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アルダスゲイトの影  作者: 東空塔
第二章 グレイス
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チャールズの暴走

 英語には「点をiに、横線をtに」という言い回しがある。大方出来ていても、要の部分でヘマをしないようにと言う垂訓である。

 グレイスは自分たちが点と横線を間違えるようなことをしている気がしてならなかった。ダブリンで結婚を誓った筈なのに、イングランドに帰ってみれば関係は大揺れに揺れ、いつの間にか大勢の人を巻き込んでの騒動にまで発展している。とにかく誓いは果たしたのだし、早く結婚生活に踏み切った方が良いのではないか、グレイスがそのように言うとジョンは決まってこう返すのだ。

「正式に夫婦になる前に次の三つの条件をクリアしなければならない。一つ目はジョン・ベネット君と和解すること、二つ目は弟のチャールズの同意を得ること、そして三つ目はメソジストの人々全員から祝福されることだ」

 これを聞くたびにグレイスはため息が出た。一体いつになれば三つの条件をクリア出来るのか。こんな理由でなかなか結婚生活に踏み切らないジョンに対して、グレイスは苛立ちを募らせていった。


 一方、待てば海路の日和ありと言わんばかりにのんびり構えるジョンとは対照的に、ベネット陣営はせっせと駒を進めていた。しかもその先陣を切っていたのは、あろうことかジョンの弟チャールズだったのだ。

 チャールズはベネットを励まし、必死に説得し続けていた。

「兄が何と言おうと、パスター・ベネット、あなたがグレイス姉妹と結婚すべきだと思います」

「しかし、あなたのお兄さんもあれでなかなかしつこいし、何よりグレイスさん自身の気持ちが向こうに傾いているのです」

「しっかりして下さいよ。パスター・ベネットの気持ちさえ決まれば、後はこちらで何とかしますから」


 そして今度は兄ジョンの説得を試みることにした。二人の兄弟はニューカッスルから少し離れた港町で落ち合った。

「兄さんはベネット氏の夜討ちを非難するけど、非があるのは兄さんの方だよ」

「私に非がある?」

「昨年チェシャーでベネット氏はグレイスさんにプロポーズし、彼女もそれに同意したと言うじゃないか。それなのに兄さんは強引に彼女をアイルランドに連れ出して、ダブリンで婚約までした。こんな横取りみたいなマネして、メソジストの総長として面目丸つぶれじゃないか!」

「面目か……チャールズ、君が私とグレイスの結婚に反対するのはその一点に尽きるのではないかね」

「何だって?」

「グレイスはしがない船乗りの未亡人で、もともとは下級使用人だった。そんな卑しい身分の女性がメソジスト総長の妻となることに、君は我慢ならんのだ。違うかね?」

「僕をそんな差別的な人間だと思っているのかい?」

「差別的とまでいかなくても、官僚主義的なところはあるな。その証拠に、最近メソジスト内に高まりつつある英国国教会からの独立の気運に、君は大反対して抑えにかかっているというじゃないか。英国国教会の暖簾を失うことを、君は心細く思っているのではないかね」

「兄さんは何もわかっていない。英国国教会の後ろ盾がなければ、我々は単なる異端の新宗派に成り下がって英国じゃまともに住めなくなる。そうしたら兄さんはどうするつもりだい、メソジストのメンバーを全員ドイツやアメリカにでも移住させるかい?」

「話が逸れたので元に戻そう。人は相手の家柄や身分と結婚するのではない。その人の性格や思慮深さ、人としての価値……そして私の心を掴んだのは彼女の尊い信仰だ。これほどのものを私は他に見たことがない。だから私にとって彼女を失うことは大きな損失なのだよ。私はこれからずっと彼女を手放すことはない」

「……言いたいことはわかったよ。だけど、僕はグレイスさんとの結婚には反対だ。何としてでも阻止するから、そのつもりで」

 そう捨て台詞を残してチャールズはジョンと別れた。


 ジョンはこのままでは弟が何をしてくるかわからないという危機感を今更のように感じた。そこでベネットの友人でもあるクリストファー・ホッパーに立会人を依頼し、あらためてジョンはグレイスと将来を誓い合った。そしてその後、ジョンはグレイスに語った。

「結婚式を挙げよう。そして私たちは正式に夫婦となるのだ」

「嬉しい、そう言ってくれるのをずっと待っていた……」


 グレイスは喜びながら、下宿先のヒンドレーヒルのブロードウッド邸に帰った。しばらくして落ち着いた頃、ハンナ・ブロードウッド夫人がグレイスの部屋にやって来た。

「ねえ、ちょっと来てくれる? 見せたいものがあるの」

 ハンナ夫人に案内されて行くと、そこにはウェディングドレスがあった。

「素敵! もしかしてこれ、私のために?」

「ええ、着てみてよ」

 グレイスは言われるままにそれを試着し、部屋に備え付けてあった姿見に自分の晴れ姿を映し出してみた。

「きれい……とても似合ってるわ」

「ありがとうございます」

 グレイスは鏡に映る自分の姿を見ながら、ここ最近の出来事を思い出した。ダブリンでジョンと愛を誓ったこと、様々な妨害にあってなかなか結婚に漕ぎ着けられなかったこと……

「これでやっと、私も……」

 やっとジョンのお嫁さんになれる、そう思うと自然に涙があふれて来た。

 とその時、ドアをノックする音がした。(ジョンかしら? 随分早かったわね)

 そう思ってドアを開けてみると、そこに立っていたのはジョンの弟チャールズであった。

「チャールズさん! どうしてここに?」

「実は兄がベネット氏とあなたの三人で話したいと言い出しまして、私にあなたを連れて来るように指図したのです。急き立てるようで申し訳ありませんが、すぐにお出かけのお支度を」

「わかりました、すぐ参ります」

 グレイスはすぐさま身支度を整えて、馬車に乗り込んだ。そしてチャールズが手綱を引くと、ゆっくりと馬車が動き始めた。

「でも、どうしてジョンは急に三人で話し合おうなどと言い出したのかしら」

 グレイスはひとりごとのつもりで言ったが、チャールズはそれに応答した。

「……グレイスさん、あなたはどのような過程を経たにせよ、ベネット氏との結婚を誓われたのですよ、複数の牧師たちの前で。それがどれほどメソジストの人々に波紋を投げかけたか、そして……ベネット氏自身を傷つけたかお考えになって下さい。これから彼らと会ってどう決断するかはあなたの問題です。しかし、ベネット氏にはあなたの気まぐれで傷ついていることをどうか配慮して下さい」

 その言葉はグレイスの胸に突き刺さった。そしてまたもや気持ちの風向きが変化していくのをはっきりと感じた。

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