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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第二章 グレイス
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沈黙と分裂

 リーズのその部屋は異様な雰囲気に包まれていた。兄ジョンと弟チャールズが睨み合ったまま時が過ぎて行く。周りにいた数名の牧師たちは固唾を飲んで様子を見守った。やがて痺れを切らしたのか、兄ジョンが手を上げて弟に近づいて行った。

「ジョンさん、いけない!」

 ジョージがそう叫んだが、止めることは出来なかった。そして弟の頬を打つ……と思われた手は、弟の背中に回り、兄は弟を強く抱き寄せた。弟も何も言わずに同じようにした。

 それを誰かが知らせたのか、ジョン・ベネットも中に入って来た。そしてジョンとチャールズの輪の中に加わった。彼らの間には間違いなくわだかまりが残っていた。しかし、今回の騒ぎで傷ついた者同士、互いに労わりあうように一つにまとまったのである。それを見て周りの牧師たちは涙を流した。


      †


 その後、ジョンはしばらく立ち直れず、病の床に伏した。リーズでのチャールズたちとの会合の後、友人に宛ててこのような手紙を書いている。

「私は6歳になってからこのかた、これほど過酷な試練に遭ったことはない」

 実際には筆舌に尽くしがたい苦難を、これまでいくつも経て来たジョンであるが、それら全てを遥かに凌ぐダメージを負ったことになる。まるでヨブが全てを失ったように……しかもその苦痛は信頼して来た兄弟や仲間の裏切りによってもたらされたのだ。彼らはまるでヨブに理解を示さず、罪人の烙印を押して苦しめた友人たちのようだった。

 彼らはしばらくして後、ジョンから離れて行った。ジョージ・ホウィットフィールドはカルヴァン主義メソジストという新たな一派を形成し、ウェスレー 派と袂を分かった。また、ジョン・ベネットはグレイスとの結婚から3年後、メソジストを離れて独立教会の牧師となった。そして弟チャールズとは、メソジスト派の英国国教会からの離脱を巡って意見の食い違いが一層明白となり、やり合うことが多くなった。

「国教会からの離脱なんて気安く言うが、それでは一体何の権威によって按手をしたり、洗礼や聖餐を授けると言うんだ。誰がやっても良いのであれば、そもそも教会がなくてもいいだろう」

「チャールズ、君は相変わらずのハイチャーチ思想家だな。今の我々にとってどうしても必要なのは人間的、社会的な権威ではなくて、聖霊による啓示と働きじゃないか」

「こんな言い方をして悪いけど、それについては兄さんよりも良く理解しているつもりだ。僕は兄さんよりも先に福音的回心をして生まれ変わっているからね」

「福音的回心は人の努力によってもたらされるものではなく、聖霊によるものだよ。もしそのことで少しでも誇りたい気持ちが生ずるなら、自分の信仰を吟味した方がいい」

 確かにチャールズは、ジョンがアルダスゲイトで回心するよりも三日早く福音的回心を経験している。だがこの議論でそれを持ち出すのは、いささか的外れである。

 ともあれ、メソジストの国教会離脱を巡る論争はこれ以降も延々と続き、ジョンの死後、メソジスト派が独立するまで続くのであった。


 体調が戻って来た頃、ジョンはニューゲート監獄を訪れ、チャペルで説教した。

「私をののしる者が敵ではない。もしそうならば忍ぶことができる。私に向かって高ぶる者は仇ではない。もしそうならば身を隠して彼を避けることができる。 だがそれはあなたなのだ。わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友だ。 我々は互いにに楽しく語り合い、共に神の宮に上ったというのに(詩篇55:12〜14)」

 説教が終わると、またあの男が近づいてきた。ソフィー・ホプキーの元婚約者、トム・メリチャンプであった。

「先生、今日もまた良い顔してますよ」

「メリチャンプさん、私をからかっていますか?」

「とんでもない。でも、あなたは前回、まるで全てを失ったような顔で来ていた。そして今回は……まだ失っていないものがあったことに気づき、それすらも失った……そんな顔をしています」

「そうかもしれない」

「でも先生、失うことばかりが苦痛ではありませんよ。むしろ失うことに憧れるほどの苦痛があります。地獄だってそうでしょう、あそこは失う場所ではなく、火で焼かれる所でしょう。そこに行けばむしろ自分自身の全てを失いたいと思うんじゃないですか。そしてそれは叶わぬ夢なのです」

「まるで地獄に行ったことがあるみたいですね」

「ありませんよ。もし行ったことのある人がこの世に生きているとすれば、歴史上最も偉大な伝道師になれるでしょう。もし神があなたにそれを望んでいるとすれば……地獄へと案内することでしょう」

「それは……預言ですか?」

「さあ、どうでしょう。私は一受刑者に過ぎませんから」

 トム・メリチャンプはそう言い残してジョンから離れた。そしてジョンは何も言わずに監獄を出た。町中に入ると、どこか湿っぽさと埃っぽさと混ざった匂いが鼻をつく……産業革命の始まった霧の街ロンドンの独特の臭気にジョンは噎せ返り、いつまでも咳が止まらなかった。周りにいた人間はそんなジョンを一瞬盗み見ながら、我関せずとばかりに通り過ぎた。

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