としてジョージア開拓を進めているという話で、入植者の殆どが債務受刑者だという噂だ。しかも、当地のインディアンたちは我が国とスペインのいざこざに巻き込まれて白人に対し相当な敵意を抱いているということだ。うかつに伝道などすれば、危険な目にあうかもしれない」

 そのように様々な意見が飛び交い、北米行きの是非について延々と議論が続いた。結局、ジョンは熟考の上ジョージアへ行くことを決意した。


 1735年10月、ジョンは弟のチャールズとメソジストのメンバーであるベンジャミン・インガム及びチャールズ・ドゥラモットを伴ってジョージア行きの帆船シモンズ号に乗った。港まで見送りに駆けつけたジョージ・ホウィットフィールドは努めて笑顔を見せて別れを告げたが、どこか心中に穏やかならぬものを感じていた。

(この航海はとてつもなく困難なものになる気がしてならない。主よ、どうか彼らを守り、無事に現地へ送りたまえ)


 ジョージの案じたように、ジョンたちを乗せた船は難航した。冬の大西洋は大荒れに荒れ、彼らは何度も船がひっくり返りそうになるのを経験した。また、あわや流氷に衝突という場面にも遭遇したのである。

「ジョン、チャペルで説教してくれないか。そうすれば少しは静まるだろう」

 チャールズがそのように提案したので、ジョンは船内チャペルに人々を集め、イエスが船の上で嵐を静めるくだりを題材に説教した。

「みなさん、イエス・キリストは嵐をも静める権威をお持ちの方です。私たちもこのイエス・キリストの名によって信じて祈るなら、どんな嵐も静まるのです」

 説教を終えたジョンはすぐに解散せず、黙想をもって会衆の心を落ち着かせるようにした。ジョンもしばらく黙想した。


 黙想を終えてふと会衆の方を見た。


 すると、真っ白なドレスを着た一人の少女が目に映った。


 まるで穢れを知らぬように純真で輝かしく、瑞々しい美しさ。少女の周りだけがジョンの視界の中でまるで幻想のようにぽっかり浮かんでいた。


──年の頃は十八ぐらいだろうか。透明な白い肌に少し紅く染まった頬。ややふっくらとした二重まぶたの澄んだ瞳。いつか見たラファエロの聖母像を彷彿させるその眼差しは講壇の上の蝋燭の火を静かに見つめていた──


 ふと彼女は顔を上げてジョンを見つめた。はからずも彼女と目が合ってしまったジョンは思わず顔を赤らめた。そして彼女の方はジョンと目が合うと静かに会釈した。その瞬間、ジョンは(本人が認めようが認めまいが)恋に落ちた。


 その夜、ベッドの中に潜り込んでもなかなか寝付けなかった。どれほど否定しようともチャペルの席に座っていた美少女の顔が頭に浮かんで来るのである。ジョンはかの有名な聖書の言葉を唱えてそれに抵抗しようとした。

「情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのである」

 だがそれは絶え間なく心の奥底から湧き上がる欲望の前には何の役にも立たなかった。それでジョンは頭を冷やすために甲板に出ることにした。その時嵐はやんで凪いでいたとは言え、冬の海上の寒さはとてつもなく厳しい。ジョンは痛いほどの寒さに耐えながら、何とか平常心を取り戻すことが出来た。

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